第20話 ナタリヤ




 俺の傷が勝手に塞がったのを隠すためだろう。ローレルが俺の肩に回復魔法をかけるふりをしてくれた。

 そして今度は俺が半裸でシーツにくるまりながらベッドの上に座ることになっている。

 ナタリヤは目の前で、俺の服をタライに張った水で洗っている。


「それで、イビルアイはどうやって倒してんだ」

「はい、槍のみで戦っています。アイツの視界内では魔法や魔法の効果によるものは何一つ効果を発揮しません。貴方のような魔法使い様では、近寄るのも難しい相手かと思います」

「お前はどうやって倒してるんだよ」

「槍です。私は魔法を一切使えません。そのかわりに東海流槍術の流派において、槍頭を務める父より槍を教わりました」


 なるほど厄介な相手である。確かに俺のように魔法使いのような恰好をしていれば、皆が口をそろえて無理だと言うはずである。

 俺が奪ってきた能力は魔法扱いなのだろうか。


「なんで一人でダンジョンに行くんだ」

「悪魔系ダンジョンにいる敵には魔法がほとんど効きません。それに魔法をかわすのはとても慣れないと難しいでしょう。だからボク一人の方がいいのです」


 その後はイビルアイの攻撃などについて話を聞き、ナタリヤが洗い終えましたと行ったところで帰ることにした。

 びしょ濡れの服を着る羽目になったが、こいつに洗わせましょうと主張したアリシアの提案を聞き入れたのは俺である。

 まあ着ていればそのうち乾くだろう。


「許してしまって良いのですか」

「ああ、役に立つ話も聞けたしな」


 ちらりとナタリヤに視線を向けると、手で胸元を隠すような仕草をした。部屋にはアンモニア臭が充満しているので、そんな気は微塵も起きていない。できれば長居もしたくないくらいだ。

 俺はナタリヤに槍を返して廊下に出た。ドアが閉まると、部屋の中から大きく息を吐く音が聞こえてきた。

 あいつも槍一つであの強さを手に入れているというのだからすごい奴ではあるだろう。


「それじゃ、向こうに帰る前にイビルアイを倒しておくか。それとこっちに家を借りよう」

「賛成です。ご主人様」


 アリシアは基本的になんでも賛成するから本心はわからない。

 階段を下りるとローレルが呆れたような表情で言った。


「虎の威を借る狐ってのは、まさにアリシアの事だニャ。ご主人様の力を、自分のものと考えているんじゃニャいの。羽虫じゃアイツには勝てニャかったよ」

「確かにな。もう少し気を付けてくれよ。さっきのは危なかったぞ」

「なっ―――。は、はい……」

「しかも、お前を助けるためにご主人様は怪我したんだニャ」

「そうでしたね……」


 アリシアが無言で腕を組んでくるが、なんだか振り払うのも怖い。


「怖いから、しおらしい態度はやめてくれ。どうして顔を赤くしてるんだよ」


 こいつはエルフ以外の生き物を生き物だと思っていない女なのだ。

 その後は街に出て、武器屋を見て回り、軽くて使いやすそうな剣をアリシアに買い与える。

 彼女が最初から持っていた剣は、布でぐるぐる巻きにして大蝦蟇の中に仕舞った。


 買い物を済ませたらクリントが取ってくれた宿に入り、食事を済ませてから、装備を部屋に置くと一人で街に出た。

 この後は城に行って情報収集をするつもりである。

 ヘンリエッタの様子を確認しておかないと、おちおち寝てもいられないというのが本心だ。顔を隠して城壁を越える。

 そして魔力感知によってヘンリエッタの部屋を突き止める。


 一度会ったことのある人間なら、大体魔力量によって判別できるようになる。特にレベルの高い相手ならばわかりやすい。

 二階の角部屋に当たりをつけて、その近くに生えている樹に下半身を蛇のように変えて巻きつけるようにしながら登った。

 横枝の上に上がると、ちょうど部屋の中が薄いカーテン越しによく見える。


 しばらく眺めていると、なにやら独り言を言っているのがわかった。内容が気になったので、窓に触手のように伸ばした体をくっ付ける。そのまま糸電話の要領で話を聞く。

 聞き耳を立てていると、見えているなら返事をしろだとか、四六時中監視しているわけではないのかだとか、俺の脅しが効きすぎて精神的に不安定になっているのがわかった。

 見えているのならば出て来い、出てこなければ正体をばらすなどとも言っているので、放っておける状態でもなさそうなのが困る。


 しばらく監視していたら、上着を羽織って部屋から出たので誰かに俺のことをばらしに行ったのかと本気であせったが、ただトイレに行っただけのようだった。

 どうしたものかと考えた末に、俺は窓の隙間から中に入り込むことにした。

 今回の侵入では韋駄天の能力もあるから、逃げる時の魔力残量は気にしなくてもいい。

 自然回復だけで馬よりも速く走れるのだから誰も追いつけないだろう。


 時間をかけて部屋の中に入り、タオルを取り出して体を拭いた。

 ベッドに腰かけてヘンリエッタが戻ってくるのを待つが、いきなり目の前に現れたら、さらに精神状態を悪化させそうなのが困りどころだ。

 叫び声でも上げられたらたまらないので、出会い頭に口を押さえる必要がありそうな気もする。


 そんなことを考えているうちにヘンリエッタの戻ってくる気配があった。

 考えがまとまっていなかったから、焦ってドアの前に立ったが、それだとインパクトが強すぎるなと思い直す。

 しかし気配はもうドアの前にいるので今更どうにもならない。

 仕方なく、俺はドアを開けたヘンリエッタの驚愕の表情を無視して口を押えた。

 しばらく見つめ合っていたが、別に俺から話すこともなかったなと思い手を離した。


「な、なにしに現れた……」

「いいか、叫ぶなよ。なにしにも何もお前が俺を呼んだんだろ」

「お前は魔族なのか」

「いや、魔族なんて見たこともない」


 魔族について話だけは聞いている。寿命にして500年くらいは普通に生きるが、それを超えると破壊衝動が抑えきれなくなり、気が狂いだして目についた生き物をなんでも殺すようになるという種族だ。

 最初の500年は普通の人間と変わらない考え方をしているという。長く生きた魔族は、戦において一人で勝敗を動かすほどの力を持つことにもなるが、そうなる前に他の種族により殺されるのが一般的だ。

 当然、迫害が厳しく、この大陸にはいないだろうと、龍の城にいた貴族は言っていた。


「その若さでそれほどの魔法を使えるわけがない。身のこなしを考えても不自然すぎる。もし魔族であるならば秘密は守れなくなるぞ。この国にとって害が大きすぎる」

「ただの魔法だよ。魔族ってのは、こんな人間にしか見えない見た目をしているのか」

「さあな。私だって見たことはないが、体に赤い鬼脈が走っていると聞いたことがある」


 ならしょうがないと、俺は上半身を脱いでみせてやる。

 なんの能力も発動していなければ、俺の体は人間と変わらない。


「お前が幻を見せる魔法の類を使わないという保証もない」

「疑り深いな。命を救ってやったんだぞ」

「恩がなければ賊の首などとっくにはねている」

「お前には無理だよ」

「ここには私の部下がいるのだぞ。それを呼ばれても困らないのかな」

「面白半分に部下を殺したいならやってみればいいだろ」


 こんな狭い屋内では同時に攻撃することもできないから、戦闘力の高い俺の方に有利が付くはずだ。あくまで同時に戦わなければ俺の方が圧倒的に上なのだ。

 またしばらく睨み合うことになった。

 話が平行線でまったく進まない。

 これなら姿などみせないほうがよかっただろうか。


「本当に魔族ではないのだな」

「何度も言わせるな。違うよ」

「その力はどこで手に入れた」

「山に篭って修行したんだ。滝に打たれたりしてな」

「馬鹿馬鹿しい、そんな嘘で騙せると思ってるのか」


 俺の適当な言い分に、ヘンリエッタは青筋を立てて怒り始めた。

 だんだん人となりがわかってきたが、真面目で融通が利かないというかなりめんどくさい性格をしている。


「話をもうちょっとシンプルにしよう。俺はあんたの命を助けるために、見せたくない力を使うことになっちまったんだ。そのことに感謝して、俺の秘密を誰にも話さなけりゃいいだけだろ。このベルトワール家に危害が及ばなきゃ、あんたはそれで構わないはずだ。俺はここの領主なんかに何も興味がないんだよ。お互いに、この間のことは忘れようぜ」


「忍び込んでおいて、よくそんなことが言えるな。監視をやめてもらえるのなら、お前の提案を聞き入れてもいいだろう。お前のせいで食べ物もろくに喉を通らない」


 もちろん俺は監視などしていない。そう思わせているだけだ。

 監視を続けると言えばさらに追い込むことになるし、監視をやめると言えばのびのびと俺を討伐する算段を立て始めるかもしれない。

 もうちょっと探りを入れておきたいところだ。


「あんたはここに住んでるのか」

「まさか。私はこの家の人間ではない。警護するために泊まり込んでいるだけだ。この家にはあまり興味を持たないほうがいい。私の気が変わるぞ」

「善良な俺が何をするってんだよ。人助けが趣味で、疑り深い馬鹿なあんたを生かしておいてやってる程のお人良しだぞ」

「ふ、頭も働くし、恐ろしい力を持っているからな。あの速度で動きながら魔法でも使われたらと考えたら背筋が凍るようだ。どうだ、この家に雇われてみる気はないか。報酬なら思いのままにできるぞ」

「考えとくよ」


 いいかげん長居し過ぎたと考えて、俺はそこで話を打ち切ることにした。

 俺は窓を開けて、屋根からせり出した梁に地蜘蛛の糸をつける。

 窓枠に足を乗せたところで、もうちょっとかっこいい立ち去り方をした方がいいだろうかという考えが頭をよぎった。


 今日は魔力を使っていないからフルで残っている。

 コウモリを作る練習も陰ながらやっているので、とくに難しいこともない。装備も置いてきているから、コウモリになったところで落としてしまう心配もない。

 そこまで考えて、これ以上ヘンリエッタを脅かすと面倒なことになるかもしれないと思い直した。


「まずい。人が来た。早く行け!」


 俺はヘンリエッタに押されて、窓枠から落ちそうになる。

 そこでバランスを崩した俺は焦って、考えていたことを行動に移した。

 無数のコウモリに体を分けて夜空に飛び立ち、塀を越えたところでもう一度集まって人の姿に戻る。これだけで魔力を180も消費していた。

 霧化してその場にとどまるほうがまだ消費が少なくて済むが、風でも吹くと体が飛ばされて、そのぶんを埋めるために大きく魔力を消費する。


 ヘンリエッタの部屋を見上げると、青い顔をした彼女がこちらを見ていた。

 失敗したかなと思いながら、俺は夜の街を歩いた。

 大きな都市だけあって、カジノがある歓楽街には魔法の灯火がともってにぎやかだった。

 娼婦による客引きやら、喧騒が聞こえる酒場など、薄暗くなったらすべての灯が消えてしまうブノワの治める街など比べ物にならない。


 宿に帰ったら幾分やつれた顔のクリントに捕まって、しばらく愚痴を聞かされた。

 かなり買い叩かれるような値段を提示されたのか、大いに荒れている。クリントの商売が終わるのももう少し時間がかかりそうだ。

 アタシはこんなことじゃへこたれないわよ、紫に輝くウツボカズラの異名は伊達じゃないのよと酒瓶を煽っている。


 毒々しい食虫植物の名で呼ばれているのは、龍の城で耳にしていたので知っていた。

 興味を持つな近寄るなという意味で付けられた異名だとは本人も知らないらしい。

 その後はクリントが取ってくれた広い部屋で優雅に過ごしてから寝た。





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