第5章 東郷家の人々(6)


「あの日は…そうだね。雨がまだ降っているのに、蒸し暑い朝前だったかな」

 守屋は前の晩、仕事で出ていて帰ったのは明け方だった。

 激しい雨に濡れた体を、家人が沸かしておいてくれた風呂に浸かり、雨音を聞きながら眠りについた。

 ところが、うとうととしている所へ、誰かが守屋を揺り動かした。

「……なんだ?」

「あなた! 大変よ!」

 うっすらと目を開けて見ると、そこには青い顔をした守屋の妻がいた。

「大変?」

「そうよ! 早く起きて電話に出て下さい。東郷さんが亡くなったんですって! 自殺だって」

「――は!?」

 最後の言葉を聞いて、守屋は飛び起きた。

 あの東郷氏が自殺―――?




 守屋はすぐに電話に出た。

 電話の相手は、長男の一志だった。

「朝早くに申し訳ない。どうも…その親父が急に自殺して……ああ、いやまだ判らないんだ」

「一志さん、ちょっと落ち着いて」

 電話の向こうでは、ざわざわという人の話し声や、どたどたと歩き回るような音が響いている。

「それは、本当ですか? 警察には連絡しましたか?」

「ああ、うん。今来てるんだ。とに角あんたに連絡はしないと、と思って」

「わかりました。今からそちらに向かいますので」

 守屋はそう言って、電話を切った。

 電話での話を聞いていた妻が、気を利かせて黒っぽい服と、いつも使っている鞄を出しておいてくれていた。

 それに着替えた守屋は、東郷家へと急いだ。

 車を走らせながら、守屋は信じられない気持ちでいた。



 あの、東郷氏が自殺……?

 とてもじゃないが、考えられなかった。

 守屋が東郷家に着く頃には、すでに屋敷の周りには数台のパトカーと、どこからともなく噂を聞きつけたらしい野次馬とで、ごった返していた。

 守屋は、少し離れた場所に車を停めると、雨に濡れないよう、鞄を抱きかかえる様にして門の所まで走って行った。

 警官の一人に止められたが、ここの弁護士だと伝えると中へと入れてくれた。







 いつもは静かな純日本風の庭園が、無骨な警官で埋まっている。

(確かに東郷さんは、地元の名士だけど、自殺というだけなのにすごいな…)

 そんな事を思いながら、守屋が玄関まで行くと、長男の東郷 一志が驚くほど青い顔をして現れた。

「やあ、どうも。何というか……その、本当…なんですか?」

「待ってましたよ、守屋さん」

 一志は挨拶もそこそこに、守屋を屋敷の中へと案内する。

 屋敷の中は、庭よりもごった返していた。

 あちこちの狭い廊下や部屋の中で、警官や東郷家の人達が忙しなく動いている。

 ただ不思議なのは、人ひとりが死んだというのに、誰も泣いていないという事だ。






 守屋が通された部屋は、割と小さな部屋だった。

 だが廊下の向こうには、美しい庭園が見渡せる。といっても今朝は生憎の雨だが。

「…ここ…東郷さんの部屋…?」

「そうです」

 前に一度だけ通された事があったのだが…。

 やはり東郷氏の部屋だった。

「それで…そのう……東郷さんは?」

 周りの雰囲気に、何だか聞きにくかった事を一志に聞いてみる。すると一志は、まだ青ざめた顔を向けると、そっと守屋の耳に囁いた。


「…うちの親父…自殺じゃなくて事故らしいんですよ」


 事故?

 どういう事かと聞くと、守屋らの話を聞いていたらしい刑事が二人に近づいて来た。

「えーと? あんたは…」

「あ、弁護士の守屋といいます」

 白髪交じりで少し猫背の刑事が、守屋を胡散臭そうに睨んできたので、守屋は慌てて名刺を差し出した。

「ああ。弁護士さんね。はいはい」

 刑事はその名刺をポケットにしまうと、一志に向かって言った。

「あのね。やっぱり事故でしょうな。解剖してみないとはっきりとは言えませんがね」

「そうですか」

「あの…私、自殺したと聞いたんですけど」

 守屋は刑事と一志の会話に割り込んで聞いた。

 自殺と事故では、あまりに話が違う。遺言にも関わる事だ。

 すると猫背の刑事は、守屋を部屋の真ん中へと移動させて、天井を指差した。

「東郷さんはね、ここの…そう、あそこの屋根裏の扉の取っ手から、紐で首を括って亡くなってたんですよ」

「…じゃあ、やっぱり自殺じゃないですか?」

 そう守屋が言うと、刑事は小さく首を振った。

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