第2話 やっかいな妹

 僕が学校へ向かうべく支度を始めたのに気がついたサリタは、慌ててパンを口に押し込み、専用端末を首にひっかけて寝癖のついた髪をブラシで適当に梳かしている。母親のアリサはまだ端末画面を齧りつくように目を走らせている。

「母さん、遅刻するよ」

「キア先に学校行って教室の鍵開けておいて」



「わかった。でも遅刻しないでよね」



 玄関でため息交じりに母に向かって言う。わかってるわかってるって、と、手をひらひらと適当に挙げて振る仕草。これは1限目自習コースだ。



「パパも遅刻しないでね!学校いってきます!」



 サリタは食卓に駆け寄って身を乗り出し、父の頬にいってきますのキス。目に入れても痛くないほど溺愛している愛娘の跳ねた髪を撫でる。



「今日も可愛いねサリタ、気を付けていってらっしゃい。パパは今日休みを申請しておくよ」



「残念!今日もいっぱい勉強してくるね!」



 少しだけ拗ねた顔をした後、いつもの天真爛漫な笑顔で玄関で待っている僕の所へ駆けてくるサリタ。妹の世渡り上手さには最近目を見張るものがある。最近では微妙な冗談や、上手い嘘をつくようになり、兄としては心が痛む。






「へいへーい!イルディーパーソナルAI今日のキアお兄ちゃんのご機嫌は?」



 魔法を使って僕の専用端末に内臓されているヘルスデータを盗み見ようとしてくる。



「答えなくていいぞイルディーパーソナルAI



 常にスタンバイ状態で端末を管理しているのは搭載された個人用簡易人工知能だ。この人工知能はネットワークを介し世界に繋がっており最新の情報を採取しては更新を繰り返している。巧妙なサリタの魔法に瞬時反応した端末の人工知能、イルディーパーソナルAIに僕は即座に上書き命令を下す。


『かしこまりました』



 それにしても、なんという横暴でいてやんわりとした曖昧且強引な魔法テキストを使うんだとちょっとした衝撃を受ける。通常、このような類の魔法テキストは好ましくない例として教科書に載っている。しかし一瞬でイルディーパーソナルAIに黙って指示を出し検索をかけても、似た構文はあっても同じ物は未発表であるとの返答。ますます朝から心が痛くなってくる。妹はいったいどこでこのような魔法を身に付けたのか。



「お前どこでそんな文法を覚えてきたんだよ」



ウェンビィパーソナルAI、週間天気予報ー」



 兄の質問を完璧に無視。先が思いやられる。



 僕のイルディーパーソナルAIとサリタのウェンビィパーソナルAIは型番的には近い。どちらも自由度がかなり高く、処理能力も高い。けれどイルディーパーソナルAIはいつも理論整然としているし、ウェンビィパーソナルAIは無駄口ばかり叩く。結局の所、使用者の個性がもろに出やすいタイプの人工知能なのだ。



『5日後に雨を降らすと天候管理センターから発表が出てるよー。時間帯は未定だけど地域はH5-2エリアからJ6-8エリアの範囲、多少の誤差はあるかもねー。傘は持って行っておいた方が吉!ちなみに2日後に大型システムアップデートが控えてるから、いま細かい魔法の構成を考えるのは無駄かもー!』



「2日後のアップデートでどの辺りが書き換えられそう?」



『そうっすねー、冠絶の魔法使いテキストエディタレオ・エレイン、パパさんによる最新魔法テキストが発表された影響でアップデート自体が大幅な修正が必要になって統制情報郡はてんやわんや状態なのでなんとも言えないなー』



「かわいそうに」



『ドンマイだよねー』



 通学路をとぼとぼ歩く僕らは父の最新作について意見を交換しつつ、学校のある地区へ向かう。


 天気は良く、空が高い。気温も適度で過ごしやすい。制服の袖から入ってくるそよ風が心地よい。

 平穏な日々。おそらくこんな日がずっと続いていくのだろう。みんなそう思っていた。争いも無く、餓えも無く、平和な世界。僕らの魔法テキストはこの世界を保つためにある。みんながより良い生活を送るために、ある。

 みんな幸せで、不平不満のない、優しい優しい世界。そんな世界がこれからも延々と続いていくのだとみんな信じていた。信じない根拠が存在しないから、疑えなかった。ただそれだけなのだと僕は後から知った。


 ウェンビィパーソナルAIとああでもないこうでもないと父の発表した魔法テキストについて話しているサリタを横目に、どこか心の奥で変化の無い日々に退屈を感じている自分がいることに気がつかないふりをした。



 突如、ノイズ音が耳に触れた。ほんの僅かなザザザザというノイズ音。何事だろうと目を見張ると、道を横切ろうとする黒い猫が目に入った。識別コードの無い猫だ。おかしいなと僕は思う。この世界に存在するものは全て必ず、識別するための何らかのコードが情報郡よりあてがわれている。

 黒猫と目が合う。ノイズは消え、脳が震えるような重低音と脳を破壊するような高音が同時にどこからともなく鳴り響いた。

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