第41話 生きなさい

 それから二人は、予定通りお墓参りへと向かうことにした。しかしここに来て、具体的なお墓の場所が分からないことが判明する。それはおかしな話ではなく、当然のことだった。


 紫乃とその両親がお墓に入れられた時にはもう、彼女はこの世界に存在していないのだから。


 ひとまず隣町へは向かわずに、近くの大きな霊園を朝陽はスマホで調べた。近辺だけで霊園が三つもあることが分かり、とりあえず一番近い場所へと二人は向かう。


「ごめんね。お墓の場所もわからないのに、こんなお願いしちゃって……」

「紫乃は、最近謝ってばかりだね。僕は何度も言ってるけど、それほど気にしてないよ」

「だって……」

「そういう時は謝られるより、ありがとうって言われた方が僕は嬉しいな。感謝を強要してるわけじゃないけど、紫乃にありがとうって言われるのが好きなんだ」


 紫乃は朝陽の手を繋いだまま、恥ずかしそうに頬を染めて、ささやくような声で呟いた。


「あの、ありがとう、ございます……」

「なんで敬語?」

「だ、だって!」


 彼女は恥ずかしかったのか、朝陽の肩をトントン叩く。それがおかしくて、朝陽は声を出して笑った。そして紫乃は、また顔を赤くして今度は頬を膨らませる。


「……朝陽?」

「え?」


 突然朝陽の名前を呼ぶ男の声。その声が二人の元に届いた瞬間、紫乃は浮かべていた明るい表情をサッと強張らせた。


 しかし朝陽は彼のことを見て、途端に懐かしさの感情を覚える。


「春樹……」


 晴野春樹。


 幼い頃に関係が途切れた、朝陽の友達。顔つきはだいぶ大人びたものに変わっていたが、それでも彼が春樹であるということは、出会った瞬間にすぐ分かった。


「え、お前、なんでここにいるんだよ……!」

「ごめん、連絡忘れてた。ちょっと事情があって、こっちに来ることになったんだ」

「おいおいそれならもっと早くに言ってくれよ。マジ驚いたじゃねーか!」


 春樹は笑顔のまま朝陽の方へと走って来る。そして遅れて隣にいる人物に気付き、朝陽に見せる表情とは別の、下心のある笑顔を見せた。


「え、彩ちゃんも一緒なの?! もしかして、お前ら付き合ってるとか?!」

「あ、えっと……」


 突然近くで叫ばれた紫乃は彼に怯えきってしまい、朝陽の影へサッと隠れる。春樹はそんな彼女のことを見て、やや怪訝な表情を浮かべた。


「え、どうしたん? ごめん、ちょっと馴れ馴れしかったかな……」

「あ、えっと……」

「いやほんとごめん! 久々に彩ちゃんに会えて、嬉しかったんだわ」


 そう言って春樹は両手を合わせる。紫乃は何も訂正しないまま、そんな彼を見て曖昧に微笑んだ。


 それは、お節介なのかもしれない。紫乃がそうすると決めたのだから、本当なら朝陽が口を挟むことではなかった。


 しかし黙っていると、何故か心の中にもやがかかったように苦しくなって、自分の行動を許せなくなる。その感情の理由に、朝陽は気付いた。


「春樹。彼女は、彩さんじゃないよ」

「は?」

「彼女は、東雲紫乃っていうんだ」

「朝陽くん……?」


 春樹はその言葉に眉をひそめる。それも当然だ。東雲紫乃は、交通事故ですでに亡くなっているのだから。


 そのまま彼は朝陽の目を見つめる。そして、諦めたようにため息を吐いた。


「はぁ、お前がそう言うんならそうなんだろうな。正直、何言ってるかわかんねーけど」

「信じてくれるの?」

「信じるも何も、朝陽がそう言ってんだから信じるしかねーだろ。それとも、嘘だったのか?」

「嘘じゃないよ」


 嘘なんかじゃない。彼女は見た目こそ綾坂彩であるが、今は東雲紫乃なのだから。


 春樹は改めて、紫乃へ挨拶した。


「俺は朝陽の昔馴染みで、晴野春樹っていうんだ。よろしくな」

「あ、はい……」


 紫乃は未だ怯えた様子で、朝陽の影に隠れている。そんな姿に、朝陽は苦笑した。


「春樹は悪いやつじゃないよ。だから、何もしたりしないって」

「当たり前だろ。それとも何か? 俺の顔が怖いってか?」

「昔よりは怖くなってるんじゃないかな。なんか、ヤンキーっぽくなった」

「そういう朝陽は、昔から全然変わんねーな。いや、ちょっとは男らしくなったか」


 朝陽と春樹はお互いに笑い合う。そんな二人を見て紫乃も小さく、くすりと微笑んだ。


「んで、事情って何? 連絡忘れるぐらい大変な用事なんだろ? 俺に出来ることがあれば、手伝ってやるよ」

「そんな、それは申し訳ないよ」

「申し訳なくなんてねーよ。俺はお前に、まだ借りを返してないんだから」

「借り?」

「人の家にボール投げ入れて、一人で謝りに行ってくれただろ? 正直言うと、あの時は怖くて逃げ出したんだよ。本当なら、一緒に遊んでた俺も謝りに行くべきだったのにな」


 そんなこと、別に朝陽は気にしてなんていなかった。一人で行かなければ、きっと紫乃とは出会っていなかったのだから。


「朝陽は気にしてないかもしれねーけどさ、ここは俺にも手伝わせてくれ。そうしないと、本当の意味でやり直すことは出来ないと思うんだ」

「やり直しって?」


 何のことだかわからずに思わず聞き返すと、春樹は頬をかきながら照れ臭そうな表情を作った。


「いや、お前は本当に気にしてないかもしんないけどさ、俺は結構気にしてたんだよ。あれから何となく話しかけづらくなったし、そのまま別れたのはかなり後悔してた」

「そうだったんだ……」


 春樹には友達がたくさんいる。自分なんてその中の一人でしかなく、それほど相手にされていないのだと朝陽は思っていた。


 だから何となく疎遠になったのは、自分が興味の対象から外れたことが原因であって、それほど大きな理由があるとは考えてもいなかった。本当は、小さなすれ違いが起こした、些細な出来事だったのだ。


「だから、俺にも手伝わせてほしい。紫乃さんのことは、今は何も聞かねぇ。誰にもこのことは話さない。俺に、手伝わせてくれないか?」


 朝陽は春樹の言葉にしっかりと頷く。そうすると、彼は安堵の表情を浮かべた後に、ニカッと微笑んだ。


「そんじゃあ、教えてくれ。今、朝陽が何をしてるのか」

「実は、ある人のお墓を探してるんだよ」

「墓ぁ?」

「うん。東雲家のお墓なんだけど」


 その朝陽の言葉に、春樹はもちろん怪訝な表情を浮かべる。それから紫乃のことを見たが、彼女はサッと目線を外した。


 再び、春樹はため息を吐く。


「もしかして、幽霊?」

「違うよ」

「そっか。まあお墓を探すってなると、手当たり次第に霊園を回って、そこの管理者に聞けばいいんだろ?」

「うん。そのつもりだった」

「じゃあ二手に分かれたほうが効率よく探せるな。紫乃さんの名前は、出してもいい?」

「あ、えっと……紫乃のお母さんの名前って、なんて言うのかな?」


 紫乃は一度だけ首を傾げたが、すぐに二人へお母さんの名前を伝えた。


「東雲野々香、だよ」

「じゃあ、東雲野々香さんの名前を使って探そうか」

「おっけ。そんじゃあ、早速探しに行くか」

「あの……ありがとうございます……」


 消え入りそうなほど小さな声だったが、春樹にはしっかりと聞こえていたのだろう。彼は嫌な顔一つせずに、またニカッと微笑んだ。


「いいってことよ。それに、あんたの家にボールを投げ入れちまったんだ。これぐらいの詫びがあって当然だろ?」

「投げたのは僕なんだけど……」

「細けえことは気にすんなって」

「いや、前に電話した時も、春樹は僕に責任押し付けてたよね?」

「そうだったっけ?まあ別にいいだろ」


 あっけらかんと春樹は言う。そんな彼に朝陽は呆れてしまうが、感謝をしているのは事実だ。


「ありがと、春樹」

「困ったときはお互い様、だろ?それより、早く分担を決めようぜ」

「うん、わかった」


 それから三人で、霊園を回る場所を決めた。春樹は現在地からなるべく遠い場所を回ると言ったため、朝陽たちは比較的近い霊園を回ることになる。


 一度、回る距離は平等にしようと提案したが、春樹は一切折れることなく、今は陸上部に入ってるから大丈夫だと言い張った。おそらく、女の子である紫乃のことを気遣ってくれたのだろう。


 それを言葉にすれば紫乃はきっと申し訳なさを感じるため、朝陽は心の中でお礼を言った。


「そんじゃ、俺はもう行くわ。お互いにわかったことがあったら、すぐに電話で連絡を取ろう」


 春樹はそう言うと、すぐに手を振って走って行った。


 住宅地の真ん中には、朝陽と紫乃が残される。


「あの、朝陽くん……」

「どうしたの?」

「どうして、紫乃を彩ちゃんってことにしなかったの……? その方が、何も違和感がないのに……」


 友達である春樹に嘘をつきたくはなかった。そういう理由も、もちろんあるのだろう。しかし朝陽はそんなことよりも、別のことを気にかけていた。


「……たぶん、認めたくなかったんだよ。紫乃は、ちゃんとここにいる。まだ死んではいないってことを。僕は、まだ紫乃に生きていてほしいって思ってるから」


 紫乃はその言葉を聞いて、目を伏せる。


 彼女はきっと、心の底から生きたくないとは思っていない。そんな思考をしていれば、こんなところまで足を運ぼうとはしないから。確かな意思を持っているのなら、何もかもを犠牲にして彩のことを助けるはずだ。


 そう、朝陽は考えていた。


「紫乃は、もう死んでるよ……死んでるから、生きてる人には迷惑をかけたくないの……死んだ後まで、迷惑なんてかけたくない……朝陽くんにも、迷惑をかけたくない……紫乃は……生きてることそのものが、迷惑だったから……」

「違うよ」


 今度はハッキリと言い返す。


「生きてることが迷惑なんて、そんなことあるわけない。迷惑をかけてて、それを両親が疎ましいと思っていたなら、自分の身を呈してまで紫乃のことを守ったりはしなかったはずだ」

「……どういうこと?」

「彩さんが言ってたんだ。夢を見たって。たぶん、紫乃が交通事故に遭った時の夢だったんだと思う」


 突然横から大きな音が響いて、何かがぶつかってきた。そんな中、誰かが覆いかぶさって助けようとしてくれた。自分の方が、辛いはずなのに。


 その夢の内容を、朝陽は語って聞かせた。


 そして、彼女は……


「彼女は、東雲野々香さんは、何度も紫乃に大丈夫だよって言い聞かせて、そして最後に、あなたは生きなさいって呟いたんだ。電車の中でも言ったけど、そんな人が紫乃のことを迷惑だって感じてるわけない。紫乃はちゃんと、愛されていたんだよ。だから……」


 だから、自分は生きていたくないなんてことを、言わないでほしい。野々香さんが守った一つの命を、粗末にしないでほしい。


 朝陽の思いを紫乃へ伝えると、彼女はやっぱり涙を流した。先ほど男の子へそうしたように、今度は朝陽が手のひらを頭の上に乗せてあげる。


 きっと今までの人生が、辛いことの連続だったのだろう。それならば、紫乃が泣き虫なのは仕方がないと、朝陽は思った。


「野々香さんとお父さんの眠っている場所へ、挨拶に行こう。ごめんなさいじゃなくて、ありがとうを伝えるために」


 今度こそ紫乃は、力強く頷いた。

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