第29話 君の名前

 父に言われていた時間に、屋台の手伝いへと向かう。


 分担は朝陽と父が唐揚げを揚げて、彼女が接客ということになった。父曰く、女の子が接客をやったほうが人が来るから、ということらしい。


 その言葉通り、花火が打ち上がる前には屋台の前に人の行列が出来上がっていた。いつもの麻倉家に、見慣れない女の子がいるのが珍しいのだろう。その中にはもちろん、朝陽の学校の友人も混じっている。


 彼女はたくさんの人に話しかけられながらも、丁寧に笑顔を浮かべながら接客を続けた。


「いらっしゃいませ。からあげはおいくつにしますか?」

「ん、じゃあ俺五つで。あ、もしかして君、麻倉の彼女さん?」

「え、あ、えっと……違います……」


 そう否定した彼女は、奥で唐揚げを揚げている朝陽の方へチラと振り返る。朝陽もどうしてか気まずくなり、視線を油の方へと戻した。


 その二人の反応で勘違いをしたのか、客はニヤニヤと笑みを浮かべた。


「おーい、屋台の中でイチャつくなよ」


 先ほど質問した男の後ろから、朝陽の聞き慣れた声が飛んでくる。学校の帰りなのか制服のままで、同じく隣には部活の友達である女の子も数名いた。


 珠樹の言葉で本当に勘違いしてしまったのか、男は注文をしたからあげを受け取った後、ニヤニヤと笑みを浮かべながら近くにいた友達と向こうへ行った。


「珠樹さん……来てくれたんだ」

「紫乃ちゃんの働いてる姿を見たかったしね。それに、毎年朝陽にはおまけしてもらってっから」

「へぇ、紫乃ちゃんっていうんだね」


 あまり火の元から離れるのはよくないが、父が行ってこいと目配せをしたため、朝陽は一度彼女の元へ近寄った。


「東雲紫乃ちゃんって言うんだぜ。しかもこいつら、今日吹奏楽部の見学に来てたんだよ」

「ごめん。あの時は僕のせいで珠樹がミスしちゃって」

「バツとして朝陽のおごりな。先生に怒られたし」

「あーなんか音楽室覗いてたかも。あれこの子だったんだ。てか君めっちゃ可愛いね」


 褒められた本人は「ありがとうございます」と、笑顔を浮かべながらお礼を言った。謙遜するのかと朝陽は思ったが、どうやら社交辞令として彼女は受け取ったようだ。


 実際のところ、珠樹の友人は社交辞令などではなく、本心を言ったのだろう。そういえば神社でも、珠樹に美人だと言われて似たような反応をしていたことを朝陽は思い出す。


 おそらく彼女はそういうことを言われ慣れているか、もしくは自分に対してすごく鈍感なのだろう。


「来週コンクールあるから、紫乃ちゃんも見に来てよ。それまでこっちにいるでしょ?」

「あ、うん。たぶん、いるかな……」

「よっしゃ! 紫乃ちゃんが来てくれるなら、練習も頑張れるぜ!」


 彼女は歯切れの悪い返答をしたが、それを気にせず珠樹は屈託のない笑み浮かべる。それから二人分の唐揚げをお金と交換して、次の注文を受ける。


 珠樹は手を振りながら、友達と川辺の方へ歩いて行った。朝陽は受付を離れて、唐揚げを揚げている父の元へと戻る。


「お前、東雲さんとお付き合いしてるのか」


 油に沈んでいる唐揚げを網ですくいながら、父は質問を投げた。


 家族に言うのは恥ずかしかったため、朝陽は何も説明していない。


「付き合ってないよ。今は、保留になってるっていうか……」

「そうか……」


 父はすくいあげた唐揚げの油を切る。わずかな沈黙に、朝陽は少しだけ緊張感を覚えた。


「……東雲さんのことは、大切にしてやるんだぞ」

「あ、うん……」


 そんなことは当然のことのように理解していたが、自分の親から言われると言葉の重みが増してくる。父は母を大切にしたからこそ、自分が生まれてきたのだと朝陽は実感した。


 可能性の話として、いずれ××と結ばれることになれば、必ず彼女のことを大切にする。そう心に誓った。


 しばらくすると、遠くの方から花火玉が打ち上がる時に鳴る笛の音が聞こえてくる。それは花火大会の始まりの合図を示していて、辺りがシンと静まり返った。


 そして僅かな間の後に、大きな爆発音が響き渡る。暗い夜空は、一瞬にして赤色と黄色の花模様に染められた。静まり返っていた神社の中は、しばらく前の喧騒を思い出すかのように、一斉に歓喜の声が上がる。


「綺麗だね」


 受付をしている彼女へ、朝陽は話しかける。××は、夜空に咲いた大きな花に見惚れていた。


「綺麗……」


 やがて光を失っていく花火を追いかけるように、二発目の花火が打ち上がる。今度はいくつも笛の音が鳴り、夜空には赤青紫と、様々な色が浮かび上がった。


「君は、僕のことを花火みたいな人だって言ったけど、あれってどういう意味なの?」


 あの日彼女に言われた言葉が、心の隅に引っかかっていた。実物を見てみれば理解できるかと思っていたが、やはり朝陽にはわからない。


 彼女は花火から視線を外して、首を斜めにかしげた。


「花火みたいな人?」

「うん。言ってたよね、前に」


 しばらく人差し指を唇の下に当てて考える仕草を取った後、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。


「ごめん。忘れちゃった」


 忘れてしまったということは、それほど重要なことではないのだろう。朝陽もそれきりその言葉は頭の中から消え失せて、代わりに夜空に輝く綺麗な花火に染められた。


 花火は畳み掛けるように何度も何度も夜空へ打ち上がる。お祭りの盛り上がりは最高潮を見せ、屋台の前は人で溢れていた。


 もうそろそろ父の友人がやってきて、二人は花火大会を楽しめる。そんな時に、事件は起こった。


「はぁ?! 家の階段から落ちた?!」


 朝陽がその父の大声を聞いたのは、おそらく生まれて初めてのことだった。そばにいたためびっくりしたものの、屋台の外はお祭りで賑わっているため、誰もこちらへ見向きはしない。


 父は一昔前のガラケーを耳に当てて、険しい表情を浮かべていた。


「階段から落ちたってお前、怪我とかしてないのか?」


 その安堵の表情から察するに、それほど重い怪我はしていないのだろう。しかし通話を切った後、その表情から一転、とても申し訳なさそうな顔で朝陽へ頭を下げた。


「すまん朝陽……手伝いに呼んでたやつが来れなくなった……」

「あ、うん……仕方ないよ」


 朝陽はチラと屋台に並んでいる人を見た。今はちょうど誰も並んでいないが、この後に一人で唐揚げを揚げて接客をできるわけがない。


 花火は向こうの河川で上がり続ける。ここからでも花火を見れるのが、不幸中の幸いだった。


 朝陽は××へ事情を説明することにした。


「ごめん。ちょっといいかな」

「どうしたの?」

「お手伝いの人が来れなくなったから、最後まで手伝うことになっちゃって……」

「えっ……」


 笑顔から一転、彼女の表情は悲しみの色へと変化する。瞳は今にも泣き出してしまいそうなぐらい揺れて、朝陽の心もしめつけられた。


 きっと、間近で花火が見られるのをとても楽しみにしていたのだろう。


「花火が終わるまでに、なんとかならないの……?」

「たぶん、無理だと思う。準備してた食材が全部無くなれば終わりなんだけど、結構余裕を持って準備してきたらしいから……」


 そんな話をしているうちに、また新しい客がやってきて唐揚げを注文する。先ほどまで笑顔を浮かべられていた彼女は、泣きそうな顔になりながら応対した。


 しかし動揺してしまっているのか、受け取った小銭を地面に落としてしまう。朝陽はそれを拾い上げて、代わりに接客を代わった。


「ここからでも花火は見えるから、お手伝いしながら一緒に楽しもっか」

「でも……」

「ほんとにごめん」


 一緒に間近で花火が見られないことを、朝陽も残念に思っている。彼女には、お祭りをめいっぱい楽しんでほしかった。そんな二人の気持ちを知らずに、花火は上がり続ける。


 諦めるように、彼女は頷いてくれた。


 それからは客足が途絶えることはなく、花火が打ち終わる五分前に全ての唐揚げが完売した。朝陽は片付けも手伝う気でいたが、父に後のことは任せろと言われたため、彼女の元へと戻る。


「もう少しで終わっちゃうけど、もっと近い場所まで歩こうか」


 そう言って、彼女の手を握ろうとする。しかし朝陽が握るより前に、彼女はその手を握った。そのまま屋台の外へと走り出し、人混みの中へと迷わずに突っ込んでいく。


「ちょっと、そんなに早く走ったら危ないって」

「ごめん朝陽くん。でも、時間がないから……!」


 時間がない。


 夜空に打ち上がる花火がそれを知らせてくれていた。花火大会は最後の盛り上がりを見せて、数え切れないほど何発も火花を散らせている。


 紫、青、黄色、ピンク、緑、赤。


 黒と星のキャンバスに、様々な色が浮かび上がっていく。花火が、綺麗だった。


 しかしそんな花火を見向きもせずに、彼女はただ神社の外へ向かって走り続ける。ここからでも、十分美しい景色は見えるというのに。


 やがて、神社の鳥居が見えてくる。あの赤い門を抜けてしばらく下れば、河川敷へと出る。


 だが、鳥居まで後少しというところで、彼女の身体が地面から浮き上がった。速度を付けすぎて、地面に足を取られてしまったのだ。朝陽も彼女の勢いにつられそうになったが、咄嗟の判断で足を踏ん張る。


 それにより最悪の事態は回避できたものの、彼女の勢いを全て殺すことが出来ずに、勢いよく地面へと落下した。


「大丈夫?!」


 朝陽は慌てて彼女へ駆け寄る。なんとか受け身は取れていたようだが、足から血が流れていて、とても歩ける状態ではない。


 苦悶の表情を浮かべながら、彼女は呟く。


「早く、行かなきゃ……」

「もう無理だよ。この足じゃ」

「でも……!」


 立ち上がって歩き出そうとした彼女を、朝陽は慌てて制止させる。こんな状況で走り回ったりすれば、傷はさらに悪化してしまうだろう。


 怪我をした彼女の姿を見て、周りの人が二人の元へ駆け寄ってきた。血を止めるためにタオルをくれたおばさんにお礼を言って、朝陽は彼女をおぶる。


「とりあえず、すぐに傷口を洗わなきゃ。ばい菌が入ったら大変だから」

「私のことは、大丈夫だから!」

「大丈夫なんかじゃないよ。血が出てるのに、放ってなんかおけない」


 おぶっているとき、彼女はジタバタと少しだけ暴れたが、挫いた足が痛かったのか、すぐにおとなしくなった。ひとまず蛇口のある場所を探していると、社務所の裏に簡易的な水場があるのを見つける。


 こちらは屋台が立ち並んでいる区画からは離れているため、お祭りの喧騒は届かない。


 花火の音は、いつのまにかやんでいた。


「ちょっと染みるかもしれないけど、我慢してね」

「いつっ……!」


 直接ではなく、蛇口から水を出して手のひらですくい、なるべく優しく彼女の傷口へと流した。赤い血は水と混ざり合って、地面へとサラサラ流れていく。


 やはり水が染みたのか、彼女は涙目になっていた。


 足についた砂利などが取れたため、おばさんからもらったハンカチを傷口へ当てる。応急処置は出来たものの、すぐに家へと戻り大きめの絆創膏を貼らなければいけない。


 彼女の瞳からは、涙が溢れていた。


「私のせいで……」

「君のせいじゃないよ。転んだのは仕方ないことなんだから」

「違うの……! 私のせいなのっ」


 涙を流しながら、彼女は首を振る。


 朝陽には分からなかった。


 花火なら、神社の中からでも十分見えたというのに。


 泣きじゃくる彼女を支えてあげたくて、朝陽は横から抱きしめる。手のひらで、頭を撫でてあげた。しばらくそうしてあげると、彼女は泣きやみ、だんだんと落ち着いてくる。


 朝陽は、覚悟を決めた。


「君と、話したいことがたくさんあるんだ」

「……話したいこと?」


 彼女の不安を取り除くためには、彼女自身の秘密と向き合わなければいけない。きっと自分にしている隠し事が、××を追い込んでいるのだと朝陽は考えている。


「僕に、隠し事をしてるよね?」

「隠し事……?」

「君は、紫乃じゃない」


 瞬間、朝陽の抱きしめている彼女の身体が強張った。


「紫乃じゃないって、どういうこと……? 私は、紫乃だよ……?」

「違う」


 今度はハッキリと、彼女の目を見て告げた。君は、東雲紫乃じゃない。


「紫乃は、交通事故に遭って死んだはずなんだ。だから、紫乃がここにいるはずがない」


 その真実を朝陽は知らないと思っていたのだろう。だから彼女は突然のことに驚き、大きな瞳を丸めた。


「ど、どうして……どうして知ってるの……?」

「偶然、君のスマホの画面が見えたんだ。そこに春樹の名前があって、懐かしくなって電話をかけた。その時に、全部聞いた」


 東雲紫乃は、この世界に存在しない。それは確かな真実となり、朝陽の心をしめつける。何かの間違いという希望的観測は、あっけなくも打ち砕かれた。


 しかし、そんなことを今考えていても仕方がない。朝陽は、紫乃ではない彼女の手をもう一度握った。


「僕は、怒ってないよ。でも、全部話してほしい。どうして君が、僕の前に現れたのか」

「嫌……」


 消え入りそうな、震える声で彼女は呟く。嫌と言って首を振り、朝陽の手を振りほどいた。


「私の、私のせいでっ……!」

「君のせいじゃない!」

「嫌っ!!」


 彼女の大声に、朝陽は思わず怯んだ。

そして、彼女は涙声になりながら、呟いた。


「私がいなくなれば、紫乃ちゃんは幸せになれるんだよね……」

「何を……」


 何を言ってるの?


 その言葉を言い終わる前に、彼女の身体がゆらりと揺れる。そして地面に倒れこみそうになったところを、慌てて抱きとめた。


 以前にも、こんな風に突然倒れこみそうになったことがあるのを、朝陽は思い出す。確かあれは、珠樹を含めた三人で遊びに行った日。


 彼女は珠樹を認識した瞬間に、今のようにゆらりと倒れ込んでいた。


「ねえ」


 名前を呼びたかったが、彼女の名前を朝陽は知らない。


「大丈夫……?」


 返事はなかった。彼女は目をつぶったまま、朝陽の腕の中に収まっている。心臓がどくんと大きく跳ねた。最悪の想像が頭をよぎり、喉がカラカラに乾燥していく。


 しかし、さすがにその想像は当たらなかった。


 腕の中の彼女は、小さな息を吐いてしっかりと身体を揺らしている。口元から、安らかな寝息の音が響く。


「……寝てるの?」


 問いかけても、もちろん返事は返ってこない。スーと息を吸って、気持ちよさそうに吐いている。あんなことがあった後だというのに、朝陽は身体全体に脱力感を覚えた。


 彼女を起こさないようにして、もう一度おぶりなおす。これからのことは、彼女が起きた時に考えればいいだろう。その頃には、お互いに落ち着いているはずだ。


 そう、思っていた。


 ふと気になって、朝陽はスマホで時刻を確認する。


 今は、夜の九時を回ったところだった――

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