第15話『幼なじみ』
正午前。
琴葉のお見舞いに行くために、俺は沙奈会長と一緒に自宅を出発する。今日も晴れていて暖かいけれど、涼しい風が吹いているのでお出かけするのはちょうどいい。
「お父様からお金をもらっちゃったね」
「ええ、そうですね」
2人分の交通費と昼食代ということで、父さんから5000円ももらってしまった。おつりはいらないという。昔から、琴葉のお見舞いに行くときは交通費を出してくれたけれど、ここまで奮発してくれたのは会長のおかげじゃないだろうか。
「正午前なので、お昼ご飯を食べてからお見舞いに行くのも一つの手ですがどうしましょうか? 俺はどちらでもかまいませんが」
「お見舞いが先でいいよ。私、そこまでお腹が空いていないし」
「分かりました。もし、もうお昼ご飯を食べるつもりだったら、ここら辺のオススメのお店はどこなのかなって訊こうと思っていたんです。実は、うち……先月の終わり頃に月野市に引っ越してきたので、ここら辺のことはそこまで分かっていなくて。昔、旅行とかでこの近辺に来たということもないですし」
「そうなんだ。私は生まれてからずっと月野市民なんだ。じゃあ、近いうちに駅周辺の案内をしてあげるよ」
「……ありがとうございます」
駅周辺の案内と言いながら、変なところに連れて行かれそうな気がするけれど。
「そういえば、私服姿の玲人君もかっこいいね。黒のジャケット、よく似合ってるよ」
「ありがとうございます。会長のワンピース姿も素敵ですよ」
「……ありがとう」
ふふっ、と会長はとても嬉しそうだ。嬉しさのあまりか俺の手をぎゅっと握ってくる。彼女の手から伝わってくる温もりは意外と優しいものだった。
そんなことを話していると月野駅に到着する。さすがに土曜日のお昼前だと駅の周りにはちらほらと人がいるな。
俺達は電車に乗って、琴葉の入院している国立東京中央病院の最寄り駅である
「玲人君、外ばかり見ているね」
「普段から電車に乗らないですから。高校は徒歩通学ですし、中学までも徒歩でしたから。最後に乗ったのは、春休み中に前の家から琴葉のお見舞いに行くときでしたね。東京中央線には乗ったことはありますけど、この区間は初めてなのでなおさら外の景色を見てしまうんです」
「なるほどね、その気持ちは分かるかも。今日は晴れているし、ここら辺の景色は自然も多いから結構いいんだよ。私も徒歩通学だから、電車は休日にたまに乗る程度かな」
「通学で使わないと、なかなか電車には乗りませんよね」
それにしても、東京でも郊外だと自然が結構多いんだな。俺が前に住んでいた地域よりは住宅やマンションも多いけれど。
「ここら辺の景色は何度も見たことがあるけれど、何だか今日が一番素敵かも。玲人君と一緒に見ているからかな?」
「どんな理由でも、素敵な景色だと思えるのはいいことだと思いますよ」
そんな風に考えることができる会長のポジティブさが羨ましいな。ただ、初めて見るからかもしれないけれど、いい景色だなぁ。多少は心が軽くなる。
「ねえ、玲人君」
「何ですか?」
「……恩田琴葉さんだっけ、玲人君の幼なじみ。彼女ってどんな女の子なの?」
「そうですね……」
沙奈会長からの問いかけが引き金となって、琴葉に関する様々な記憶が蘇ってくる。決して良かったことばかりではない10年以上の記憶。息が詰まってくる。
「玲人君? 大丈夫?」
「大丈夫です。先輩と違って琴葉は大人しい女の子ですよ。もちろん、元気もありますが」
「それじゃまるで、私がとても騒がしくて、迷惑ばかりかける人みたいじゃない」
「これまでに会長が俺に対してやったことを思い出してくださいよ」
「……確かに、色々と玲人君にしちゃったけれど、あれは玲人君への強い愛を抱いていたからこそやってしまったことであって……」
「愛があったら何をやっても許されると思わないでください」
そのくらいキツく言わないと沙奈会長は改心しないだろう。それに、告示の紙を勝手に発行した件については副会長さんがきちんと叱ったはずなのに。あまり反省していないのかな、この人は。
「……改善していくよう努力していきます」
「期待しています。あと、琴葉は……会長のように俺と一緒にいたがる性格ですね」
「恩田さんとは気が合いそうな気がしてきた。早く会って話してみたいな」
「……話せるといいですね」
話せるのなら俺だって話したいよ。ただ、現状としては奇跡が起きない限り、琴葉と話すことはできないだろう。
電車は定刻通りに四鷹駅に到着する。ホームに降り立った瞬間、多少は知っている景色になり安心感を覚えた。
「さすがに四鷹まで来ると都会になるよね」
「初めて来たときは、東京は23区じゃなくても都会の場所はあるんだと思いました。会長はここに来たことがあるんですか?」
「うん、何度かね。この四鷹駅が最寄り駅の友達がいるから」
「……そうですか」
友達か。今の俺にはそういう風に呼べる人が何人いるだろうか。数えるくらいには……いるのかなぁ。
「さあ行きましょう。病院までは駅から数分ですよ」
「うん、分かった」
俺は沙奈会長と一緒に国立東京中央病院へと向かう。
駅ではあれだけ多かった人も、病院の入り口に入ったときには全然いなかった。病院を包むこの無機質な匂いにも慣れ始めてしまった。
受付で面会の手続きを行ない、琴葉が入院している518号室に。
「もうすぐ恩田さんに会うと思うと、何だか緊張してきた」
「多分、緊張する必要はないと思いますよ」
普段の様子を見ていると、誰とも気さくに話す感じだから、今みたいに緊張していることが意外に思う。
518号室の中に入ると、部屋の中が暗くなっていた。照明を付けて部屋の中を明るくしても……やっぱり、彼女の声が聞こえてこない。
「沙奈会長。ご紹介します。ここに眠っている女の子が、俺の幼なじみの恩田琴葉です」
安らかな表情で琴葉は眠っている。俺にとっては焦げ茶色のショートヘアが印象深いけれど、今は肩の辺りまで伸びている。琴葉の可愛らしい顔は変わっていない。
「可愛い寝顔をしているね。ぐっすりと眠ってる。タイミングが良くなかったかな?」
「気にしないでください。入院したときからずっとそうなんですから」
「えっ?」
沙奈会長は驚いた表情をして、俺のことをじっと見てくる。今の琴葉の姿を見られてしまっては、あのことを沙奈会長にも知らせないと。
「琴葉はおよそ2年前、ある事件に巻き込まれてから、ずっとこうして意識を失ったままなんです」
今でも鮮明に思い出す。頭から血を流して倒れている琴葉の姿を。
あのとき、俺はどうしていれば良かったのだろうか。何かできていれば。何もしなければ。琴葉は今頃、高校生活を楽しむことができていたかもしれない。
「……もう少しでもいいから、力があれば良かったな」
思わずそんなことを口にしてしまった。ただ、あの日よりも知識も体力もついた今の俺でも、琴葉を守ることができる自信はない。
「……恩田さんがずっと眠り続けているから、玲人君は彼女と話せるといいねって私に言ったんだね」
「ええ。琴葉が意識を取り戻していたら、彼女の家族から俺に連絡が入っているはずです。ただ、連絡がないので、意識が戻っている可能性はほぼないと思っていました」
「なるほどね」
「当時は重体で、何とか一命は取り留めたんですけど、いつ意識を取り戻すかは分からないと診断されたそうです。結局、目を覚ますことなく2年近く経ってしまいました」
「そうだったんだね。……ごめん、そんなことも知らずに行きたいって言っちゃって」
「気にしないでください」
それに、1人でここに来ていたら、きっと泣いていただけだろうから。沙奈会長が一緒にいるから何とか心が保てている状況だ。
「そっか、2年前に玲人君と恩田さんに色々なことがあったのね」
すると、沙奈会長は琴葉のすぐ側まで行き、
「初めまして、恩田さん。私、玲人君の通っている月野学園高校の生徒会長を務めている如月沙奈といいます。よろしくね。玲人君は……生徒会に入ってもらって、凄く助かっているよ。素敵な人と昔から付き合いのあるあなたがとても羨ましいな」
優しい笑顔を浮かべながらそんな言葉を琴葉にかけていた。会長の言葉は琴葉に届いているかな。届いていてほしいな。いや、きっと届いているはず。
「琴葉。……僕、しっかりと高校に進学できたよ。入学早々、生徒会に入ったんだ。琴葉が目を覚まして、元気になったら俺の通っている高校を歩いてみて、会長や副会長さんと一緒に美味しいお菓子を食べよう」
俺は琴葉の頭をそっと撫でる。
お見舞いに来る度に、こうして近況を報告するのが恒例になっている。
いつもならここで泣いてしまうけれど、会長が側にいるので必死に堪えた。もしかしたら、泣いていないつもりだけで、会長には涙を流している姿を見られてしまっているかもしれないけれど。
「そのときは私達で美味しいお菓子を用意しようね」
「ええ。琴葉は紅茶派なので、美味しい茶葉を用意しておかないと」
「……分かったわ」
そうなる日がいつになるかは、琴葉を含めて誰にも分からないだろう。ただ、遠くなければいいなって思っている。
「琴葉が意識を取り戻して、俺に笑顔を見せてくれるまで……俺は琴葉に寄り添っていくつもりです」
「……そっか」
しんみりとした笑みを浮かべながら、沙奈会長はそう言った。
「琴葉、また近いうちに来るからね。……そろそろ行きましょうか」
「もう十分なの?」
「いつも近況を話したらすぐに帰るんです。ですから、どんなに長くても10分くらいしかいないんですよ」
「そうなんだ。玲人君がそれでいいなら帰ろうか。恩田さん、お邪魔しました」
「また来るよ、琴葉」
毎回、今度は意識を取り戻した琴葉と会いたいなと思いながら、病室を後にしている。
今回はいつもと違って沙奈会長とお見舞いに来たんだ。だから、次は琴葉と話せるかもしれない。そう思いながら、会長と一緒に静かに琴葉の病室を後にするのであった。
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