第87話 ゴミムシ


 エプロン姿の少女は夜の道でよく目立つ街灯のある本堂を好んで歩いた。

 街には彼女を殺そうとする殺人ギルドの面々が潜んでいるにもかかわらずだ。

 通常市街地での戦闘は、建物の中や、通路の角など敵を捕捉しやすく、敵から捕捉されにくい場所が存在するため、そこで待つ戦術が有効である。


 彼女は戦いの素人ではない。

 むしろ、彼女は若くして経験のステータスをSSSのランクにまで到達させた戦闘のプロである。

 そのような彼女があえて……敵から狙われやすい位置でもって戦闘を行うのか?

 その答えは彼女の加護ギフトにある。


 彼女の完全に死角から一人の黒い影がナイフを持って迫る。

 完全に不意を突いた一撃で、既に防御は間に合わない。

 ナイフが彼女の横っ腹へ触れ、そして次の瞬間、黒い影の右腕は既にそこにはい。

 彼女の手には先ほどまで黒い影が持っていたナイフが握られていた。


「無刀居合」


 そして、彼女は敵の胸を一突きし、その命を終わらせる。

 彼女と死体の間に突如せり上がった巨大な盾が、彼女の代わりに返り血を浴びた。


 彼女の加護ギフトの1つ、【簡易錬成インスタントメイカー】。

 この加護ギフトにより、彼女は体に触れた金属全てを即時際錬成し、自身のものとすることができる。

 実質的に斬撃の無力化である。

 また地中の金属を寄せ集め、簡易的な武器を生成することで、攻撃や防御にも使用できる。


 次々と迫る黒い影たちをクレハは雑にあしらい、その生命を絶ち切っていく。

 既に街の本堂の一部は赤黒い血の海が形成されていた。


 既に10人は仲間が死んでいるであろうに、『アンノウン』は攻撃を続ける。

 彼らは既に『ミト』近隣で活動していた際に仲間の大半……およそ1000人を優に超える数をこの少女に殺されている。ここで引けない理由が確かに存在するのだ。


 彼女は手に持った刀で地面をコツコツと叩き、敵を煽る。

 攻めて来い、自分はここに居るぞと伝えている。

 誘いに乗った『アンノウン』の一人が、風系の加護ギフトを絡め、最高速度で彼女に迫った。これまでの経験から、ナイフや武器の類が彼女に通用しないことは分かっている。

 加護ギフトや肉体的な攻撃でなければ彼女にダメージを与えることすら能わない。


 直線的な攻撃を前に彼女は欠伸が出そうになる。

 しかし、後ろから気配を……炎の加護ギフトで攻撃を仕掛けようとする影を察知し、すぐに緊張感を持って状況に対応する。


「妖刀紅羽、伍ノ型」


 彼女がそう告げると、握る刀は2つの剣へと変ぼうを遂げる。

 そして一本を風の魔法使いへ、もう一本を裏路地に隠れる炎の魔法使いへと投げ、火球を地面から盾を生やして防御した。


 脳天へ小剣が突き刺さった風魔法使いは即絶命し、炎の魔法使いは体の一部を建物に貼り付けにされた。

 既に死んでいる方から剣を抜き、裏路地へ低姿勢で迫る。

 小剣画鋲で貼り付けにされたそれから、剣を抜く。


「死ね……肆ノ型」


 一瞬で双剣であった彼女の持つ黒い武器は、大きな鎌の形へと変形し、それで敵の首を刈る。

 そしてそのまま、鎌をレンガ組みの建物に突き刺し、側面を登っていき、屋上で自分を狙っていた『アンノウン』の命を流れる様に刈り取った。


 クレハは今晩相当数の『アンノウン』を殺害している。

 彼らの本拠地は既に前日に【理想の彼氏マイダーリン】によって把握しており、またその人数も大体を把握している。


 そして彼女は分かっていた。

 殺すべき敵はあと僅か。


 今いる本道から隣の本道に移ると、彼女はおそらく最後の、倒すべき敵を発見する。

 思わず彼女の口角が上がる。

 笑わずにはいられない。

 彼女の悲願が今遂げられようとしているのだ。

 しかし、その笑みは一瞬で凍りつく。


「く、クレハさん……!?」


 殺伐とした街に似合わない、クリーム色の髪のお人形のような容姿をした少女……アイリが道の真ん中に立っていた。

 クレハの表情で全てを察した『アンノウン』の一員は、すぐにアイリを捕まえる。

 彼女はアイリの首筋にナイフを当て、日本語でない言語でなにかを叫んでいた。


 *


 アイリは敵の手に囚われ、苦しそうにもがいていた。

 クレハは現在自分の置かれている絶望的な状況を理解している。

 下手をすれば、目の前の少女が殺される。


 しかし、彼女は分かっている。

 ここで下手に出れば状況がさらに悪いものになってしまうことを。


「やめろ。その子に手を出すな!」


 クレハは並の人間であれば怖気付いてしまうほどの気迫でそう言った。


「その子はタケルくんの大事な人だ。殺したらただじゃおかない。楽に死ねると思うなよ!」


 さらに怒気を含んだ声音でクレハは『アンノウン』を脅す。

 しかし、殺人ギルドはその手の脅しに屈するほどやわではない。


「お前はどちらにせよ殺す。でもその子を殺してみろ。お前の家族、知り合い、大切な人全て……皆殺しにしてやる」


『アンノウン』の一員は決して日本語を発しないが、日本語自体は理解している様子で、クレハのその一言には少し動揺の色を見せた。

 クレハはその変化を見逃さない。


「何か勘違いしてないか? 殺すのは私じゃないぞ? 殺すのはお前だ。お前が家族の首を絞め、知り合いの胸を刺し……お前が愛する人の首を跳ねるんだ。自殺なんて絶対させない」


 視線を振らさず、彼女の視線は『アンノウン』の瞳の奥へと注がれる。

 全てを見透かし、不安を煽るその曇った眼に恐怖を感じながらも、彼女は逃げ出さない。


「もしかして出来ないと思ってる?」


 彼女は心の中で確かに少しこのような幻想を抱いていた。

 表向きの『アンノウン』のメンバーを自分を除き全て殺した目の前の殺人鬼が、出来もしないことを吠えているだけに思っていた。


「出来るぞ……?」


 クレハは徐々に不気味な笑みを浮かべていく。

 全身の体毛が逆立つ様な不気味さに、彼女の抱く恐怖への疑念は確信へと変化していく。


「……出来る」


 クレハは暗い瞳の周りの筋肉を動かさず、ニタァと口角をあげる。

 彼女の足はすくみ、今にも崩れそうな膝に鞭を打ちギリギリで体勢を崩さずにいる。


『アンノウン』の女は完全に理解した。

 目の前の殺人鬼の言っていることは真実だと。

 しかし彼女はその事実を受け入れたくはない。

 恐怖に支配された彼女はクレハには理解できない異国の言語で、ブツブツと話し始める。

 自己暗示により自身の恐怖からの束縛を解こうとしているのだ。


「何言ってんのか分かんねえよ! 日本語で話せこのゴミムシが!!!! いいからその子を離して私に殺されろ!」


 駄目押しとばかりに注がれるクレハの罵声に彼女は完全に錯乱し、精神的にも屈強な暗殺者であったはずの彼女は身体中から液体を漏らす。

 そして、冷静さを欠いた人間は何をしでかすか分からないものだ。


『アンノウン』はアイリの下腹部に、鋭いナイフを突き刺した。


 腹を刺されたアイリは言葉にならない悲鳴をあげる。

 口を塞がれているため、その叫びは街に響くことはないが、クレハはその悲鳴に、また彼女の悲惨な体を見て目を背けたくなる。


 アイリはすぐに自分の加護ギフトで痛覚を遮断する。

 そうして、一時的に難を逃れたとアイリは思っていたが、そうはいかない。


 彼女は自分の腹部から、体の一部が飛び出てしまっていることを視認する。


 ピンク色のシワの多いそれが露出しているという受け入れがたい現実に直面したアイリは、痛覚だけでなくあらゆる感覚を遮断し現実から逃避した。


 全感覚を遮断し、なにも感じない今の少女はまるで無の中を漂うような気分であった。

 そして感じないにも関わらず、少女は自分の体の異変を感じ取る。

 見えないし、聞こえない。

 そのように自分の体を作り変えたというのに、彼女の脳内に不意にあるシーンがぼんやりと浮かんできた。


(これは……? タケル先生? 先生が私を殺して……)


 途切れ途切れのシーンが浮かんでは消え、浮かんでは消え、彼女はそれがどの様なものであるのかを直感で理解する。


 アイリの腹部を刺した『アンノウン』の女はポケットへ手を入れるとそこから1つの武器を取り出した。

 それはクレハにとってはあまり見覚えのないもの。

 黒く小さな武器であるが、その殺傷能力はあまりに高く、この世界において流通のしていない兵器の一端。



 女は拳銃のトリガーに指をかけ、アイリのこめかみにそれを押し当てた。

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