トロイアのヘレネ―

M.FUKUSHIMA

プロローグ

 月の象徴とされるのは銀である。しかし、実際の月が銀色に輝くことは滅多にない。しかし、ごくまれではあるが、月が銀色に輝くときが存在する。

 そして、森は今、そんな月の光に照らされていた。

 森の奥で遠吠えが聞こえた。狼のリーダーが部下に狩りの時間が来たことを知らせたのだ。部下はすぐにどこからともかく集まってきた。リーダーは狼同士の合図を部下に送ると、先頭に立って走り出した。森の木々は比較的まばらだったので、狼たちのスピードはかなりのものだった。同じ理由で、月の光が狼たちをはっきりと照らし出していた。

 不意にリーダーが止まった。他の者たちもすぐに従う。リーダーは高く花を上げて臭いを嗅ぐと、部下を残して歩き出した。狼は足音をたててはいなかったが、獲物を狙うときのような殺気は感じられなかった。

 やがて森は途切れ、湖に行き当たった。水面は月の光を受けてこの世のものとは思えない美しさだった。狼のリーダーはその岸辺に目指すものを見出した。

 そこには一人の娘が自分の腕を枕にして眠っていた。

 美しい娘だ。

 長い金髪はそれ自体が光を発しているかのように煌めき、無造作に束ねられていた。丈の短いチュニックを着て、編み上げのサンダルを履いていた。むき出しの手や脚はやや筋肉質だが、チュニックに隠れた部分は女性らしいラインを描いている。手の届くところに、弓と、矢の入った江尾らが置かれていた。

 狼のリーダーは彼女を知っていた。人間という鈍感な生物を除けば、生きとし生けるものは皆彼女が誰であるかを即座に悟るだろう。狼は来る時と同様静かに引き返して、仲間のところに戻った。

 何かあったのですか? 一頭の仲間が言った。

 我々の女神が眠っておられる。それを妨げるわけにもいかぬ。リーダーの言葉に、仲間たちは納得した。彼らは、別な方向へ走り去った。

 どこかで再び遠吠えが聞こえた。

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