第二章(長尾景虎登場)‐三
村上義清が越軍五〇〇〇を借りて旧領更級に進出したのは、越後に遁走した四月中のことであった。同じく北信を逐われた高梨政頼などを引率しての出陣であり、その兵の迅速であることから北信回復を相当強く期していたことは間違いない。事実その士気は高く、更級において接触した甲軍先陣と争ってこれを破り、
無論奪回されたまま終わる晴信ではない。俄に前線の城となった塩田城に猛将飯冨兵部少輔虎昌を籠め、同年七月には自ら軍役衆を率いて出陣した。
越軍を借りて旧領に復したとはいえ、連年晴信による切り崩しに遭ってきた北信諸将の内には互いに抜きがたい疑心暗鬼が生じていた。そのため晴信出陣の報を得た旧北信軍の中には
「次は誰が裏切るか」
という疑心が蔓延し、これがために櫛の歯を引くように諸将が村上陣営を離れ、義清は越軍帰国後の旧領を維持することが出来ず、またもや葛尾城からの
荒砥城と葛尾城は再び武田の領するところとなった。
景虎は義清が再び越後に逃げ込んできた様を見て、遂に自らの出陣を決した。このまま北信を武田の
景虎は例によって毘沙門堂に何日か籠り、そのため越後軍役衆は
「
を悟って、めいめいに出陣準備を開始した。果たして景虎は、毘沙門堂を出たその足で出陣を布礼たのであった。
「越軍、春日山を進発し北信に達しつつあり」
との報は、晴信と甲軍に緊張をもたらした。真の賢者と評した越後の若き武将が、あの音にも聞こえる栃尾城の勇者が、自ら一軍を率いて遂に挑んでくるのである。その威力のほどを見極めなければならない。
晴信は
「本営を塩田城に構え、越軍の手並みを見る」
と陣布礼した。これに対して麾下諸将は
「徒に景虎を恐れ、このような後方に布陣しては士気に影響します。勝てる戦にも勝てません」
と諫言する者もあったが、晴信は
「初めて戦う相手を甘く見るものではない」
とこれを
果たして甲軍先鋒は景虎率いる越軍と交戦し、散々に打ちのめされた。敗退した先鋒からの報によれば、越軍の
村上義清は北信の諸人をよく統制し兵をまとめたので晴信も苦戦を強いられたものであったが、景虎は義清のように北信数郡の領主にとどまるものではない。越後一国を統率しているのである。率いる軍役衆の数も義清のそれを遙かに上回るはずであった。今までの相手とは次元の異なる敵であることに間違いなかった。
一方、甲軍主力の撃砕を企図して出陣した景虎であったが、晴信が前線から遙か後方の塩田城に本陣を構えたまま動かないことで、その目的を果たせないでいた。神速の将は甲軍の勢力圏深くに進出するの愚を犯さない。
景虎は
「甲軍先陣を破ったが流石は晴信だ。並の将ならば領土を喪うことを恐れて釣られるように出張ってくるものだが、彼は我が意を知っているかのように固く籠もって出てくる気配がない。勝てる状況になければ兵を動かさぬという義清殿の評は当たっている」
と、その慎重な戦い振りを嘆じたのであった。
晴信は自身が塩田に籠もっているかわりに、一隊を密かに派遣して越軍背後の荒砥城や葛尾城の放火して廻らせ、その後方を攪乱した。
九月下旬、北信を荒らし回った越軍は、戦域に兵を残置することなく甲軍の眼前から忽然と姿を消した。
通常、軍役衆に対する恩賞は切り取った敵の領土であった。景虎はその土地に見向きもせず軍を撤収させた。本戦は越軍が終始優勢であったが、それでも犠牲が全く生じなかったわけではない。にもかかわらず得た領土に固執せず兵を撤収させたということは、領土を宛がう以外に軍役衆に恩賞を下すことが出来る経済力が越後にはあることを示していた。
「やはり、今までとは一線を画する敵だ」
晴信は戦域に遺留された甲兵の屍を前にして、密かに前途の多難をおもった。
景虎が優勢な陣を突如引き払ったのは、この九月に上洛して
長尾景虎は本領と分国(信濃)において敵心を抱く輩を
というわけで、帝の意志によりこのように申し上げる。
との
また将軍義輝からは、他国へ遁走した小笠原長時の信濃帰国を支援するよう命じられた。
景虎は晴信による信濃侵攻を前にして、朝廷と公儀から信州出師の内諾を得たのであった。
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