騎士団長は恋愛フラグから逃げられない

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 騎士団長には、役目があった。

 それはもちろん、王宮騎士団の団長として、騎士たちをまとめ上げることや、王族を守ること、王都の民を守ることなど、様々にあるのだが。

 この旅においては、それだけではすまなかった。

 聖女や勇者、パーティーメンバーを守ること。

 それ以外にも、騎士団長にしかできない重要な役割があったのだった。




「この街には、長期滞在することになるかもしれない」


 街についてすぐ、領主の館に滞在することとなった勇者一行。

 街の様子と、出迎えてくれた領主、そしてこの屋敷の内部を軽く見ただけだったが、騎士団長は早くも、『ここは怪しい』と睨んでいた。

 貴族社会に身を置いている者としての、長年の勘のようなものだろう。


「あー、また、あれか?」

「あれだ。残念なことにな」


 苦笑いで確認してくる勇者に、騎士団長は神妙にうなずいた。

 そうして、はぁ、とため息をつく。

 こういうとき、騎士団長は貴族というものを嫌いになる。自らも貴族の一員、しかも大貴族の三男坊でありながら。

 貴族のすべてが悪いわけではない。いい人間だってもちろんいる。

 けれど、富を得ると、人は変わるのだ。

 もっともっとと、この程度では足りないと、強欲になる。

 そうして腐りきった貴族たちを、騎士団長はうんざりするほど見てきた。


「ま、お疲れ。そういうことならしゃーないさ」

「久しぶりにゆっくり羽を伸ばせそうだね」


 んー、と身を伸ばす勇者と、早速荷解きを始める魔術師。

 今回はそれぞれが別の客室を与えられた。

 たしかに、豪奢な部屋は広く、寝台も大きなものなので、旅の疲れは取れそうだ。

 目の肥えた騎士団長や聖女の目からすれば、趣味がいいとは言えない調度品も、勇者は魔術師にとってはどうでもいいものだろう。


「キーシ、何か私に手伝えることはない?」


 騎士団長のすぐ横にいた聖女は、まっすぐ騎士団長を見上げる。

 自分にできることがあるなら、なんでもする。とその視線が語っていた。

 実際、聖女の身でしかできないこともあるだろう。

 手伝ってもらったほうが、騎士団長の仕事が楽になるのは確実だ。

 それでも、騎士団長はかぶりを振った。


「いや、俺一人で大丈夫だ」


 安心させるように、騎士団長は聖女に笑いかける。

 騎士団長にとって、聖女は、今も昔も変わらず、守るべきただ一人の主。

 自分の仕事を手伝ってもらうことなど考えられなかったのだ。

 そのことを聖女が寂しいと思っていることも、役に立ちたいのにと不満に思っていることも。

 こういったことに関して鈍感な騎士団長は、何も気づかないのだった。



  * * * *



 騎士団長に、この旅で割り振られた役目。

 それは、簡単に言うなら権力者の抜き打ちチェックだった。

 自国の領主がしっかりと領地を治めているかどうか。

 他の国に行くときは、その国がユーシアノクニに対して反感を持っていないかどうか。

 魔王が現れてるってときに何を悠長なことを、と思うかもしれない。

 けれど、その魔王すらも利用して、国を治めること。

 そういった非情さ、損得勘定が、政治では求められることがある。


 騎士団長が魔王討伐の一行に名を連ねることになったのは、この役目を果たすことのできる人物として認められたからでもあった。

 金の流れ、つまりは数字に強く、ある程度の発言力のある人物であることが望まれる。

 もちろん表だっては魔王討伐に赴く一行なのだから、不審に思われない程度の武力も必要とされた。

 その点、騎士団長は申し分のない人材だったのだ。

 騎士団長という武力と地位、大貴族の出という発言力、そして貴族ゆえに場を読む能力に長け、数字にも強かった。

 これ以上の適任者はいないだろう、と満場一致で騎士団長が選ばれた。

 騎士団長もそんな選定基準があるとは知らず、今回の旅の一行に正式に決定された際に初めて知らされた事実だった。


 なぜ、魔王を討伐しなければならないというこの時に、そんな抜き打ちチェックが行われるのか。

 それは、魔物の特性に理由があった。

 魔物は基本的に、一般人を襲わない。襲うのは自分たちを浄化しようとする勇者一行のみ。

 もちろん普通の動物なんかと同じで、驚かせてしまったがために攻撃を受ける、ということはないとは言えないのだが。

 基本的には、魔物は無害なのだ。


 そしてその無害なはずの魔物を理由に、得をしようと考える者たちが出てきたりする。

 魔物の襲撃を受けたと偽りの報告をして、修繕費や医療費などをぼったくろうとする輩。

 魔物が襲ってくるかもしれないと領民の不安をあおり、防衛費に当てるとして金品を巻き上げる輩。

 先に述べたように、魔物の被害はゼロとは限らない。けれど、百や千の被害をこうむることは、魔物の特性上、ありえない。

 だからこそ大げさな報告はすぐに嘘だとわかるし、街を軽く見て回るだけで怪しげな動きがあれば気づくことができる。

 そして、そんな悪どいことを本気でする者は、えてして他の悪事にも手を染めているものなのだ。


 時間はそれほどかからなかった。

 騎士団長としての権限とダーイキゾクの名があれば、できないことのほうが少ない。

 金は好きなだけ使っていい、好きに動け、と国王直々に命じられている。

 勇者たちには領主の接待を受け入れているふりをしてもらい、騎士団長はたまに勇者たちとは別行動を取る。

 屋敷内の人の好さそうな人間に話を聞き、足りない情報を得るために情報屋を雇い。

 十日ほどで、必要な情報はすべて出そろった。




「――以上が、俺の調べたこの街で行われた不正です。反論はありますか?」


 領主とその部下数人を前に、騎士団長は彼らの悪事を暴いた。

 手にしているのは、騎士団長のそろえたデータと、情報屋から受け取ったデータ。

 領民の不安をいたずらにあおり、魔物を遠ざけるお守りだと偽りただの木片を売りさばいた罪。パッと見ではわからない法外な関税。それどころか、前任の領主を不当な手段で罷免させた事実までが浮き彫りになってきた。

 ここの領主はずいぶんと派手にやってきていたようだ。

 よく今までばれなかったものだ。それだけ手口が巧妙だったということか。


「……くそっ」

「情状酌量の余地はありません。詳しく調べればもっと出てくることでしょう。すでに国には報告してあります。逃げられるとは思わないことです」


 悔しそうに執務机を叩く領主に、騎士団長は追い打ちをかける。

 その机で領民のために働いたことなど、きっとこの領主はないのだろう。

 ペンダントに指輪、派手な衣装。やけに豪奢に調えられた部屋。

 私腹を肥やすことにばかり熱意を燃やす輩だと、見ただけでわかるというものだ。

 しかしそれも、これで終わりを告げる。

 ここまで来てしまっては、今さら、彼らが罪から逃れるすべはない。

 そう、追撃の手をゆるめようとしたところで。


「逃げようなら、いくらでもありますよ」


 この場にふさわしくない、自信満々な声が室内に響いた。

 騎士団長が声の主を確認すると、ちゃんと見えているのかと心配になる糸目の青年。

 領主の腹心の部下が、ニヤリと嫌な笑みを浮かべていた。


「何を……」

「ところで、騎士団長様。今、聖女様はどこにいらっしゃるのでしょうね?」

「どこに……、まさかっ!」


 糸目の青年の言葉に、嫌な予感を覚えた。

 今日、勇者たちには部屋で休んでもらっていた。

 部屋で……ということは、各々、一人部屋なのだ。

 勇者と魔術師は集まっている可能性もあるが、そこに聖女も混じっているとはあまり思えない。

 一人で部屋にいた聖女に、もし客が現れたら?

 聖女としては、どんなに怪しかろうと歓迎するしかないだろう。

 もし、もし、外に連れ出されたなら……。

 今、彼女はどこにいる?


「今ごろ、私の友人と少し早い晩餐を取っているところかもしれませんね。いえ、まさか、聖女様に何かするなど、恐れ多いことはいたしませんよ。……きっと、ね」


 フフフ、と糸目の青年は気味の悪い笑みをこぼす。

 信用のならない人間というのはこういう奴のことを言うのだろう、と騎士団長はギリリと奥歯を噛みしめた。


「……もしセーシエ様の身に何かあってみろ。ここにいる全員に地獄を見せてやる」


 まるで、すでに地獄を見てきた悪鬼のような形相と声で、騎士団長は脅しをかけた。

 いや、脅しと言うと少し違うだろう。騎士団長は本気なのだから。

 普段の生真面目な彼にはあるまじきことだと、騎士団長自身も自覚はしていた。

 それでも、ふつふつとわき上がってくる怒りと焦燥感はどうにもできない。

 大切な、誰よりも大切な聖女が。

 騎士団長の見ていないところで、傷つけられているかもしれない。

 どうして、傍にいなかったのかと。


『キーシ、何か私に手伝えることはない?』


 どうしてあの時、手伝ってもらわなかったのかと。

 そうしていれば今ごろ、彼女は自分の隣にいたはずなのに、と。

 後悔に胸がかき乱される。


 騎士団長のただならぬ様子に、領主とその部下たちは顔を青ざめさせ、糸目の青年もピクリと眉をひそめた。

 その程度の反応ですんでいるのだから、糸目の青年は領主と比べると相当のやり手なのだろう。この男が悪事の中心人物と見て間違いない。

 そんなことがわかったところで、よりいっそう腹が立つだけだったけれど。


「今はまだ、何もしていませんよ。けれど、そうですねぇ。早く行かないと、もしかしたら危ない目に遭われているかもしれませんね。たとえ聖女様と言えど、か弱い女性ですから」

「ちっ」


 糸目の青年が言い終わるよりも先に、騎士団長はきびすを返していた。

 この場にいない、領主たちの共犯者は幾人か目星がついている。彼らの住処やたまり場も。

 ここだ、と一カ所を特定することはできないけれど、いくつかにしぼれているだけマシだろう。しらみつぶしに探すしかない。

 勇者たちにも手伝ってもらえば、そう時間はかからずに見つけることができるはずだ。

 たとえ、そのわずかな時間の間に、領主たちに逃げられていたとしても。

 知るものか、と思った。

 聖女さえ無事なら、それでいい、と。


 悪人はやろうと思えばいつでも捕まえられる。

 けれど、聖女の身は一つしかないのだ。

 彼女がほんの少しでも損なわれていたら、と思うだけで、恐怖に心が支配される。目の前が真っ暗になる。

 失いたくない。傷ついてほしくない。大切にしたい。守りたい。笑っていてほしい。

 騎士団長の優先順位の頂点には、明確に、決して変動することなく、聖女が存在していた。


 千々に乱れる心のままに、乱暴にドアノブをつかもうとした、その時。

 部屋の外から勢いよく扉が開き、騎士団長は危うく扉と接吻するところだった。


「助けは必要ないわ」

「せ、セーシエ様!?」


 扉の向こうにいたのは、なんと、領主の共犯者に捕らわれているはずの聖女だった。

 聖女はちらりと騎士団長を一瞥すると、すぐに領主たちに向き直った。

 すでに顔面どころか指の先まで蒼白となった領主と、苦々しげな表情を隠せない腹心の部下。

 どうして、聖女がここに。

 誰もがそう言いたいのだということが、騎士団長にもわかる。

 そしてそれは、騎士団長だって問いたかった。

 驚きと安堵で、その場にへたり込みそうになるほどに脱力した。


「リオーシユ、並びにハラクロウ、何か申し開きはありますか?」


 聖女の声が、神殿の鐘の音のように厳かに響いた。

 名を呼ばれた二人は、ビクリと身体を揺らす。

 こんな声を、騎士団長は初めて聞いた気がした。

 聖女としての彼女の、凛とした透明な声。少しの嘘も許さない緑のまなざし。善き者には許しを、悪き者には罰を与える赤い唇。

 今、この場を支配しているのは、間違いなく聖女だった。


「あなた方のたくらみは、すべてサン=シータから聞きました。ここのキーシの動きに危惧を覚えたあなた方は、私を捕らえ、取引材料に使おうとしましたね?」


 それは問いかけではなく、単なる事実確認だった。

 誰であろうと、聖女に隠し事などできないのではないか。

 そう、思わせられる聖女の鋭い声音と視線。


「光の神は、善も悪も、すべてを見ています。あなた方は主の教えに背きました。主はこのような悪事を決して許しはしないでしょう」


 光の神がすべてを見通しているということは、神の声を聞くという聖女にも、すべてが見えているということ。

 ただ人にとって、それほど恐ろしいことはないだろう。

 聖女は、人であって人ではないのだ。

 神の領域に足を踏み入れた、神に愛まれし御子。

 何人たりとも、彼女を汚すことなど叶わぬ。

 爪の先から、銀糸の一本に至るまで、聖女は神に守られている。


「主の目の届かぬ場所などありません。主を欺けないように、私を欺くこともできないでしょう。こうなっては、せめて潔く罪を認めてください。主も、それを望んでいます」


 涼やかな、けれど重々しい声。

 余韻を持たせたまま、聖女の唇は閉じられた。

 光り輝く銀の髪。鮮やかな新緑の瞳。

 彼女こそが、光の神の化身のように、騎士団長には見えた。


「……認めます」

「……もはや、これまでですか……」


 領主はその場に平伏し、腹心の部下は先ほどまでの意気が嘘のようにしおれた様子でつぶやく。

 彼らを追いつめたのは、悪事の証拠でも、騎士団長の弁でもなかった。

 聖女の放つ、まばゆいほどの光。

 神の前では誰もが無力だ。

 神に逆らおうという者がいるのなら、それは余程の傑物か単なる馬鹿か。

 彼らは、聖女の背に見た神に膝を屈したのだ。


「セーシエ様……」


 騎士団長は、なんと言ったらいいかわからなかった。

 無事でよかった。まさかこんな展開になるとは。さすがはセーシエ様。本当にあなたには敵わない。

 どの言葉も、上滑りしそうだと思った。


「お疲れさま、キーシ」


 聖女が、この部屋に来て初めてまっすぐキーシを見つめる。

 その若々しく美しい新緑からは、すでに鋭さは消え失せていた。


「いえ……結局、俺は何も」


 何も、できなかった。

 聖女を守ると、守らなければと、ずっと心に決めていたというのに。

 むしろ、騎士団長のほうが助けられてしまった。

 手伝いはいらないと、そう断ったはずなのに、だ。

 情けなくて涙が出てきそうだ。


「守られてばかりではいないって、言ったでしょう?」


 ふわり、と聖女は笑った。

 余裕のある、大人の女性の笑みに見えた。

 いつのまにこんな表情ができるようになっていたのだろうか。

 騎士団長にとって、彼女はずっと小さな姫君だった。それはいつまでも変わらないと思っていた。

 もう、そんなふうに見ることは許されないのだと、知らしめられる。

 子どもだと思っていた。……子どもでいてほしかった。

 そうであれば、認めずにすんだというのに。


 騎士団長の優先順位は、聖女が一番。

 自分よりも、王よりも、魔王討伐よりも、この国よりも。

 それが指し示すところは――。




 自分は聖女のことが、セーシエが好きなのだ、と。

 いくらヘタレな騎士団長でも、認めざるをえないのだった。

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