桜庭かなめ

本編

プロローグ『さなしばり』

『∞』



本編




「やっと目が覚めたね、逢坂玲人あいさかれいと君」


 ゆっくりと目を開けると、すぐ目の前に絶世の美女とも言える女子生徒が、笑みを浮かべながら俺のことをじっと見つめていた。


「玲人君の寝顔、意外と可愛かったよ」

「……そうですか。どうして、俺のことを生徒会室に呼び出したんですか? 如月沙奈きさらぎさな会長」


 そう、目の前にいる女子生徒は、私立月野学園つきのがくえん高等学校の生徒会長・如月沙奈。

 入学して間もない俺も、入学式や新入生歓迎会で生徒の前で話す場面があったので彼女のことは知っている。確か2年生だったはず。才色兼備な人だと生徒からの人気も高いらしい。いつも付けている水色のカチューシャがよく似合っているという話も聞く。


「どんな理由だと思う? 玲人君」

「教えてくれないんですか……」


 今日の終礼が終わってすぐ、会長から生徒会室に来るように呼び出しがあった。

 生徒会室に行くとそこには如月会長だけがいて。話をする前にコーヒーでも飲もうと言われたので、お言葉に甘えて、彼女の淹れてくれたコーヒーを飲んだ。

 すると、なぜかすぐに物凄い眠気が襲ってきて、そのまま寝てしまったのだ。


「なかなか答えないなんて、まだ寝ぼけているのかな」

「寝ぼけてはいませんが、眠気は残っています。ええと……ここに呼び出された理由でしたか。あり得そうなことと言えば、この金色の髪でしょうか」


 入学する直前に俺は髪の毛を金色に染めた。ただ、頭髪については特に規定はなかったので、校則違反ではないはずだ。周りの生徒は黒髪ばかりで、金髪の自分は浮いているなとは思っているけれど。


「玲人君みたいな髪の子は全然いないけれど違うよ。校則違反じゃないし。それにしても、気付かないの? 今の状況」

「えっ?」


 そういえば、机に突っ伏した形で眠っちゃったはずなのに、どうしてこんなに姿勢良く座って――。


「えっ!」


 両手と両脚がロープでグルグルに巻かれていた。あと、お腹のあたりで椅子の背もたれと一緒に巻かれているので、完全に身動きが取れない。眠気のせいで今まで全然気付かなかった。


「如月会長。どうして、俺にこんなことをするんですか。何か、校則に違反するような重大なことをしてしまったんですか?」

「ううん、違うよ」


 如月会長は首を横に振る。


「こうして、玲人君のことをたっぷりと感じるためだよ」


 そう言うと、会長は俺の胸のあたりで頭をすりすりさせてくる。その際に彼女の長い黒髪から甘い匂いが感じられた。その匂いが、微かに残るコーヒーの香りと混ざる。


「何をやっているんですか! それに、誰かが来てこんなところを見られたら……」

「その心配はないわ。副会長には今日の仕事は私が全部やっておくって言っておいたから。よほどのことがない限り、ここには誰も来ないよ。これで玲人君は私のもの。今も、これからも……」


 会長はにっこりと笑うと俺のことをぎゅっと抱きしめてくる。

 俺に嫌悪感を抱いているわけではなさそうだけれど、俺のことを縛り付けるなんて普通じゃない。どうにかして、早くここから逃げないと。


「玲人君、あったかい。いい匂いもするし。本当に落ち着く」


 会長はとても幸せそうな表情を見せるけれど、こっちは全然落ち着かない。


「玲人君のこと、もう誰にも渡したくない。玲人君のこと、大好きだから。ねえ、玲人君。玲人君って恋人はいるの? いないよね?」

「……いませんよ」


 いないよね、って。

 でも、今の会長の様子だと俺のことを馬鹿にするのではなく、いないであってほしいという気持ちは伝わってきた。


「良かった、恋人がいなくて。もしいたら、色々と面倒だなって思っていたから」


 俺にとっては今の状況こそが面倒なんだけれど。というか、仮に恋人がいたら会長は何をしようとしていたんだ?


「ねえ、玲人君。あなたにお願いがあるの」

「何ですか?」

「……私のことを抱いてほしい」


 会長は上目遣いで俺のことを見つめながらそう言う。きっと、普段ならドキッとして彼女の言う通りにするのかもしれないけれど、


「手足を縛っているのに、自分のことを抱いてほしいってどういうことですか。新手のギャグですか」

「ギャグなんかじゃないよ。ただ、玲人君ってここまでしないと、私のお願いを聞いてくれない気がしたから」


 俺、そんなに人の言うことを聞かない雰囲気を持っているのかな。

 ただ、校則違反じゃないのに髪を金色に染めているのは俺くらいだし、クラスメイトと話すこともほとんどないし……一匹狼みたいに思われてしまっているのかも。

 俺のことを縛るような人だ。抱きしめるだけで気が済むとは思えない。


「……もし、嫌だって言ったら?」

「このまま」


 じゃあ、どうすればいいのか分かるよね、と言わんばかりの笑顔を浮かべている。

 どうやら、会長のことを抱きしめると言わない限り、今の状態から解放してくれなさそうだ。ただ、こんなことをする人のことを抱きしめたくないし、どうすればこの状況を打破できるんだろうか。


「ねえ、早く抱きしめるって言ってよ。それとも、玲人君って女の子のことを焦らすのが好きな性格なの?」

「人のことを縛るような会長に言われたくないですよ」

「……睨んだ目つきもなかなかいいね」


 会長はうっとりとした表情を浮かべている。この様子だと、俺が怒ったところでロープを解いてはくれないだろう。それなら、


「……はあっ」

「どうしたの?」

「縛ったりすることをせずに素直に抱きしめてほしいって言ってくれれば、会長をぎゅっと抱きしめたのですが」

「……そういうことを言う子には見えなかったんだもん」


 会長は不機嫌そうに頬を膨らましている。顔が可愛いと不機嫌でも可愛く見えるんだな。


「じゃあ、これがラストチャンスです。今すぐにこのロープを解いてくれれば、抱きしめながら素敵なことを会長にしてあげますよ」

「ほ、本当?」

「それは会長の頑張り次第ですね」


 すると、会長は急にやる気に満ちた表情になり、


「じゃあ、すぐにロープを解いてあげるから!」


 俺のことを縛り付けていたロープを解いてくれる。結構きつく縛っていたのに、よくそんなに早く解くことができるな。

 会長のおかげで久しぶりに体の自由が利くように。自由って素晴らしい。


「ありがとうございます、如月会長」

「じゃあ、約束通り私のことを抱きしめて!」

「……ごめんなさい。いざ、ロープを解いてもらったら急にドキドキしてしまって。気持ちの整理をしたいので、会長はこの椅子に座って目を瞑りながら待ってくれませんか? 1分もあれば落ち着くと思うので」

「玲人君がそう言うなら」


 如月会長は俺と入れ替わる形で椅子に座り、ゆっくりと目を瞑った。


「薄目を開けて俺のことを見るようなことはしないでくださいね。お楽しみが減ってしまうので」

「それもそうね。ふふっ、楽しみ」


 如月会長は楽しげな笑みを浮かべている。きっと、いい夢を見ているときの寝顔ってこういう感じなんだろうなと思った。

 もちろん、会長のことを抱きしめたり、素敵なことをしたりするのは嘘。若干の罪悪感を抱きながら、俺は荷物を持ってそっと生徒会室を抜け出すのであった。

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