4:運

 第二階層に辿り着くとすぐ目の前に次の下り階段があった。

 迷うことなく僕はそれを下っていく。

 さよなら第二階層。



「……いいんですか?さっき言ってた、えっと、アイテム回収とか経験値稼ぎとかしなくて」


 千沙ちゃんが言ったような事を実行するのも考えていたが、諸々の考えがあり、同時に極力急いで先に進むことも考えていた。


「ああ、大丈夫だと思うよ。ここをデザインしたやつは相当緩めの難易度設定にしてる。階層ひとつ飛ばしてもなんら問題はないはずだ」


 アルケミストとかいう地雷ジョブは置いておくとして、僕の選択ビルドはどう考えても過剰戦力だった。まあビルドによるものなのか素質によるものなのかはわからないのだが。

 階段ひとつ降りたくらいで覆るものでもないだろう。


「どちらかというと僕らが危惧すべきなのは食糧問題だ。僕はゴブリンの尿が引っかかってそうな苔を齧るような真似もゴブリンの糞が混じっていそうな水溜りの水を啜るなんてことも、絶対にやりたくない。絶対にだ。それを避けるためには極力短い時間でここを抜けるしかない」


 ゴブリンの放つ悪臭は尋常のそれではなかった。

 変な例えになるが宇宙の外側から引っ張ってきたかのような悪辣で下品な臭いだ。

 この言葉をそのまま千沙ちゃんに伝えてもすぐに同意を得られるだろう。

 そんな生き物の糞尿から放たれる臭気なんて想像したくもない。


「……想像しただけで気持ち悪くなってきました……」


 想像させてしまった。

 もう少し言葉を選ぶべきだっただろうか。


「でも千沙ちゃん、僕の側でも鼻つままなくなったよね。もう臭いが取れたのかな?だとするなら素晴らしいことだ、すぐに消えるものだというのならまだ救いようがある」


「まあ、私の鼻もおかしくなったってだけでしょうね……」


 あまり続けたくない話題だ。

 僕がきっかけを作ったことが一つの原因ではあるが罰を受けるべきはこのやたらと長い階段だろう、もう何十段降りたかわからない。

 誰がこんな僕を陥れるような設計をしたのかはわからないが、存在するであろうここのダンジョンボスは徹底的に痛めつけることにした。

 泣いたり笑ったり出来なくしてやる所存だ。



 第三階層に到達した。第一階層とは大分趣が異なっている。


 あそこを鍾乳洞だと表現するならここは廃ビルのようなつくりになっていた。

 光源も松明から蛍光灯へと変化している。


「着きましたね。廃ビルですか……物陰が多くてちょっと不安ですね」


「確かに不意打ちが怖いね。でもまあ、千沙ちゃんが敵の毒牙にかかるよりも早く僕が殴り飛ばすよ。僕のバーサーカーは当たりクラスみたいな雰囲気もあるしね、何が出てこようが蹂躪してやる」


「そう、ですね……」


 反応が芳しくない。怒らせたか?

 いや、自分が戦力になれないことを重く捉えてしまっているのかもしれない。

 そろそろ外れクラスを引かされたことに気付いて内心煮えたぎっているかもしれない。


 3Lvになった僕は並のプロレスラー数名を一瞬で葬れそうなほどの力を持っているが、彼女が戦闘中にしているここといえば虚ろな目で火打ち石を鳴らすことぐらいだ。

 正直ここまでのものだとは思っていなかった、許してほしい。

 僕だったらとっくにキレて裸で土下座しろやって叫んでるだろう。

 改めて言うまでもないことだろうけど、それにかこつけて裸が見たいだけだ。


 ピンク色の妄想から意識を切り替えた。

 僕が今新たに最優先事項としたのは調合材料の確保だ。

 根がいい子なんだろう、やはり千沙ちゃんにとって自分が何もできないということが精神的な負担になっているように思える。

 押し付けてしまった以上は僕が責任を取らねばなるまい。



 ◯◯◯



「蛍光灯が取り外せるみたいだね、石か松明と調合してみようか」


「わかりました」


 そう言って、佐藤とともに蛍光灯を外して回る。

 肩車してもらうかたちになり少々どころではなく恥ずかしいのだが背に腹は代えられない。

 集めてきた蛍光灯をインベントリに収め、調合を開始した。

 あまり期待してはいなかったが、今回は思ったよりもまともなものが生み出されていた。


「フラスコと火炎瓶、ですね。フラスコは液体をアイテムとして回収するのに利用できそうですね」


「いいね。水はあらゆる調合の基本だ、僕の知る限りではそうだった。僕の攻撃手段が打撃だけってところを補う火炎瓶も悪くない。さて、階段を探そうか」


 言って、扉の方を向き、歩き出す。

 どういうわけなのか自分達が降りてきたはずの階段は消えていて、ここから確認できるのはコンクリートの壁、柱、そして鉄製の扉のみだ。

 焦燥感こそあれ、佐藤からはゴブリンと遭遇するより前のような警戒心は感じられなくなっていた。ここで得た能力を余程信頼しているようだ。



「開けるよ、────っ! なんだこれ!」


 扉の前に辿り着いた佐藤が戸を引いた瞬間、中から蠢くものが数多く飛び出してきた。


「モンスターハウスかよ!配置偏らせすぎだろ、今まで出てきたのゴブリン3体だぞ!」


 もぞもぞと蠢いているのは80cmほどの大きさのタコの姿をしているものと、50cmほどの蜘蛛の姿をしているものだった。

 蜘蛛型は素早く、扉から距離を取っていた自分のところまで、その蟲としてはあまりに大きな体躯とそれに見合わない速度で這い寄ってくる。

 強い生理的な嫌悪感をおぼえたが、体を傷つけられるより早くその全てが佐藤に叩き潰されていた。

 佐藤は既に潰した蜘蛛の体液にまみれている。


「千沙ちゃん、火炎瓶だ!部屋の中に投げて!」


「は、はいっ!」


 言われて慌ててインベントリから火炎瓶を取り出し、地面に現れたそれを拾って部屋の中に放り込んだ。

 それは部屋の入り口に引っかかっていたタコに触れた瞬間に割れて燃え盛り、部屋を炎で染め上げる。ゴブリンほどのものではなかったが、有機物が焼ける嫌な臭いがしていた。


 部屋から出てきていた分は既に佐藤が潰し尽くしており、20体は下らなかったであろう中のモンスターも炎が消えるころには全て息絶えていた。火炎瓶様々である。



「ふう、ここで終わりかと思ったぜ。なかなかのスリルだったよ」


 少々驕った言葉であるように聞こえなくもないが、実際にこの男がいなければ千沙は(結局一撃も食らわなかったので彼らにどの程度の攻撃能力があったのかはわからないが恐らく)死んでいただろうし、逆に千沙がいなくてもこの男なら一人でどうにでもなっていただろう。


 この男の強さはシステムによる補正があるにしても少々異常であるように思える。

 そもそもクラス未取得の時点であの重そうな棍棒を軽々取り回していたゴブリンを圧倒していたのだ。

 ここにくる前から特殊な人間だったのではないだろうか。


 佐藤は潰した死体を漁っていた。

 蒸発するより早く素材を回収すれば消滅しないのではないかという考えがあったのであろう。

 しかし、化け物の死体から剥ぎ取ったものはインベントリに回収できず、すべて蒸発していった。


「んー、残念。あのゴブリンから棍棒を回収できたのがイレギュラーだったのかな?他のゴブリンを倒した時は一緒に蒸発してたし」


「まあ蜘蛛の足をアイテム化できても何も作れそうにないですけどね……」


「そう?調合すれば毒薬にでもなるんじゃないかなあって考えてたんだけど……部屋の中、何か光ってるね」


 見ると、明かりのなかったはずの部屋で青い光を放つものがあった。

 ドロップアイテム、ということだろうか。このゲームのような状況から考えれば、そういうものがあっても今更不思議でもない。


「お邪魔しまーす……なんだこれ、籠手?あ、アイテム化できるんだ」


 それに近付いた佐藤はそれを持ち上げ、消滅させた。

 インベントリに収めたのであろう。


「『優れた神の籠手』、ねえ……なかなか大仰な名前が付いてるじゃないか」


 名前を確認すると再びそれを取り出し、疑うような目を向けながら手に嵌めた。


「序盤で取れていいアイテムの名前じゃないように思えるんですけど……強いんですか?それ」


 言ってから、序盤という認識が、この世界をローグライクゲームのようなものだと捉えられていなければあり得ないものであるということに気付く。

 決意を固めてからしばらく経つが、いくらでもボロが出てくる。

 演じる事に慣れていないのか、そうでなければ今まで気付く機会がなかっただけで、そもそも自分は少し抜けたところのある人間だったのだろうか。


 蜘蛛やタコの体液に塗れた佐藤は悪臭を放ち見た目にもあまり綺麗ではなかったが、それでもその整った容貌や服の隙間から覗く肌、鎖骨などは異性に耐性の無い自分にとっては非常に目の毒であり、感情を揺さぶられる。

 男に対する嫌悪感はあるが、魅力的な容姿と好意的な姿勢にはどうしても少しは惹かれてしまう。


 誘導して利用するなんて考えを持ってはいたが、こちらが手玉に取られているような感覚さえあった。

 経験が足りなくて意志に行動がついていけていない。


「昔から運だけは良くてね。それにもしかしたらもう終盤なのかもしれないよ?性能はやっぱり表示されないからわからないんだけど……そうだな」


 感触を確かめるように拳を握ったり開いたりした後、佐藤は壁に視線を向けると、軽い動作でそこを殴り抜いた。

 壁は不自然に抉れ、その周囲にも大きなヒビが入っている。


「痛みがない。反動を消してくれるみたいだ。懸念がひとつ消えた、最高の装備だね」


 まるで誂えたかのような武具である。

 ドロップの傾向が討伐者のクラスに左右されたりしているんだろうか。


 ぼーっと子供のように腕を振る佐藤を眺めていると、ファンファーレが鳴り響き、レベルが上がったと知らされた。Lv3から一気にLv5だ。

 モンスターハウス壊滅から経験値の反映までに少々不自然なラグがあるように感じたが、それについては深く考えずにバランスよくステータスを伸ばしておいた。

 スキルは増えない。


 佐藤のほうを見ると、悦に浸っているかのような表情と血走った目を虚空に向け、指先で何かをつつくような仕草を見せていた。

 ステータスを上げている最中だろうか。だとして、なぜあんな感情を発露させているのかがさっぱりわからない。

 狂気さえ感じられる。


 言動に癖こそあるが中身は常識人だと見ていたので少し気を許していた部分もあったのだが、非合法のクスリでも服用したかのような虚ろな目で『力……力だ……』などと呟いているのを見るととても不安になってくる。

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