第44話 ずっと、生きたかった

 日は完全に落ち、辺りに掛けられている提灯に明かりが灯る。遠くの方からは祭囃子が聞こえきて、お祭りは花火の打ち上げに向けて賑わいを見せていた。


 人波の中を、朝陽は紫乃を背負いながら歩いて行く。途中、何度か見知った人間を見かけたが、誰からも声をかけられることはなかった。朝陽は小学生の頃に転校したため、春樹ほど関係の深かった人間でなければ覚えてなどいない。

 

 そもそも朝陽は比較的、クラスの中では影が薄かったのだ。


「何か食べたいものはある?」


 歩きながら紫乃に質問をすると、やや間を置いた後にボソッと声が返ってきた。


「りんご飴……」

「それじゃあ、りんご飴を食べようか」


 屋台には四、五人ほど人が並んでいたが、すぐに朝陽たちはりんご飴を買うことが出来た。二人分のりんご飴を持ち、近くにあったベンチへと腰掛ける。


 すると、紫乃はすぐに朝陽の方へと寄りかかってきた。


「ごめん……」

「謝らなくていいよ。まだ、眠いの?」

「眠いというより、意識が遠くなるような、そんな感じかな……」


 もしかすると、紫乃の魂が離れかかっているのかもしれない。もちろん対処法など思いつくはずもなく、朝陽は彼女に話しかけ続けるしかなかった。


「りんご飴、持てる?」

「うん……」


 彼女の手にりんご飴を持たせてあげようとするが、その指は棒を掴むことなくスルリと落ちる。仕方なく朝陽は、紫乃の口元にりんご飴を近づけた。


 普段の彼女ならばきっと、頬を染めながら恥じらいを見せるのかもしれない。しかし今はそんな余裕もないのか、そのまま透き通った朱色にゆっくりとかぶりつく。


 カツリと飴の割れる音が鳴る。中央のりんごには届かなかったようだ。二口目にようやくりんごに歯が届き、サクリという軽快な音が鳴った。


「美味しいかな?」


 コクリと紫乃は頷く。


 それからは彼女のペースで、りんご飴を食べさせていった。口をわずかに開けば、飴を近づける。ゆっくだが、りんご飴はだんだんと小さくなっていった。


「ねえ、朝陽くん……」

「どうしたの?」


 わずかに開くその口元に、耳を近付ける。決して彼女の言葉を聞き漏らさないように。


「ありがとね……」

「……うん。僕の方こそ、ありがとう」

「紫乃の部屋に、来てくれて……」


 朝陽の心臓の鼓動が速くなる。紫乃の言葉が、まるで別れを予見しているように感じられて、酷い焦燥感に駆られた。


「……次は、何をしようか。唐揚げとか食べて見る?」


 紫乃は何も言わずに、黙って首を振る。それからポツリと、「今は、朝陽くんのそばでゆっくりしたいな……」と呟いた。


 黙ってその言葉に頷くと、彼女はより一層身体を寄せてくる。先ほどから、意識を繋ぎ止めておくのがやっとなのだろう。


 そんな紫乃に何もできない自分が申し訳なく、朝陽は両手を強く握りしめる。奇跡が引き起こした出来事の前に、人間はあまりにも無力だった。


「ねぇ、紫乃……」


 彼女は返事を返さない。それでも聞こえているのだと願って、朝陽はポツリと呟いた。


「僕はやっぱり、君に生きていてほしいよ……」


 お墓に行った時から、その思いは強くなっていた。死んでしまったのに、今も生きながらえているなんて、ある意味卑怯だと言われるだろう。


 しかしそれでも、彼女には生きながらえることの意義があるはずだ。奇跡が起きるのは、きっと何かしらの意味がある。


 意味があったからこそ、紫乃はここにいる。そのチャンスを、運命に流されるまま不意にしてしまうのは許せなかった。


「紫乃も、生きたい……」


 彼女も、そう呟く。


 数時間前までは、生きることを諦めていた女の子が。


「朝陽くんと、ずっとずっと、生きたかった……」


 その言葉に、朝陽の目頭は熱くなる。泣いてはダメだと思っていても、溢れ出す感情をせき止めることは出来なかった。


 もし、彼女の最期の願いさえ叶わなければ、少しの間だけでも生きながらえることが出来るのだろうか。最期の願いを聞き届けなければ、彼女をこんなに辛い目に合わせずに済んだのだろうか。


「紫乃……今から、一緒に逃げよう……」


 彼女の肩に手を回す。その身体は、いつもよりずっと小さく感じた。


「とりあえず、花火が見えなくなる場所まで行こうか。電車に乗って、飛行機に乗って、今度は雪の降る景色を見るのも、いいんじゃないかな」

「雪……」

「寒いけどさ、とっても綺麗なんだ。太陽が白銀の雪面に反射して、世界がいつもよりまぶしく見える。冬が終わって雪が溶ければ、木々に桜が咲き始める。ピンク色の、綺麗な花だよ」


 二人で桜の木の下を歩いている姿を想像する。そこにいる彼女は、きっと瞳を輝かせながら笑顔を見せているのだろう。


 しかし紫乃は、その誘いに首を振った。


「ダメだよ、そんなことしちゃ。彩ちゃんの時間を奪ったりしたら、ダメなんだから……」


 朝陽は何も答えることができない。


 彼女を助けるということは、彩を助けないということになる。そんなこと、朝陽にもわかっていることだった。


 それに、たとえその選択をして助かったとしても、紫乃は笑顔を見せたりはしない。綺麗な景色を見るたびに彩のことを思い出して、辛い思いをするだけだ。


「何か、二人が助かる方法がないのかな……」

「ないよ……紫乃は、もう死んじゃってるんだもん……今ここにいることが、すでに奇跡的なことなんだから」


 そうだ。彼女は今ここにいること自体が奇跡のようなもので、これ以上のことを望むのは都合が良すぎるだろう。現実は、そう甘く出来ていないのだ。


「最後に、朝陽くんと会うことができて、ほんとによかったなぁ……」

「何言ってるの、最後じゃないって。また、今度はみんなで浜織に遊びに来るんでしょ?」

「うん、そうだった……そういう、約束だったもんね……でも、もう……」


 紫乃はゆっくりと目を閉じようとする。朝陽は慌ててその手を掴み、彼女のことを引き止めた。


「待って! まだ、花火も見てないんだよ!?」

「大丈夫……大丈夫だから……落ち着いて、朝陽くん……」

「こんなの、落ち着いていられるわけない!」


 朝陽が叫んだことにより、周りを歩いていた人間が足を止めて、ベンチに座る二人を見つめてきた。しかしそんなこともお構いなしに、朝陽は彼女を背負い直した。


「待ってて。今から、花火がよく見える場所まで走るから。だから、まだ……!」

「うん……まだ、大丈夫だから……」


 その言葉を聞いた朝陽は、紫乃を背負ったまま走り出す。わたあめを持った、浴衣を着た様々な人たちの間を、ただ真っ直ぐに走り抜けた。

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