22:推論
「はい、君の父親」
高良家に着いた僕は、担いだ中年男性を雑に床に放り投げた。
「……ッ!お父さん!」
浅葱ちゃんが駆け寄る。
宗教にどっぷり浸かった泥棒親父であるはずだが、娘から愛されてはいるらしい。羨ましい限りだ。
浅葱ちゃんの不安を煽るのもなんなので、この親父のしでかしたことは言わないでおくことにしよう。
裁きとはある面では罪人自身の救済のために行われるものであり、こいつにそんなことをしてやるような義理もない。
もっとも彼の場合はおそらく確信犯であり、罪の意識など欠片もないのかもしれないが。
「待っててね……今救急車呼ぶからね……!」
そう言って、浅葱ちゃんは懐からスマートフォンを取り出した。
中学生か、下手したら小学生にも見えるのだが、既にスマートフォンを与えられているらしい。時代の流れというものなのだろうか。
まあ栞ちゃんという前例もあることだし、この見た目で高校生ということもあり得なくはない。
「本当にありがとうございました……! なんとお礼を言えばいいのか……」
「気持ちは充分伝わってるから大丈夫だよ」
連絡を終えた浅葱ちゃんが目尻に涙を溜めながらこちらに感謝してきたので、できる限り言葉を選んで返答しておく。
中々に感情の豊かな子だ。
僕では例え親の死に目に立ち会ったとしても涙を流せるかどうか分からない。
親に思い入れがないという話ではなく、感情と肉体の呼応の話だ。親への感謝と親愛は寧ろ人並みより大きい方であると思う。
辛い目に遭って泣きそうだなどと思うことはあっても、ここ数年、あるいは十数年、一度も実際に泣いたことがないはずだ。
激情というものにもまた覚えがない。
例の蛆を見た時には多少揺さぶられたが、そう呼ぶほどのものでもなかっただろう。
多少の動きこそあれ、ここしばらくの僕の感情は一定のレベルで安定しており、それでも尚僕を突き動かす心の動きというのはせいぜいが性衝動か破壊衝動くらいのものだ。
まあそのあたりを心と呼ぶのかどうかは意見の分かれるところであるだろうし、そもそも今は指輪のせいで性衝動すらも抑制されているのだが。
「そういえばユウって小さい頃すごい泣き虫だったよね。事あるごとに泣いて、その度に慰められて」
「そうだったっけ……」
あまり記憶にないのだが、どうやら僕も以前はそのあたり人並み以上に過敏に反応していたらしい。
自分の知らない自分のことを語られるというのは奇妙な感覚を伴う。
僕も昔のカルのことを何か思い出そうとしてみたが、今とあまり変わりがないような気がする。
昔から大人びていたのか、子供のころの精神のまま成長がないのか。後者であるなら大分残念な感じだ。
まあ会話していてそこまで違和感を感じることもないので、おそらくは前者なのだろう。女の子の方が精神面での成長が早いとも聞く。
「まあやる事はやったし、僕らはこれでお暇しようかな。カル、行こう」
まさに被虐の後といった状態の浅葱ちゃんをこれ以上見ていると、危険な性癖が目覚めかねない。
「カル?」
返事がないのでカルの方を向き、問いかける。
呆けているような様子でもない。
むしろその眼光は力強く、前方、浅葱父の頭のあたりを捉えていた。
直後、部屋の窓ガラスが割れ、その破壊の音が耳に入るよりも早く、驚いた僕の時間感覚が引き伸ばされる。
ここが単なる民家であるにもかかわらずスキル使用時のような現象が起きたことについてはとりあえず置いておき、目の前で起きている事を知覚する。
割れた窓のあたり、浅葱父の頭に向かって飛ぶ弾丸が見えた。
ゆっくりと流れる時間の中においてもその弾は速い。
弾丸自体がとんでもない高速というわけではなく、他の場所で僕の能力を行使した時と比較すると効果が薄く、時間の流れが速いようだ。
そして恐らく、身体は強化されてない。
動かそうとはしているのだが、あまりにも肉体のレスポンスが遅すぎる。今の僕ではこの位置からあの弾丸を防ぐことは不可能だろう。
弾丸を視認できたところで、今の僕にはカルに祈る以外に為す術が無い。
まるでモラルのない考えになるが、死んだところで僕としてはそこまで悲しむ相手でもないというのがせめてもの救いだろうか。
すぐに弾丸は空中で静止した。
祈りが通じた、というよりは最初からそのつもりで構えていたのだろうが、カルのサイコキネシスで止める事が出来たらしい。
詳しい発動条件を聞いていないが、おそらくは対象を視認することで発動可能になる力なのだと思われる。
もしかしたら条件などは存在しないのかもしれないが、発動の度に行使の対象に焦点を合わせようとしていたはずだ。
つまりカルはこのような事態が起こることを予見してここに留まっていたわけだ。それを可能にする力があるとも聞いている。
「この人が撃ち抜かれる光景がたまたま視えたからなんとかなったけど……そうじゃなかったら私でも止められてないよ、これ」
やはり、
カルの能力の行使に条件があるのか、単に反応するより早く浅葱父に命中しているだろうという話なのか、その言葉からは判断できない。あとで聞いておくことにしよう。
「これ、さっきの人達の能力だよね」
眉を顰めて、カルが僕に問いかける。
「そうだろうね。取り返すのは無理でもせめて殺してはおこう、ってことだろう」
彼らの持つらしい事象観測機によれば、浅葱父はUSBメモリを直接教祖様に渡すつもりであり、殺してさえしまえばそれが誰の手にも渡らずに終わる可能性は高いだろう。
あの尋問は万が一の事態を嫌って念の為に行っていたものに過ぎなかった、という話だ。
今の一連の流れで、さしあたって二つの疑問が生まれた。
一つ、細身の拳銃男、ヒラノの能力に関して。
割れた窓の外を覗いてみると、すぐ近くの家の壁が窓からの光景のほとんどを占めていた。
とても射線が通りそうな様子ではなく、それだけであの弾丸がありえない軌道を通って飛んできた事がわかる。
それ以前に、確かに僕は彼らを殴り、気絶させてからこちらへ来たはずである。そう簡単に気がつくとも思えないし、銃だって使い物にならないはずだ。
着弾予約、などと言うと歪な言葉に聞こえるが、とにかくヒラノの弾丸は外れないというだけでなく、あらかじめ撃っておいた弾を後程着弾させるというようなことまで実現できる可能性がある。
あるいは似た能力を持った別人が存在するかというところだが、彼らが語っていた半覚醒者の希少性からして、弾丸の軌道操作などという能力が被るようなことはそう起きないのではないだろうか。
そして僕にとって、弾丸があの空間を出てもその特異性を失わず対象を追い続けるという事実が予想外のものだった。
わざわざあのダンジョン内のような環境を用意していたことから、半覚醒者と自称する彼らの異能はあの空間内においてのみ機能するものだという推測を立てていたのだが、それが見事に裏切られてしまった。
発動が空間内でなければならず、能力自体は外にも影響するというものであるのかもしれないが、どちらにせよこのようにして空間外の人間を狙えるわけだ。
射撃対象の選択方法が懸念だ。
仮に記憶にある人物全てを対象に取れるのだとしたら、カルは自衛できるとしても、僕はいとも容易く殺されてしまうだろう。
カルのサイコキネシスよろしく、発射時に対象を視界に捉えなければ発動できないものであると願うしかない。
考えて結論が出るわけでもなく、自衛手段も思い付かないので、これについてはもう忘れてしまうことにする。
もう一つ、僕の能力に関して。
効果こそ抑えられていたが、先程窓が割れた時に発動したのは間違いなくダンジョンで獲得したアクティブスキル、クロックアップだ。
エリアは確かに、『パッシブスキルのみが現実で機能するようにした』という旨の言葉を紡いだ。
いくつか推論が立てられる。
単純にエリアが嘘を吐いていた可能性。
他の異能に影響されて、一時的に使用可能になっていた可能性。
度重なる行使によって、僕の脳が適応し、スキル無しでもそのような現象を引き起こせるようになった可能性。
ここが先程の場所のような特殊な空間になっている可能性。これは隣にいるカルの瞳が綺麗な空色をしていることからまず無いと考えていいだろう。
思うところがあるので、エリアが嘘を吐いている可能性について掘り下げる。
嘘を吐いている、と言っても、どこが嘘で何が真実なのかという事についてはいくらでもパターンが考えられるだろう。
これまでの経験と感覚から僕が予測している正解は、そもそもアクティブスキルとパッシブスキルという区分が本来存在しない、エリアによって誘導された僕らの思い込みであるというものだ。
エリアは意識、信仰、制約などといった言葉を好んで使っていた。
スキルの行使、もといエーテルとやらの使用が、思考の力が重要になってくるようなものであるのは間違い無いだろう。
現実においてはエーテルの影響が弱くなるということ、異能の行使には制約が重要であるというようなことも言っていたはずだ。
嘘を吐いた理由は、これで説明がついてしまう。
僕達を騙すことで、無意識のうちに、アクティブスキルを使用できないという制約をかけさせ、現実においても『スキル』とエリアが定義した能力の一部が使えるようになるだけの出力を用意できるようにしたのだ。
本来そのような能力は曖昧でアナログなものであるはずなのに、彼女は用意したシステムと自身の言葉によって、明確に区分されていると僕達に思い込ませた。
それによって僕達は自らの身を守ることができるようになった。
つまりエリアによる、慈愛からの嘘。
恩寵たる神の教え。
最初にエリアへの信頼がなければ辿り着けない結論であるだろうか。
僕がエリアを愛しているために導いてしまった歪な推論だろうか。
否。
そうではないはずだ。
僕はエリアを愛してなどいないはずだ。
だからこれは自然な帰結として僕の中に現れた。
エリアの愛の形でありそれを導いた僕の愛の形なのだ。
指輪によって自我が揺らいできているのか?
そんなことはないはずだ。
僕の自我は僕の自我でしかない。
誰かに操られるようなものではない。
この感情は嘘ではないのだろう。
つまり僕は
「ユウ?」
カルの声がする。
「何かな?」
「いや、急に難しい顔して黙り込んじゃったから、何考えてるのかなって」
「ん……ああ、いや、拳銃男のことについて考えててね。本来なら間違いなく殺せているであろう攻撃を防いだわけだから、もう僕らがこの人についてなくても大丈夫じゃないかな。必殺の攻撃を放った後で二の矢が飛んでくることはないだろう」
飛んできてもおかしくはない、が、これ以上付き合うのは色々と厳しい部分がある。そういうことにしておこう。
「そうなの、かな? まあ色々やってちょっと疲れちゃったし、正直これ以上守れって言われても厳しいんだよね。見殺しにしようなんて気はないけど」
カルも僕と同じように考えており、そしてカルの倫理観は僕のそれより本質がしっかりしているらしい。
「カルは偉いね。まあ、今日はもう帰ろう。僕らがいることで逆に被害が増えるかもしれない」
薄い可能性ではあるが、あり得ない話ではないだろう。
ここを立ち去るための理由としては十分だ。
「そっか……じゃあね、浅葱ちゃん。元気でね」
どこか名残惜しそうに別れを告げるカル。
「……っ、はい……本当にありがとうございました……!」
カルが弾丸を止めたあたりから半ば放心状態であった浅葱ちゃんが、心を取り戻したかのような反応をする。
礼儀正しいことは間違いないのだろうが、とりあえずでお礼を言っているように感じなくもない。捻くれた見方だろうか。
「まあ、また何か大変なことになったら連絡してくれ。君の名前は覚えておく」
「はい!」
元気のいい返事だ。ここで反射的に僕にお礼を言わないあたり、ちゃんと考えて言っているとしていいだろう。僕が捻くれていただけであった。
玄関を出て、周囲を確認してから顔の包帯を剥がす。
ガラスが割れた音が響いていたはずだが、野次馬が集まってくるような様子はない。まあ皿が割れた程度の音に聞こえなくもないだろうか。
「人助けをした後は気分がいいね」
「そうだね」
僕の独り言じみた呟きにもカルは相槌を打ってくれる。
僕の感じる気分の良さとカルのそれはかなり異なるものである気がするが、それはそれとして可愛い女の子が僕の言葉に相槌を入れてくれるというだけで更に気分がよくなる。
キャバクラにのめり込む人間はこういう感覚を求めているのだろうか。
並んで駅の方へ歩いていき、改札を通り、ホームで軽く雑談をし、電車へと乗り込み、そのまま何事もなく別れる。
家に辿り着いた僕は、シャワーを浴び、歯を磨くとすぐに泥のように眠った。
何か白っぽい夢を見た気がするが、目を覚ました時にはほとんど覚えていなかった。
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