騎士団長は恋愛フラグを受け入れた

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 騎士団長が恋に悩み恋に惑っていても、魔物は待ってくれない。ノンストップで襲ってくる。

 国内と周辺国の魔物のほとんどを討伐し終え、入ったが最後、誰も帰ってきた者はいないと言われている森に入り。

 いよいよ魔王の住まう城に近づいてくると、魔物との戦いは熾烈を極めた。

 一瞬も気が抜けない戦闘。何度も傷を負い、聖女に癒してもらった。

 騎士団長はパーティーの壁。勇者は魔物の体力を削りつつ聖剣で浄化し、要は回復の聖女と攻撃の魔術師。

 けれどその魔術師は、一日三回、きっちりと時間通りにパーティーを抜けてしまう。

 そうなると、当然しわ寄せが来るのは聖女であった。

 勇者姉至上主義の魔術師のせいで、聖女は気を抜ける時間が少なかった。


 自分が変わってあげられたら、と思いつつも、騎士団長の魔術の腕は聖女には遠く及ばない。

 特に、回復魔法には適性が必要だ。聖女ほどの適性を持つ者は、少なくとも国内には存在しない。

 あの最強チートである魔術師でさえ、回復魔法では聖女には敵わないのだ。

 結局、騎士団長にできるのは、聖女の負担を少しでも軽くできるように、なるべく怪我をしないこと。聖女が補助と浄化に専念できるように、魔物を引きつけておくこと。それくらいしかなかった。

 力になれないことが歯がゆく、力のない己が情けないけれど、それが現実だった。




「今日はこの辺で休もう。結界は僕が張るよ」

「え、私が……」

「セーシエは休んでて。今日はユースのバカが大怪我したから、回復で疲れたでしょ」


 魔術師がめずらしく気遣うようにそう言った。

 単純馬鹿の勇者の影響なのかなんなのか、旅をしているうちに、魔術師も彼なりにパーティーメンバーに歩み寄るようになっていた。

 いつも自分の都合で聖女に負担をかけているからと、せめてもの罪滅ぼしのつもりでもあるのかもしれない。


「すみません……」


 聖女は見てわかるほどに肩を落とした。

 この旅を初めてから、前よりも素直に感情が表に出るようになった聖女に、騎士団長はドキッとする。

 いつも淡く微笑んでいた完璧な聖女はここにはいない。

 今ならわかる。旅に出た当初、そんな聖女にわずかに戸惑いを覚えていたのは、素の聖女に目を奪われる自分を認めたくなかったからだ。

 考えてみると、騎士団長の言動はすべて、聖女に心を傾けているからこそのものだった。

 こうして旅に出るまで気づけなかった自分の鈍さが信じられないほどに、騎士団長にとって聖女は特別だった。


「いや、謝るのは俺のほうだから! セーシエは気にすんなよ!」

「そうだよ、もう百回くらい謝ってくれても足りないくらいだ」

「いくつなら足りるんだよ!!」

「一万回くらい?」

「一日が終わるわっ!!」

「じゃあ土下座してよ。頭を踏んであげるから」

「お前ほんとは俺のこと嫌いだろ!?」

「やだなぁユース、もしそうだったとしても優しい僕にうんと言えるわけがないじゃないか」

「お前自分がすげーひどいこと言ってる自覚あるか!?」

「気のせいだよ」


 勇者と魔術師の遠慮のない言い合い――またの名を漫才と言う――に、聖女はくすりとひかえめな笑みをこぼす。

 聖女そっちのけで子どもみたいな口ゲンカを始めた二人に、多少気分が浮上したようだ。

 勇者と魔術師は幼なじみだけあって、とても息が合っている。それは戦闘でも、こうしたときでも。

 聖女の気持ちを軽くしてくれたことに、騎士団長は二人にお礼を言いたくなった。

 なんだかんだで、魔王討伐のパーティーメンバーがこの二人でよかった、と思うのだった。


「私は水浴びに行ってきますね。キーシ、一応、ついてきてくれるかしら?」

「ああ」


 二人はすぐ近くにある泉まで連れだって向かう。

 野営のとき、こうして騎士団長が見張りをするのはいつものことだ。

 勇者や魔術師が覗くかもしれないと警戒しているわけではもちろんなく、無防備な状態で魔物に襲われることがないようにだった。

 さすがに杖を持ったまま水をかぶることはできない。杖がなくとも魔法は使えるが、制御が難しくいつもよりも時間がかかる。

 水浴びは、睡眠のとき以外で、聖女がリラックスできる一番の時間のはずだ。わずかなその時間を、騎士団長は守りたかった。


 パシャリ、パシャリと、水の音が聞こえる。

 実のところ、想いを自覚してからは、この時間は騎士団長にとって苦行にも近かった。

 好いた女性が、すぐ傍で、水浴び。

 男ならば誰しも、ちらりとでいいから見てみたい、と思ってしまうことだろう。

 彼女の、普段は外気にさらされることのない肌は、どれだけ白いのだろうか、と。

 夢想しない男はいないと思う。思いたい。

 けれど騎士団長は、どこまでも騎士だった。

 守ると誓った主を裏切るような真似が、できるわけがない。

 頭の中でどんなことを考えていようとも、騎士団長は泉のほうを見ることは決してなく、ただ耳だけを澄ませるのであった。


「もう平気よ」


 その声に、騎士団長は振り返る。

 平気なのは、衣擦れの音を耳が拾っていたからわかっていた。

 それでも聖女の許可が出るまで、騎士団長は直立不動を保っていた。

 暗闇の中、聖女がいつも着ている白いローブが浮かび上がって見える。

 白。宗教画の中で光の神が身にまとっている色。神聖な色。

 触れてはいけないと、汚してはならないと、そう思わせられる色だ。


「髪がまだ濡れている」


 ためらいながらも、騎士団長は手を伸ばして、水を含んだ髪を拭う。

 彼女が風邪を引いてはいけない、と思って。

 今はもう冬。魔王討伐のため王都を旅立ったのは春のこと。旅に出てから、気づけばそろそろ季節を一巡りしようとしていた。


「……キーシ、ありがとう」

「気にするな」

「ううん、そうじゃなくて。ここまで、ついてきてくれて」


 ここまで、が泉ではなく、この旅のことを指しているのだと、騎士団長は気づいた。


「礼を言われるようなことをした覚えはない」


 騎士団長にとっては、聖女を守るのは自らにとっての最優先事項で、当然のことだった。

 この旅についてこない、という選択肢がまず存在しなかった。

 もちろん、パーティーメンバーにふさわしいと認められなければ、一緒に旅に出ることはできなかったのだけれど。

 それでも何かしら手段を講じて、自分は聖女を守ろうとしただろう、と騎士団長は思っていた。


「キーシにとっては、そうかもしれないわね」


 くす、と聖女ははかなげな笑みを見せた。

 今にも霞のようにかき消えてしまいそうな、弱々しげな笑みだった。

 騎士団長は聖女を抱きしめてこの場にとどめたい衝動に駆られた。

 伸びそうになった手を、ぐっと握り込む。

 今、自分が触れていいものなのか、わからなかったから。


「もうそろそろ、ね」

「……魔王城か?」

「そう、魔王。もうそろそろ、この旅の終着点。きちんと、終わらせることができるのなら」

「……セーシエ様」


 嫌な含みを持った言葉に、騎士団長は咎めるように聖女の名を呼んだ。

 ごめんなさい、と言うように、聖女は苦笑した。


「ちょっとだけ、ちょっとだけね。やっぱり、不安はあるの」


 そう言いながら、聖女は自らの両手に目を落とす。

 まるで、その手に収まった何かを見ようとするように。

 もしくは、その手からこぼれ落ちた何かを惜しむかのように。


「私はちゃんと魔王を救えるかしら? ちゃんと、誰の命も失うことなく。大丈夫だと、そう思っていたはずなのに、だんだんと自信がなくなっていくの」


 声に力はなく、肩はかすかに震えていた。

 聖女としてではない、ただの一人の少女としての弱音。

 いとおしい、と思った。

 守りたい、慈しみたい、と。

 自分のすべてをかけて、聖女を支えたい。

 騎士団長の心にわき上がってきたのは、使命感でも、忠誠心でも、はたまた単なる庇護欲でもなく。

 純粋な、愛情だった。


「大丈夫だ、セーシエ様」


 少しの迷いもなく、騎士団長は言い切った。

 不思議と不安はなかった。


「俺が、あなたをお守りする」


 聖女を守りたい。

 今までの誓いを凌駕するほどの、強烈な意志。

 聖女は完璧ではない。守られる必要がないほどに強い彼女にも、やはりもろい一面を持っている。

 それを騎士団長は何年も前から知っていた。

 ならば、その聖女の弱さを、自分が包み込んであげたい。

 何も心配することはないのだと、安心してもらいたい。

 聖女の身を、聖女の心を、傷一つつかないように守りたい。

 いや、守るのだ、と。

 確固たる思いで騎士団長は決めた。


「……命に変えては、ダメよ?」

「わかっている。みなが生きて帰らねば、意味がない」


 何年か前にも、言われた言葉。

 優しく公正な聖女は、騎士団長の命をも惜しむ。

 それなら、聖女が大切に思うすべてを守ればいいだけのことではないか。

 少なくとも、自分を含むパーティーメンバーの命くらいなら、どうにかなるだろうと騎士団長は思っていた。

 勇者と魔術師は、騎士団長よりも強い。殺したって死なないだろうというほどに。

 それでも何があるかはわからないから、きちんと目を光らせている必要はありそうだ。


「どうしてかしらね。嫌になるくらい鈍いのに、キーシはいつも、私が欲しい言葉をくれるの」


 ぽつり、と独り言のように聖女はこぼす。

 まるで迷い子のように頼りない声音。

 彼女の弱い部分を、心の一番やわらかい部分を、今、騎士団長にさらしてくれている。

 それは、ともすれば白い肌を見るよりも、騎士団長の心を揺らした。


「不安なとき、泣きたいとき。いつも傍にいてくれたのはキーシだった」


 うつむいていた聖女が、顔を上げる。

 夜の闇の中で、一等鮮やかな新緑の瞳が、騎士団長を映す。

 この世界でこれ以上にうつくしい色はないだろう。

 聖女の瞳を静かに見返しながら、騎士団長はそう思った。


「私ね、キーシのことが好きよ」


 その声だけは、不安に震えることなく。

 どこか力強さすらも感じるほどに、まっすぐな言葉。

 聖女の騎士団長への想いの一端を覗くことのできる告白だった。


「好きで、好きで、本当に大好きで。この旅は大切なものなのに、大切な使命があるのに、私情を持ち込んでしまっている」

「それは、俺も同じだ」


 聖女を守りたい。その役割を誰にも譲りたくない。

 そう思うのは、明らかに私情以外の何物でもないと、騎士団長は気づいていた。

 一種の独占欲のようなもの。

 いつからか、聖女への忠誠心はそのままに、主へのもの以上の想いを抱いてしまっていた。

 自分の想いに知らぬふりをし、聖女の想いからも目をそらし、そうしてずっと、きれいな言葉でごまかしてきた。

 けれど、そこにあったのは、内実は騎士団長の勝手な想いだった。

 今なら、そのことがよくわかる。


「本当の私は、清くも、正しくも、心優しくもない、ただの一人の女だった。聖女なんてどこにもいない」


 そうかもしれない、と騎士団長は納得する。

 非の打ち所がないように見える聖女にも、汚いところはあるのだろう。

 人間なのだから、それが普通なのだ。

 今まで騎士団長が見ようとしなかっただけで。

 この旅で何度も見てきた、ただの少女としてのセーシエがいるのだろう。


「それでも、キーシは変わらず私を守りたいと思ってくれる?」


 新緑の瞳が、揺れる。

 聖女の不安をあおるように、冷たい風が彼女の銀の髪をもてあそぶ。

 自ら輝きを放つ銀糸が、騎士団長の目に焼きつく。

 髪だけではない。聖女そのものから、騎士団長は目を離せずにいた。

 気づいた時には、すでにとらわれていた。

 聖なる色をまとい、うつくしき芽吹きの色を映した、一人の少女から。

 大切な大切な守るべき小さな姫君は、大切な大切な、誰よりも愛しい少女となっていた。


「俺は、あなたの騎士だ。誓いを違えるつもりはないという言葉は、信じていただけていなかったのか?」


 六年ほど前に、魔王討伐の旅に不安を持つ聖女へと告げた言葉。

 あの時から、忠誠心はわずかにも揺らいでいない。

 そして、今は、それとは別の想いも抱いている。

 大切なただ一人の主を守りたいという思いと、大切なただ一人の愛しい人を守りたいという思いが、騎士団長の中でしっかりと共存していた。

 聖女が騎士団長にまっすぐ気持ちをぶつけてきたみたいに。

 魔術師が勇者姉は自分のすべてだと言い切ったように。

 騎士団長にとっても、目の前の彼女が特別で、唯一なのだと、今なら断言できる。


――ぎゅっ。


 ぬくもりが、胸に飛び込んできた。


「……ありがとう、キーシ」


 ささやくような声がした。

 その声は涙を含んでいるように聞こえたが、今は気づかないふりをしてあげるべきだろう。

 気にするな、と告げる代わりに、騎士団長は華奢な肩を抱き寄せる。

 今、鎧を脱いでいてよかったと思う。

 冷たい鎧では、聖女の身体をあたためることは叶わないから。

 聖女のぬくもりを感じることのできる幸福に、今は身を委ねたい。

 冬の凍えそうな風も、二人に遠慮したように動きを止めた。

 いや、二人ともお互いの体温に集中していて、それ以外に気を向けていないだけかもしれないが。


「この旅が終わったら……」


 何も考えずに、自然と口を開いていた。

 今、言わなければいけないと思った。

 魔王討伐が無事に終わったら。

 今まで思い描くことのできなかった、その先。

 答えは、こんなにもすぐ傍にあった。


「この旅が終わったら、セーシエ様に聞いていただきたいことがある」


 三年前。聖女が成人した時。

 騎士団長は聖女に告白された。

 そして、ただのセーシエに戻るそのときに、気持ちを教えてほしいと言われた。

 それは聖女なりのけじめなのだろう。

 騎士団長も、魔王討伐が終わる前に告げようという気にはならなかった。

 今はまだ、このまま。

 けれど、すべてが終わったら。


「それは、私の告白への、答え?」

「……ああ」


 答えを、聞いてもらおう。

 そうして、春の妖精のような可憐な笑顔を見せてもらえたなら。

 この上なくしあわせだ、と騎士団長は思った。


「待っているわ」


 声と共に、背中に回された手にぎゅっと力がこもる。

 騎士団長の想いに、聖女は気づいているのか、いないのか。

 気づかれている気がするな、と嘘のつけない騎士団長は苦笑いを吐く。

 そうして、いまだかすかに震える聖女の背中を優しくさすった。

 今はまだ、このままで。

 聖女に忠誠を誓った騎士のままで。

 この旅が終わる、その時までは。




 冬が過ぎれば、春がやってくる。爛漫の春だ。

 こうして、ヘタレ男子の騎士団長は、自らの恋愛フラグを受け入れたのだった。

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