第25話 空飛ぶ左腕

 ダンジョン第2階層。

 俺が最初にミノタウロスと戦った階層だ。よく見ると、ダンジョンの土壁には所々深く刻まれた斬撃の後が残っている。昨日俺が逃げている間にミノタウロスがつけたものだろうか。

 それにしても深くまで壁がえぐられているな……よく俺はこんな攻撃を耐えられたものだ。俺の体は本当にどうしちゃったんだろう。元の世界では親父に殴られて普通に怪我とかしてたんだけどな。

 まあ、俺の体の謎についてはどうでもいい。それ以上の謎が今起きている。


「あれ? ミノタウロスいなくない?」


 昨日までたくさん、それこそ蟻ぐらいたくさんいたはずのミノタウロスが一匹もいないのだ。

 口に出した言葉がダンジョンの中を反芻する。

 むしろ小物のモンスターすらもこのダンジョンにいないという可能性すらある。だとしたら、アイリはさらに下の階に行ったということになるだろう。

 アイリは誰にも迷惑かけないように自殺しようとしているんだから。


 俺は昨日来たばかりのダンジョンなので、内部の構造に少し詳しくなっていた。

 最短経路がどうのとか、落とし穴かと思われた穴は実は二つ下の階に直通で行くことのできるショートカットポイントだったとか、結構知っている。

 自分の加護ギフトを活かしてダンジョンの構造を地図にする仕事なら俺でもできるかもしれないな。需要ないだろうけど。


 ショートカットポイントは使わず、一階ずつ、漏れのないように、ダンジョンを捜索する。アイリの名前を叫びながら走り回るが、俺の声に反応するものは1人もいなかった。


 というか、もう結構な時間ダンジョンにいるというのに、本当にモンスターがいない。このダンジョン、全然ダンジョンしてないんですけど!

 ありがたいことなんだけど、拍子抜けだ。


 *


 そんなこんなしているうちに第9階層まで来てしまった。

 ここまで出会ったモンスター0。そしてダンジョン内の静けさから、この階層にもモンスターはいないとすぐに分かった。

 そうなるとアイリは最終の第10階層にいることになるだろう。

 そしてこの調子だと最終層にもモンスターはいない。

 9層から10層に向かうための階段前で出待ちしていてもアイリを捕まえることが出来そうだが、せっかくここまで来たのだから、10階層まで行ってみよう、と俺は思った。

 松明灯る階段を、俺はゆっくりと降りて行く。


 *


 第10階層。

 この階層に来て急にダンジョン雰囲気が変わった。ダンジョンの見た目自体は何も変わっていない。前回と同じように、茶色い壁の広い道。そしてその壁には松明が灯っていて頼もしい。


 しかし、今は何かが違う。

 何か空気が張りつめたような、緊張感に包まれている。

 腕の毛は逆立ち、嫌な気配を全身で感じていた。

 これまでに階層と何かが違う。違うのだがそれが具体的になんなのか分からない。

 心臓の音が早まる中、俺はダンジョン内に響かせるように少女の名前を呼んだ。


「アイリ!!!!!! どこにいるんだ!!!!!?」


 俺の叫びはやはりダンジョンに響くだけ。

 やまびこのように何度かこちらに音が返ってきて、それと同時に俺じゃない誰かの声が混じっていることに気付く。

 濁点をつけたような言語と言えない濁った叫び声ダンジョンの奥から聞こえる。この短期間で声変わりしたな、とか一瞬思ったけどそんなバカなことはない。


 ついにモンスターがこの階に現れたということだろう。そしてモンスターがいるところ、アイリは絶対にいる!


 俺はモンスターの声が聞こえた方に走り出す。

 場所は昨日ミリアが大量のミノタウロスに対して二つの宝具を放った開けた空間だ。


 そこにはクリーム色のふんわりとした髪にフリルのついた服を纏う少女、それにミノタウロスに似たモンスターがそこにはいた。

 アイリは覚束ない足取りで、モンスターに近付いていく。


「アイリ!! 待て!」

「……タケル先生? どうしてここに……?」


 涙を流し、虚ろな目をしながらアイリは俺に問いかける。

 全てを捨てて諦めきったその様子に俺は心が痛む。


「アイリに伝えたいことがあってね。アイリの加護ギフトについてだよ」

「やめてくださいですの! 知りたくない知りたくない知りたくない!!!」


 頭を抱えうずくまるアイリに駆け寄り、その体を抱き寄せる。

 少しきつめに抱かれたアイリは驚きで目を見開き、目に溜めた涙がポトリとダンジョンの地面に落ちた。

 そして俺は少女の耳元で先ほどミリアが言っていた【魔王因子】について説明した。


 説明を聞くに連れて彼女の表情はどんどんと変化していく。

 人生に諦めたような様子の彼女はもうそこにはいなかった。

 説明を終えるとアイリはさらに涙を流し、俺の胸に顔を埋める。

 俺は少女の背中を右手でさすり、左手は頭に回した。


 アイリは多分もう大丈夫だ。

 自殺なんてことをしようとなんてしないだろう。


 俺は少し離れたところにあぐらをかいて座り込むミノタウロスのようなモンスターを睨んだ。


 全体的に茶色い肌をしていたミノタウロスに比べ、今目の前のあいつは青っぽい肌をしている。

 元の世界では全身ブルーの音楽ユニットがあったが、そいつを筋肉隆々身長は倍に、胸毛を大量に生やし、背中には紫色の結晶を刺して、巻き角をつけた感じだ。どんな感じだよ。

 赤く光る瞳、また持っている斧などミノタウロスと似通った点があるがそれでもミノタウロスではない何かだった。

 ミノタウロスはこちらに気付くとあぐらをかくのをやめ、立ち上がる。

 立ち上がった後の全長はあの巨人、ゴウケンよりも上をいくほどだ。

 圧倒的なプレッシャーに俺の足は自然と後ずさりしていた。


 泣いているアイリを抱くのを一度やめ、俺も立ち上がる。

 首をかしげるアイリに向かって俺は言った。


「アイリ、知ってると思うけど上の階にはモンスターがいない。俺はちょっとこのモンスターの相手をしているから先に帰ってて」

「でも…………それだとタケル先生が危ないですわ!」

「大丈夫、大丈夫。さっきはアイリにそれにアイリのお父さんにも負けちゃったけどさ、俺は本当は強いんだぜ? ……そんなに心配なら少し見てて。すぐに問題ないって分かるから」


 最後までアイリは心配そうな顔をしていたけど、それは心外だな。

 昨日のダンジョンでの活躍を見せてあげたい。


 数多のミノタウロスの攻撃を全く抵抗することなく無力化スル俺の防御力。

 全攻撃を1ダメージにするメタル何ちゃら顔負けの俺の姿を。


 俺は斧を持つ青色のミノタウロスに向かって走り出す。

 一度大きく吠えたミノタウロスは斧を構えると強烈な一振りを繰り出す。

 しかしそんなものは俺に通用するはずもなく、あっけなく……俺の体は宙を舞った。


「(……え?)」


 単純な疑問が俺の頭に浮かぶ。

 そして次に猛烈な痛みが左手に走り、鈍痛が思考を支配する。

 宙を舞う中、俺の目に映ったものは、飛び散った赤色の液体、そして……


 先ほどまでそこにあったはずの左手だった。

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