第1章:血染めの祝福(3)

 シズナとアルダの結婚式が行われたのは、その夜から三日後の事だった。エルシとイーリエに乞われて、村人達が二人を驚かせようと一丸になって、秘密裏に準備を進めていたのだ。

 山を降りた外界では、花嫁になる女性は、純白の布をたっぷり使ったドレスに身を包み、花婿も白いタキシードをまとって、世界を創りたもうた神の御前で愛の誓いを立てるという。だが、皆が用意してくれたシズナとアルダの衣装は、村の女衆が織った、同じ柄が二つと存在しない布でこしらえた、白を基調とした複雑な模様の貫頭衣。それを赤い帯で留め、シズナには紫苑のブーケが持たされた。

 愛の誓いの儀式は村の広場で、若い頃外界でシスターをしていたというリコ婆が、少々拙い祝詞しゅくしを述べて、エルシがこの日の為に用意していた揃いの銀の指輪を互いの左薬指にはめた。

 おめでとう、おめでとう、の言葉と秋桜コスモスの雨が降る中を、新しく夫婦になった二人が歩いて皆に礼を返す。めでたい空気を出来るだけ長く共有しようと、イーリエ達が腕を振るった料理が運び込まれ、祝い酒が振る舞われた。

「やあ、めでたいな、本当にめでたいな!」

 シズナとアルダが並んで宴の様子を微笑ましく見守っていると、二人の剣の師匠でもあるガンツが、赤ら顔でエールをあおりながら歩み寄ってきて、筋肉質な腕でアルダの首をがっちりと抱え込んだ。

「乳臭いガキどもだと思ってたアルダとシズナが、大人の仲間入りか! ったく、こおんなちびの頃から見ていた身としては、感無量だぜ」

 こおんな、と、膝ほどの位置にエールを握った手をかざし、ガンツは大声で笑った後、「本当に、ううっ……」と感極まって、その手で目を覆ったので、中身が少しこぼれてしまった。

「あはは、苦しいよ、ガンツ」

 アルダが苦笑を浮かべながら師匠の逞しい腕を振りほどき、シズナの肩を抱く。

「それに、あなたが村に来た時、俺達はそこまで小さくなかったろう? もう剣を握れる歳だった」

「そうだったけかあ?」

 ずびずびはなをすすりながらガンツは首を傾げ、それから眉間に皺を寄せて周囲を見回す。

「しかし、この晴れの日にユホはいねえのか。いくら可愛い孫を持ってかれるからって、頑固にもほどがあるだろうに」

 そういえば、とシズナは宴に集まった顔を見渡す。あの鋭い敵意を感じない。刺すような視線が存在しない。

「昼には始まるから来てくれって、声はかけたんだけどねえ。呼びに行ってもいなかったし」

 いつの間にか傍に来ていたイーリエが頬に手を当てぼやいた時。

「おやおや、盛り上がっているねえ。めでたい事だ」

 少しもめでたいと思っていないような、しわがれた声が、昂揚していた宴の空気を一気に冷やした。誰もが一斉に声の方を向く。

「ちょいと野暮用があってねえ。遅くなったよ」

 ユホだ。その皺くちゃの顔は見慣れている。だが、今までに無いほどの悪意がその小さな身体から溢れていて、シズナは目眩すら感じ、咄嗟に隣のアルダにしがみついた。夫も同じ思いを抱いたのだろうか。シズナを守るように、肩に回した手に力を込める。

「幸せそうなお二人に、この婆からも、贈り物をあげようね」

 邪意は確かなはずなのに、いやに優しさを装った、ねっとりとした声が耳の奥に絡みつく。老婆は背後に手を回して何かを持ったまま、ゆっくりと新たな夫婦のもとへ歩み寄ってくると、不意に唇の両端をにたりと持ち上げて、背にあった何かを振り上げた。

 直後。

 ごとり、と音を立てて、シズナ達の足元に丸い何かが落ちる。

 はじめは何だか訳がわからなかった。だが、ごろりと転がったそれに、髪が、鼻が、口がついている。目は驚きに見開かれたまま、しかし既にここを映していない。

 ガンツの赤ら顔だった。

 数瞬遅れて、首を失った身体から、飛沫のように血が飛び出し、数歩よろめいて、首から少し離れた場所にどうと倒れ込んだ。

 静まり返っていた宴の場に、最初の悲鳴をあげたのは誰だったのか。自分だったかもしれないとシズナは思うが、あまりの混迷に、それを記憶に残す事は出来なかった。たちまち祝いの席は阿鼻叫喚に満ちた。

「平和に呆けた愚か者どもに、死の刃を」

 ユホの手には、透明な刃の剣が握られていた。それが鮮血を帯びて、地上に向いた切っ先から赤い雫が滴っている。

「そして新たな魔王に、祝福を」

 速まり過ぎてそのまま止まるのではないかというほどに脈打つ心拍数に、切れ切れの呼吸をするシズナを、ユホは強く突き飛ばしてアルダから引き離したかと思うと、何を思ったか、少年の顔を強引に引き寄せ、唇を重ねた。

 驚愕して立ち尽くすシズナの眼前で、アルダが目を丸くする。その間に、ユホの姿が陽炎のように揺らいで変わってゆく。皺くちゃだった肌は艶を取り戻し、白髪が黒く染まって、小さな身長は伸びてゆく。

「さあ、魔王の御子よ」

 あっという間に二十歳そこそこの妖艶な女の姿へと変貌したユホが、真っ赤な唇をアルダから離し、ぺろりと舌で拭って、立ち尽くす少年の手に、血濡れの剣を握り込ませる。

「今こそ目覚め、手始めに、憎き勇者の血族を、驕り高ぶった愚民どもを、魔物達と魔剣『オディウム』で喰らいましょうぞ」

 ユホの言っている事がわからない。いやそもそも、彼女が若返り、シズナの夫の唇を奪った。何が起きているのか意味がわからない。

 だが、事態はシズナの理解が追いつく事を待たずに転換を見せた。呆然と突っ立っているように見えたアルダの手に握られた剣が、轟、と低く唸ったかと思うと、血のような赤色を宿した。

「シズナ!」

 母の声が耳に突き刺さった。直後、小さな呻き声が聴こえる。シズナをかばうように目の前に飛び出してきたイーリエのふくよかな胸から、赤い刃が突き出ている。それが捻られると、母は白目をむいて脱力した。

「さあ!」

 ユホだった女が、狂喜に満ちた笑みを浮かべて両腕を広げる。

「本当の祝福の始まりだよ!」

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