本編中
騎士団長は恋愛フラグにタジタジだ
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若くして騎士団長を務める、キーシ・サーン・ダーイキゾクには、現在大きな悩みがあった。
それは、魔王討伐に関することではなく、下手をすると魔王討伐なんてどうでもよくなってしまうほど大きな悩みだった。
頭が固いと家族にも友人にも言われるような、四角四面な騎士団長。まさか魔王討伐よりも優先するものができるとは本人も思ってもみなかっただろう。
けれど、それも仕方のないことと言わざるをえない。
何しろ騎士団長は、今代の聖女であり、この国の王女でもある、セーシエ・シー・オーケ・ユーシアノクニに、思慕を寄せられているのだから。
「――シ、キーシ? 聞いているの?」
自分を呼ぶ声に、騎士団長はハッと我に返った。
現在、騎士団長と聖女は、勇者と魔術師とは別行動を取っていた。
というのも、どうやら勇者の姉上の身に何かが起こったらしく、魔術師が勇者を連れて消えてしまったのだ。
二人はいつもどおりに旅路を進んでいてほしい、と言われたので、次の町に至る道のりを歩んでいたのだが。
どうやら彼は、深い物思いにとらわれていて、聖女の話をまったく聞いていなかったようだ。
「す、すみません。聞いていませんでした」
騎士団長は本当に申し訳なさそうに、頭を下げる。
さっきまで楽しげに騎士団長に話しかけていた聖女は、ぷうと頬をふくらませる。
そうすると実年齢よりも幼く見えて、とてもかわいらしい。
その表情すらも騎士団長を籠絡するための作戦なのならあっぱれだが、この聖女はどこぞの魔術師とは違って腹黒くはない。
これが自然にできるところが、天然と言われる所以だ。
聖女は幼いころから神童と呼ばれるほどに賢く、聖女になってからはその立場にふさわしい立ち振る舞いを身につけてきた。
落ち着いた身のこなし、涼やかな声音、ひかえめな微笑み。たまに垣間見えるドジッ子属性すらも愛らしく。
どこに出しても恥ずかしくない慈愛深き聖女。
けれど、勇者たちと旅に出てからはこういった幼い表情も見せるようになった。
いい感じに肩の力が抜けてきているのか、それとも騎士団長に本当の自分を見てもらおうとしているのか。
どちらにせよ、この変化が悪いものであるはずがなく。
そんな新たな面を知るたびに、騎士団長はなぜか落ち着かない気持ちになるのだった。
「もう、そこで正直に言ってしまうあたりがキーシよね」
怒ったような顔のまま、けれど仕方がない、とあきらめるように、聖女はため息をつく。
惚れた弱み、というヤツなのかもしれない。
「あのね、そろそろ旅にも慣れてきたころだし、私に敬語を使うのはやめてほしいって言ったのよ」
「そんな、セーシエ様に対してそのようなご無礼な真似はできません」
「そういうのをやめてって言っているのだけど」
聖女は、シミ一つないお顔に不機嫌そうな表情を乗せる。
眉間にしわを寄せていてもなお、麗しいのだから空恐ろしい。
この美貌に騎士団長がふらっといかないのが不思議なくらいである。
幼児と言ってもいいころから傍にいるせいで、女性として認識していないとかいう、ふざけた理由があったりするのだろうか。
「ユースさまにはもっと砕けているじゃないの。無礼と言うなら、そちらはいいの?」
どうやらこの聖女、騎士団長と同性である勇者にヤキモチを焼いているようだ。
パーティー内で自分にだけ態度が違う、というのは、たしかに気にくわなくても当然かもしれない。
聖女はこの旅で騎士団長との距離を詰めたいのだそうだから。
「ユースは、男同士ですし……その、とても親しみやすい方ですので」
「私は親しみやすくないって言いたいのね」
「そうではなく……」
騎士団長は困っていた。ものすごく困っていた。
王女で、聖女で、自分にとっては守るべき存在で。
とてもじゃないけれどタメ口なんて利けるようなお方ではなかった。
ぶっちゃけ、騎士団長は勇者よりも聖女を第一に考えているし、何かにつけて優先しているのだ。
勇者がとてもできた人間――というよりも、何も考えていないバカだけれど――だからお咎めなしだが、そうでなければ不満の声が上がりそうなほどに。
だから、自分と勇者を同じ扱いにしろ、という聖女の願いは、騎士団長の優先順位を根本からくつがえすものだったのだ。
「私は、王女である前に聖女で、聖女である前に、今はみんなの仲間よ。仲間のうちで、えこひいきはよくないと思うわ」
はっきりと、聖女は騎士団長に告げる。
生真面目な騎士団長は、正論で来られると弱い。
さすが、一緒に過ごした時間が長いだけはある。聖女は騎士団長の性格をよく把握している。
「それとも私は、キーシに仲間と認められていないの?」
聖女は瞳をうるませて、騎士団長を見上げた。
どんな草葉よりも美しい、どんな宝玉よりも尊い、一対の緑。
この瞳に、騎士団長は今まで勝てた試しがなかった。
最後に情に訴えかけるあたり、本当にこの聖女は騎士団長という人間をよくわかっている。
「……できるかぎり、努力しま、……する」
結局、騎士団長は折れて、そう言ってしまった。
十五年も敬語を使っていた相手に、急に親しく話しかけることが、不器用な騎士団長にできるはずがない。
秘密の特訓をしなければ、と生真面目な騎士団長は思っていた。
夜中にこっそり覗けば、枕を聖女に見立て、必死にタメ語で話そうとする騎士団長を見ることができるかもしれない。
「ありがとう、キーシ」
にっこり、と聖女は可憐な笑みを浮かべてみせた。
ほのかに色づいた頬は、彼女を年相応に見せる。
聖女然とした彼女は、けれどまだ十八歳のうら若き乙女だ。
笑いもする。泣きもする。そうして、恋もする。
そのまっすぐすぎる想いを向けられた騎士団長は、ぐじぐじと悩んで受け取りかねているのだが。
「ですが……だが、セーシエ様とお呼びすることは許して、ほしい。俺にとっては、やはりあなたは守るべき小さな姫だ」
これだけは譲れない、と騎士団長は聖女に頼み込む。
三歳の彼女と初めて相まみえたあの時から、ずっと見てきた。
聖女の成長を陰から日向から見守ってきた。
時には手を貸し、時には一介の騎士たる己には何もできずに。
微笑ましく思うことも、悔しく思うこともあった。
騎士団長は、今まで聖女と積み重ねてきた時間を大切にしたかった。
聖女をセーシエ様と呼ぶことは、そのためには譲れない一線だったのだ。
「それくらいは、しょうがないわね。私も妥協するわ」
「助かる」
「これだって、大きな一歩だものね」
うふふ、と聖女は本当にうれしそうに笑う。
こんな上機嫌な聖女を見られるなら、自分が折れてよかったのかもしれない。
そんなふうに思うくらいには、騎士団長にとっても聖女は大切な存在だった。
大切すぎるからこそ、どう扱っていいのかわからないのかもしれないが。
「少しずつでいいのよ。少しずつ、私を一人の女の子として見てね」
聖女の言葉が、騎士団長の胸にずんとのしかかる。
一人の女の子として、だなんて。
騎士団長にとっては恐れ多いとしか言いようがなかった。
ヘタレ、と一言で言ってしまえばそれに尽きる。
三十路のくせに、みなの期待と羨望と嫉妬を一身に受ける騎士団長のくせに、彼は今流行りのヘタレ男子なのである。
一見、はかなげな美少女に見えて、聖女は猪突猛進な恋に生きる女である。
ある意味、相性は最高だと言えるのかもしれなかった。
この恋愛フラグをどうしたらいいのか。
今日も答えは出ずに、騎士団長は悩みを抱えたまま旅を続けるのだった。
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