第9話

 俺達はアケミの使える魔方陣の検証を色々としていたが、同時に俺の能力であるネット通販で購入出来る商品の有用性も検証していた。中でも凶悪だったのは熊撃退スプレーだ。


 チカン撃退スプレーと熊撃退スプレーの違いは何かと言えば、人に使用するか、熊に使用するかの違いだが、後に後遺症でも残して訴訟などを起こされる心配の無い熊撃退スプレーは、まさに凶悪であった。


 ほんの触りだけのつもりで臭いと味の確認実験を行っただけだったが、俺とアケミの心に深い傷跡を残す程の結果がもたらされたのだった。


 他人には視認出来ないネット通販パネルを開き、「熊撃退スプレー」を二本購入すると俺の両手に一本づつスプレーが握られる。


 ゆっくりと安全ピンを取り外してスプレーを握り込んだ。


「ひっ……」


 スプレーの威力を知っているアケミは引き攣った悲鳴をあげる。


「あん? 何だそりゃ、何処から出した?」


 監視役の二人が俺の持つスプレーに注視する。


「ああ、調味料みたいなもんだ」


 カプサイシンたっぷりのな、じっくりと味わえ!


 俺はニッコリと微笑みながらスプレーの引き金を引いた。


「冷た! 熱!」

「何しやが……痛!」


 焚き火の煙を挟んだ事が功を奏したのだろうか? 打撃武器しか武器と認識していない原始人達の脳味噌のおかげなのだろうか、二人の顔は血では無く、唐辛子の赤色に染まる。


 視覚嗅覚味覚がこれで潰れた。


「こ、呼吸が出来ねぇ!」


「あぐ……」


 視覚を奪われた原始人達は武器を振り回すだろうかと心配して数歩下がった位置に避難するが、余程の地獄なのか呻き声をあげながらうずくまっている。


「大丈夫か? これで目を洗うと良い」


 ゆっくりと近づくと二人は水を貰えると思ったのか、見えない状態で顔を上げて俺の声がする方に顔を向けた。


 俺は追加で購入した沿岸警備隊でも使用されるエアフォーンを男の耳元に近付けて、警笛ボタンを押し込んだ。


 あまり馴染みの無いこのエアフォーンだが、当初は音で獣を近寄らせ無い事を目的として購入したのだが、「今まで聞いた一番大きな音は?」と尋ねたら「太鼓?」と答える様な原始人はかなりの驚きを持って受け入れられるらしく、少し離れた場所で鳴らしたにもかかわらずパンツを取り替える羽目になった奴が居るくらいだ。


 彼女の名誉の為、名前はふせておこう。


 百二十七デシベルの咆哮が耳元五センチの場所で鳴り響くと監視役の男は泡を吹いて失神した。


 続いて女の方も、と思ったが既に気絶している。


 予め購入していた極太結束バンドを鞄から取り出して、奴らの両手の小指と親指をカッチリと縛り上げ、ブーツを脱がしたうえで足の親指も結束する。


「アケミ、魔方陣で水を出せるか?」


 アケミは腰につけたポーチから小さな紙片を取り出すと俺に渡して来る。ああ、そうか水関係は予め書いて持たせていたんだっけか。


 気を失っている二人の監視役を引きずって切株を掘り出した跡の穴の中に放り込み、水の魔方陣を起動させた。


「動け」


 俺が手のひらに貼り付けている紙片からおびただしい量の水が二人が横たわる穴の中へと注がれて行く。何度見ても不思議な光景だが、これを見てはしゃいだり喜んだりするとアケミが調子に乗るのでぐっと我慢をする。


 ふかふかの森の土で出来た穴に水を注いでいると、二人が放り込まれている穴の中は粘り気のある泥で満たされて行く。


「ぶあっ!」


 男の方が気づいたな?


「何をしやがった! おいこれを解け! 死んじまうだろ!」


 穴の中で無様に暴れる男に向けて水をかけてやり、熊撃退スプレーを洗い落としてやる。


「死んじまう程の危機的状況で命令口調とは、頭の中に蟯虫でも住んでいるのか?」


「……」


 自分のおかれた状況をようやく理解し始めた男は隣で気絶している女に体当たりをして覚醒させようとしている。


「おい! 起きろ! やべぇ事になっているぞ!」


 泥の中で必死にもがく男は何度も女に体当たりを繰り返す。


「男の方は商会から雇われた覗き見野郎か?」


「……」


 一瞬ピクリと反応はしたが、聞こえないフリをしているな? まあ、片方の鼓膜はおそらく破けているだろうな。


「依頼主の秘密を守るのは結構だが、お前のポケットに入っている小銭が依頼料金の前金だろう? 口を噤んで死んじまったら、その小銭がお前の命の値段って事になるぞ?」


 ニヤニヤと男に笑いかけていると途端に男が情け無い表情で語りかけて来た。


「話しても殺すんだろ? だったら俺は誇りを持って死にたいからな」


「アホかお前は、お前の誇りが通じるのはせいぜいあのクソッタレな町限定だよ。俺達は町を出て行くんだから名前も知らないお前の誇りなんざ知りもしねぇし、死体も残らず穴の中で朽ちて行くテメェの事なんざ来週辺りには誰も覚えちゃいねぇよ。自己満足で小銭を握りしめて穴の中で朽ちて行くのがお前の人生だ。来年にはここも立派な麦畑が出来て発育の悪いドブみたいな臭いの麦が出来上がるだろうさ」


 俺の真摯な説得に感動したのだろうか、男が涙ながらになにか喚いている。


「あー何喋っているのか聞き取れないし、面倒だからこのまま埋めちまうか」


 穴の中でべそべそと命乞いをする男の顔に、足下の土を笑いながらかけてやると聞いてもいない情報をペラペラと喋り出す。


 こういう時はどれだけ自分の方がイかれているか、笑って人を殺せるかのチキンレースだ。


「そっちの女は知らねえが、俺は商会に雇われたモンだあああ! 都合三人の雇われ者がいるが今日は俺一人だああ! もうあの町には戻らねえし、アンタらの邪魔もしないからあ、だからあああ、命だけはあああ」


 男の方は用済みだな、残る女の方だが……


「ああ、わかったわかった。お前は少し黙ってろうるさいからな、おい女。お前もそろそろ状況に対応しねえとこのまま麦畑の肥料だぞ」


 穴の中で気を失っている女に覚醒している体で話しかけてやる。もちろんハッタリだが。


「絶対に殺してやる……」


 やっぱり覚醒していたか……それにしても物騒な姉ちゃんだ。


 ゆっくりと顔をこちらに向けてスプレーの所為で充血した目でこちらを噛み殺しそうな勢いで睨みつけて来る。


「目的はなんだ?」


「お前など知らん」


「俺の事は知らんが、アケミの事は良く知っているんだろ?」


「はあ?」


 突然話の中に自分の名前が出てきて驚いたのかアケミが素っ頓狂な声をあげる。


「あたし、そんな人知らないわよ?」


「ルーテシア・ケミストリー様! 紋章士協会にお戻り下さい! 協会幹部会よりの使いの者です! お迎えに参りました!」


「誰だ? そんな奴ここにはいないぞ?」


「あたしの名前だって何回も教えたでしょ!」


 アケミの名前だったのか。


「そんな些細な事はどうでも良い」


「あたしの名前が些細な事……」


 協会幹部からの追っ手か、アケミはアホだが居たら便利だからな……


「ルーテシア様はこの詐欺師に騙されているのです!」


 ああ、詐欺師と勘違いしているのか……


「この男は五つの街で詐欺を働く悪名高い男です! 今まで数十名の紋章士を相手に詐欺を働いていて協会でもマークしていた男なのです」


 ああ、成る程。


 そう言う事か……この世界は本当にクズが多いな。










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