第3話『悪夢の天秤』

「レイ君、あの会長さんと付き合うんだね」

「そんなわけないよ。ただ、彼女が僕のことを――」

「さようなら、レイ君」


 琴葉……そんな、悲しい笑顔を浮かべながら急に遠くへ行かないでくれ。消えないでくれよ。



「ことはああっ!」


 気付けば、部屋の天井がぼんやりと見えた。


「夢、だったのか……」


 夢で良かったという安心感と、何ていう夢を見てしまったんだという疲労感。気付けば、呼吸が激しくなっていて、冷や汗も掻いていた。


「こんな夢を見るのは久しぶりだ」


 きっと、昨日……如月会長に縛られたり、執拗に電話を掛けられたり、家の前まで押しかけられたりしたからだろうな。日本にはいなさそうな銀髪の女性と公園で出会ったことも影響しているのかも。

 あんな夢を見ちゃったから、今日は何か嫌なことに出くわしてしまうような気がしてきたぞ。

 汗を掻いてしまったので朝食を食べる前にシャワーを浴びた。この季節に朝シャワーをするのは初めてだから非日常を味わっている感じだ。これが、これから変なことに巻き込まれる前兆じゃなければいいんだけれど。

 昨晩、如月会長が家までやってきたので待ち構えているかと思ったけれど、実際に出発したら家の前に彼女の姿はなかった。朝から生徒会の仕事があったりするのかな。それとも、彼女が去る直前にした額へのキス効果なのか。


「にゃーん」


 公園を通ると、昨日も会った茶トラ猫がベンチの上でのんびりしていた。香箱座りをしていて、今にも眠りそうだ。いいなぁ。今日くらいは俺もゆっくり休みたいよ。


「行ってくるよ」


 茶トラ猫の頭を優しく撫でる。帰りにまた会えるといいな。

 月野学園の校舎に近づくにつれて、月野学園の生徒が増えてくる。俺に対して変な目つきで見てくる生徒も増えてくる。やっぱり、この金髪のせいなんだろう。校則違反じゃないのに、みんなやらないんだな。俺も髪を染めるのはこれが初めてだけれど、やってみると意外といいもんだよ。

 月野学園の校舎が見えてきた。あそこに如月会長がいると思うと、悪魔の住む城のように見えてくるのは気のせいだろうか。足取りが段々と重くなっていく。


「……あっ」


 校門の前にいる如月会長の姿を見つけてしまった。会長は人気が高く、有名人なのでほとんどの生徒が校門に入るときに彼女に挨拶している。彼らはきっと、ロープで誰かを縛ったり、家庭調査票を見せてもらって家に行ったりするほどの強い執着心を持つ女性であることは知らないんだろうな。

 如月会長に見つからずに校舎に行きたいけれど、裏の方は職員専用だからなぁ。覚悟を決めて通るしかないか。バッグで顔を隠して体勢を低くしていれば、他の生徒に紛れることができるかも。


「そんなことをしても無駄だよ、玲人君。あなた金髪なんだから」


 会長に見つかってしまった。さっきまで笑顔だったのに、俺には不機嫌そうな表情を浮かべている。そういえば、金髪の生徒は全然いないもんな。


「おはようございます、如月会長」

「おはよう、玲人君」

「朝からお仕事頑張っているんですね」

「今日は風紀委員会の子と一緒に朝の身だしなみチェックをしているからね。玲人君の場合は勘違いされやすいから、金色に染めた君の髪について校則違反じゃないってことは私から伝えてあるからね」

「それについては感謝します」


 有り難いけれど、会長が呼び止めているせいで、校門の側にいる風紀委員の腕章を付けている生徒が、俺のことをチラチラと見ているぞ。


「どうしてそんなに不機嫌なんですか? 昨日はあんなに嬉しそうに帰っていったのに」

「ひ、額にキスをしてくれたことは嬉しかったよ。でも、結局……私のことは抱きしめてくれなかったじゃない」

「そういえば、そうでしたね」


 抱きしめられるよりも額にキスされる方が嬉しいと思ったのにな。会長は抱きしめられることにこだわりがあったようだ。


「けほっ、けほっ……」


 如月会長、咳き込んでいるな。辛そうに見えるけれど、大丈夫なのか? 昨日も夜まで学校で生徒会の仕事をしていたそうだから、疲れが溜まっているのかな。


「逢坂玲人君のことを入れたいって聞いていたけれど、もしかして、この金髪の男子生徒なのかな。沙奈ちゃん」


 ツインテールの明るい茶髪の女子生徒が如月会長に声を掛けている。真面目そうな人だけれど、会長のお友達なのかな? 可愛らしい人だ。


「はい、そうです。樹里先輩」

「なるほどね。あっ、初めまして、3年2組の笛吹樹里ふえふきじゅりです。生徒会の副会長をやっています」

「初めまして、1年3組の逢坂玲人です。よろしくお願いします」

「よろしくね」


 生徒会の副会長なのか。ということは、彼女くらいは知っているのかな。如月会長が独占欲の強くて、ロープを使って束縛しちゃうような女の子であることを。


「それで、彼にちゃんと話したの? あのこと」

「いえ、これから話します」

「……何のことです?」


 とても嫌な予感がする。面倒くさそうな展開になりそうだ。


「玲人君。あなたを今日から生徒会庶務係に任命します!」


 如月会長は大きな胸を張って高らかにそう宣言してきた。

 やっぱり、面倒くさいことになったぞ。何で俺が生徒会に入らなきゃいないんだよ。これが夢であってほしい。あと、庶務係ってことは雑用係みたいなものか。


「ごめんなさい、お断りします。それでは失礼します」

「ちょっと待って!」


 会長にしっかりと手を握られてしまう。悪魔というイメージがあったので、彼女の手から温もりを感じたことに驚いた。


「玲人君、あなたは髪を金色に染めて、無愛想だけれど、入試の成績は5本指に入るほどに優秀だったって聞いているわ」

「まあ、そのおかげで特待生にはなりましたけど……」

「特待生になるほどの頭の良さだし、真面目そうだからきっと生徒会に向いているよ。生徒のためにもなるし、やりがいだってあるし……」

「嫌ですよ。それに、やりがいがあるから仕事をするのではなくて、仕事をやってやりがいを感じる人が中にはいるだけだと思っています。あと、やりがいを売りにするってことは、本当の売りが何なのか分かっていないのでは? 俺、生徒会の仕事をするくらいならバイトしますよ。お金っていう立派な報酬がありますから」


 報酬さえあれば少しは考えたけれど、どうせ学校の生徒会だからあるわけないだろうし。最近はかなりきついバイトもあるらしいけど、金がもらえるだけバイトの方が魅力的だ。


「報酬なら……あるよ。玲人君だけ特別に」

「それって何ですか?」

「私が愛情を込めてお昼を作ったり、コーヒーを淹れてあげたり、肩を揉んであげたり、勉強を教えてあげたり、私の体を使って玲人君の身も心も癒したり……」

「それって、俺への報酬じゃなくて、会長がやりたいだけじゃないですか?」

「それは否定できないな」


 ふふっ、と笑みを浮かべている。否定しないだけ可愛げがあるな。俺に何かしら奉仕したい気持ちは有り難いけれど、結局、会長は俺を自分の側にいさせたいから庶務係という役目を任命しようとしたのか。


「会長、もしかして昨日の放課後にあんなことをしたのも、俺を生徒会に……」

「それもちょっとあるかな。でも、玲人君を感じたかったのは本当だよ」


 もしかしたら、俺が会長のことを抱きしめたら、その後に生徒会入りを打診していたのかもしれないな。


「俺のことを生徒会に相応しいと思っていただけることは嬉しく思います。しかし、学校生活に慣れようとしている段階なので、生徒会の仕事が務まる自信はありません。というか、そもそもやりたくないので。生徒の嫌がることを強要するのは生徒会としてあってはならないと思いますが」

「れ、玲人君の言うことにも一理あるわ……」


 一理どころか、真っ当なことを言っているつもりだけれど。さすがの如月会長もすぐには次の誘い文句が出ないようだ。彼女から逃げるには今が絶好のチャンス。


「きっと、俺よりも適している生徒はたくさんいると思いますよ。ですから、俺のことは諦めてください。失礼します」


 如月会長と笛吹副会長に頭を下げて、俺は校舎へと向かうのであった。

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