第20話

 クラッセンと名乗る男は表向き紳士ではあった。


「これがリカーと言う酒ですか?」


 前日にスクリューキャップを外してコルク蓋に付け替えておいたポケットボトルをしげしげと眺めながら値踏みを始めた。


「透明度の高いガラス瓶ですので、これ込みであるならばそこそこの値段をつけられるとは思いますが、この後に取引が継続出来る場合とこれっきりで取引が終わるのでは値付けが変わって来ますなあ」


 チロリとこちらの顔色を伺う表情に獰猛さが見え隠れする。ここで対応を誤ると前の街での二の舞である。出所をぼやかして、入荷をしようと思えば出来る状態である風を装うか……


「製法は解りませんが、継続して作成出来る者とは友誼を結んでおりますので、数量は限定されますが末長いお付き合いは可能かと思われますねえ……かなりの変わり者ですので窓口は限られますがね」


「変わり者故に窓口が限られると……森の隣人辺りの秘法に抵触するとか……」


 森の隣人? なんかのカマかけか? 日本人得意のアルカイックスマイルで乗り切るか。


「ふひひ」


 日本円とこちらの世界の通貨価値は似通った部分もあるが、通販の製品価値はかなりズレが生じている。特に手作業と工場出荷品の様な違いのある物は、驚くほどの格差が生じてしまうのだがその代表格が酒である。


 ネット通販で数百円で購入出来る安ウイスキーが、持っているだけで命を狙われる程の価値を有してしまうので、なんとか売れてくれれば生活基盤が安定するのでついつい勝負に出てしまう。


 俺自身に価値をつけると同時に、相手にとって犯罪を犯してまで俺を確保したいと思わせない程度のバランス。


「ふふふ……鹿に襲われて荷車を失うと言うから、間抜けな駆け出し商人と思っていれば……高価な荷物満載であの門を通れば今頃丸裸で街中をうろつく羽目になっていただろうから、賢明な判断でありましたな。秘密の隠し場所まではどれ位の時間で行って帰って来れるのですか?」


「隠し場所とはなんの事かは解りませんが、新たに商品を仕入れるには数日いただければ同じ商品……いえ、もっと面白い商品を手に入れる事は約束出来ますねえ、ただ……」


「ただ?」


 クラッセンは柔らかい物腰から一転殺し屋の様な目つきに変貌する。


「ただですね、クラッセンさんと競合しない別の商会とも懇意にさせて頂こうと思って、今回こちらの互助会に登録した次第でして……一度に運べる量はそれ程期待しないで頂きたく……」


「ほほう……」


 あ、この人自分の儲けの為なら人を殺せる人だ。


 完全にそっちの目をしている。


「タットバさん。参考までに扱う商品を教えてもらえますか?」


 他所で商う商品を事前に教えろとは、断っても義理は外さない筈だが、クラッセンの目付きが怖すぎるのでつい教えてしまう。


「塩……とかを考えているのですが」


「塩、ですか……」


 塩もクラッセンが買い付けてしまうと、この町でクラッセンから俺の身を守る伝手が無くなってしまう。言わなきゃ良かった。


 だって怖いんだもの……


「あー、質の良い塩が出回れば、塩気のある食い物が出回り易くなります。塩気のある食い物が出回れば、良い酒が飲みたくなるのが道理です。リカーも飛ぶ様に売れるでしょう」


「ほほう……」


「昔から私の故郷では風が吹けば桶屋が儲かるなどと申しまして」


 一瞬キョトンとしたクラッセンは俺の言った言葉を反芻して、数秒後には恐ろしかった相貌を崩して笑い出す。


「ふっははは、成る程! 水腐れを防ぐ為に木桶を外で乾燥させていて、風に飛ばされると……ふっははは」


「商人の鑑の様な先読みの力ですね」


 本当はもっと細かいバタフライエフェクトがあるのですが、本家の方はこじ付けの笑い話なので、今回はクラッセンの方を正解としておきましょうか。


「うむ、解った。駆け出し商人タットバよ、商売の相手としてしばらくの間は様子を見よう」


 クラッセンの顔付きと声のトーンが少し変わった気がする。こっちが本性か……取り敢えずケツの毛までは毟り取らずに生かしておいてやろうって事か、怖いよ商人。


「それでは、今日の良き日に軽く乾杯って事で」


 クラッセンは俺の売ろうとしていたウイスキーに手を付けていない。味見もせずに値切り倒す気でいるのだ。


 商品に手を付けないのは徹底しているので、こちらから商品サンプルを持ち出して、値付けをさせる為に乾杯を促す。


 瀬戸物のショットグラスを置くと、グラスの小ささと瀬戸物の色合いに食いついた。


「いくら味見とは言え、これはケチ臭くはないか? この小さなグラスも込みで頂いて行くぞ?」


 ケチ臭い事を言う奴だ。


「この小さなショットグラスには意味があるのですよ。まあ、乾杯しましょう」


 二つのショットグラスに安ウイスキーを注ぎ入れ、一方をクラッセンの目の前に置くと俺は小さなグラスを掲げてニヤリと笑ってやった。


「それじゃあ、ドラゴンの巣に迷い込んだ子羊に」


 クラッセンがニヤリと笑う。


「子羊にスネ毛を毟られたドラゴンに」


 俺もニヤリと笑い返す。


 ショットグラスを一気に煽ったクラッセンはこちらの予想通りのリアクションを取る事になる。


「ブッフォ」


 掴みはバッチリだ。

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