005 セラルフィとしての人格




 咆哮。

 同時、薄赤色の空間がセラルフィとリラ。そして赤竜の三者を招き入れ、その他全てを弾き飛ばした。


「これは……結界ですか」


 発動者の指定した生物、物質以外の全ての侵入を拒む固有領域。人間なら良くて意識障害も避けられないレベルの膨大なエネルギーを必要とする術である。赤竜の生成した空間はまさにそういうモノだった。

 背後ではトトやペジットが必至に声を上げている。それでも外部の声はここまで届かない。何とか結界の内部に入ろうと必至に武器を叩きつけているが、ヒビの一つも入ることは適わない。

 彼らの言わんとすることは分かっている。人間においても結界を構築するということはそれだけ『緊急の事態』であるか、そうしなければいけない相手と戦闘になっているかの二パターンしか無い。この巨大な生物は結界を構築することに人間ほどの〝覚悟〟は必要ないだろう。それだけの生命力が宿っているのだから。


「お姉ちゃん」

「心配しないで。出来るだけ後ろに下がっててください」

「でも」

「信じてください。絶対にリラを傷つけさせませんから」


 赤竜が意図的にセラルフィを結界へと誘ったことは明白。その理由は無論、人ならざる者の力をセラルフィが有していると認識したからだ。とどのつまり、〝危険生物〟とみなされたわけである。

 リラが数歩下がったと同時、赤竜の眼が黄金の輝きを放った。


「――ッ!」


 得体の知れない力の塊を感じる。セラルフィはほぼ無意識に火球を生成し、ぶつけた。

 先ほど放った火球がある地点で停止。そのまま動かなくなり、やがて消失した。


「まさかシルヴァリーと同じ……いえ、別物ですね。捕縛の類ですか」


 どうやらあの眼には対象の動きを制限する能力があるらしい。リラを封じ込めようとしたのだろう。


「早急に始末した方が良いですね」


 静かに、魔の術式が全身を侵す。それは、膨大な力を発動する前の、マヨイビトという高位生命体特有の症状。

 帯剣していた直剣を抜く。顔の前に直剣を構えると、一気に炎が立ち上った。

 一閃。波状に伸びる火炎の刃が相手の首を狙う。しかしその刃は鋭利な歯によって受け止められる。直後の爆発。赤竜の視界を覆うように高熱の光が広がった。

 狙ったように飛び出した人影。光の膜を切り裂き、迫る。獲物を狩る瞳。赤竜の眼球へと伸びる切っ先は鋭い。

 赤竜の瞳孔がひときわ細くなった。強引に火炎を吐き出す。放射状に吹き荒れる火の嵐はセラルフィの体を完全に取り込んだ。


「これが竜の炎。なるほど、〝良く馴染なじむ〟」


 直剣が大きく旋回したと思うと、先ほどまでセラルフィを覆っていた攻撃的な業火は完全に直剣の支配下に置かれた。


「あなたと遊んでいる時間は一秒も無い。帰ってもらいます」


 莫大に膨れ上がった火球はさながら隕石の様に、更に形を変え、巨大な槍と成ってゼロ距離で突き――


 セラルフィの腕は槍ごと食いちぎられた。


「――――」


 息を呑むリラ。声の上がらない光景。地に膝を付くセラルフィ。

 よく見れば、その腕は完全に食いちぎられてはいなかった。寸でのところで手を引いたのだろう。しかしあの鋭い歯でズタズタに筋肉まで引き裂かれていることは明白である。少し引っ張れば簡単に肘から剥がれ落ちそうなほどに、赤く濡れた細腕は情けなくぶら下がっている。

 それでも赤竜は大口を開け、セラルフィの首を喰おうとしている。異空間に掛ける爪はさらにヒビを深くさせる。頭部に迫る歯。垂れる唾液。炎混じりにかかる息。その顎がセラルフィの頬に触れた時、『妙な音』がした。

 絶叫。

 しかしそれは人間の出す叫びではない。これは間違いなく、およそ内臓の底から湧き上がるような、巨獣の出すソレだった。

 セラルフィはぬぐった。口の端から垂れる、ゼラチン質と赤土色が混ざった何かを。

 消えた赤竜の左目。そこにあるはずだった眼球。

 リラの視界に映ったのはそういうモノだった。獣の眼球を喰らう人間の――


「喰らえ」


 赤。ただひたすらに赤。真紅に濡れたセラルフィの右腕が強引に持ち上がる。血よりも赤いその液状の炎は、口づけをするように赤竜の鱗に垂れ――大きく燃え上がった。

 もがく赤竜。異空間に掛けた爪に力が入る。大きく空間が引き裂かれ、その巨体が侵入できるほどの大きさになる。それでもこちらの世界に侵入することは無い。悲痛の咆哮がセラルフィの体を突き抜けた。その身をよじり、赤竜はその巨体を退け異空間へと姿を消した。

 ガラスが砕け散るような音で徐々に結界が剥がれ落ちていく。真紅に染まった景色が青々とした空間に変わったとき、真っ先にトトが駆けよって来た。


「セラ!」


 向こうではペジットがリラの元に付いている。どうやらリラの方も無事のようだった。ただ唯一、視線だけはセラルフィの右腕から外れない。


「セラ、その腕」


 ライムも少し離れた位置で観察しているが、傷の具合は察しているようだ。


「出血の量がひどい。もう死んでいてもおかしくないぞ」


 相変わらず無感情に分析してくる。マヨイビト相手だとそうなのだろう。


「心配は要りません。よりにもよってシルヴァリーに助けられることになるとは思いませんでしたが」

「心臓爆破の呪いか」

「ええ、彼から心臓の呪縛が解けない間は死ぬことは有りません」


 トトが不安そうにセラを見ている。


「でもセラ。死なないとは言ってもその右腕の治療はした方が良いよ。はやく家に戻ろう」

「それなら」


 言い終わるより早く、セラルフィの右腕を激しい炎が喰らった。魔術の暴発ではない。意図して傷だらけの右腕を襲わせたセラルフィはしかし、その熱さに眉ひとつ動かすことなく右腕を振りぬいた。貼り付いていた火炎は空気に溶ける。ぎょっとしたトトの眼先には、傷口の塞がったセラルフィの右腕があった。


「火でふさげば治ります」

「セラ……」


 塞がった傷。しかもただ止血されたのではなく、始めから傷などなかったかのように完治している。歪みを見ているようだった。兵士達から追い回され、気絶していた時のセラルフィとは何かが違っていた。


「本当に、大丈夫と思っていいんだね?」

「ええ。見ての通り。何かおかしいですか?」

「…………」


 トトが何も言えないでいると、セラルフィは特に気にする様子もなく、気を失ったリラの元へと行ってしまった。

 そんなセラを見て、トトは口にしてはいけないと思った。

 少しずつ。それでも確実に。セラルフィとしての人格が欠落していることを。





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