第10話


「のう、そのノエルとかいう小娘どうにか見つけ出したいのう」

「その者につきましては現在捜索中ではありますが、他国へ行かれている場合には到底足取りは追えないものと愚考致します」

「やはり、そうかのう」


眉をしかめて心底残念そうにアーメリ国第一姫エンリが頬杖をついて嘆息する。エンリと上官であるナラーのやり取りを横から見ていたアリサは何だか落ち着かない心持ちがした。これは今に始まったことではない。自身の口からノエルの名を、その恐ろしさを語ってから一週間にもなるが、その間しきりにエンリはノエルを欲している様子。そして、そのエンリの恋人を心待にしているが如く、そわそわしている雰囲気がありさは不思議と刺激していた。


アリサがアーメリ国にて銀獅子騎士団に入団、といってもエンリの一喝のもとにそうなったのであるが、なんにせよ、アリサは中流貴族の末女の身でありながら、落人であるにも関わらずに、アーメリ国が有する特記戦力の一員として名を連ねることとなっていた。といっても、銀獅子騎士団内部においても、その組織構造は区分化されており、銀獅子騎士団に所属はしているものの、その実態はアーメリ国第一姫エンリ傍付きの護衛騎士という形になっていた。上官ナラーはその点でいえば、6年も先にエンリの傍付きとなっているため、未だエンリに話しかけられるたびに膠着しているアリサと比べれば随分と気楽に対談をこなしているように見える。それがアリサには羨ましい。


暖かい太陽の光がそそぎ、蘇芳の花びらが群生となって、甘い香りが心地よく漂う王城の中庭にて三人は談笑を繰り広げていた。いや、三人というのは不適切であり、心地よい談笑を続ける二人と、背後で焦がれた目でエンリの一挙一動を追い続けるアリサ一人というが適切か。本来アリサは寡黙な性分ではない。談笑が嫌いなわけではなく、かといって、特別活発にこなそうという心待ちはまず起きない。素朴で率直で、しかし談笑の絶頂というものを傍からえくぼをたたえて傍観の態を常としているのであった。特別彼女を憎むものはいない。が、同時に特別好かれることもない。どちらか一方に世情が傾いた際、きっと振返しが起こる、その暴力的な振返しが怖いのだ。ので、身内に対しても当たり障りない、深くない関係を作ることに懸命となっている。そんな彼女ではあるが、ことこの人と決めた際には火のような熱情を心の中で燻らせる。その燻った火種はあくまで火種のままとして、時折、火花のようにちっちっと相手に照らして見せるが、それが相手に気づかれようと気づかれまいと関心はない。実りは求めていないのだ。


暖かな日の光がそそぐ昼盛り、王城の中庭で繰り広げられているこの状況は、一歩身を引いて誰かしらの談笑を眺めて、頬にえくぼを忘れないのは常の彼女であれば望むところであった。が、アリサにとってエンリは自身の火種となる存在であった。光陰が過ぎる中、真っ赤なシルエットが彼女の目にはありありと映し出された。小さいながらも、確かな暖かさを携えた愛敬の念を呼び覚まされたのだ。その小さな灯火を守るようにアリサは側に腰を下ろす。地面は湿気っている。風も生暖かく、少し強い。それらから遮るように自身の体を覆いかぶせる。すると、その暖かみが胸のあたりに丁度集まる。意識する。決して消してはならない、と。灯火はやがて燎原の火となり、身を焦がすであろう、けれども、それでよい。法灯のごとく暖かみない心を導いてくれるのだから。


暖かな灯火を守らんとして、アリサは今一度ノエルの恐ろしさをエンリへと伝えることにした。


「エンリ様」

「ん、どうしたか」

「その、ノエルという女児のことでございますが……」

「おお、何か行方の手がかりでも思い出したのかの?」

アリサは大きくかぶりをふって、

「いえ、そうではございません。近頃エンリ様はノエルという全く恐ろしい怪物にご執心のご様子ですので、一言申さなければと思った次第です」

「ほう、恐ろしい怪物とな!」

エンリは大げさに驚いた風体をつくろうものだから、いよいよアリサはどうにかせんと心極めて、

「ええ、恐ろしい怪物でございます。何せ、筋肉隆々とした盗賊らに見渡す限り囲まれても泣き声一つあげず、加えてそれらのものを眉一つ動かさず殺してしまったのですから。私と共に囚われていた子供たちなどは皆声一つあげれないほどに恐れておりました。きっとわずかな音さえあのものを刺激し、その異能が自身に向くことを恐れたのでしょう。目やにもろくに取れていない眼をいっぱいに開いて、恐ろし気に、けれども決して視線の内に収めようとしている子供たちの様子は勇敢であり、憐憫を誘うものがございました」

「確か、子供たちの中にはそれ以降心を壊したものがいたそうな」

「ええ!その通りでございます」

アリサは我が意を得たりと喜色をたたえて、

「あまりにも凄惨な様子を見て心を痛めてしまったのでしょう、あれからすっかり様子がおかしくなった子が二人おりました。私とて、今でも夢の中でうなされることがございます。……ノエルというものは、一見しますと、絹のような銀髪に虹の穂先、白玉のようにきめ細やかな白肌で、大層美しい女児であります。けれども、決して、間違ってもお側においてはなりません。人の子ではありません」


エンリは自身の瞳へと、じっと見つめてくるアリサの瞳を映しながら少しの間黙考したが、やがて笑みをたたえて、

「余とて馬鹿ではない。その者の危うしさは十分承知しておるさ、だがな、ここアーメリ国は危ういのだ。お主に絡んできた四聖のフェイデンを筆頭とした国内の不穏分子による謀略、狂信国『エクスタース』の宗教介入も近頃看過できなくなっておる。彼の国との兵力差は数えるのもばかばかしいほどじゃ。今は従順に尻尾を振って生きながらえている我らよの。加えて、この大陸には未だ列強諸国がうごめいている。いつ侵略を受けるか、定かではない。けれどもそのためにできる限り備えをしておくべきだとは思わんかの?そのノエルというものの力が実際どれほどのものであるかは図りしれないところではあるが、御することが可能であれば、国の助けになるであろう」


エンリはアーメリ国の現状をよく理解していた。アーメリ国は大陸ヨルムンガンドにおいて南方に位置している。けれども新興国であり、その領土は小さい。加えて隣国との彼我の戦力は大差であり、国土拡張は到底望めなかった。北東にはエルフたち(既知の通り、ハイエルフたちが国を治める形となっている)が住まう国アンテラ、西には大陸の頂点に位置する狂信国エクスタースが位置している。狂信国エクスタースは現在、暗黒塔ウラノクシスティスと戦争状態にあるためアーメリ国への侵略は考えにくいが、文化の侵略が著しい。すでにアーメリ国にはエクスタースの信奉者が多数あり、何万人もの移民がエクスタースへと去っていた。これはアーメリ国全人口が一千万であることを考慮すると、決して看過できない問題であった。狂信国エクスタースが大陸随一の強大国となった一因にはこうした文化の侵略によって滅んだ国々も少なからずあったためである。


こうした外因に加えて、フェイデンらによる上流貴族による内部攪乱にも対応しなければらないアーメリ国にとって、今は一人でも勇猛な兵を欲していた。無論、上流貴族とて、皆が皆内紛を望んでいるわけではない。片尾のメリーサといった優れた魔法持ちの勇猛な女性は、治安の安定を図ろうと奮起しているものもいる。また、アーメリ国には冒険者ギルド、つまり傭兵所があり、ここにしばしば援助を求めて国家の治安を図ることもある。アーメリ国が他国と大きく違う点は『神』の干渉が極めて少ない点にあろう。アーメリ国が司る海洋神アズカンダ、その性質は比較的温和であり、民衆にも気軽に接し、人気は高いが、自身の神威をもって圧倒せんとするのは極めて小さな領分に限っている。主にそれは自身の領分、己が住処、首都クメーラの地下に位置する水殿にのみ干渉するのが常であり、地上のアーメリ国内部の情勢には不干渉を貫いている。民衆は海洋神アズカンダによる布告と信じ、あらゆる政策を真摯に受け止めているが、その実情は王族と四聖の絶え間ない政争のすえもたらされているものとなっており、時折、破綻をもたらすことも少なくはない。海上の小舟のようにゆらゆらとその場限りを生き長らえている、それがアーメリ国であった。


大陸ヨルムンガンドにおいて弱小の部類に含まれるであろう、アーメリ国という小さな船において、エンリはどうにか沈まないよう苦心する人々の中の一人であった。それゆえ、ノエルという奇怪な少女の話においても、一人で何十人もの盗賊を一瞬のうちに倒せると聞いては喉から手が出るほど欲しくなるのも自然であり、また、アリサにおいても魔法持ちというだけで、随分と一般の兵士とは力量が異なる。そのために、側において信頼を得て、相互信頼の取れる私兵の一人として扱うことを打算し、傍付きとしていたのであった。


そうした経緯もあり、エンリの頭の中にはノエルとアリサが協力して私兵として自身に尽くしてくれることを望んでいたので、アリサのノエルに対する不信感、恐怖をどうにか払ってしまいたかった。


エンリは瞳を真っ直ぐに、

「それとも何か。余程度では齢十にも満たない小娘をあやすこともできない。そう思うか、アリサよ」

アリサは一度は口を開いて何か言いたげな風であったが、すぐにそれを止めて、うつむき、それっきりしんとしてしまった。決して納得してはいないだろうが、不満持つものを一人一人説いていては間に合うことも間に合わなくなろうと考え、上官ナラーへと顔を向けて、

「ナラーよ、銀髪のノエル以外にも勇猛なものがいれば余に引き合わせるように。頼んだぞ」

「はっ、承知致しました」

それから、未だふさぎこんだアリサへとちらりと目を向けたが、すぐさま城内の中庭から去って行ってしまった。

「……ノエル」

表情は俯いてうかがえないものの、その名前を小さく呼ぶ声には嫉妬と侮蔑が織り交ぜられていた。



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