セカンドバベルの下で
椚屋
Witch Hunt
第1話 T&Sトラブルシューティング
西暦2128年に完成した人類初の軌道エレベータ、東太平洋第一軌道塔、通称ビーンストークα。
地上と宇宙を繋ぐ、全長六万キロメートル直径百七十八メートルの巨大な塔は、直径百三十キロメートルを超えるメガフロートを基礎として作られた、人工島の中心部に屹立している。
この人類最大の構造物は、宇宙太陽光発電や宇宙資源の更なる開発を目指したものだ。世界のほぼ全ての国々が労力と金を出し合い、手詰まりが見えてきた未来を変えるべくして作られた希望の象徴――そのはずであった。
だが稼働後15年を超えた2143年現在も、裏では政治的な思惑や利権の奪い合いが渦巻いている。
故に軌道エレベータは、口さがない者にセカンドバベルと呼ばれていた。
神の怒りに触れ、打ち砕かれたバベルの塔の再現。
特に環境保全を掲げるテロリスト達に呼ばれるこの名は、そこに住む者達にも少しずつ広まっていた。
それは塔が落とす影が、塔の建設に至った人類の英知に比して濃く深く、神の怒りに触れる如く混沌としている故であった。
「いっただきまーっす」
ドーナツ状のセカンドバベル周辺区画に作られた商業地域の一角、メガフロート内部の地下道にある二十世紀の雰囲気を模したバーの中で、金髪の少女は両手を組んで形だけの祈りを捧げた。
年はまだローティーン程、少しサイズの大きな赤いアロハシャツと麻のハーフパンツから伸びる手足は細く、赤道に近いこの場所にいるにしては全く日に焼けていない。
少女の前には山盛りのクスクスを初めとした七皿にも及ぶ料理。香辛料を効かせたチキンソテーの山に、高さ五センチを超えるシカゴピザ、ボウルからはみ出しそうなサラダ等々、どれもパーティーサイズの料理が全て小柄な少女の前に置かれている。
どれか一皿でも、小柄な少女では食べきれそうにないボリュームだが、薄緑色の瞳は期待に輝いていた。
そして料理の山にフォークを持った手が伸びると、猛然としか表せない勢いで口に運び、咀嚼し、飲み込んでいく。
飢えた虎でももう少し分別がありそうな食べ方だ。
「食い過ぎだ。少しは控えろ」
少女の向かいに座る、揃いのアロハに固太り気味の体を押し込めた
男は呆れたように少女を見つめ、少しばかり体を傾けてテーブルに頬杖を突いた。それだけで男の座っていた年代物の椅子が大きく軋む。
常人では消化吸収しきれない流動食を飲めるのは、男がサイボーグ、しかも高効率な消化吸収機能を入れるような、重量級のサイボーグである証だ。
固太りに見える体躯も、サイボーグであるならば相応の用途の為にあつらえられたものだ。
「成長期だもの。これくらい食べないとねー。それとも
チキンソテーの一枚を一口で詰め込んだ少女は、それを飲み込みながら首をかしげた。ダディと呼ばれた男は大げさに肩をすくめて、白髪の増えてきた短い髪をかき上げながら、流動食の入ったグラスを軽く指で弾いた。
「金の話だ。お前の食事がそれで、俺がこれだぞ? まずくはないが、うまくもないんだ。吸収率が落ちるから下手に味も付けられんしな」
「じゃあ何か頼めば良かったじゃない」
「お前が頼んだ時点で今日の食費は無くなった。正確には三皿でオーバーだ。これも、それもそれもそれもそれも、明日明後日の食費から出てるんだ」
男はテーブルの上に体を乗りだし、凄まじい勢いで減っていく料理を指さしながら言うが、少女は男の視線もどこ吹く風と口の端にピザソースをつけたまま笑顔を返す。
「じゃあお仕事しなきゃ! 強盗でもいいよ」
男は深くため息をつき、噛んで含めるように区切りながら言う。
「俺達は、トラブル、シューターだ。トラブルを、解決するのが仕事だ。トラブルを引き起こすのは仕事じゃねぇし、ましてや犯罪者でもねぇ」
そこで少し身を起こし、声を落として続けた。
「いい加減にセカンドバベルに来るまでのやり方はやめろ。真っ当な仕事で稼ぐ事を覚えてくれ。でなきゃ放り出すぞ」
「放り出すって……ダディよりあたしのが強いよ? 最初にやりあった時、危なかったじゃん」
サイボーグである男を前にして、少女は目を丸くしながら心底不思議そうに言う。男は口元だけで笑い返した。
「あれは決着ついてねぇよ。手なんざいくらでもあるわ……それで、真っ当な仕事で稼ぐ気はあるのかないのか?」
「ある。あります。働きます。ダディのためなら体売ってでも――」
「ふざけんな馬鹿。ガキにそんな事させられるか」
男は言下に
「仕事をするつもりがあるならいい」
諦めたように言う男に少女は何度か頷くと、また食べ始める。
嬉しそうに、美味しそうに、食べる早さと量を考えなければ、ただの子供にしか見えない。
少女が全ての皿を平らげ、香りの立つジャスミンティーを飲み干すのを見て、男は口を開いた。
「なあ、ステフ。何度も言ってるが、お前が俺の娘として生きていきたいのだったら、真っ当な仕事で稼げ。体を売る仕事が真っ当でないと言う気はないが、せめて俺が死んでからにしろ。俺はガキが体を売るのは嫌いだ。それに、ガキが強盗なんぞしでかすのも嫌いだ」
ステフと呼ばれた少女は、少し
「分かった。ここ来るまでみたいな事はしない。誓う。約束する。ダディに嫌われるのやだもの」
男はまっすぐに見つめてくるステフの頭に、大きな掌を乗せて柔らかな髪を
「それならいい。ついでに飯も予算を考えてくれると助かるんだがな」
「……努力目標でいいかな?」
「最大限努力してくれ」
掌の下で上目使いに言うステフを見て、男は深く息をつきながら手を離す。
そのままアロハシャツの胸ポケットからペン型の端末を出し、投影式モニタを起動して日課のチェックを始めた。
セカンドバベルで起こった事件・事故。天候や企業の動向等、気になる事や覚えておく事は幾つもある。だが、肝心の仕事の依頼は一件も入っていない。
食費に大きく削られはするものの、それなりの蓄えはあり当分干上がる事はない。しかしこのままでは港湾作業員の仕事も、遠からず入れなくてはいけなくなるだろうと、男は頭の中でざっと計算した。
横目でステフを見ると、おかわりしたジャスミンティーを飲みながら、楽しそうに店の中を見回したり入り口の方を見つめたりしている。
男が少し目を凝らし、機械化された目がステフの薄緑色の瞳を拡大していくと、自在に形を変える瞳孔が横長に開き、表情と裏腹に店中を隙無く見つめていた。
顔は向けていなくても男の視線に気づいていたステフは、小さく口の中で囁いた。
「ダディ。何か来たよ」
男の機械化された聴覚はその囁きを聞き逃さず、同じく機械化された目を入り口に向けた。
明かりを抑えた店内でも、男の目は入ってきた女の姿を正確に捉える。
歳は二十代の半ばから後半、ヒスパニック系でブルネットの髪に日に焼けた肌。柄物のワンピースは最近流行りの物であろう、街を歩けば見かけるデザインで、荷物は一見する限りだと肩にかけた革のバッグが一つきり。
しきり後ろを気にしているが、目線は店内を
男もステフも一瞬だけ女に顔を向けるが、男はモニタに目を落とし、ステフは男の顔をのぞき込むように顔を背ける。
だが二人とも視界の端に女の姿を捉えたままだ。
女はカウンターでグラスを磨いていたマスターに話しかけると、すぐに男とステフの方を向いた。そして二三度瞬きすると、またマスターに向き直って話しをしている。
男の機械化された耳には、その会話が全て聞こえていた。
「ガキが一緒にいるから疑われてるんだな。腕利きトラブルシューターが、まさか子供連れたぁ思わねぇよなぁ」
「失礼だなー」
モニタから目を離さないまま男は小さく笑う。
頬杖を突くステフを眺めてみても、常人どころかサイボーグの機械化した目ですら、余程入念に観察しなければただの少女にしか見えない。しかし男は、ステフが重量級サイボーグより強いと言ってのける理由を、経験として知っている。
ややあって、まだ不安そうな表情のまま、女が近づいてきた。二人のいるテーブルの前で立ち止まると、バッグの肩紐を所在なげに指で弄りながら口を開く。
「ええと――」
「俺達が、おそらく貴女がお探しのT&Sトラブルシューティングですよ。俺はトッド・エイジャンス。こっちが娘のステファニー・エイジャンス。お疑いかも知れませんが、この子も腕は立つ方です。勿論、俺も腕は立ちますよ」
男はトッドと名乗りながら、言いあぐねる女の言葉を引き取って話しかけた。自分としてはベストな出来映えの、営業用笑顔に乗せてだ。
「俺達を探していたという事は、貴女は緊急で、事前に連絡する事も出来ないようなトラブルに巻き込まれている。そう考えて宜しいかい? 勿論、それを理由に断るような事はないから、素直に答えてくれるとありがたい」
大体の仕事の時には事前に連絡がある。それはどんな業界でも
「は、はい。私はミーナ、ミーナ・レッティ。貴方たちに、大急ぎで仕事を頼みたいんです。私を、匿ってください」
呼吸を整えるように、胸を押さえながらミーナは声を絞り出す。
こういう時、ステフは口を開かずにじっとトッドの顔を見つめる。T&Sトラブルシューティングの事業主はトッドだ。仕事を受けるかどうか、どこまで話を聞くかの判断はトッドが下す。
目線だけでステフは答えを急かすが、トッドは穏やかな声で落ち着くようにとジェスチャーを交えて言った。
「時間が無いようだけれど、まずは奥の席で詳しい話を聞きましょう。なに、俺達を頼ってくれるのなら見積もり中でも無下に扱いはしませんよ。急ぎの話なら、よくある事ですから」
トッドの答えを聞いて、ステフは口角を上げた。
「マスタぁ、奥借りるねっ」
カウンターの向こうでバーのマスターが頷くのを見るが早いか、ステフはミーナの手を握ると店の奥へと引っ張る。
「大丈夫だよ、ダディもあたしも強いんだからね」
ステフは年相応の笑顔と、それに見合わぬ自信に満ちた言葉を新しい依頼人に向けた。
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