karma9 赦されるべき罪

 犬歯を剥き出しにする野犬の表情をしたキスは、拳を握り、悠然と対するユヒアを捉えて目を血走らせる。

 ユヒアは息を含んだ笑みを零す。


「そんな目で見つめられるとはね。お前がこの教会にやってきた時は思わなかったよ」


「どこまで卑怯なんだ!!」


「フッ、今更青臭いことを。お前がどんな力を持っても、どんなに神に愛されようとも、平等な裁きを統べる神の鉄槌を顕現したこの弾頭は、お前の脳天を貫くだろう。これも、預言かな?」


 信頼していた者に裏切られた気持ちがどこへ向かうかなど言うまでもない。わずかでも、間違いであってほしいと願った。だが、今目の前でほくそ笑むユヒアは、紛れもなく悪魔の化身である。


「なぜだ! なぜ教会を、ミアラ主殿を裏切った!!?」


 ユヒアは心底がっかりといった顔になる。


「裏切った? 俺は裏切ってなどいないさ」


「この状況でまだそんな減らず口を。心の奥まで腐りきってるんだな」


 キスは怒りのこもった低い声で吐き捨てる。


「俺がなぜ裏切ったか。その質問は間違っている。正確に言うのであれば、なぜこんなことをしているのか。そう問うべきだ」


 ユヒアは冷笑を携え、その目に焼きつけるように、あわれな迷い子であるキスを見据える。


 キスは自分の後ろで仰向けに倒れるエミリオをうかがう。エミリオの手が触れていた黒曜石の床は、今や赤くなってきている。


「ユヒア、彼女の止血をさせてほしい。このままではエミリオは死んでしまう」


 キスは切に願いをう。


「まだあなたにも仁徳があるのなら、どうかエミリオの処置をさせてほしい」


 わずかな望みだった。そう願い出たのには、たゆまぬ信仰を実践してきた姿を見てきたからに他ならない。神に祈りを捧げるユヒアは、間違いなく信徒として立派であり、偽りのないお姿であると思ったからだ。

 こうして目の前で暴力に訴えるユヒアの姿は事実であるが、信心に務めるユヒアも事実でなければ、長い間神に祈ることなどできやしない。そのもう1人のユヒアに対し、キスは訴えていた。


「……フッ」


 ユヒアは涼しい顔をしてせせら笑う。


「罵倒しておいて正義を訴えるか。なんとも都合のよい。神に仕えし者とは思えぬ汚らしい言葉の数々は、なかったことになっているのか?」


 そして、冷たい目はキスを蔑む。


「反吐が出る」


 キスは一刻を争う状況にどう対応すべきかと頭を悩ませる。緊迫の時間が1秒1秒過ぎていく。その間にも、エミリオの状態は悪くなり、助かる可能性が下がっていく。それだけは避けなければならない。

 なんとしてもエミリオを救うこと。おそらく考えなければならないことはたくさんあっただろうが、キスの最優先事項は、エミリオの命だと瞬時に決断された。


「私の命が欲しいんだろ? ならばくれてやる! その代わり、エミリオを助けてやってくれ!」


 ユヒアは舌打ちをした。苛立ったユヒアの眉間に皺が寄り、普段優しげな表情が残忍な殺人鬼へと変わっていく。


「お前は何も分かっていないな、キス。ここでお前に交渉する権限があると思っているのか?」


 強くも声量は小さい。だがちゃんと怒気を含む声はしっかりとキスの鼓膜を揺らす。


「俺は銃口を向けているんだぞ。一方のお前は丸腰。お前の願いを聞き入れて俺になんの得がある? 神に願いを聞き入れてもらいたければ、血と肉を与えよ。教会で何を学んできたんだ? 祈っていれば必ず願いは叶うとか、神のいつくしみに預かれるための聖典音説せいてんおんせつとか思っているのなら、お前は偽物の神に惑わされた愚かな羊だ」


「あなたにはもう、慈悲はないのですか?」


 渇いた口は絞り出すように問う。


「慈悲が欲しければ我に奉仕せよ……と言った方が分かりやすいかな? だが、もうその時期ではない。“俺たち”の目的には、お前の死が必要不可欠なんだ。エミリオもな」


「お前たちの目的は、教会の陥落か?」


 キスの問いかけはユヒアの自嘲を誘う。


「そこまで物騒なものではない。ミアラが過去に所属していた教会は、世界で1位2位を争う教会だった。当時のミアラは、国内本殿の一神父に過ぎなかった。問題もなく真摯に務めていたが、目立つような存在ではない。彼がいきなり教会を去ると申したところで、気に留める者はよく顔を会わせる親しい者くらいさ」


 ユヒアはキスに向けていた銃を下ろし、しっとりと伝う声を続ける。


「ミアラが教会を去って数年、名も知らない教会が活動をしているという情報が、教会にもたらされた。脅威になるやもしれないと、穏健派の者たちが騒ぎ出してな。そこで、新宗教の実態を調査してみると……どうだ、俺たちの教会によく似ている。しかも、おさの座につくのはあのミアラじゃないか」


 ユヒアは演技調な身振りで持って語っていく。


「教会のお偉いさん方は怒り狂うかもしれない。しかし、どの宗教を信仰しようが自由という原則と、平和的な神を愛するならば敵対することは許されないという神官が書き記した戒律により、邪心を捨てることしかできない彼らは、ミアラの教会の動向を逐一知り、安寧を得ようと思い至った。調査活動を行っていた者たちは、ミアラの旗揚げした教会へ所属し密偵せよと命ぜられた」


 キスは少ない唾を飲み込んで口をついた。


「それが、お前たちの組織」


「そう、俺たちはクロサリア教会の諜報部員……そのはずだったんだ」


 キスは表情を強張こわばらせ、言いようのない疑念を浮かべる。


「だった?」


「クロサリア教会は、前々から不要人員を排除したかったのさ」


 ユヒアの口は確かに笑っている。だが、眼鏡の奥にある目は、笑っているようには見えなかった。


「教会の資金にも限界がある。講演料や奉納金、商業事業だけじゃ、膨大な数の信徒に必要な生活資金を賄えなかった。苦境の原因であり、排除しやすい従順さを持つ者たちを諜報部員にあてることで、俺たちに疑いを持たせないようにしたんだ」


 生々しい教会内部の膿を見せつけられているようで、耳を塞ぎたくなってしまう。


「信頼していた者から裏切られた時、人はどうなると思う? 光の見えない、真っ暗な世界に閉ざされる。絶望。虚無。止むことのない責め立てる幻聴が、俺たちを追いやっていくっ!」


 ユヒアの声が怒りを吐き出した。瞬間、ユヒアの手が上がる。キスは身構え、向けられた銃口を見定めた。


「無駄に装飾されたゴミ箱に、俺たちは捨てられた!! 信仰を奪われ! 選択すらさせてはくれないっ!! 俺たちが密かに与えていた情報は、なんの意味もなかったっ!!」


 ユヒアは怒りのあまり唾を飛ばしながら荒立つ声を撒き散らす。


「何度情報を与えても、奴らは『引き続き調査せよ』としか口を利こうとしない。飼い殺しもいいとこだ」


 ユヒアは不気味に笑った。


「案ずるな。俺たちは救われた。神に感謝しなければならない」


 怒りのままに狂乱の弁を述べたまうユヒアの言葉や表情を、持てる感覚で受信しているうちに、違う誰かがしゃべっているようにすら感じる。キスは異様なユヒアの様子に恐怖を抱き始めていた。


「人は時に残酷だ。残酷でなければならない。だが問題ない。我々はいずれ赦される。俺たちを捨てたあいつらだって赦されたんだ。赦されないわけがない」


 キスは刺激しないようにと、慎重に言葉を絞り出す。


「つまり、お前たちは、クロサリア教会に復讐をしたいのか」


「そうさ。そのためには金がいる。武器やドラッグなどを扱うダークサイドの者たちの経済圏を知り、コネクションを築いて戦いの準備をしてきた。我々は一度消えた火を取り戻したのだよ! 女神の掲げる炎剣にあてられ、不死鳥の如く甦った。ただ1つの使命を果たすために」


 キスはゆがめた教えに改変し、それを平然とその口で喚くユヒアに対し、再び湧き上がる怒りを覚え、腹の底から声を張り上げた。


「教会の金でテロを起こす気か!! 理不尽な目にあったからという理由だけで! ミアラ主殿までも手にかけたというのかっ!!」


「何が悪いっ!? どう足掻いたところで、すぐに命終わりゆく者だった! ミアラは安らかな眠りに落ちていたんだ。苦しまず! 命を! 終えた!」


 銃を持つ手が震えるほど声を荒げるユヒアを前に、キスはめげずに道理を説く。


「仮にも、お前はミアラ主殿に目をかけられていた者だったはずだ。ミアラ主殿の行いに感銘し、なぜ再起に尽くさなかった? ミアラ主殿は、お前の絶望をも汲み取って、洗い流してくれたことだろうに」


「ミアラなど諜報活動の対象としか見ていなかった男だぞ。諜報部員として派遣されるまで、名前すら知らなかった。そんな男に服して、どう感銘を受けよと!? 我々は進むべき道を歩まねばならない。戯言を吐き連ねる老人の世話をしているほど暇じゃないんだ」


「戯言だと!?」


 キスはミアラ主殿を侮辱されて憤怒に燃える。


「ああ、人の身に余る力を享受されたくらいで、偉くなったと勘違いしている老人の戯言だ!!」


 ユヒアの声色は呼吸を整える息づかいと共に熱を冷まし、地下神殿の効果により重低音を得る。


「それはお前も例外ではない。預言があるから、お前を慕う者がいるだけだ。そこのエミリオだってそうさ。お前の持つ人徳ではなく、預言の力、力そのものを崇拝しているに過ぎない」


「ジャノベール様も……同じ意思を持ち、計画を立案したのか」


「ジャノベール? ああ、ジャノベールか。ふふっ、今頃天界にてミアラと仲良くやっているさ」


 ユヒアは薄ら笑いを口元に宿す。


「まさか……」


「ああ、ジャノベールは死に伏した」


 ユヒアは彼の死など床に落ちた薬きょうと同じくらいの残りカスだという風にはっきりと口にした。


「仲間のジャノベールさえも……」


 ユヒアは翻弄されるキスを面白そうに蔑視する。


「預言の力を付託された者であっても、まことを見通す力はないようだ。お前の預言の力など、無いも等しいということだな」


「何を言っている?」


「ジャノベールはお前たちと同じ計画の駒さ。最初から、ミアラ主殿の従順なるしもべだったんだよ」


 キスは呆然とする。ユヒアはキスが無様な顔をするので、ますます面白がり、いたぶりたくなった。


「愚かだな。実に愚かだ! 内なる深淵に問いかければいい。なぜジャノベールが主犯格であると思ったか」


「それは……、っ!?」


「気づいたか」


 ユヒアは唇の間から白い歯を覗かせる。


「無理もない。仮の姿で教会へ忍び込み、信徒たちの心を手中に収めていたんだ。隠密行動は俺の得意分野だからな」


「ジャノベール様……」


 ジャノベールこそが教会に反旗を翻した主犯格だと思い込んでいた。ユヒアの言葉にまんまと乗せられ、ユヒアの言葉を鵜呑みにして、いつの間にかユヒアの操り人形になっていた。

 忸怩じくじたる思いがキスを呪う。それゆえ、エミリオの命を危険にさらす結果となってしまった。


「そうだ。悔いるがいいっ! お前も俺の計画を遂行した。その穢れた手でな」


 キスは目の前で自身をあざ笑うユヒアを睨みつける。


「だが、お前の計画はいずれ人々に暴かれる。どう足掻いたところで、必ず聖なる裁きを受ける!」


 ユヒアは嘆かわしいと言わんばかりに嘆息する。


「今更預言を授けられてもな。お前の預言の力は、今しがた何ら意味を持たないと証明されている」


「教会を調べていた記者は大勢いる。その者たちの中には、真実を追い求める熱き魂を持つ者もいるだろう」


「フッ、どうやらまだ真実の下へは辿りつけていないようだ。滑稽を通り越して泣きたくなるよ! キス・アロウシカ!!」


 駄々っ子をあやすかのように語るユヒアは、銃を構え続けて疲れた手を持ち替え、反対の手で持った銃を再びキスに向けた。今こそ真実を突きつけようと、銃が語ろうとするように。

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