32:鼠
「モチヅキ、来ませんね」
「……そうですね…………」
下水の迷宮から少しだけ離れた場所。
三人は、かれこれ十数分程望月の到着を待っていた。
「ゲートの使い方がわからなかった、とかですかね?」
「私たちが入るのを見ていましたし、さすがに悠一郎さんはそれで方法がわからないなんて言い出すほど愚鈍でもないと思うのですが……」
「じゃあなんだ、トラブルか」
「そうなるでしょうね。ポイントの浪費にはなりますが、私が一度戻って確認してきます。『ジェネリック・リコール』」
自分の手の甲の刻印を見ながらそう唱えたあと、伊丹の肉体は突然にその場から消失した。
「リコールの消費ポイントって確かバカ高かったよな。そんな切羽詰まってんのか?」
「もうちょっと待ってもよさそうですけどね。期限にも余裕がありますし」
「惚れた男には弱いとか、そんなとこか」
「……え、もしかしてですけど、イタミがモチヅキに惚れてるって言ってます? ありえなくないですか? あのイタミですよ? むしろ恋愛感情とかカケラも持ち合わせてなさそうじゃないですか」
イヴは顔を引きつらせながら反論していた。余程信じられない発言だったらしい。
「いやいや、伊丹はあれで結構女の子してると思うぜ。ツンケンした態度取ってるが、内心────」
「内心、なんですか?」
下品な笑みを浮かべた平野の後ろにはいつの間にか千紗が立っていた。
「……お、お早いお帰りで」
伊丹ははあ、と溜め息を吐いた。
「……まあいいでしょう。近くにいた人に聞いたんですけど、どうも悠一郎さんはしっかりとゲートから転送されていたらしいです」
「ってことは」
「転送時のトラブル……座標がずれた、とかでしょうね。そんなの聞いたことありませんけど……。それで、社長と連絡を取りたいんですけど、私はこれ以上ポイントを使いたくないので白魔道士がやってくれませんか? あなたポイント余ってるでしょう?」
「余っているわけではありませんが……」
「あー、いい、私が連絡してやる。望月くんの座標を聞きたいんだろ?」
イヴが渋っていたところに平野が割って入る。
「助かります」
「今日に限っては同じチームだからな、助け合いってやつだ。覚えておけよ、白魔道士」
「……うう、わかりましたよ、次何かあったら私がポイントを出します。……本当に必要ならですけどね!」
イヴは余程ポイントとやらを使いたくないらしかった。
「というか、最初から社長に聞いておけばよかったですね……勿体ないことをしました」
「イタミらしくもないですね……まさか本当に」
「本当に、何ですか?」
伊丹がこれ以上ないというほどに冷たい視線でイヴを射抜く。
「い、いえっ、なんでもありませんよっ!」
「────ええ、そうです、望月悠一郎の位置を────わかりました」
手の甲の刻印に向かって話しかけていた平野が伊丹の方を向いて口を開く。
「どうも既に下水の迷宮の中に入っているらしい」
「……最悪ですね」
「まあ望月くんならどうにかなるだろ。お前と同じ改造人間なんだろ?」
「そう、ですけど……」
「イタミと同じくらい強いなら何も心配いらないじゃないですか。何を不安そうにしているんです?」
伊丹は顎に曲げた人差し指を当てながら首を傾げ、難しそうな表情を続けている。
「……彼、一ヶ月間ずっと聖域の中で眠っていたんです」
「はぁ?」
平野とイヴは伊丹の言葉に目を見開いた。
「一ヶ月ずっとって、それはもう、ほとんど一般人になってるんじゃないですか?」
「まあ元の力がかなりのものなので、さすがに普通の人間よりは強靭でしょうけど……この迷宮に一人という状況はかなり危険だと思います」
「……ええと、イタミ、私たちはもうぐだぐだ喋っている場合ではないのでは? 時間の流れが違いますから、ダンジョンの中では既にかなりの時間が経っているはずですよ?」
「……急ぐぞ!」
叫ぶ平野に続き、伊丹とイヴも、下水の迷宮の入り口らしいマンホールの中へと入っていった。
◯◯◯
辺りは暗く、下水道内部のような構造が目に入る。
恐らくここは既に下水の迷宮内部だ。
「千紗ちゃーん」
声を上げてみるが、返事がない。
彼女らが入ってすぐに後を追ったはずなのだが。
「イヴー」
千紗ちゃんを呼んで反応がなかったらイヴを呼んだところで同じだろうという予測はついていたが、一応呼んでみる。
「平野さーん」
一応、だ。
しかしというかやはりというか、いずれにも声が返ってくることはなかった。
まずい。
こうなった理由はわからないが、これはつまり、僕は今現在この下水道のような魔境に一人ぼっちだということだ。
人並みよりは力があるだろうが……一ヶ月前と比較すれば、赤子程度のものでしかない。
今こうしている間にも力の回復が続いているはずではある。しかしそれはかなり緩やかで、元に戻るまでに聖域にいた時間と同じだけ────丸一ヶ月かかったとしても不思議ではないというほどに遅い。
「だ、れ、か、いませんかー」
半ば諦めつつもダメ元で叫んでいると、通路の奥の方で物音がした。
バキ、という、木が折れるような音だ。
「お、いるじゃないですか! いやあよかった、一人で放り出されて困っていたんですよ。僕は佐藤マイケル、あなたは────」
言いつつ、その出方を伺っていたのだが、微かな明かりに照らされたその姿は人間のそれではなく────キャリーバッグほどのサイズがある巨大ネズミのものだった。
「────人間じゃないらしいですね、どうやら」
こちらの姿を確認した巨大ネズミは、赤い眼を光らせて走ってきた。
僕は汚水の流れる水路を挟んで反対側に立っていたのだが、ネズミは体が汚れることなど厭わずにバチャバチャと横切ってくる。
「これを相手にするのかっ、最悪だっ、色々と!」
僕が身構えていると、ある程度まで近付いてきたネズミは唐突に跳躍した。僕の頭より高い位置への大ジャンプだ。
そのまま僕に降りかかってきたネズミを僕は右足の先で蹴り飛ばした。
内臓を潰した生々しい感覚が革靴越しに伝わってきて、ネズミはそのまま汚水の中へ吹き飛んでいった。
靴にはネズミが纏っていた汚水が付着し、蹴飛ばした時に撒き散らされたものが服にも付着している。
襲撃を凌ぎはしたが、最悪の気分だ。
「お前」
背後から男の声がする。
高圧的には聞こえるが、あまり敵意のようなものは含まれていないように感じられる声だ。
ここは友好的な対処でいこう。
「ヒトだ! よかった、こんな場所に僕一人だったので不安で不安で────」
「後にしろ。あのネズミは……殴られると、増える」
「は?」
汚水のほうを見ると、六つの赤い瞳がこちらを見据えていた。
3倍に増えている。
要するに打撃をエネルギーとして吸収してしまう眷属なのだろう。
殴っても殴っても状況は悪化するばかり。と、いうことはつまり……僕にできることは、ない。
「逃げます! さよなら!」
「待て。別に無敵ってわけじゃない。例えば────」
男はそう言いつつ、手を横一線に振り抜く。
同時、轟音とともに爆炎の壁がネズミの足元から立ち上がった。
何の前触れもなく、突然の発火だ。
この男がこの超常現象を引き起こしたのだろうか。
ネズミは完全に灰と化している。
「熱で変性させてしまう、とかな。これなら増えない」
随分と簡単に言ってくれるが、大抵の人間は炎を操れない。
「……燃やせない場合は?」
「知らん。何かあるだろ、多分……。刃物とかでもいけるんじゃないか? 打撃で増えるってだけだからな」
こいつもどうやら巨大ネズミについて詳しいわけではないらしい。まあ焼いて済むならそれ以上調べる必要もないのか。
焼却による対処は、同時に汚水も蒸発し、あたりにとんでもない悪臭が充満してしまっている事を除けば完璧である。
「……とにかく助かりました、ありがとうございます。僕の名前は佐藤マイケル、この迷宮の探索に来ました。あなたは?」
諸々の事情をぼやかしつつ、相手から情報を引き出す。
「甕速日神」
……何語だ?
「……すみません、なんて言いました?」
「ミカハヤヒノカミ、だ。生まれた時に貰った名ではないのだが……村の奴らからそう呼ばれている」
「はあ、なるほど……」
どういう事情だ。
カミ、と言うからには、恐らく神という字を書くのだろう。この目の前の若い男が村人から神として崇められているなどとはなかなか想像がつかない。
とはいえ、普通ならあのような……パイロキネシスさながらの奇跡を見せられては、神だと言われても納得せざるを得ないか。地毛かどうかは知らないが、赤黒い髪色も合わさって説得力がある。
「さっきみたいに炎を操れるから神様と呼ばれるようになった、ってことですか?」
「いや、ああいうことができるようになったのは一ヶ月前からだ。呼び名云々についてはあまり話したくはないな……そこまで嫌な記憶というわけでもないが、少々長くなる」
ふう、と息を吐いてこちらを見据える。
「それよりもお前だ。探索と言ったが、どうやってここまで来た? 村では見ない顔だし、この状況で本土からここまでやって来られるとも思えない」
どうやら下水の迷宮は随分と遠くにあったらしい。
といっても、そもそも結社ビルがどこにあるのかも僕は知らないわけだが。栞ちゃんの魔法によって移動してきたので、正確な位置を全く把握していないのだ。この男の言い分からしてこの下水の迷宮は離島にあるようだが、結社ビルもどこかの島に建っていたとしても不思議ではない。
この質問は嘘で誤魔化せる内容でもない。正直に答えてしまうのが無難だろう。
あくまで友好的に、だ。
千紗ちゃん達と離れてしまった今、頼れるのはこいつだけなのだ。
「別の場所から転移してきたんですよ。どういう技術か知りませんけど」
「転移?」
「ええ。こう、鳥居みたいなものに手の甲を翳して、気がついたらここにいたっていう状況です」
ジェスチャーを交えながら喜劇的に話す。
ピエロにでもなった気分だ。そもそもこの接し方で本当に友好度が上がるかというと微妙な気がする。
男は僕の手の甲を凝視していた。
「……変わった刺青だな」
「結社所属の傭兵は皆こうなっているみたいですよ」
「結社?」
こいつは結社を知らないようだった。
余計なことを口走ってしまっただろうか。
「僕が働いている会社です。社員はみんないい人達ですよ」
さすがに変だろうか。
これについては別に嘘を言っているわけでもないはずだが。
「会社? この状態の世界でか?」
「ええ」
「……ふむ」
男は考え込む動作を見せる。
「……まあいい。折角だ、守ってやる代わりに俺に協力してもらうぞ、佐藤。お前一人ではネズミすら倒せないらしいからな、ギブアンドテイクというやつだ」
「すごくありがたい話ですけど……僕が提供できるものなんて何もありませんよ?」
ギブアンドテイクは成り立たない。
話し相手くらいにはなれるだろうが。
男は息をもう一つ吐いた。
「……あのネズミはああ見えてかなりの質量がある。おそらく乗用車並だ。軽々と蹴り飛ばすのは普通の人間に出来ることじゃない」
「……あいつ、そんなに重かったんですね」
全然気が付かなかった。
僕の力も実は結構回復しているのだろうか。
「お前の怪力が必要になる場所がある。俺一人ではどうしても解決できなかったので、別の糸口を探そうとしていたところだったんだ。本当にいいところに来てくれた」
「そういうことならいくらでも協力しますよ。……あなたのことは、なんて呼べばいいですかね? ミカハヤヒ様、とか? ミカハヤヒノカミ様だとちょっと呼ぶには長すぎると思うんですが」
「何でもいい、好きに呼んでくれ」
「じゃあミカハヤさんで」
「…………まあ、いいだろう。ついてこい」
あまり納得していなそうな声を出してから、ミカハヤは先へ歩き出した。
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