003 時の女神
真夜中の森。セラルフィによって焼き払われたその場所は、六日前。心臓を奪われた場所である。
ライムは時を止められた住人達を解放しようと何かを施してくれている。セラルフィたちの戦闘に彼らを巻き込むべきではない。
湖の前で待ち構えているシルヴァリーは、観念したというよりも覚悟をしたと言うべき顔つきでそこに居た。
追いついたセラルフィとトトの姿を目視すると、やや苦しそうな表情で言う。
「よくも私をここまでかき回してくれたな、異端者にロストナンバーか。いや、ロストナンバーは私も同じことだったな」
「何を言っているッ! 全てを失くして可笑しくなったか?」
「可笑しい? そうですね。哀れすぎて愉快という意味では、正しいですよ。ロストナンバーの鉄槌使い君」
トトの方を睨み、全てを見透かしているような笑みを浮かばせる。
動揺するトトをなだめるため、セラルフィが耳打ちした。
「トト、彼はあなたを惑わそうとしている。耳を貸してはダメです」
「分かってるよ。何よりも、僕たちの大切な人を傷つけたツケがまだだからね。一発入れてやらないと気が済まない」
そうは言うが、トトの大槌はまだアクセサリーの姿をしたまま。拾ってきた直剣では剣術の素人であるトトが扱える代物でも無い。
「記憶を失って随分と正義感の強い少年になったようですね。トト。いえ、『異次元管理組織、五のナンバーを与えられていた大量殺人者』トレイル。人殺しが今更、他人を裁こうというのですか?」
一瞬、空気が凍り付いた。聞いてはいけないものを耳にしたような気がしてならなかった。
人殺し? トトが? 否、トトではない? トレイル? 異次元管理組織? 情報の波がセラルフィの脳内をかき乱す。拒絶反応を起こしたように呼吸が荒くなっていた。自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
「言っている意味が分からない」
冷たく。いたって冷静に。冷静すぎるほどに冷え切った声で、そう返した。
力なく直剣を下げ、無意識に大槌のアクセサリーを握る。
「その手に握っているモノ。元はアクセサリーでしたね。自分の身が危ないとき、大槌へと急に巨大化しませんでしたか? もしくは、使用者権限を剥奪されたせいで、思うように扱えなかったりとか」
まるで初めから見られていたような言い方。そうではない。『もっと昔から知っていた』ような口ぶりだ。
そう、まるでかつて同じ職場で働いていた同僚のような――。
「気付いているんでしょう? 『おかしい。こんな物騒な、高価な魔道武具をなぜ自分が持っている』と、少なからず疑問に思っていたはずです」
「違う」
シルヴァリーを見る気力を失い、泳ぐ目は焼け野原を無意味に見回している。
「違うことがありますか。あなたは人殺しだ。その大槌が何人の血を吸ってきたか忘れたのですか? トレイル」
違う名で呼ばれ、知らない過去を流し込まれたトトは耐えられず不安な感情を叫んだ。
「違うッッ! 僕はトトだ! トレイルなんて名前じゃない!」
必死の抗議も意味を成さない。動揺したトトの姿を見て、何かを確信したように口角を吊り上げる。
「トト。くふふ。トトねえ。その名前。一体いつ思い出したんですか? いえ、『いつからトトに成りきっていた』のですか? もしかして、ライムとかいう得体のしれない少年にでも名づけられましたか」
「トト! だめ!」
これ以上は危険だ。シルヴァリーの催眠から解ける時とは異質な症状が起き始めている。このままではトトが壊れかねない。
しかし、シルヴァリーは近づいてきた。一秒もかからず、それこそ一瞬もかからずに。跪いたトトの前へと。
力なく握られた直剣を蹴り飛ばされ、正気に戻る。それはあまりにも遅すぎた。
「仕方がない。元同僚のよしみで、今回に限り私が思い出させて上げましょうか」
かざされた手。その時、トトの手中に納まっていたアクセサリーが輝き、瞬時にあの暴力的な大槌へと姿を変えた。
「来るな!」
抵抗手段を得たトトは大槌を振り牽制しようとする。が、想像以上の重量。土を数センチ削るだけに終わる。
『認証エラー。使用権限ガ無効デス』
無機質な声。そんな声に構っている状況ではない。
「うるさいッ! この、動け……!」
「良いことを教えてさしあげましょうか。異次元管理組織から支給されているその魔道武具。使用者権限の認証を破棄して起動できますよ。もっとも、
もはや抵抗の
「圧縮しなさい」
「……がぁッ」
直接電気を流されているようだった。体中を痙攣させ、口の端からは唾液が漏れ出す。大槌を握る手は離れ、大きく体を反らし、力なく倒れた。
「トト!」
愛用の直剣でシルヴァリーに向かい薙ぐ。既に彼は遠く離れていた。時を操作する人間相手には距離を詰めることさえままならない。
開放されたトトの元へ駆け寄り、抱き起す。
「トト……私のこと、わかります?」
腕の中でゆっくりと目を開けるトト。どうやら動けるらしい。安心したセラルフィの横で、無機質な音声。
――いつの間にか、トトは大槌を握っていた。
『
暴力的な殺意が、腕の中から迫る。
本能的な何かが警笛を鳴らした。トトから離れなければいけないと。論理的な思考を放棄して、抱き起していた手を離し、大きく後ろへ飛ぶ。
直後、激しい打撃音が地鳴りとなって足を震わせた。
自分が居た場所を中心に大きく地割れを起こしている。小規模の隕石が襲来したかのような現象。それを理解する暇など与えられず、爆発的な速度で接近。トトが大槌を振りかざしてきた。
「――マヨイビトォオッ」
「なっ!? トト! 私です、セラルフィです!」
直剣でその大槌を受け止めた瞬間、もう言葉はトトに届かないのだと悟った。
目が赤く血走っている。獣のように、もしくは、目の前の仇を殺す復讐者のように。
「よくも村を……家族をッ!」
横薙ぎの一撃。まともに喰らえば首が吹き飛だけでは済まない。先ほどまで岩を動かそうとするように重かったはずなのに、今では人殺しを目的に、セラルフィの直剣よりも数段速く振るえている。
その様子を見て、シルヴァリーは安全な位置から言った。
「無駄ですよ。私はトトを洗脳したんじゃない。失くしていた記憶を思い出させてあげただけです。彼の村人、彼の家族が、《マヨイビト》の劫火によってに殺戮されたことをね」
なおも追撃は続く。どんなに剣で受け流そうとも、攻撃の手が休まることは無い。恐らく、こちらがトトを殺さない限り永遠に。
「くっ、シルヴァリー!」
「さあ選びなさい。トトに殺され、彼に仇討ちを任せるか。それとも、あなたがトトを殺し、私に手を下すか。時間は待ってくれませんよ?」
鍔迫り合い。二人の顔が至近距離にまで迫る。ぶつかる肩。ふと、トトの冷たい目と自分の視線が交錯した。
直剣が火炎を纏う。かつてない熱量。トトの冷え切った視線を溶かそうとするように、意思の塊となって辺りを紅く照らした。
――殺すなど有りえない。かと言って自分から命を差し出すわけにもいかない。答えなど訊かれる前から決まっている。
「愚問、どちらも選ぶつもりは毛頭ありません……ッ。トト、お願いです、私を」
「だから無駄だと言ったはずですよ。彼はもうトトじゃない。家族を殺した《マヨイビト》に仇討ちする、元異次元管理組織のトレイルだ」
「そんな――ッ!」
直撃。体の芯を捉えた横殴りの一撃は、火炎の残像を引きずりながら遥か先の岩壁までセラルフィを吹き飛ばした。大気を震わす破壊音。やがて、音は空気に溶けて消えた。
「素晴らしい! ただその大槌、認証プロセスを破棄して発動していますね。安全装置なしでの操作は使用者の命に関わる。これだと、あなたを殺したと同時に彼も死にますよ。あなたが楽にしてあげたほうがいい。その凶悪な力で……おや、もう動けないようですね」
言葉通り、トトは大槌に寄りかかったまま、片膝を着いている。肩で息をし、シルヴァリーの方へ顔を上げる力も持っていないようだった。
「情けない」と、吐き捨て、シルヴァリーは湖の方へと体を向ける。
「最後の仕上げだ」
何かを小さく呟く。大きな魔法陣が湖面を覆った。大地を揺らしながら現れる巨大な(女神像)。その中心部では、水晶に閉じ込められたセラルフィの心臓がある。
「発動に時間を食うのが難点ですが、五体不満足のままそこで大人しく見ているといい。自分の心臓が破裂する瞬間を――ッ!?」
言い切る前に、背後から迫る暴力的な業火を横跳びに回避した。シルヴァリーが居た場所には、火炎を纏った大槌を肩に担いでいるトトの姿があった。
その姿に目を見開く。大槌だけではない。トト自身の体が炎の一部となっていたのだ。服や髪。それがゆらゆらと紅く燃え盛りながら、まるで熱を感じていないように平素な顔で、それでいて攻撃的な視線は緩ませずにシルヴァリーを睨んでいる。
「これで終わったと思うなよ。シルヴァリーッ!」
「なぜ貴様が……! いや、違う。その炎、まさか」
背後から足音が聞こえ、振り返る。
「無駄なのはあなたの方です。シルヴァリー」
先ほど岩壁まで吹き飛ばされたはずのセラルフィは、無傷の状態で剣を構えている。
「アンタに思い出させてもらったおかげだ。こいつの扱いは僕が良く知っている。人の力を借りて自分のモノにできる魔導武具だってな」
アレはトト自身が実際に燃えているわけではない。大槌から噴き出すエネルギーの波が所有者の身に纏わされているのだ。借りた《マヨイビト》の力――火炎を操る力を身に纏って。
「マヨイビトの炎を吸収していたのか……しかしなぜです! あなたは彼女に――マヨイビトに恨みがあったはずだ!」
「そうだよ。僕はマヨイビトに恨みがある。殺しても殺しきれないほどの怒りがある。でもね」
両手で大槌を構える。
「彼女と過ごして分かったんだ。マヨイビトそのものが悪なんじゃない。家族を殺した張本人こそが僕の殺るべき相手なんだって」
その言葉にシルヴァリーはバカにするように言う。
「綺麗ごとを。マヨイビトは災厄をもたらす存在です。存在そのものが悪。存在してはいけない者。私たちは組織でそう教わったハズです。それに何より」
立ち上がり、トトの眼を見て怪しく笑んだ。
「あなたの目、まだ完全に恨みの炎が消えていないようですが?」
「ああ、殺したいよ。今すぐにでも。生まれてきたことを後悔するほどに
「だったら」
「でもその張本人はここに居ない。僕にはわかるんだ。彼女がそんなことを出来る人間じゃないって」
シルヴァリーの眼が嫌悪感に満たされた。後ろに立っている少女を指す言葉に、眉根を寄せる。
「人間……? 記憶を取り戻してもなお、まだそんな口が聞けるのか! こいつは人間じゃない! マヨイビトだ! 正真正銘の化物なんだよ! 心臓をえぐり取っても、相手が死ぬまで戦い続ける畜生だ。我々人類とはその根底が違うッ」
静かに、その言葉を受け入れる。怒りも、トトにとっては理解ができないものでは無い。そもそも彼らの居た組織は『そういう感情のもと成り立っていた』のだ。
「僕が事故にあう前。お前がなぜ命令でもなかったのに組織から飛び出したのか。お前を見て思い出したよ。異次元管理組織は皆、マヨイビトに恨みを持っただけの殺戮集団だ。 世界の平穏? バランス? そんなのはただの飾りだ。大義名分を振りかざして殺したいだけの畜生だ」
聞くまでもないと、シルヴァリーは視線を逸らした。
「そうですね。確かにそうです。でもあなたはどうです? その殺戮集団の一員としてマヨイビトを殺せばいずれ仇が取れるでしょう」
「それはあんたも同じはずだ。シルヴァリー」
「…………」
「本質を見失っていたんだろ? あいつらは。善も悪も関係なく、『偶然
「……れ」
セラルフィには分からない話。二人にしか分からない話。ただ、シルヴァリーはその話を聞くことに異常な抵抗を感じているようだった。
そしてトトは核心を突くようなことを言う。
「シルヴァリー。今の僕と同じことをして、今ここいにいるんじゃないのか? ……親友から一つ、噂を聞いたことがあるんだ」
「…………黙れ」
「最近行方不明になったメンバーの一人だった。とあるマヨイビトを守ろうとしたそいつは、裏切者として仲間から排除対象と見なされ、マヨイビトごと――」
「黙れと言ってるんだガキがあぁあああああアアアッ!」
殺気。シルヴァリーを中心として爆発的な広がりを見せる、異様なエネルギーの波を感じた。
思わず数歩、後退する。
「私はッ! 私は……組織の連中を殺したいだけだ。そのためにはマヨイビトの臓器が――《再生の臓器》が必要なんだよぉ!」
「たとえアンタの目的が僕と同じ復讐だとしても、僕はそれを手助けできない。もう、大切な人を殺させはしない」
「殺す……。殺してやる……ッ!」
もはや聞く耳など持っていなかった。先のトトと同じ、復讐者の眼で、自分たちを見ている。
「シルヴァリー! アンタはこんなことになるなんて思ってなかったはずだ! 復讐に取りつかれているだけなんだよ。本当は自分が守りたかった存在と同じ人間を殺すことに躊躇したくないから、マヨイビトを殺すことが正しいことなんだって。自分のしていることを正当化したいがために僕にセラを殺させようとしたんだろ!?」
返答は攻撃的呪文、ただ一つだった。
「圧縮しろ――チャイムッ!」
「潰せ――クラッシュ!」
――セラルフィの介入できる隙間など無かった。
力を与えたトトと、セラルフィの心臓から恩恵を受けているシルヴァリー。戦闘の様子をうかがえるのは、二人が激突し、遥か上空まで舞い上がる業火の切れ端のみだった。
「ここに時間を圧縮した。コンマ一秒前の私は更にコンマ一秒前の私を呼ぶ。過去の私達は一つの目的に向かい活動を開始し、お前を殺す」
「僕だってもう戻れない。記憶喪失だった頃の、平和な日常に居たトトではいられない。それでも、組織を抜けたトレイルとして、今はセラを守るッ」
大地を蹴る足は土を吹き飛ばし、素手のシルヴァリーと大槌を持つトトが打撃と殴打を互いの肉体へ交換する。
大槌と、時間停止により強引に硬化させた素手での戦闘。
時間を操るシルヴァリーは、過去の自分を現在に呼び出す。実質五十人の異次元管理組織の人間を相手にトトが相手をしているようなものだ。
全員に囲まれ、時には腹部を、時には顔面を、時には背中を殴られるトト。
これはセラルフィが初め、シルヴァリーを相手にしたときと同じ戦い方だと悟った。自分の放出した火炎と同じものを過去から引き出し、返す。
ただし、セラルフィの力を受けているトトにとっては、数は問題ではない。数十人もの自分を今に留めているのには、相当の力を必要とする。シルヴァリーの呼び出した過去の彼は、火炎の一撃でも与えればバランスを崩し消滅した。
そのダメージは現在のシルヴァリーへと還元される。偽物も本物も無関係に、その力は諸刃の剣と言っても過言ではないほどに、強力で虚弱な代物だったのだ。
「マヨイビトの力を取り込んだだけ有りますね。微量のエネルギーでこれだけの力。臓器を破壊すればあるいは――組織そのものを潰せるかもしれない」
「そんなことはさせない。セラも守るし、組織は僕の手で潰してやる。村を壊したマヨイビトも、この手で殺してやる!」
「ガキが。そんな生半可な覚悟で望みが達せられると思うなよッ!」
負ったダメージも、疲労から見ても、優位性ではトトの方が上なのは明らか。
戦闘を重ねているうち、シルヴァリーの動きが徐々に鈍くなっていった。動きでさえもトトが上回り始めたのである。
――ただし、火炎を吐き出す推進力で速度を得ているトトに対し、時間そのものを味方にしているシルヴァリーにとって、速さは問題ではなかった。
「トト――」
ある地点での鍔迫り合いで、セラルフィは言いようのない不安を感じた。力のほとんどを分け与えたセラルフィは、自分の無力さを
その瞬間。三人を取り囲む魔法陣が姿を現す。
シルヴァリーを除く二人の時は、完全に止まってしまった。
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