第8章 忘れられない瞬間(8)


「ほう。見事ですねェ!」

 花畑を見て、一番最初にそう声を出したのは、佐久間だった。

「ここって円香お姉ちゃんの庭なんだよ!」

「そうなんですか。へえ」

 奈々が言うと、佐久間は感心したように何度も頷いた。そして、円香の後について花畑を過ぎ、庭の端に着くとまた感心したような声をあげた。

「成る程! ははあ、これは確かに分からないですね」

 そこを覗き込む佐久間の横で、僕も一緒になって覗く。

 円香が言うように、確かにそこは外からは判り難い感じだった。僕の肩ほどまでの高さの植木を抜けると、そこはちょっとした雑木林になっていた。だがその場所も東郷家の土地であり、ぐるりと有刺鉄線が張ってあり、外からは入れないようになっていた。

「でもさ~。これ越えられる高さだから、泥棒とか多いんじゃない?」

 美凪が僕の背中を押すようにして覗きこみながら、そう言った。だが僕もそう思う。人目にはつき難いが、絶対に外部の人間が入れないとも限らない。

 だが円香は少し笑うと、首を振った。

「うん。前にね、強盗が入って来た事があるんだけど」

「やっぱり!」

「でもね、ほら向こう見て」

 円香が言いながら、雑木林の奥の方を指差した。全員が体を伸ばすようにしてそちらを見る。

「…なにあれ?」

 それは小さなプレハブ小屋だった。

「あそこで住み込んでる人が、すぐに気が付いて通報してくれたの」

「何ですって?」

 一番驚いたのは佐久間だった。佐久間は「失礼」と断ると、僕達から少し離れた場所で携帯を取り出した。椎名刑事にこの事を連絡するのだろう。僕だってはじめて聞いて驚いた。

「え、なに? 管理してる人がいるの? ここだけ?」

「ううん。他の場所にも何人か……」

「すっごーい」

 美凪が感心したようにそう言うと、円香は「広いから管理しきれないの」と小さく言った。昨日、脩と写真を撮りに行ったあの場所にも、管理している人間がいたのだろう。

 確かに多くの土地を持っているだけに、家の人間だけでは管理するのは容易い事ではないだろう。

 離れた場所で、何か懸命に携帯で伝えている佐久間を見ながら、僕はある事を思い出し、美凪の腕を引っ張った。

「何よ?」

「悪い。な、お前の携帯、ここなら繋がるか?」

「あ、待って!」

 美凪は急いでポケットから携帯電話を取り出し、それを見ると「ここなら大丈夫」と僕に手渡した。

 僕はそれを受け取ると、確かにアンテナが立っている。美凪に断り、僕は未だ連絡のない父親に電話をかけた。だが、何故か事務所にも自宅にも携帯にさえ繋がらなかった。

「……ダメ?」

 携帯を受け取りながら、美凪が心配そうに声をかけてきた。

「ああ。どうしたんだろう……こんなに繋がらないのははじめてだよ」

「じゃあ、よっぽど忙しいんだねおじさん」

 そうだろうか?

 僕はどうしようもなく不安になる。事件の真相は未だ見えてこない。父が来るまでの間は、出来る限りの事はしようと決めてはいたが、自分は探偵ではない。この後どうしたらいいのかさえ判らない。父から何でもいいからアドバイスが欲しかった。いや、声だけでも聞きたかったのだ。

「いやあ、失礼しました」

 その時、佐久間が何度も頭を下げながら戻って来た。

「円香さん申し訳ないんですが、あの家の人にも後でお話うかがわせてもらいますので」

「はい」

 円香が頷くと同時に、脩が有刺鉄線をつまみ上げ、人ひとりが通れる隙間を作った。

「じゃあ一人づつ出てくれるかな」




 脩の作った隙間を通り、最後に僕が鉄線を持ち上げて脩が出るのを手伝った。雑木林の中を、脩と円香を先頭に道路があるという方向へ一列になって歩いて行く。

「あっ」

 雑木林を抜けると、いきなり駐車場に出た。誰か記者が待ち構えているのでは、と心配していたがそこには誰もいなかった。

「こっちのは東郷家のもう一つの駐車場なんだ。表の方にもあるけど、僕はいつもこっちの裏側に停めてるんだ」

 脩が言いながら、白い乗用車に近づいて行った。

「それ脩さんの車?」

「うん。中古で古いんだけど……これに乗って行こう」

 見回すが、ここにあの彬の青い車はなかった。

 そんな僕を見て、脩は僕の考えていた事がわかったのだろう。少し笑いながら言った。

「彬の奴はね、いつも表に停めてるんだ。見せびらかしたいんだよ」

「あの青いのだよね? あたしも昨日乗せてもらったんだ」

 美凪は早速、車の後部座席に座っている。美凪の横に奈々が、そして円香が乗り込んだ。僕は助手席に…と思った時、佐久間の事を思い出し慌てて振り返った。

「あ…どうしよう? 六人入るかな?」 

 佐久間は体が大きい。

 僕も別に背の低い方ではないが、その僕より軽く十センチ以上は高いだろう。しかもがっしりとしている。困ったような僕達を見て、佐久間は急いで首と手を振る。

「いやいや、私は自分ので行きますから!」

「じゃあ、僕達は先に通りに出て待ってます」

 脩が通りのある方を指差し、佐久間と二・三言交わすと、車を走らせた。

「すっごい、どきどき!」

「うん」

 僕の後ろでは、美凪達の楽しそうな話し声が聞こえてきた。

 窓の外を、誰かに見つからないかと不安そうに眺めるふりをしながら、僕はここへ来た本当の目的を忘れかけ、どきどきしている自分を押さえる事が出来ずにいた。

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