第65話 幻星獣の呼び声

 日本では八月に入り、熱中症への警戒を促すためにテレビで「危険な暑さ」なる言葉がしきりに飛び交う季節となった頃。

 永久凍結世界の名で呼ばれる異世界バルハリアの氷都市でも、危険な暑さのとある場所から、思わぬメッセージが届けられていた。全く予想外で異例の事態だった。


「星獣って…ただの伝説じゃなかったのね」

「これは大発見ですよ!」


 紋章院の建物内にある、紋章サロン「エトワール」にて。温和な紋章士リーフが珍しく興奮した様子で、オリヒメと話している。


「それにしても、水着コンテストでこんな事になるなんてね」

「ええ、全くです」


 同時刻、星霊石の採掘場にて。


「爆雷符、仕掛け終わりましたよ」


 採石場の最深部で、ポンタが岩盤に夢魔法で具現化した呪符を多数貼り付けていた。ビッグとジュウゾウも一緒で、それぞれ手につるはしを握っていた。


「ポンタさん、大活躍だね!」

「私だってたまには」


 メルが楽しそうに笑う。いつもは弱気で、腰痛が持病のポンタも心なしか得意げだった。先日の訓練での一件以来、メルは何かと三人と一緒にバイトに付き合ったりしていた。彼らのために、巫女の修行も始めると言い出すくらい。


「オレらもきっちり稼いで、早いとこ市民権ゲットしねぇとな!」

「地球に帰れないからといって、悩んでいても始まらんからな」


 三人は急いでいた。早くバイトで都市への貢献実績を確保しないと、遺跡探索に乗り遅れる。まず市民権が無いと、遺跡への立ち入り許可が出ないからだ。


「発破をかけますから、みなさん離れてください!」


 ポンタが周囲に避難を促す。作業員たちは各自距離を取って、岩陰に身を隠した。


「では行きます。臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前…爆破!!」


 陰陽師の装束に身を包んだポンタが指で刀印を結び、格子状に九字を切って呪文を唱える。最後に両手で印を結んで気合いを入れると、すぐに岩陰に走って避難した。


 岩に貼られた呪符がまばゆく光り、ほとばしった閃光が雷電と化して岩盤を粉砕する。その破壊力は、ジュウゾウのマシンガンをも超えていた。

 バルハリアでは、火薬技術が発達していない。それで必要が生じた時は、爆発系の攻撃魔法などで代用している。ポンタには今回のバイトのために、特別に市から採掘場内限定での使用許可が出ていた。


 発破で砕けた岩の前に、続々と作業員が集まってくる。その中にはヘルメット姿のユッフィーやゾーラ、以前から一緒に働いているドヴェルグのじいさんもいた。


「未知の洞窟を掘り当てるなんぞ、ドヴェルグ冥利に尽きるわい」

「ユッフィーちゃん、ワクワクするね!」

「ええ!」


 地底の妖精たちは、三人ともやる気に満ちあふれた様子だ。


「あの星獣からのメッセージがホントなら…この先がヨード卵の洞窟っすか」

揺籃ようらん星窟せいくつですわ、ゾーラ様」


 ゾーラお得意のダジャレにくすくすと微笑みながら、ユッフィーがツッコミを入れる。そしてビッグやジュウゾウたちも加わって、砕けた岩をどける作業に入った。


「なんだ、やたら暑くないか…?」


 つるはしを振るい、岩を運びやすいサイズに砕いているビッグの額から汗が流れた。地下の採掘場は、場所によってはヒンヤリ感じるところもあるくらいなのに。


「サウナみたいっすね」


 ゾーラのタンクトップの胸元にも、丸い輪郭に沿って汗の雫が流れ落ちる。


「例の洞窟から、熱気が漏れ出てるみたいですの」


 ユッフィーも額に汗してつるはしを振るいながら、異変の原因を推測する。予想通り、その日の終わりには…採掘場の最深部から、未知の迷宮に通じる洞窟が発見されたのだった。

 

 時間は少しさかのぼる。


「…という夢を見たんだ」

異世界テレビフリズスキャルヴにも、同様のイメージが送信されてきました。他にも夢魔法の素養がある者や、背中に星獣の紋章が描かれている者たちも、同じ夢を見ています」


 アウロラ神殿でマリスとアウロラが話している。隣ではミハイルがクロノに話しかけていた。


「やあ、君がイーノファミリーの新人さんかい?ぼくもあの夢を見たんだ」

「あんたがミハイルか。地球人は最近来た者も含めて、全員見たことになるな」


 よっぽど構ってちゃんみたいだねと、マリスが笑えば。


「まあまあ、こういう『ボスからの挑戦状』は。受けて立つのがお約束じゃない?」

「私の力不足により、夏のレリーフの扉を開けない現状を打破できるかもしれない情報です。私は異世界テレビフリズスキャルヴの管理者として、このメッセージを氷都市の皆様全てに公開しようと思います」


 ミハイルの言う、RPGのお約束とは別の判断基準で。アウロラは氷都市の全市民と全ての訪問者に向けて、地底からのメッセージを異世界テレビの各端末へ送信し始めた。


 真っ赤に熱せられた溶岩が煮えたぎる、地底の大空洞。陽の光の差し込まない場所で、赤黒く固まった表面に走るひび割れから灼熱の輝きが漏れ出ている。ときどき、魔女の大釜で煮られるスープのようにゴポリと溶岩が泡立つと、そのしぶきから花火のような極彩色の煌きが生まれる。

 これが花火であれば、いずれ消えゆくものだが。色とりどりの煌きは消えるどころかまるで心臓の鼓動のように明滅を繰り返し、徐々に輝きと大きさを増して…様々な動物の姿となっていった。昆虫や魚、その他の生物に、中には人型の特徴を持つ者や想像上の幻獣まで含まれている。


「よもや、永久凍結世界バルハリアにこのような灼熱地獄があるとはの」

「…それよりアリサ様、あれ!」


 紋章院の一室で、リーフたちが唐突に始まった放送に見入っている。


「やっぱりあれって、どう見ても星獣よね。しかも本物が生まれるところ…」

「学術的に極めて貴重な映像です」


 オリヒメの背中に描かれた蜘蛛の星獣も、せわしなく八本の足を動かしていた。リーフはと言えば、まさに少年のように瞳を輝かせて映像を見つめている。


 その時、唐突に人間の言葉で語りかける声がした。男性の低い声だった。


「聞こえているな、地上の者よ」


 画面を見ているクワンダの表情が険しくなる。人語を解する星獣など、見たことも聞いたこともないからだ。


「お前たちが先日、地上で儀式を行い。多くの星獣と絆を結んだのは知っている。そのつながりが我を目覚めさせ、我に人の知恵を授け、我の声を地上へ届けることを可能にした。おかげで、この星が生まれた時よりの宿願を果たすことができる」


 声の主が言う「儀式」が、水着コンテストのことを指しているのは明らかだ。


「名乗るのがまだであったな。そうだな、地球の者から流れ込んできた知識と記憶を我自身の名付けに使わせてもらうぞ」


 そのとき、映像を見ていたユッフィーに緊張が走る。背中に星獣の紋章を描かれた者たちは、本人の知識や記憶を謎の声の主にのぞき見られていたというのか。これは天才紋章士のリーフどころか、紋章院の長ですら知らぬことだった。

 ユッフィーの背中の蝶が、微かに光りながら羽ばたいている。


「我が名は、幻星獣ケルベルス。地底の世界、揺籃ようらん星窟せいくつを守護する者なり」


 アウロラ神殿の、古代ローマの闘技場コロッセオを模したような大スケートリンク。ミキとミハイルがトレーニングの手を止めて、映像に見入っている。


「ケルベルス?」

「地球のギリシャ神話で、冥府の入口を守る地獄の番犬のことさ。ケルベロス、サーベラスとも呼ばれるけどね」


 地球の伝承にあまり明るくないミキに、ミハイルが説明する。いつもはミキがはじまりの地の冒険談をミハイルに語って聞かせているので、二人ともどこか新鮮な印象をおぼえていた。


 ケルベルスが名乗った直後、大空洞が激しく揺れる。溶岩に波紋が広がり、その中心から何か巨大な柱が隆起してくる。


「…あれは!」


 ミキも警戒の色を強めていた。彼女が旅したはじまりの地には、地球人のよく遊ぶRPGに出てくるような巨大生物も多数生息している。しかしそれと比較しても、その柱はケタ違いに大きかった。


 やがて、柱が何本にも枝分かれして大樹になる。岩のようだった表面は樹皮に覆われ、枝には果実が実り黄金色に色付いた。そしてその枝には…否、特に太い三本の枝自体が三匹の大蛇へと姿を変えた。それは樹木の蛇とでも形容すべき姿だった。

 溶岩の海にそびえ立つ世界樹。それは植物のようでありながら炎熱に完全な耐性を有し、しかも一部が蛇と化して動物の特徴も持っている。蛇の口からチロチロと出入りする舌は、炎そのものが形を成したようだった。


「い、犬じゃありませんよ!?」


 ミハイルの説明と異なるケルベルスの姿に、ミキが驚きの声をあげると。


「あっちの方か!誰だい、こんなマニアックなネタを仕込んだ地球人は」


 地底の守護者ではあるが、有名な三つ首の猛犬の姿をしていない。ミハイルは一応大蛇のケルベルスに心当たりがあった。


「昔、ヘルクレス座の『部品』として組み込まれて、使われなくなった幻の星座に『ケルベルス座』ってのがあってね。そっちだと古い資料では、金のリンゴのなる枝に絡みつく三匹の蛇になってるんだ」

「それで、幻の星獣…幻星獣と名乗ったんですね」


 地球とバルハリアでは、見える星座も異なる。地球人の知識をベースに自分で名前をつけたのなら、それが星座に関係するネーミングならなおさら。ケルベルスなりのこだわりがあることを、ミキは理解した。


「我らの生まれ故郷、揺籃の星窟。そこは地上に降り注いだ星の光が岩に染み入り、最後に一点に集まる場所。そこは星獣の生まれる母の胎内であり、ゆりかごであり、同時に牢獄でもあった」


 ケルベルスが淡々と語る。自分たちの境遇を振り返るかのように。


「我らは、先の儀式において地上の者と縁を結んだ。その盟約ゆえに、我らに人の領域を侵そうという意思は無い。だが人の子よ」


 そこで一旦、言葉を溜める。


「この世に生を受けて以降、出口の無い牢獄に囚われ。自由に大地を駆け、海を泳ぎ、空を舞うことに焦がれる者の心を理解できるなら。我らをここから解き放って欲しい。その宿願を、果たさせてはくれぬか」


 リーフは、その提案の持つ意味を誰より理解していた。地底には、この星の創世から幾星霜にも渡って蓄えられた膨大な星霊力が眠っている。それだけの力を持ってすれば、バルハリアの民を長きに渡り苦しめてきた大いなる冬フィンブルヴィンテルさえも、終わらせることができるかもしれない。


「籠の鳥から自由になりたい。分かるの、その気持ち」

「ケルベルスさぁん、平和的な方で良かったですねぇ」


 いつになく殊勝な面持ちで、モモは映像のケルベルスを見ていた。エルルも微笑みながら、モモを見ている。


「お前たちが星霊石を採掘している場所の、さらに地下深くに揺籃の星窟はある。坑道をより深く掘り下げれば、道は開かれよう」


 メルがユッフィーとゾーラを見る。この後のバイトは、採掘場で決まりだった。


「おっし、他の連中に先越される前に行くぞ!」


 街頭で、多くの人々がケルベルスからのメッセージに耳を傾けていた。その中に、ビッグとポンタ、ジュウゾウの姿もあった。


「力仕事はちょっと…術も今は」


 自分は力仕事に不向きで、得意の夢魔法も今は封印されていることを理由にポンタが遠慮がちな答えを返すと。


「こういう事態だ、雇い主に直談判すれば特例で夢魔法の使用許可が出るだろ!」


 ポンタを強引に引きずっていくビッグ。ジュウゾウも黙って付いていく。

 ビッグの勢いが、功を奏したのか。案の定採掘場の管理者は氷都市に掛け合い、職場内でのポンタの魔法使用の許可を取ってきてくれたのだった。


「社長の行動力は、こういうときに頼もしいな。即断即決、だからオレたちもここまで付いてきたんだ」

「あったりめぇよ!」


 ジュウゾウが珍しくビッグを賞賛する。しかし彼らは…ケルベルスからのメッセージの、一番重要な部分を聞き逃していた。夢では見ていたから、十分だったのかもしれないが。


「お前たちが揺籃の星窟に到達できたなら、まずはその力を試そう。我らも自然の摂理に沿って生きている。襲い来る数多の星獣を退け、最深部で待つ我との戦いに打ち勝ち、お前たちが我らを従えるに相応しいと証明してみせよ」


 それは、ケルベルスから氷都市の冒険者たちへの挑戦状だった。


「氷都市に集う、最高の戦士たちよ。創世の御業すら成し得る神の器を伴い、全力でかかって来るがいい。お前たちが真の力を見せるとき、この凍てついた悲しき星の未来にも新たな道が開けるのだ」


 ユッフィーたちが、未知の迷宮に通じる道を掘り当てた頃。クワンダ、アリサ、ミキの三人が紋章院の一室で今後の対応を話し合っていた。


「では、私たちの誰も…夢では見なかったんですね」

「ああ。異世界テレビで放送されてから、ようやく内容を把握できた」


 ケルベルスからのメッセージを夢で見た者の分布は、かなり偏っていた。勇者の落日から生還したベテラン三人は、実は夢では見れなかった。百万の勇者ミリオンズブレイブのひとりだったレティスも同様で、逆になぜかパンは夢を見たらしい。


 そこへ、ミカが珍しくひとりでやってくる。


「おぬしか。今日はひとりで、どうしたのじゃ?」


 ミカは、アリサに真剣な眼差しを向けると。


「私にも、個人指導をお願いしていいかしら。最近、エルルちゃんがクロノと二人でだいぶ夢魔法の特訓に力を入れていてね」

「それでおぬしも…というわけか」

「ええ、私は前線の盾としてみんなから信頼を勝ち取るために」


 ミカもまた、精神的に成長を見せていた。相変わらずビッグとは犬猿の仲だが、それでも必要な時には共闘できるくらいに。


「これから皆を集めて発表するが、揺籃の星窟を攻略するメンバーの選抜試験を行う。イーノファミリーの皆に声をかけてもらっていいか?」

「お易い御用よ」


 ミカが微笑む。クワンダはそこに、次代を担う者たちの希望を見た気がした。

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