karma25 見えない未来

 本日の勤務を終えた西松琴海は更衣室で私服に着替え、更衣室を出る。浮かない表情をたたえる顔は下がり、視線が廊下に落とされている。

 流れる廊下の光景は少し薄暗く感じた。足は寮へ戻ろうと単純な命令を聞き入れているが、心の向かう場所は兄が安静にしている病棟だった。それでも、エレベーターに乗った琴海は、地下9階のボタンを迷いなく押した。


 部屋に戻った琴海は静かにため息をついてベッドに横になる。仰向けになり、天井を仰ぐ。眠たげな瞳は悲しみを纏っている。

 突然、朗らかな着信メロディが湿腐しめくさった空気を打ち破った。琴海はポケットから携帯を出し、画面をタップして携帯を耳にあてる。


「琴海? 今、大丈夫だった?」


 柔らかな倍音を伴う氷見野の声が耳朶じだを打つ。


「うん、巡回終わって部屋でのんびりしてるところ」


「西松君、命に別状はないって。木城先生から」


「そう……」


「ただ、まだ意識が戻らないの。だから……もう少し経過を見る必要があるみたい」


 電話の向こうで琴海の言葉を待っていたが、数秒待っても返ってこない。氷見野は怪訝けげんな表情になる。


「琴海?」


「もし兄貴が目を覚まさなかったら、どうすればいいのかな」


 琴海の声は弱々しくいた。


「世界が平穏な日々に戻ってほしいと思ってる。そのために私たちは戦ってるようなもんだし。でも、本当にそんな日が来るかどうかなんて、誰にも分からない」


 氷見野はそんなことはないと軽々しく言えなかった。現状、ブリーチャーたちの進化は目覚ましく、日本のみならず各国が苦戦を強いられながら耐え忍んでいる状況だ。

 名だたる世界の軍隊も痛みを負いながら殲滅していることは、琴海だって知っている。


「平穏な世界が戻った時に、生きていてほしい仲間がいなくなった世界で、笑って喜べる自信がないの」


「それは、私も同じだよ」


 氷見野は優しい声色で口にする。


「西松君や御園君、興梠君に葛城君、ミズや琴海にも、生きていてほしいし、攻電即撃部隊everのみんなと一緒に、戦争が終わって喜び合いたい。きっと、これからも悲しいこともたくさんあると思う。この先に、本当に平穏な世界があるかどうか、私にも分からないけど、西松君なら『迷ってたってしょうがねぇ。行ってみりゃ分かんだろ』とか言うんじゃないかな」


 琴海の表情は悲哀が滲む。


「私も、怖くなることがある。残酷な未来が、この先に待っているんじゃないかって。考えるだけで、体が動かなくなりそうになる……」


 氷見野は机の上に置かれたシアン色の羽の髪飾りが入った透明な箱を撫でる。


「それでも戦っていられるのは、守りたい人がいて、守りたい想いがあるから。もし西松君が目を覚まさなかったとしても、私は西松君と一緒にやってこれてよかったと思ってる。東防衛軍に入って1人で心細かった時に、食堂で西松君たちに声をかけてもらえて、すごく励みになった。私だけじゃないって、そう思えたの」


 シアン色の羽の髪飾りが入った箱を撫でる右手は、擦り傷や青痣が残っていた。右手が引かれ、机の上で強く握りしめられる。


「私には守りたいものがたくさんできた。だから、たとえ西松君が目を覚まさなかったとしても、西松君が叶えようとしていた願いを手に、私は戦っていくよ。信じられる未来が少しでもあるなら」


 琴海は力なく笑った。


「ユウって、時々勇ましくなるよね。普段おどおどしてるくせに」


 つられて氷見野も微笑する。


「塞ぎ込んでる友達を前に、おどおどしてられないからね」


 琴海はベッドから体を起こす。


「ありがとう。少しだけ、元気出た」


「そっか」


「私も、信じてみる。みんな笑って喜び合える世界を」


 心に通うぬくもり。不安入り混じりながら、儚く消えてしまいそうな未来を遥か遠くに見据え、互いに明日へ託す「おやすみ」を交わして夜を越えていく。

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