第6話

 俺が今住んでいるのは賃貸アパートである。


 まあ、異世界なので字面から想像出来る賃貸アパートとは随分と違う。六畳程の広さに造り付けのベッドが一つ、もちろん布団など無い、窓も無い、契約で月家賃を延滞した場合は一秒も待つ事無くドアが封鎖され、中に置いてある荷物は大家の資産とされる。


 うっかり荷物を置いたまま家賃を滞納しようものなら、次の日には自分の荷物がオークションに出品されてしまう。


 俺は余裕を見て三ヶ月先まで家賃を支払い済みにしているが、まったく油断のならない大家であるが宿に泊まるよりは大分マシなので渋々住んでいる状態だ。


 明るい昼間でもランプを灯さなければ何も見えない狭い部屋の中でアケミと二人きり……


「なんでこんな事に……」


「まあ、あたしの旦那様なんだから仕方ないじゃない」


「そもそも、その旦那様ってのはなんだ? 人聞きの悪い」


「ひどい!」


 と言うか何故この女は俺を立たせた上でベッドに座ってくつろいでいるんだ?


「だって旦那様は名前も教えてくれないじゃない!」


 あれ? そうだっけか?


「まあ、しょうがないから今夜はこれからの仕事とお互いの技能についての擦り合わせをしておくか」


「す、擦り合わせって……どことどこを?」


「お前帰れ」


 頰を赤らめて胸を押さえるアケミがいちいちウザい。


 飯でも食わせておくかと考えて、ネット通販でカップラーメンを購入して外にある共同竃へと向かおうとするが、ふと考えを改める。


 部屋に置いてある木箱の中からこの世界に来たばかりの頃に購入したヤカンを取り出した。


「アケミ、魔方陣で湯を沸かす事は可能か?」


「無理ね、ほんのり人肌程度なら……」


「例の紙とインクでもか?」


 アケミの座るベッドの上にメモ用紙と油性ペンを放り投げると「あ!」と思い出した様に跳ね起きてベッドの床板の上で魔方陣を書き始めた。


 俺は井戸から汲み上げた泥水みたいな飲料水とは体質が合わないので、ミネラルウォーターを購入してヤカンに注ぎ入れる。ペットボトルは勿論潰しておいて夜になったら暗闇に乗じて燃やすつもりだ。


「出来たわよ!」


 アケミが渡して来たメモ用紙をヤカンに貼り付けると魔方陣の上に指を置いて起動コードを唱える。


「動け」


 起動した魔方陣が貼られたヤカンは数秒で蓋がガタガタ音を立てる程に沸騰を始めた。

 俺も驚いたが、魔方陣を書いた本人が一番驚いているらしい。


「すご! 紋章士最強伝説の幕開けだわ!」


「俺が供給する紙とインクの上で胡座をかいた状態限定でな」


 むくれるアケミを放置してカップラーメンにお湯を注ぎ、ゴミは一纏めにしておく。一人で居たら気にならなかったヤバイゴミは二人になると途端に多くなった気がして少し苛立つ。


「なにこれ? スープ?」


 アケミは注いだばかりのカップラーメンの汁を飲もうとするので慌てて制止する。


 三分くらい待て!


 麺類だったら外国人でも箸でかまわないだろうと薪から削り出したお手製の箸をアケミに渡しておく。変に説明するよりも好き勝手に使わせた方が食いやすいだろう。


「ナニコレ! うっま!」


 これだよ……異世界ネット通販モノの醍醐味は! 原始人相手に他人の開発した未来のアイテムの凄さを見せびらかして自分の功績の様に振る舞う気持ち良さ。


 そのうちアケミもグルタミン酸とイノシン酸が無いと飯を食えなくしてやる。


「さて、食いながらでも良いから聞いておけ、今日はまだ時間もあるしお前の出来る事……は紋章士だな……」


 アケミは口から麺をぶら下げながらウンウンと頷く。


「俺の出来る事を説明して行く。取り敢えず俺の名前だが、橘だ」


「タットバ?」


「あー、それで良いや、タットバな」


「ちょっと!」


「いや、良い。ギルドの受け付けでも聞き取りに苦労してたから、タットバで登録になってる筈だ」


 俺がギルドの身分証明書をアケミに見せると「ほんとだ!」と驚いている。


「俺の能力は現金と引き換えにこの辺じゃ購入出来ないクオリティの製品を購入する事だ」


「なんか地味ね」


「説明すると地味だが、どれだけ派手な能力かと言うと自称エリート紋章士が自ら隷属を誓ってしまう程派手だ。ちなみにこれがバレると大きな商会が俺の身柄を即攫いに来る程にヤバイ。監視も付いている」


「なんか後悔して来た」


「これからの予定は俺の持つヤバイ製品とお前の魔方陣を組み合わせる事によって、紋章士の凄さをアピールした挙句俺の能力を目立たなくして、アケミの尊い犠牲の上で俺は安全地帯でエリート紋章士の冥福を祈るまでが目的だ」


「うわ! クズ発言!」


「ここまでは良いな?」


「全然良くないけど良いわ」


 ラーメンを食い終えた俺はスティックタイプのインスタントコーヒーを淹れる。


「エリート紋章士とは言え、魔方陣の持つレスポンスはゴミ屑みたいな能力ばかりだ」


「かなり問題発言だけど今は我慢しておくわ」


「そこでだ。俺の供給するスーパー優れたアイテムとお前のヘナチョコ魔方陣を組み合わせてこれからどんな仕事が出来ると思う?」


「荷物が沢山運べる!」


「ヘナチョコ根性の染み付いた返答いただきました」


 アケミにヘナチョコ回答のご褒美としてブラックコーヒーを進呈する。


「うべろ……」


 アケミは年頃の女性が出してはいけない音と共にコーヒーを吐き出す。


「例えばだ。そこらの露店で売っている穴掘りくらいにしか使えない安い剣を購入したとする」


「ふんふん」


「それに火の属性とか風の属性とかを付与する様な、なんか都合の良い魔方陣とかきっとあるだろ?」


「あると言えば在るわね」


「俺の供給したそのメモ用紙にその都合の良い魔方陣を書き込んでペタりと貼れば……」


「お手軽属性剣!」


「御名答」


 アケミの顔がもの凄い悪人顔になる。


「まあ、これは一例だが、まだ変な魔方陣を山程覚えているんだろ? 使えないクセに無駄に覚えたアホ魔方陣」


「言い方は気になるけど確かに沢山在るわね」


「どんなにアホっぽくても威力が倍増すればそれは?」


「凄いアホ?」


「凄いアホはお前だ。そもそもなんだよさっきの魔方陣は! 貼り付けると人肌に温める魔方陣て! どんなシチュエーションで必要なんだよ! 紋章士はアホの集まりか?」


「ほ、哺乳瓶とか……」


「湯煎しろ!」


 いや、哺乳瓶はどうでもいいんだ。何故こんな場所で育児論争をしているんだ俺は?


「まあ、兎に角だ。準備が整い次第猪を俺達で狩りに行くぞ。お前の魔方陣を使ってな」


 猪の一頭でも狩ればこいつの魔方陣に対する認識も少しは変わるだろう。



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