第1章 部活動活性化編

第1話

第1話


季節外れの熱波に日本中が蒸し上がった新学期。

都内某市某私鉄駅前の駄菓子屋では毎月恒例の「ピロリチョコひと掴み百円フェア」が開催されていた。

山積みにされたチョコも溶けようかという暑さの中、店の前では一人の男子高校生がチョコの山と睨み合っている。


 「う~ん」


男子生徒の後ろには月に一度の安い食糧を調達しようと、同じ制服に身を包んだ生徒たちが列をなして待っている。

四月とは思えない太陽の下、「早く次にまわしてくれ」と皆が男子生徒に熱い視線を送っているのだが、彼は全く気付く様子もなくどうしたらより多いチョコを取れるものかと頭を悩ませている。


 「う~~ん」


店員が商品整理の手を止めて男子生徒を見やる。

列の進みがわるくなったことに気づいたようだ。小さく溜息を吐く。

そのままずかずかとチョコの山に近づくと、店員はその大きな手をチョコの山に突っ込んだ。


 「あ」


男子生徒の空いた口から間抜けな声が零れる。

そんなことは気にも留めず、店員は男子生徒の手に握られていたポリ袋の中に、大きな手で掴めるだけ掴んでいたチョコをドサドサと落とした。

手の中の重量でやっと何が起きたかを理解し、男子生徒は顔をゆがめる。


「ちょっと!オレの百円!」

「時間切れだ」


低い声で短く告げて、店員は店内へ退く。日陰で一息つくと、

「ばあちゃん。茶でも飲むか?」


と店主らしき老婆に声を掛けて店の奥に去っていった。

その背中を恨めしそうに眺める男子生徒の横では、次の生徒が料金箱に百円を入れ、嬉々としてチョコの山に手を突っ込む。

それを横目で見やってから、男子生徒は仕方ないといった風に溜息を漏らした。

駄菓子屋に背を向け、とぼとぼと歩き出す。


だが、長い列の最後尾のさらに向こう、駄菓子屋の向かいの美容院の前で涼し気な顔で待っている友人の前に立った男子生徒は、先ほどの溜息など忘れたかのように勝ち誇った顔で笑った。


「別に自分で掴まなくっても有効だよな?」


そう言って、友人よりも多くのチョコが入った袋を見せつけるように振る。

友人はそれに苦笑を返し、手に持ったチョコ入りの袋を男子生徒に手渡した。


「毎度あり~」

「手の大きさで言ったら、絶対僕が勝つんだけどな」

「へへ!どうよ!オレの素晴らしい戦略は!」


楽しげに喋りながら、二人はどちらともなく駅に向かって歩き出す。その後ろ姿を美容院の中から観察する人影があった。


「ふうん・・」


面白いものを見つけたとでも言うように微笑むと、その人は膝の上に広げた雑誌に目を落とした。


*************************


昨日の熱波はどこへやら、一気に春らしくなった風が教室のカーテンを揺らす。


『新入生の皆さん、入部先はもう決めましたか?

昨日に引き続き、各部活から寄せられた勧誘メッセージを紹介します』


紙をめくる音を交えながら、低く落ち着いた声で昼の放送が読み上げられていく。


「鷹座さんは部活決めたの?」


弁当を食べ終え片づけを始めていた鷹座マリエはその言葉に手を止めた。少し困ったように笑って彼女は答える。


「まだ、というか入るつもりがないんですの」

「えぇ!だめだよぉ?どこでもいいから絶対入んなきゃ」


そんなことはマリエも重々承知だ。

去年の秋に生徒会の代替わりがあってすぐそんな制度がつくられたと、数週間前の入学ガイダンスで生徒会役員が言っていた。

なんとも迷惑な話である。


『続いては調理部。優しい先輩と一緒にクッキングを楽しみませんか?』


あ、と女子生徒は嬉しそうにスピーカーを見上げる。


「調理部!すっごく気になってるんだぁ。家庭科部も面白そうだけど・・。鷹座さん、一緒に見に行かない?」


そうですわね、と迷って見せながら、さてどう断ったものかとマリエは苦笑する。

彼女にはそんなことに使っている時間はないのだ。


「誘ってくださるのは嬉しいのですけど、私、放課後は忙しいんですの」


そう言いながら弁当箱を片付け終わるとマリエはスッと席を立つ。


「お昼休みも予定がありますので、失礼させていただきますわね?」


笑顔とは裏腹に返事も聞かずに教室を出ていくマリエを「またあとでねぇ」と間の抜けた声が追いかける。

おめでたい人、とマリエは思わず苦笑する。


(あの方、何てお名前でしたっけ?)


そんなことを考えながらマリエは階段を降りていく。

彼女が歩くたびに高く束ねたツインテールが跳ねるように揺れる。


二階の踊り場を通り過ぎようとした時、突然目の前に割って入った人影にマリエは躓くように足を止めた。


「鷹座マリエちゃんだよね?」


猫なで声にマリエの頬が引きつる。

ありったけの不機嫌さを露わにしてマリエが見上げると、彼女よりも頭一つほど背の高い男子生徒が二人、何やら含みのある笑みでマリエを見下ろしていた。


「お昼休みまで忙しそうだよね」

「ええ。用があるなら簡潔に済ませて下さる?」


冷たい声でマリエは吐き捨てるが、二人はからかうように怖がってみせるだけだ。


「マリエちゃん、部活は決めた?」

「そもそも入る気がありませんの」


勧誘か、と見限ったマリエは簡潔に答えてその場を去ろうとする。だが二人はそのマリエの言葉に食いつくようにして言った。


「そう!そうだよね!入る気にならないじゃん?」

「でも規則としてどこかしらには所属しなきゃいけない」

「そこで!うちの縄跳び部なんかどうかな?」

『さて、次は縄跳び部から。

縄跳びが好きな人、大歓迎。放課後は校庭、しいの木前まで』


絶妙のタイミングで読み上げられた放送に、二人は嬉々として「誰が行くかよ」と嫌味を吐く。

下品な笑いに、マリエの我慢が限界に近づく。


「あ、縄跳び部って、名前はダサいけど、活動は本当に楽だから」

「そうそう、ダサいのは名前と部長だけ」


プツン、とマリエの中で何かが切れた。


「時哉」

『はい、お嬢様』


低く告げる声に耳元の通信機が応える。


「『ダサい』という言葉を間違って使っているそこの哀れな方たちの名前を調べて、学校の名簿から消しておいて頂戴。お金が必要でしたら、全額私がだすわ」

『かしこまりました』


思いもよらない展開に、縄跳び部の二人は口を開けたままマリエを凝視している。

もう用はないとでも言うようにその場を立ち去ろうとするマリエに二人ははっと我に返り、ちょっと待てよ!と縋るように喚きだした。


「だ、だって、しょうがないだろ!」

「俺たち、サッカーとかバスケとか、そういう女子にモテるカッコいいスポーツやったことなんかないんだからさ!」

「だからしかたな~くなわとび部にはいってやったってのに、やっぱ地味でよぉ!」


昼食を終えた生徒たちが、声を聞きつけて何事かと集まり始める。

正直もう口もききたくない相手だが、騒ぎになるのはごめんだとマリエは渋々口を開く。


「なら、かっこいいと思われることをすればよろしいんではなくって?

ご自身がダサいのを所属している部活のせいにするなんて、お門違いでしてよ」


次の学校ではお行儀よくしてくださいまし、とマリエは二人に背を向ける。

彼らのせいで貴重な時間を浪費してしまった。足早に階段を駆け降りる。


『お嬢様』

「何かしら?」

『お探しの彼ですが、本日は屋上にいらっしゃいます』


一瞬考えるように歩みを止めて、マリエはくるりと踵を返す。


「そういうことは先に言って下さる?」

『申し訳ありません』

「いいわよ。責めてるわけじゃないから」


再び現れたマリエの姿に震撼する二人を横目に、彼女は屋上へと階段を昇る。

彼女の頭上でチャイムが鳴り響き昼休みの始まりを告げた。


*************************


その数分前。

二年B組学級委員長・竹虎アスナは廊下を足早に歩いていた。


「なあ、委員長、どこ行くの?」


そう言って後ろからついてきているのは、アスナのクラスメイト・金城土リュウである。

今年度から同じクラスになった二人はまだ互いの名前を知っている程度の仲なのだが、なぜか連れ立ってどこかへ急いでいる様子だ。


「なあ~委員長ってば~」

「屋上よ」


先を行くアスナは振り返らずに答えた。

「てか委員長髪切ったよね」と話しかけるリュウを無視してアスナは屋上へと続く階段を昇っていく。

何をそんなに急ぐのかと不思議に思いながらリュウも後に続く。



事の始まりは朝礼の後だった。




「金城土くん」


担任が教室を出た途端、アスナはリュウの席にやってきて言った。


「昨日の駄菓子屋でのチョコの掴み取り、店員に掴ませたのはわざとってことでいいのよね?」


何で知ってるんだ、とリュウは不思議そうな顔でアスナを見上げつつも答える。


「まあ、店員の方がオレより手がデカいだろ?」


それを聞いたアスナは何やら真剣そうな面持ちで数秒リュウを見つめ、昼食をなるべく早く済ませて自分についてくるよう告げると自分の席へと戻っていった。



「あ、」


そしてその行き先が屋上だと言う。


「もしや委員長~昨日のでオレに惚れたな~?」

「・・馬鹿言ってないで黙ってついてきて」


またまた~、と続けるリュウに、アスナはため息を吐いて屋上の入り口に手を掛ける。

昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴り響く中、アスナはドアを開けて屋上で待っていた人影に声を掛けた。


「タイガ、お待たせ」


二人に背を向けていた人影は呼びかけに気づいて振り返る。


「あ!」


リュウが振り返った人影の顔を見て声を上げる。

それに対してタイガと呼ばれた男子生徒も声には出さず驚いた表情を浮かべた。


「昨日の駄菓子屋!」

「昨日のチビ」

「チビじゃねぇし!四捨五入したら160あるし!」


噛みつこうかと言う勢いで反論したリュウを見下ろしているのは、昨日彼が立ち寄ってチョコの掴み取りに挑戦したあの駄菓子屋の店員である。


「・・それはチビってことなんじゃないのか?」

「んにゃろ・・世界中の160センチ男子に謝れ!」

「?そうなるとお前には謝らなくてよくなるが・・・160ないんだろ?」

「ああああ!もう!委員長、こいつなんなの?」


顔を真っ赤にして振り返るリュウに、アスナは肩をすくめる。

大体予想はついていたが、思った以上に相性のいい二人だ。


「私の友達。飛澤タイガ。

あなたには彼の相談に乗ってほしいの」


駄菓子屋の店員、もとい、タイガは表情を変えずに軽く会釈をする。

会釈を返しながら、リュウはなにやら不満げに唇を尖らせて言った。


「ま、委員長が言うならいいけど、なんでオレ?」

「それは俺も気になる。このチビがそんな有能には見えんのだが」

「やかましいわ!」


再度噛みつくリュウに呆れたように溜息を吐いて、アスナは答えた。


「小さいからこそよ」

「どういうことだ?」

「あの掴み取りって、要するに手が大きい方が有利でしょ?

でも、金城土くんはタイガが言うように背も手も小さい」


これから大きくなるからいいもんね~と拗ねるリュウには触れずにアスナは続ける。


「だから彼は、自分よりも手の大きいあなたにチョコをとるように仕向けたの」


タイガは一瞬眉を寄せ、ゆっくりと目を見開く。

確かにタイガの方が手は大きいが、そんな型破りな発想をする客には出会ったことがない。


「正攻法はやりつくしたし、これくらい面白い事できる人の方がいいかと思って」

「・・本当か?」


信じられないという顔でタイガはリュウを見下ろす。

なおも拗ねていたリュウは、一拍遅れて、その言葉が自分に向けられたものだと気づいた。


「え、まあ、うん」


曖昧な答えに不安をにじませながらも、タイガはリュウから目を離さない。


「これで相談する気になった?」


自信ありげにタイガを見上げるアスナにちらりと目をやって、タイガは諦めたように息を吐きだした。


*************************


ようやくたどり着いた屋上の扉の前で、マリエは乱れた呼吸を整えていた。


(さすがに階段の駆けあがりはきついですわね・・)


息が整えつつ、マリエは周囲に気を配りながら屋上を覗う。

薄く開いたドアの隙間から三人の人影が見える。


「お前が連れてきた奴だ。信用しよう」


一番背の高い一人がそう言うと、マリエはびくっと肩を震わせた。


(こ、この声は・・!)


よく見ようと、マリエはドアをもう少しだけ開ける。

三つの人影が見えるが、マリエの目はただ一人、声の主であるタイガにのみ注がれている。


(あああ)


言葉にならない声を必死で抑えながら、マリエは神に感謝するように両手を合わせる。


(タイガ様、今日も素敵すぎますわ・・)


中学一年生の時に出会って以降、マリエはずっとこの飛澤タイガに想いを寄せ続けている。

それから彼のストーキングが彼女の日課となり、名門お嬢様校の内部進学を蹴ってこの高校に通うくらいには、マリエは彼に「お熱」なのだ。


(練習もなさらずに・・何か大事な御用事なのかしら?)


うるさく鳴り響く心臓を落ち着かせながら、マリエは三人の話に耳をすます。


「今年から俺が部長を務める縄跳び部のことでな」


深刻そうな顔でタイガは切り出した。


「去年の秋、部活への所属が義務化されてからは部員も増えたが、俺以外は全くもってやる気のない幽霊部員だ。

他の部活には空きがないという理由で仕方なくうちに所属している」


ああ、と秋までは帰宅部だったリュウが応じる。

彼も友人が所属する放送部に潜り込ませてもらったクチだ。


「だからやる気のある新入生がいないものかと期待していたんだが・・」

「新入生の勧誘もうまくいってないと」


無言で頷き、タイガは校庭のしいの木に目をやった。


「休み時間と放課後には練習も兼ねて校庭で技を披露している。

それなりに見物人もいるし、二重跳び程度でも盛り上がってくれるから、決して印象が悪いわけではないんだが・・」


ふむふむ、と腕を組むリュウに、それとね、とアスナが付け足す。


「この前の定例会で生徒会がいってたんだけど、これからは部活の活動の度合いで廃部にするかどうかを決めるそうなの」

「なんじゃそりゃ?」


初めて聞く情報に間抜けな返答がリュウの口を突いて出る。


「元は確か、新聞部だったかの部長が『グラブ所属の義務化は帰宅部を幽霊部員に変えただけ』と発言したからなんだが・・」


実際、放送部の幽霊部員と化したリュウは確かにそうだな、と頷きながらも不満げに零す。


「それがどうやったらそんな恐怖政治みたいになるんだよ」

「たぶんだけどね、各部長に危機感を持たせようって、そう言うことなんじゃないかなって、私は思ってる」

「んな馬鹿みたいな」

「私もそう思うわ。

うちってそんなこと言う学校だっけ、ってちょっと残念な気分・・。

でも、生徒に人気があって活発に活動する部活だけが生き残る、とても『いい』やり方なのは確かよ」


そう言うもんかな、と口をとがらせつつも、リュウはタイガを見上げて肩をすくめる。


「ってことはお前も人数集めだけじゃダメになったってことか」

「そう言うことだ」

「部長も大変だね~」


他人事のように労うリュウをタイガは数秒、無言で見据える。

しんと静まり返った屋上に昼練を始めたトランペットの音が響き、居心地が悪そうなリュウはタイガにちらりと目線を送る。

タイガは深く息を吐き、吸い込んで、口を開いた。


「だから頼む。

新入生の勧誘期間が終わるまでにやる気のある新入生を紹介してくれ」

「・・・でも、オレには何のメリットもねーよなー・・・」

「頼む」


タイガは頭を下げて食い下がる。


「この通りだ」


頭を下げられて戸惑うリュウに、これが最後の頼みだと、タイガは縋るような思いで言葉を絞り出す。


「解決してくれるのなら、なんでもする!」


バン!と何かが吹き飛ぶ音が屋上に響いた。


「なんでもですって?!」


爆音と叫び声に三人が振り返ると、屋上の入り口ではマリエが鬼のような形相でタイガを凝視しており、横には彼女に蹴破られたドアだったものが転がっていた。


「今、なんでもするといったわよね?!」


掴みかかるようにして問い詰めるマリエを、タイガは目を丸くしながらなすがままにしている。


「あ、ああ、言った。言ったが・・?」

「あなた、もしかして一年生の『ご令嬢』?!」


驚きを隠しきれないままにアスナが声を上げる。

その声にハッと我に返ったマリエは、ゴホンと咳ばらいをしてすました様子で口を開いた。


「ええ、私は鷹座コーポレーション社長の一人娘、一年C組、鷹座マリエですわ。

初めまして」


実はマリエはアスナのことも知っているのだが、それを言うとタイガへのストーキングがばれかねないので初対面を装う。


「たまたまあなた方のお話が聞こえましたの。

それで、ここは社長令嬢である私がこの圧倒的財力でもって問題を解決して差し上げようかと思いまして」


ノブレスオブリージュとも言いますし?と自信満々に言いきるマリエに、アスナは疑問をぶつける。


「それと『なんでもする』とはどういう関け」

「それはどうでもよくなくって?!」

「べ、別にいいけど・・」


噛みつくような勢いに気おされてアスナは思わず一歩下がる。

そのまま、どうしよう、とタイガを見上げ、彼もそんなアスナを困ったように見下ろす。

その隣で一連の乱入騒ぎにただただ唖然としていたリュウは、途切れた会話にハッと我に返るとタイガとアスナを振り返って言った。


「なんか、すっごいやる気のあるお嬢さんもいるみたいだし、オレは帰るぞぉ」


じゃ、と言ってそそくさと立ち去ろうとするリュウをアスナは引き留めようとするが、そうはさせるかとマリエがアスナの前に立ちふさがる。


「あの方の言う通り、ここはこのマリエにお任せくださいませ」

「でも・・」

「ご安心ください!」


不安げな二人にマリエは胸を張る。


「お金で解決できないことはないんですの!」


凛と響いたマリエの声に、扉へと向いていたリュウの足が止まった。


聞き捨てならない言葉に、考えるよりも先に口が動く。


「それ・・・本気で言ってんのか?」


すっと振り向いた視線がマリエを捉える。

感情の読めない低い声が屋上に響き、マリエの肩が跳ねる。


「な、何か間違っているかしら?」

少し震えた声でマリエが問い返すと、リュウは口角を釣り上げた。


「ああ、間違っている。間違っているとも、大間違いだ!」


好戦的な笑みでそう言い放つと、彼はタイガに向き直った。


「飛澤、委員長、その頼み、オレが引き受けてやるよ」

「ほ、本当か?」

「おう!それとそこのお嬢!

どんだけ金持ちなのかは知らないけどな、このオレの素晴らしい戦略でその腐った脳みそ叩き直してやるから覚悟しやがれ!」


*************************


「で、お嬢様にお見舞いする素晴らしい戦略のために僕の知恵を借りたいって?」


からかうような笑みを浮かべながら、栄タツノリはリュウを見下ろした。

放課後の放送室は静かで、開け放たれた窓からは初夏の風とともに運動部の掛け声が吹き込んでいる。


「そういうこと。天才幼馴染様の知恵でも借りようと思ってよ」

「リュウ」


言葉を途中で遮って、タツノリは鞄から一冊の本を取り出す。


「何度でも言うけど、僕は天才じゃないよ」


穏やかな顔に似つかわしくない強い語調で言い切り、彼はページをめくる。

「・・オレは嫌いだよ、自分を卑下する奴」

「卑下じゃないよ。

ただ、本当に天才と呼ばれるべき人を知ってるってだけ」


リュウは面白くなさそうな顔をしたが、タツノリはパラパラとめくられていくページに目を落としたまま気にする様子もない。

しばらく沈黙が続いたあと、探していたページを見つけるとタツノリ思いついたように口を開いた。




「「小さく砕いて、一つずつ解決すれば、解決できない問題はない」」




どこか懐かしい言葉にリュウはタツノリに目を向ける。




そこへ一際大きく風が吹き、膨らんだカーテンがリュウの視界からタツノリを隠した。ほんの一瞬、カーテンに反射した白い光がリュウの脳裏から記憶を引き出す。



(・・あぁ、そうか、あの時の)



自分も忘れっぽくなったもんだと、リュウは揺れるカーテンを目で追いながら口を尖らせる。どうせこのカーテンの向こうではあの嫌味っぽい笑みを浮かべているのだろうと思うと、タツノリに言われるまで忘れていた事実が無性に腹立たしい。




「・・それがどうしたんだよ」

「言葉の通り、コレを使えばいいんじゃない?」


タツノリがトントン、とページを叩くと、リュウは不機嫌そうな顔のまま彼の手元を覗き込む。


「っていうか、リュウなら使ったことあるでしょ?」

「・・・いや?初見だわ」

「え?なんで?」

「逆になんで知ってると思ってんだよ」


珍しく困惑した様子のタツノリの手から本を取り、リュウはページに目を走らせた。

何も言わずにページをめくり続けるリュウを、タツノリも何も言わずに眺めている。


タツノリが示した十数ページのその章を何度かペラペラと行き来し、リュウの手が止まった。


「どう?」


タツノリが呼びかけると、リュウは丸く見開いた目で彼を見上げた。




「・・使える!」




*************************


新歓期間も終わりに近づき学校中が盛り上がるなか、壁に貼られたチラシをはがす人物がいた。

階段や廊下を周りながらとぼとぼと歩く背中に、見かねたアスナが声を掛ける。


「マリエちゃん」


呼ばれたマリエはピクリと肩を震わせ一瞬手を止めたが、すぐに何事もなかったかのようにチラシ剥がしを続ける。

左腕に抱えられた無数の紙切れが剥がされてもなお縄跳び部への入部をうたうのが、アスナには気の毒で仕方がない。


「チラシ剥がしちゃうの?」


問いかけに応える代わりに、マリエは一枚また一枚とチラシをはぎ取っていく。

アスナはそんな彼女の背中を、話しかけることも立ち去ることもせずただただ見ている。


手の届く範囲のチラシを剥がしきってしまったマリエは、行き場のなくなった右手を下ろして立ちつくした。


「私、タイガ様のお役に立てませんでしたわ」


アスナに背を向けたまま、マリエは気丈に前を見据えて言う。


「一昨日、タイガ様に数人の新入生を紹介しましたの」


屋上での話があったその日の放課後のうちに、マリエはまだ入部先を決めていない新入生たちを全員集めて「縄跳び同好会で精力的に活動すれば報酬を出す」と宣言したのだ。

社長令嬢としての彼女の知名度と信頼は絶大で、多くの応募の中から選りすぐりの生徒たちをタイガに紹介したのが、先週の土曜日の事だ。


「タイガ様、その時はすごく喜んでくださって、マリエ、本当に本当に、嬉しくて」


今朝、タイガが下駄箱でマリエの登校を待っているのに気づいた時には、夢を見ているのではとすら思った。

昨日の夜、眠れずにに考えたお願い事を、もう一度心の中で復唱してタイガの前に立つ。


だが、マリエを見つけたタイガは深く頭を下げて謝罪したのだ。


『鷹座さんがこのためにいろいろと準備してくれたのはわかっている。

だが、金欲しさに入部する後輩とは、俺は一緒に活動できない』


すまないと言った低く重い声とピンと伸びた背筋を思い出し、マリエは思わず笑いそうになる。

そんな真っすぐな人だから、マリエは彼の事を好きになってしまったのだ。

だからマリエは、手製のチラシを剥がさなければいけない。


「それでも、マリエは、」

「大丈夫よ」


マリエの腕がふと軽くなる。

いつの間にか下がっていた視線を上げると、マリエが抱えていたチラシの束を手にしたアスナと目が合った。


「あいつはそんなことで誰かを嫌いになるようなちっちゃい人間じゃないから」


その言葉に、マリエは思わず唇を噛む。

忘れていた感情が彼女に戻ってくる。


(それくらいのこと、あなたなんかに言われなくたって)


マリエの勝気な表情にアスナは安心して笑う。

そこへ突然、スピーカーから聞いたことのある声が降ってきた。


『あ、あ、マイクテス、マイクテス。

皆さん、昼休みはいかがお過ごしでしょーか』


明らかに放送に慣れていないリュウの声が校内に響き、二人は反射的にスピーカーを見上げる。


『放送部、お昼の突撃ジャック放送ですよー』


皆が怪訝な顔で上を見上げる中、気の抜けるような言葉にマリエとアスナは思わず互いに顔を見合わせてしまう。


『内容は簡潔!

目立ちたい奴。カッコよくモテたい奴。

えーと、あとは、ワイチューブみたいな動画の世界に飛び込みたい奴!

そんな奴らは今日の放課後、しいの木前に来い!

このオレ、二年B組金城土リュウがその夢をドーンと叶えてやる!』


音量調整のされていない高笑いが廊下に反響する中、血相を変えた教員が二人、階段を駆けあがっていく。

その騒ぎを遠目に見ながら、マリエとアスナは呆けたように呟いた。


「しいの木前って」

「縄跳び部の練習場所ですわ」


唖然とした二人を見下ろすスピーカーの向こう。

その更に向こう側のマイクの前で、今頃下は大騒ぎかな?と無邪気に笑いながら、リュウは放送終了ボタンに指を添える。


「それでは皆さん、ごーきげーんよー」


ゆっくりとボタンを押し込むと彼はくるりと振り向き、呆れたように笑うタツノリに向かって親指を立てて見せた。


*************************


その日の放課後、タイガは普段より多いギャラリーに内心戸惑いながらも、いつも通り、しいの木前で縄跳びの練習をしていた。

準備体操代わりに二重跳びをすると、ギャラリーにどよめきが走る。


(この程度なら、誰でもすぐできるようになるのにな・・)


曇りかける表情を引き締めて二重跳びを続けていると、ギャラリーの向こうに焦った様子のマリエが見えた。

今朝の事を思い出して、思わず手が止まる。

どう声を掛けよう、とタイガの視線が下がるが、そんなタイガの様子など気にも留めず、マリエはタイガに詰め寄った。


「今日のお昼休みの放送はお聞きになりまして?!」

「?昼休みに放送なんかないだろ?」


校庭で練習をするタイガには今日の昼の騒ぎが聞こえなかったようだ。

説明をしようとマリエが口を開きかけた時、騒ぎの発端が校庭に現れた。


「いやーごめん!遅れちゃった」


担任に怒られてよぉ、とギャラリーの向こうでリュウが手を振った。

その後ろではアスナが彼に冷たい視線を送っている。

状況を飲み込めていないタイガに「まあ見とけって」と声を掛けて、リュウは芝居がかった動作で両手を広げた。


「諸君、今日はよく集まってくれた」


リュウの声から彼が昼の放送の主だと気づいた見物人たちは、不安げながらも黙ってリュウを見つめる。


「今日の昼の放送で、言ったよな?目立ちたい奴、モテたい奴、ワイチューブでもてはやされたい奴はここに来るべし」


ギャラリーを前に自信満々に話すリュウの後ろで、困惑した様子のタイガがマリエに小声で話しかける。


(いつの間にそんな話になってるんだ?!)

(わ、私も知りませんわ!)

(俺は何もサーカスをしたいわけじゃないんだが・・)


マリエが今までになく近いタイガの顔に湯気を上げている横で、タイガは本当に大丈夫か?とリュウの様子を伺う。


「方法は簡単だ。縄跳び部に入ればいい」


ギャラリーからは戸惑いの声が上がる。

だがリュウはひるむ様子も見せずに、逆に勝ち誇ったように言い放った。


「おいおいおい。縄跳びは地味だなんて、何世紀前の感性だよ」


そう言って、大仰な仕草でギャラリーを見渡すと、ギャラリーは不安げながらも口をつぐんでリュウの話に耳を貸す。


「縄跳びは今じゃ全国大会や世界大会だってある、クールでイカしたスポーツなんだぜ?

それにワイチューブに行けばカッコいい縄跳び技の動画がいっぱいあるし、出来のいいやつはそれなりに視聴回数も伸びてる。

最近じゃスポーツメーカーが出してるカッコいいモデルの縄跳びだってたくさんある。

そんで縄跳び部に入れば、お前らだってカッコいい縄跳び技が決めれるようになる」


断言した彼の言葉には迷いが一切感じられない。

リュウが一つ一つと言葉を重ねるごとに、ギャラリーの視線から戸惑いが消え、代わりに希望が混じり始める。


「二重跳びどころじゃない、もっと色んな技を決めれば、どうなる?」


自分を見つめる一人一人の目を見て、どうだ?とリュウは眉を上げる。

彼を見返す期待の籠った目に、ここからが仕上げだと、リュウはタイガの背中を押した。

不意打ちで押されたタイガは、つまずくようにギャラリーの前に出る。


「それに、お前らもうとっくに気づいてるだろ?」


一体何のことかと、戸惑ったギャラリーの視線がタイガに集まる。

タイガはリュウを振り返る。

タイガと目をあわせて悪戯っぽく笑い、リュウは言い放つ。


「こいつが毎日縄跳び跳んでるの見て、お前らどう思ったんだよ?」


はっ、とその言葉に全員が気づいた。

毎日縄跳びを跳ぶタイガを見て、彼らが何を感じていたか。

縄跳びはダサいと言いながら、タイガの技が決まるたびに歓声をあげていたのは、一体なぜなのか。


「な?カッコいいんだよ、縄跳びってやつは」


恐る恐る向き直ったタイガに、ギャラリーは羨望の眼差しを向ける。

それがむず痒くてリュウを見下ろすと、リュウは満面の笑みで彼を見上げていた。


*************************


その後、ギャラリーの多くが縄跳び部への入部を希望した。


(なんてことですの・・?)


思いもしなかった結果にマリエは愕然とすることしかできない。

そして、そんな彼女の視界の端では、見覚えのある顔が気まずそうにこちらを見ていた。


「お前たちは・・」


マリエよりも先に気づいたタイガが、驚いた顔で声を掛ける。

その声にマリエが振り向くと、そこには先週、階段でマリエにちょっかいをかけてきたあの縄跳び部の二人が立っていた。


「オレが呼んだんだよ。クラスも一緒だし」


そう言ってリュウが促すと、二人はもごもごと口を開く。


「いや、やっぱ、縄跳びってカッコいいかもなって思ってさ。

そこのお嬢様にバカにされたのが気に食わないってのも、まあ、あるけど」

「だから、今更だけど、二重跳びとか教えてくんね?

それでさ、サッカー部やバスケ部に負けないくらいのかっこいい部活にしようぜ」


その言葉に、タイガの表情が明るくなる。

だが、ふと申し訳なさそうにして言った。


「今は大事な用があるんだ。少しだけ待っててくれるか?」


もちろん、との二人の返事に礼を言ってから、タイガはリュウに向き直る。

そして深く頭を下げた。


「ありがとう、金城土。恩に着る」

「そんなほどでもないって」


タイガの背中を見下ろしながら、リュウはひらひらと手を振って応える。

もう一度だけ、ありがとうと言ってから、タイガは頭を上げて少し言い難そうに切り出した。


「それでその、謝礼なんだが・・」


解決するならなんでもする、と言ったあの事だろう。

男に二言はない、と腹をくくった様子のタイガに、リュウは軽い調子で答える。


「ああ、それならあそこのお嬢の言うこと聞いてあげてよ」


彼が示した先には、マリエが、文字通り、崩れ落ちていた。


「ふ、ふざけないで頂戴!

負けた相手のほどこしなど受けませんわよ!」


涙目になりながらも強気な姿勢を崩さないマリエに、リュウは苦笑する。


「ほどこしじゃねぇって。それに・・」


リュウはクラスメイトの縄跳び部員に目を向ける。


(「かっこいいと思われることをしろ」なんて、よく言ったもんだ・・・)


少し待つよう言われた二人の元幽霊部員は、早速ワイチューブをみながら二重跳びに挑戦しようとしている。

彼らがこうしてやる気を出すためには、間違いなくマリエの一言が不可欠だった。

案外お前も答えを出してたんだぜ、とは口には出さずに、リュウはマリエに向き直る。


「これは取引だ」


マリエは首をかしげてリュウを見上げる。


「取引って・・何と何を?」

「こいつになんでもしてもらえる権利はお前にやる」


驚きを隠せないマリエに、にやりと笑ってリュウは続ける。


「その代わり、お前、戦略部の部員になれ」

「戦略部・・・?そんな部活聞いたことありませんわ」

「当たり前だろ?今作ったんだから」

「はあ?!」


唖然とするマリエを置いて、リュウは校舎に向かって歩き出す。


「どうせお前将来は社長か社長夫人にでもなるんだろ?

そういう奴が金でしか事を解決できないとろくなことになんないからさ」


そこでくるりと振り返り、ニカっと笑って彼は言った。


「このオレが直々に戦略ってやつを教えてやるよ!」


かくして縄跳び部は存続の危機を脱し、一躍人気部活となった。

そして、部員一人の非公認部活・戦略部がスタートしたのだった。


*************************


リュウが演説を締めくくっていたちょうどその頃、タツノリがいつものように放送室を訪れると、そこには珍しい先客がくつろいでいた。


「おう、たっちゃん」


長い手足を縮めるようにしてソファーに寝そべったまま、膝に乗せたノートパソコンから顔を上げる。


「久しぶりやの」

「その呼び方やめてって言ってるじゃん」

「えー。たっちゃんはたっちゃんやろ?」


まったくもって理由になっていない主張に、タツノリは反論する気をそがれてただただ苦笑する。


(まあ、言っても無駄か)


「珍しいね。学校にいるなんて」

「担任には勝てても単位には勝てん。

これでもワイ、華の高校生やから」


肩をすくめながらも彼はキーボードを弾く手を止めない。

パチパチと心地よい音が響くのを聞きながら、タツノリはその画面を後ろから覗き込んだ。


「今度は何作ってるの?」

「学校に来んでも単位が取れる、アプリ『きょう、さぼろーくん』」

「え、そんなことできるの?」

「できるかいな」


うっそぴょーんと言って笑う彼を、タツノリは呆れた顔で見下ろすことしかできない。

それを横目で見上げてけらけらとひとしきり笑い終えると、彼はパソコンを畳んでリュックに手を伸ばした。


「そろそろ行かな。担任に呼ばれとってな」


リュックを担いでソファーを立つ。

タツノリは見送る気がないらしく、手近な丸椅子に腰かけると、いつものからかうような笑みを浮べて本を手に取った。


「お説教頑張ってね、天才コーンくん」

「おーっと」


タツノリの言葉を遮るように大きく声を出し、去りかけていた背中が振り返った。

しー、っと人差し指を唇に当て、愛想笑いのような苦笑をタツノリに向ける。


「それはご法度ってやつやで?お客さん」


タツノリは手元の本に目を落としたまま、軽く肩をすくめただけだった。

どうせわざと言っているのだから、注意するだけ無駄だったようだ。


(・・しゃあないか)


ほなまた、と片手を上げて放送室を後にすると、そのまま下へと続く階段を降りていく。


(教員室どこやったっけ?)


数えるほどしか来たことのない高校の校舎を思い出しながら階段を降りていると、ちょうど踊り場の曲がり角で小さなツンツン頭とぶつかりかけた。


「おっ」


身をかわしてツンツン頭を避ける。

ツンツン頭ことリュウは、「ごめん!」と声を掛けようとして口をつぐんだ。

「すまんすまん」と手を振り階段を降りていく背中を見つめて首をひねる。


(あんなでっかい奴、うちの学校にいたっけ?)


背だけでなく、自由奔放に跳ねた独特の髪型も、校則違反のパーカーの派手な色彩も、どこかで見ていれば記憶に残っていそうなのに、どうにも見覚えはない。


(・・・・転校生?)


それなら何故四階から、とリュウは見覚えのない背中が居なくなった階段を見下ろす。

この先には放送室くらいしかないのだが・・


「あ」


放送室、という単語に大事な用事を思い出し、リュウは見下ろしていた階段に背を向け、残りの数段を駆けあがる。


「タツノリ!」


放送室の扉を開けるや否や呼びかけたリュウに、タツノリはびくりと飛び跳ねる。


「リュウ?なに?どうしたの?」

「戦略部入ろうぜ」

「え?戦略部?」

「戦略を考える部活だよ。さっき作ったんだ。面白いだろ?」


説明になってないんだけど、と口をついて出そうになるが、リュウの爛々とした目にタツノリは諦めたように息を吐く。


(まあ、言っても無駄か)


「リュウがそう言うなら、面白いんだろうね」


当たり前だろ、とリュウは胸を張って笑った。




第1話終了

第2話へつづく。


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