第11話『幻想氷穴』

 午後2時過ぎ。

 ゴールデンウィーク中ということや、成沢氷穴が人気の観光スポットということもあってか、周辺の道路が渋滞していたけど、何とか到着することができた。


「はーい、成沢氷穴に到着! 寒いのが苦手な人は何か羽織ってね」


 僕は……ジャケットも着ているし、このままでも大丈夫かな。

 車から降りると涼しいけれど、陽差しがぽかぽかしていて気持ちいいな。

 人気の観光スポットということもあって多くの観光客で賑わっている。大きな観光バスもいくつか駐車しているし。


「これで大丈夫かな」


 気付けば、沙奈会長が寒さ対策のために桃色のカーディガンを着ていた。ワイシャツ姿の凛とした雰囲気から、柔らかいものに変わったな。


「似合っていますね、沙奈会長。とても可愛いですよ」

「ありがとう、玲人君」


 すると、沙奈会長は僕の左手をそっと握ってきて嬉しそうに笑う。

 気付けば、そんな彼女以外、新たに何か着る人はいなかった。3℃と寒いけど20分くらいなので大丈夫だと思っているのかな。寒かったらお互いに身を寄せ合えばいいとか。


「さあ、みなさん。これから成沢氷穴に向かいますよ!」


 提案しただけあって、副会長さんが一番テンション高いな。ただ、そんな彼女が僕らの中では最も氷穴には合わなそうな服装をしているけれど。結構目立つのではぐれてしまってもすぐに見つかりそうだ。

 受付で大人6枚のチケットを購入して、僕らは成沢氷穴へ。ただ、観光するお客さんがたくさんいるので、ゆっくりと歩きながら。


「急に寒くなったね、玲人君」

「ええ。いかにも氷穴に入るって感じですよ」

「そうだね。まさか、玲人君と一緒に穴に入るなんて」


 えへへっ、と沙奈会長は興奮気味。ずっと興奮していた方が、氷穴の中でも平気でいられるんじゃないだろうか。現に僕と繋ぐ手がかなり熱くなっているし。


「結構寒くなってきたね、真奈ちゃん」

「そうですね、琴葉さん。ただ、まだ氷は見えませんから、きっと奥に行くともっと寒い世界が待っているのでしょう」

「氷があるってことは冷凍庫と同じくらいの寒さってこと?」

「さっき、車の中で樹里ちゃんが3℃くらいって言っていましたね」


 半合坂から隣に座っていたことでより仲良くなったのか、琴葉と真奈ちゃんは手を繋ぎながら談笑している。


「ていうか、琴葉ちゃん。冷凍庫と同じだったらマイナス15℃くらいはあるって」

「そんなに低いんだね、麻実ちゃん」

「うん。こんな軽装でそんなところに行ったらすぐに風邪引くよ」

「確かに。ただ、今の話を聞いたら、3℃なんて暖かいと思えるようになってきたよ」


 ポジティブだな、琴葉は。僕は今の段階でもなかなか寒いと思っているのに。沙奈会長が僕に腕を絡んできているおかげで苦にはなっていない。温もりは偉大なり。


「うわぁ、いいなぁ」


 ここに行きたいと提案しただけあって、副会長さんは氷穴に入ってすぐから、まるで少女のように目を輝かせ、楽しげな様子で氷穴の中を見渡している。そんな彼女を見ているとここに来て良かったと思える。


「きゃっ!」

「おっと」


 転びそうになった副会長さんの手をぎゅっと掴んで、最悪の事態を回避する。


「大丈夫ですか、副会長さん」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう、逢坂君。興奮して周りを見ていたら足を滑らせちゃって」


 お恥ずかしい、と副会長さんは苦笑い。


「気にしないでください。転ばなくて良かったですよ」

「うん。地面は濡れているから、滑らないように足元に注意しないといけないね。みんなも気を付けて」


 路面も含めて周りは岩や氷だらけ。こんなところで転んでしまったら、打ち所が悪ければ死んでしまうな。多くの人に迷惑もかかってしまうし。気を付けないと。

 順路を進んでいくと、高さが段々と低くなっていって、しゃがまないと前に進めないところもあった。そして、何よりも、


「寒いね、玲人君。カーディガンを着てきて正解だったよ」

「僕もジャケットを着ていなかったらどうなっていたことか」


 さすがは3℃の場所だけあってなかなかの寒さだ。そういえば、雪が降る日ってこのくらいの寒さになるなぁ。


「そこ、休憩スペースになっているみたいだから、一旦休もうか。写真も撮っていい場所みたいだから」

「そうですね」


 順路の横に広くなっている箇所があるので、そこで一度、歩みを止める。


「さっ、玲人君。抱きしめていいよ。……というか抱きしめてほしい。寒いから」

「沙奈会長もですか? 僕も寒いので、会長を抱きしめたいと思っていたんですよ」


 僕は沙奈会長のことをぎゅっと抱きしめる。沙奈会長ってこんなにも温かくて、柔らかい感触なんだ。肌で直接触れ合ったこともあるけれど、あのとき以上に彼女のことを強く感じている。


「玲人君、あったかい……」

「ええ。温もりって大切なんだなって実感しますね」


 周りを見ると、琴葉と真奈ちゃん、副会長さんと姉さんという組み合わせで身を寄せ合っている。そんな彼女達と、氷穴の風景、そして僕の腕の中にいる沙奈会長をデジカメで撮った。


「こんなすぐ近くにいるのに私、撮れたの?」

「撮れましたよ、ほら」


 僕はたった今撮影した沙奈会長の写真を彼女に見せる。ピースをしながら笑う彼女がとても可愛らしい。


「凄い、ちゃんと撮れてる。肩に回した玲人君の手も写っているし……これ、帰ったらデータでちょうだい」

「いいですよ」


 どうやら、沙奈会長にも気に入ってもらえたようだ。


「体が温まったところで、そろそろ行きますか?」

「そうね」


 僕達は再び順路を進み始める。

 それにしても、この薄暗さに寒さ……まるで異世界に来てしまったような感じだ。


「あぁ。興奮する」


 そう思う理由は、もしかしたら、ゴシックワンピースを着ている副会長さんがすぐ目の前にいるのが一番の理由かもしれない。今の彼女を見ていると、普段とはまるで別人だな。


「副会長さんって、プライベートだとああいう方なんですか?」

「うん。一緒に買い物に行ったり、漫画やアニメのイベントに行ったりしたときは、今みたいに興奮することが多いよ」

「そうなんですね」


 今の副会長さんを目の当たりにしているからか、それも容易に想像できてしまうな。漫画やアニメのイベントでコスプレとかしていそう。


「コスプレしたときは凄かったよね、お姉ちゃん」

「あぁ、ゴスロリ中二病のお姫様のコスプレの完成度は高かったよね」


 やっぱりコスプレの経験があるんだ。しかも、かなりの上級者。


「へえ、樹里ちゃんって漫画とかアニメ好きなんだね。玲人といい勝負なんじゃない?」

「張り合うつもりはないけれど、楽しく話すことはできそうかな」


 禁固刑が終わって出所して、受験勉強の合間や、高校に合格してからはずっと……僕が刑務所にいる間に放送していたアニメのDVDをレンタルして観まくっていた。


「ククッ、我の真の力が目覚めていく……とか、コスプレしたときはセリフの注文をよくされたよ」


 副会長さんは微笑みながらそう言う。というか、この薄暗い氷穴の中、今の服装でその言葉を言われると、コスプレの最中かと思ってしまう。

 そんな話をしながら歩いていくと、多くの人が立ち止まって写真などを撮っているポイントに。何があるか見てみると、そこにはライトアップされた氷柱や氷の壁が。


「きれい……」


 沙奈会長はうっとりとした様子で見ている。そんな彼女のことをデジカメでこっそりと撮影した。もちろん、氷柱や氷の壁も。


「確かにこれは綺麗ですね。何だか、幻想的ですよね。別の世界にいるような気がして」

「そうだね。でも、玲人君と一緒ならどこに行っても大丈夫な気がするよ」

「そうですか」


 沙奈会長ならどこでもやっていけそうな気がする。

 そういえば、アリスさんのいる世界にもこういう場所ってあるのかな。


「琴葉、アリスさんの世界にはこういう場所はあったの?」

「あるかもしれないけれど、あたしが行ったのはアリスちゃんのお家や学校、街にあるお店ぐらいだったから……」

「……なるほど」


 アリスさんと一緒に異世界の生活を謳歌していたんだな。僕や沙奈会長の様子を見ているだけじゃ疲れるもんね。


「琴葉さん、玲人さんと何を話しているんですか?」

「えっ? ああ、何だか違う世界にあるものを見ている感じがするって」

「確かに、この氷柱や氷の壁を見ていると異世界にいるような感じがしますね」

「2人の言う通りかもね。おまけにかなり寒いし」


 自然が作り上げた空間の中に入り込んでいるんだ。みんな同じようなことを考えるか。


「みんなが言うように綺麗なところだよね。本当に何か力が湧いてきそう。ここに行きたいって言って良かった。ここに来て良かった」


 副会長さんはとても満足そうな表情をしていた。アリスさんという魔法を使える異世界の女性を知っているので、今の彼女の言葉があまり冗談に思えない。


「僕もここに来て良かったと思いました。ありがとうございます、副会長さん」

「……いえいえ。ただ、逢坂君達がそう言ってくれると、ここに来て良かったなぁっていう気持ちが強くなっていくよ。ありがとう」


 そう言って満面の笑みを浮かべる副会長さんは、まるで異世界のお姫様のようだった。そんな彼女が微笑ましいのか、単に慣れてきたのか……その後は寒さに体を震わせることなく出口まで歩くのであった。

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