ほしのかせき:寒い夜に星を探しに行くだけの話


 星がどこにもなかったから、キコは家を出ることにした。

 ありったけの服を着込んで、マフラーを巻いて、ニットの帽子をかぶった。

 寒い夜だった。空気はピンと張りつめていて、肌が痛んだ。キコの鼻はすぐに真っ赤になった。

 街に灯りはなかった。誰も通らない道路で、信号が順番に色を変えていた。

 少し歩くと自販機にたどりつく。コーヒーとタバコが売っている。

 小銭を入れていた牡牛がキコに気付いた。

「やあ、こんばんは。こんな時間にどうしたんだい」

 牡牛がゆっくりと言った。

「こんばんは。わたし、星を探しに行くの」

 キコが答えた。

 牡牛はボタンを押した。

「今日は良い夜だからね。見つかるかもしれないね。うんときれいな星が」

 温かいカフェ・ラ・テのペットボトルを取り出して、牡牛はキコに渡した。

「さあ、どうぞ。今日みたいな日は、いつだって、うんと冷えるんだ」

 キコはお礼を言って、牡牛と別れた。少し歩いて振り返ると、牡牛はもういなくなっていた。

 どこに行けばいいのか、どこまで行けばいいのか、キコは知らない。ペットボトルをポケットに入れて、ずっと歩いていく。

 キコの横を、車が通っていった。標識や窓ガラスに反射した光が星屑のように舞い上がって、雪解けのように見えなくなった。

 緩やかな坂道を進んでいくと、小さな橋にさしかかった。

 橋の途中で影がうずくまっていた。白鳥だ。

「ねえ、どうしたの」

 キコはおずおずと話しかけた。

「おや、こんな夜更けに、こんなに小さな子がどうして出歩いているのやら」

 白鳥はうずくまったままキコを見た。

「なに、僕はね、世を儚んでお別れをするつもりでここに来たんだ。このしみったれた橋から飛び降りてね。だけど、大事なことに気づいてしまったんだよ」

「大事なこと?」

 キコが尋ねると、白鳥は両手を上げて見せた。

「僕は飛べるんだ! おまけに、泳げる!」

 なるほど、とキコは頷いた。

「まったく、白鳥っていうのも不便なものさ。それで」

 白鳥はキコを気怠げに見上げた。

「君はどうしたんだい? 世を儚むには若すぎると思うけどな」

「星を探しに行くの」

 キコが言った。

「うんときれいな星よ」

「星をかい? そいつはいいね! 今日みたいな日には、うんときれいな星がやってくるからね」

 白鳥は目を細めて、優しくキコに言った。

「この橋を渡りきったら、左に曲がると良い。それから、まっすぐ、ずうっとまっすぐ進むんだ。きっと、たくさんの星が見えるよ」

 キコは白鳥にお礼を言って、橋を左に曲がった。

 気になって振り返ると、白鳥はいなくなっていた。

 キコがずうっと歩いていくと、小さな家の前で、小さな山羊が空を見上げているのを見かけた。

「山羊さん、こんばんは」

「おや、こんな時間に、可愛らしい声がするね」

 山羊のおばあさんはキコの方に顔を向けた。目が見えていないようだった。

「星を探しに行くの」

「まあまあ、それは素敵なことだね。こんなに寒い夜には、きっときれいな星が見えるだろうからね。どうだい、夜の空に、もう星たちは集まっているかい。わたしゃもう、目が視えなくてねえ」

 キコは空を見上げた。ただただ、真っ暗な空だった。

 いつ空を見上げても、星なんて見たことがなかった。

「ええ、星がいっぱいよ、おばあさん。きらきらして、眩しくて、落っこちてきちゃいそう」

 おばあさんは、なんどもうなずいた。

「そうかい、そうかい」

「とってもきれいよ、おばあさん」

「ああ、ありがとう。目は見えなくなっちまったけれど、とっても素敵なものに触れられたよ」

 自分がもっと上手なうそつきだったら良かったのに。キコはそう思った。

「ここをまっすぐ行くと良い。きっと、たくさんの星が見えるからね」

 山羊のおばあさんにお別れをして、キコはまっすぐ歩いていった。

 途中で振り返ると、おばあさんはいなくなっていた。

 周りにはなにもない。空は真っ暗で、道も真っ暗だ。

 小さな灯りを閉じ込めた街灯だけが、ぽつりぽつりと、海に浮かぶ小島のように、並んでいた。

 灯りの島を3つも渡ったころ、うずくまった獅子がいた。

「ライオンさん、こんなところでどうしたの」

「ああ、お嬢さん。君こそ、こんなところで、なにをしているんだい」

 獅子は気だるげに首を持ち上げ、キコを見た。

「星を探しに行くの」

 キコが言うと、獅子は首を振った。

「星なんて、探したって無駄さ。星はみんな、しんでいるんだ」

「しんでいるの?」

「ああ、そうだとも。星の光は、ずうっと、ずうっと遠くからやってきたんだ。星を見上げて、ああ美しいな、なんて思った頃には、星はもうしんでいるんだよ。僕たちは星の化石なんだ」

 キコはううんと首をひねった。

「少し、むずかしかったね。いいんだ。ぼくたちの化石を見て、美しいと思ってくれるなら、それはきっと、素晴らしいことだろうからね。でも」

「でも?」

「ぼくは化石には、なりたくないな」

 キコは頷いた。かせき、というものには、なりたくない。

「ぼくにとっては無駄だけれど、きみにとっては違うのかもしれない。星を探すのなら、まっすぐ進むと良い」

 獅子はそう言って、またうずくまってしまった。

 キコは歩いていく。灯りの島の4つめを過ぎて振り返ると、獅子はいなくなっていた。

 道を、まっすぐ、まっすぐ行く。

 やがて、丘が見えてきた。大きな木が、立っている。

 キコはやがて、大きな木の根元にたどり着いた。

 少し疲れて、ポケットからペットボトルを取り出した。

 牡牛にもらったカフェ・オ・レだ。

 蓋を開けて、口に当てる。上を向くようにして飲んで、キコはぽかんと動きをとめた。

 空はもう、まっくらではなかった。

 今まで歩いてきた道の上に、いくつもの星が輝いていた。

 キコは座り込んで、木に背中を預けて、ぼんやりと空を見上げた。

 とおいとおいところからやってきた、星の化石たちだった。

 星と星がつながりあって、何かの形を描いていた。

 新しい命のかたちを、描いていた。

 ひとつひとつは、化石だけれど、とキコは思った。

 私にとっては、化石じゃない。

 星のひとつひとつが、暖かいぬくもりをもっていた。

 夜空の底が、明るく照らされている。

 もうすぐ、朝が来る。

 キコはそっと、瞼を閉じた。

 空にまたひとつ、星が座った。


 了


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