エピソード6 うっとうしい私の世界 (#1~#5)
#1 カタストロフィの序曲
私は缶ビールを飲み干すと射精しました。貯めておいた金をあるだけ使って、デリヘル嬢にベニスを咥えさせました。
「やってられっかよ」
というのが本音のところでした。ラブホの手狭な部屋には二十インチくらいのハイビジョンディスプレイがあって、動画サイトを閲覧しながら、またもう一本喉を鳴らして飲み干し、ぷはぁっと吐きました。照明を落とし、テレビの光線が白地の壁を青白く跳ね返していました。気持ちを昂ぶらせるわけでもなく、ただあちこちクリックしながら。今度はワニがペニスに食いつき悲鳴を上げて逃げ回っている動画が終わった時、また射精しました。
「いっぱい出たわ」とそのデリヘル嬢は誇らしげにティッシュペーパーに吐き出していました。レチナディスプレイの光線は女の表情も青白く染めていました。
「結構うまかったよ」と言ってやりました。女は物足りないようで、
「そういうンじゃなくてさぁ」と女は立ち上がり、
「もう少しプレイに参加してよぉ、安くしとくからさぁ、たったこれだけじゃ、また怒られちゃうよぉ」
ドラ猫のような声で話すその娼婦のリズムに合わせて、適当にクリックしているといつの間にか生のニュース動画に代わっていました。思わず私は射精してしまいました。
「え、どうしたの?」と上目遣いで女は見つめています。いつもこういう番組でマスターベーションしているんだ、と答えると、女はベッドにごろんと寝転がり腹をよじって爆笑し、
「何それ、ウケる~」と何回も連呼して。
「もう一回頼むよ」と一万円札を放ると、悪戯な笑みをして、
「まいどあり~」っと、お尻をべたっとつけて座りこみ、舌の先っぽで尿道をちょろちょろとなめ始めました。私は黙してつぶやきました。この時の私はほとんど投げ遣りになっていましたが、ユウジに設定してもらった七インチほどのタブレットにキーボードをつなげ原稿を書き始めました。読者がいるわけでもない、読まれることもないだろうし、今ここで死んでしまったら、全く意味のない、全く価値のない「原稿」を、絶望感と舐める舌の動きで心を昂ぶらせ、言葉の羅列に気を吐きます。
「あんしてんお?」
なにしてるの、という女は咥えながら呟いていましたが無視しました。
もうはるかに遠く経ている前世紀のユダヤ人の大虐殺も、似たような道程があったに違いない、ともかく欧州でのムスリムの扱いは、それは酷いものでした。そこでその同じメカニズムにある社会で生きざるをえない貧乏人、偏狭な日常にしか生きられない青年がナショナリズムに傾倒して毒されていく、そういう青年の半生を描こうと思ったのです。その青年とは私のことでしかないのですが。
破壊活動をしているムスリムと同一視されてしまい、健全なムスリムへの迫害も止まりません。その駆け込み寺がトルコでした。多くのイスラム系の宗教を信仰している民族が暮らしているトルコに、一途の望みをかけて殺到しているのです。動画では大勢の人が(おそらくムスリムでしょう)走っていました。ぼろぼろのジャンパーに油汚れの作業着のようなズボン。魚の群れのようになって、川の逆流を遡る鮭のように細い道を登っていきます。赤いずきんをかぶった幼子は泣いています。親とはぐれてしまったのでしょうか。しかしみなまったく無視です。
「イスラミック・ヨーロピアン・アイデンティティ」と勇んで唱え、EUに加盟したトルコ共和国でしたが、その解説者は飼い犬に噛まれた、とドイツ語で論評していました。EU議会の有力政治家は、もうEUの理念は徒労に終わったのだ、と無念さをむき出しにして、ムスリム系の難民の受け入れを拒否し始めたトルコを非難していました。トルコをはじめとするEU諸国の失業率が実にあっという間に五十パーセント超えてしまいました。どんな経済政策を採れというのでしょう。もはや万策尽きた感じが滲み出ていました。
にやりと微笑むのはほぼアメリカを中心としたえげつない武器商人たちです。「アラブの春」と呼ばれた新秩序への期待は動乱の始まりで、シリアを始め極端な宗教理念を真の信仰行為だと言わんばかりに賞賛しては、欧州に入国しては欧州の都市で自爆テロを起こして、毎日、あちこちで散発的に騒ぎを起こしては衝突が起こす。そんな日常です。
「もう寝る時間もないだろう。安心しろ。間もなく永遠の眠りに就かせてやる」
犯行声明の動画は次々とアップロードされ欧州市民を(健全な移民さえ亡国の徒として破壊活動をしている、というデマが常識化していた)を挑発すれば、難民が荒稼ぎしている、俺たちの食い扶持を奪っている、と生粋(何をもって生粋と称するのか不明ですが)の欧州市民はトルコ政府を声高に非難し始めました。その非難はお門違いだと反論しては、被害をまともに食らっていたトルコ人も動画をアップしています。しかし命を食いものにしている連中は、難民だろうと移民だろうと、国籍だろうと宗派だろうといちいち聞く耳をもちません。政府は強硬手段をとりました。放水でもなければ、催涙弾でもない。未だ逃げわって殺到する難民にも容赦なく銃弾を喰らわせるのです。発砲音とともに悲鳴が上がりました。何度も言いますが彼らのほとんどは普通の民です。血を流しながらも、救いを求めています。しかし銃口は構えを解きません。一発、二発と足を狙い動きを止め、次は腕を狙い、悶え苦しむ様子に笑い声を挿入して終いに頭を狙って殺す、という動画がいくらでも出てきます。欧州加盟各国の政府はついにそういった移民に対する仕打ちを黙認しました。容赦なく一人ずつハンティングの獲物ように殺されました。眠りにつくことすらできません。赤外線スコープで疲労困憊している民へも容赦しません。みな泣いています。怒鳴るものもいます。コーランを掲げているものもいます。彼らは同じ国家に住む歴とした国民です。個人の自由と平等に扱われる権利があるはずです。
同胞のムスリムを救え、とトルコ国内で政府批判が高まり暴動がおきました。穏健な国民性を有したイスラム系国家であっても、度重なる暴挙で宗派と民族の対立は高まり、ついに首都イスタンブールでの暴動は全国に広がり、トルコ国内にいる少数派のキリシタンや異民族がその犠牲になりました。それは欧州全体に及びました。そこではキリシタンがムスリムを襲います。軍が投入されましたが、そこでもまた泣き叫ぶ女性と幼子や家族を守ろうとしているごく普通の青年も殺され、折り重なり死屍累々たる様相と、夥しい数の屍をトラックのコンテナに放り海に棄てている動画もありました。荷台を上げてごろごろと死体が転げ落ちていく……「起きて、ねえ起きて。目を開けて、お願い。目を開けて」真っ赤に染め上がった赤子に、もう何度も体を揺すり慟哭している女がいました。
「もう、終わりにする?」白濁を掌に吐き出しながら女は言うと、数枚の紙幣をぱらぱらと撒きながら、私は女を押し倒しました。
#2 いつか見た未来
ガラス窓で仕切られた空間の向こう側に女がいました。全裸です。シャワーを浴びていました。扉を開けベッドにやってくると淡いソープの香りがして、濡れた髪の毛をタオルで拭いていました。髪の毛を拭く仕草だけでもう勃起しました。いつの間にかシャワールームには病院にあるような診察台が現われました。私は立ち上がると固い一面大理石のような床の上に立ち、ゆっくりと歩みよりました。固く、ひんやりした感触でした。薄暗く目をこらしてもその顔を伺うことは出来ません。敷居の向こう側で男が一人近づいていてきました。やはり全裸で背は高くがっしりとした体躯でした。
その背格好は高槻のように見えました。しかし首から上が見えません。男は狭いベッドの上に横たわり、その女の髪をなでました。
「あん、いや」
その声に私は驚きました。ぞっとしました。恐ろしいほど美しい女です。白石美怜でした。既視感は確信に変わりました。あの美貌の片鱗を私は感じていたのでしょうか。男と女は熱い口づけを交わし、だんだんと下の方に口を這わせていきます。男はふっくらとした乳房を入念に舐めています。私はそれを黙って見るしかできませんでした。バスケットで鍛え上げられたその体躯に、女は惹かれるのだろう。女の顔がだんだん険しくなり、左右に揺れています。こちらを向いた時の含みのある笑顔。妖艶なほどの表情。やはりあの白石美怜でした。あの男は高槻か、と頭に浮かんだ瞬間、その男はこちらに顔を向けます。男はユウジでした。
美怜の瞳は潤み、ユウジのひとつひとつの仕草に感じ入っています。女は口をまごまごさせて何かを言いたそうです。あ、あ、た、
「ああた」いや「あなた」と言っているようです。そして、そのままの表情で、い、え、と見えます。
「いえ」いや「来て」と言っています。
「あなた」「来て」
突然敷居がはずれました。私はそこに近づき改めてその姿をまじまじと見ました。青白い光を放つその肢体は細くしなやかにのびていました。胸へと向かう肌はふっくらと盛り上がり、下へと目を移すと腰回りが締まり、豊かなヒップがのぞきました。迎え入れる穴からはぬめりとした液が滴り、また顔に目を向けると誘ってくるほどの妖しい瞳を輝かせています。
「ああ、早く来て」
美怜はユウジを突き倒すと私に手を伸べます。その手を取ると、にやり、と女の顔を見せました。獲物を捕らえた蜘蛛のような表情。あの空が高すぎたから、と『ピンクスパイダー』の一節がこだまし、私はその愛欲の糸にがんじがらめに縛り上げられ、食い千切られる運命を望みました。
私はその胸にしがみつき、キスを浴びせました。ふっくらとした女体が今ここにありました。指や掌でその感触を楽しみました。美怜は眉間にしわを寄せ、かすれた声を聞くと口が半開きになっていました。紅潮させた顔に私は唇を合わせました。舌が入ってきます。私をむさぼるように吸いついていきます。心臓はばくばくと唸りを上げ、肉棒が逞しく硬直しました。自分にも力があると感じました。こんな簡単だったんだ、と思いました。もっと毅然としていれば、こんな惨めな生活に落ち込むこともなかったのに!
「はっ」 として目覚め時、辺りはまだ暗く時計を見るとちょうど午前三時を示していました。やたらなまめかしく、体は汗だくになっていました。心臓は未だにばくばくと拍動しています。男性器も年甲斐もなく夢精してしまい不快でしたが、まだぎんぎんに直立しています。寝苦しい夜でした。エアコンは止まっていました。電源を入れるとピッと音が鳴り、大きな深呼吸のような風が辺りに流れました。散らばっている服を集め黒いブリーフをはきました。強い冷風が体全体の汗を拭き取ってくれましたが、はっとしてポケットを確認すると。財布は……空でした。やられた,と思いましたが、なぜか落ち着いていていました。ベッドに体を倒すと夢を遡っていました。やはり自分は白石美怜を愛していたのです。その淡い恋心を未練がましく想っていたのでした。後悔はないつもりでいたのに。
ある予感が現実味を帯びてきました。あの貧しそうな女が美怜ではないか、という確信でした。根拠らしい根拠もありません。強いてあると言えば今の夢のなかでそのたまたま女の顔が浮かんだからです。こじつけのような想像です。しかしそうとでも考えないと収まりがつきません。あながち嘘ではないような気もします。ただあの派手な女は誰なのでしょう。かなりの美人でしたが、いかにも束縛がキツく、やたら独占欲が強そうな女。要は不倫がらみの談判なのでしょうが、明らかに夫である高槻の収入をどんなに少なく見積もっても、あのみすぼらしいデニムとスニーカー姿の格好とはつながりません。あれが本妻の姿なのなら酷い処遇です。それは憧れの女に対する弁護かもしれません。夢の怪しげな表情がさらなる意味を持って迫ってきました。まあどうでもいいことなのに、なぜか大きくため息をつくと、不倫……と、つぶやいたり、眠気に誘われながら、自分一人でペニスを擦り、ああでもないこうでもないといった遣り取りを続けます。
熱を帯びた頭を冷やそうと冷蔵庫から缶ビールを取り出して、ディスプレイテレビをつけました。暗闇からいつものように青白いちかちかした光線が放たれ、部屋の暗闇と交錯しながら包まれていきました。またため息をつき、ベッドから起きあがるとまた冷凍庫から缶ビールを取出して、喉を鳴らして飲み干しました。テレビではエクササイズマシンの通信販売の番組が流れていました。そこにテロップが入りました。時計の針が一分刻みました。またビールを一本取り出して口をつけたその時、手は止まりました。
「パリで核爆発の振動確認。テロか」
あっと中身のある缶を落としてしうと、ベッド脇のテーブルにあるコントローラーでチャンネルを検索していると、もうそのニュースでいっぱいになっていました。
「フランス政府の発表によりますと、えー、よろしいですか。はい、はい、はいわかりました。失礼しました」
中継で出てきたのは、またあのキノコ雲の映像でした。
「フランス政府の正式発表がありました。翻訳した原文通り読んでまいります、よろしいでしょうか、はい、では読み上げます」
「イタリアの首都ローマ、バチカン市国付近で核爆発らしい震動を確認した。これを受けフランス大統領の名に於いて、事実確認をするためローマ上空に戦闘機を出動させた。そして同じくフランス大統領の名に於いて命ずるところにより、フランス全土に『戒厳令』を敷く。フランス市民においては外出を無期限に禁止する。あらゆる経済取引を無期限に禁止する、そして……」
「もしこれか核兵器によるものだとすると、どれくらいの威力でしょうか?」
突然画面がスタジオに戻り、また専門家を呼んで解説ごっこが始まっています。
「ローマ市全体を吹き飛ばしたんだから、一〇から二〇キロトンくらいの威力必要かな、とは思いますが。まぁヒロシマに落とした原爆と同等くらいとみてよいでしょう。小型化はかなり進んで四,五キロのくらいの原爆の開発に成功したって話を聞いた時があるけど。理論上は五〇〇グラムくらいで臨界状態になるからね。まあこの間のテロ、だっけ? テロリストがやったんだよね? うん、うん、それと同等くらい。ここまで小型化できる国はそうそうないよ。あまり考えたくないけど、アメリカ軍関係者が横流ししたと考えるしかないんじゃないかな。冗談じゃあないよ、でも本当に起きちゃったんだからね。認めないわけにはいかないでしょ」
その若禿のイエローモンキーは、まるで他人事のように得意げにそう語っていました。はっはっはっと、笑いもでました。きっと私も同じ心境だったのでしょう。
#3 夢の後
ハイホーの歌にあわせて、”しごとがす……”で曲は中途半端に終わると、
「今日は休もう」とつぶやいていました。
「ん?」
自分でもよく分からない、胸が高鳴るこの感じは、面白くなりそうな展開を個人的に望んでいたのでしょう。人の傷みがわからない人間とは得てしてこういうものだ、と前置きしておきますが、この時の私は高揚感でいっぱいで、あまりにも無邪気でした。
戦争だ。テロだ。戦争だ。
核戦争だ!
その後フランスだけでなくアメリカ、イギリス、ドイツ、ロシア、を始め欧米諸国のほとんどの国で、戒厳令や非常事態宣言を表明されましたが、そんな命令に従う国民などいるわけがなく、ホワイトハウスやエリゼ宮、ダウニング街十番地にあるイギリスの首相官邸、ロシアのクレムリン、そして欧州議会のあるストラスブールなどに民衆は押し寄せました。そこにある核シェルターに殺到しているわけです。政府は排除命令を出して放水車などで押し返しますが、ついにパニックから暴徒と化した連中に発砲音が響き、動画は終わりました。あちこち検索をかけました。
世界各国の首脳たちの動画や声。いつか見たキノコ雲の時と同様に動画サイトにはいくらでもあり、見尽くすことなどありえません。明日はないかもしれない、という真っ当で自然な恐怖感で怯えながら、私はまた缶ビールを取り出すとまた一気に飲み干しました。
まさかな、と私は自分自身に問いかけました。ビールをまた取り出してプルタブを開けては飲み干し、その空き缶放り投げてはまた一本取り出しました。笑い声は掠れていくのに、ちかちかと網膜をさす刺激が心地よく、人々が、絶望して、親子が死に別れ、泣き、むせぶ姿を求めました。次、何が起きるんだろう。先の読めないわくわく感は、次の一手は、なぜか孫子の兵法とかクラウゼヴィッヅの戦争論とかの一節を紐解きしながら、その先の世界情勢はこうだ、とかいう深掘りしているサイトにも目を通していました。その他、日本政府のうろたえぶりをつぎはぎした動画とか、まったくSF映画に瞳を爛々とさせて無邪気に観賞している少年のようでした。
「まさかこんなことになるとは」
神妙な表情のニュースキャスターのコメントに、まさかこんな酷いことになるとは、と変声させて復唱しました。肉声で何度も繰り返しては笑いました。そしてビールをあおります。さもこの状況を非難する言葉を吐いているのを聞いては,嘘つけ、とか、偽善者が、とか難癖をつけてはひとり、売春婦に金を盗られた腹いせを肴にまた飲み続けました。
「イランはどうですか? イランの核技術は相当進んでいると聞いていますが?」
とにかく慎重に言葉を選んでキャスターは質問しています。現地特派員はまごついていましたが、横やりを入れて独り言は続きます。「それはむしろ取材したほうが面白いね。どこまで技術が進んているかは専門外ですから」「ただそれは相当に高度な技術を必要となるのは間違いない。そこまで到達する国と言えば……」というなり肝心なその先のセリフは言わず、司会者に委ねました。しかしこちら側も喋ろうとはしません。コメントを押し付けあう沈黙の中、特派員の通信も途絶えました。どうやら通信回線も切られたようです。個室と化したスタジオでやたら長く沈黙は続き、沈黙は絶望的な情勢を暗に含んでいるや、それをまた肴にして私は笑い続けました。
「……とにかく今回のような大惨事は確信犯的な行動としか思えません」
重い言葉をある専門家が口を開きます。そして沈黙。私はその先を知っています。笑いました。すなわちローマ法王やカソリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂もろとも吹き飛ばすのが目的で、さらに言うなら古代から西欧の世界遺産の『ローマ』と、西欧諸国の歴史的価値を吹き飛ばすのが目的ではないか、少なくともそういう意図だ、と決めつけるヤカラはいるでしょう。さあ、吐け、吐け、と私は詰め寄り、
「おお同志よ、よく言った!」
私はブラボー、と雄叫びをあげました。
ようやくどこかの大学の国際政治学者とかいう肩書きを持つスーツ姿のジジイは、
「まさかこんなことが起こるとは、『やったのは過激なムスリムのテロリスト』と断定させる効果を狙ったのではないか……と、ムスリムの犯行だと断定するには早すぎます」続けて「……たとえそれが嘘であったとしても、一般市民はもう、猛り狂っています。その昔サミュエル・ハンティントンの言ったいわゆるフォルトライン紛争とし……」
なかなか面白い展開にてるそうだ、にふ里としながら聞き流しました。はっはっはっは、と私は高らかに笑って射精しました。サミュエルぅ・なんティー、いやティ……? ん? パンティー、パンティー? きゃはははは、パンティはマズいだろ、フォルトラ……あぃ? なにそれ。薄いな~ もっと面白く言えよ。まるで論述試験みたいだな。単位くれんのか? へへ、何? 受験勉強? 今さら? 無理無理無理! そんなのなんの意味ないよ? へへ、核戦争だぞぉ。そんな言葉でどうするつもり? 言えないの? 言ってあげようか?
「人類滅亡」
ウケる! ウケる! ウケるぅ!
「ひょっとしたらただの子供の悪戯かもしれないんじゃなぁい?」「今さら絶望で頭を抱えているのは、有名校を卒業したエリートなんじゃなぁい?」「ざまあみやがれ、くくく――。エリートの大転落に大興奮!!」「何の力も持たない悠長な一般市民――まさに私と同じ階級のクソ馬鹿たちよ、団結せよ!」「馬鹿にしやがって、あの野郎絶対クソミソにこき使ってやる――くくく。一般市民なめんなぁ! 馬鹿にしたツケをむしり取ってやる。あははははは」「同志よ! よくやった」回線は切られたはずなのに、現代社会が産み落とした科学技術にはまだまだ強靱な回線があるらしく、うじゃうじゃ出てくるツィートに私の笑いは止まりません。混濁して数千年にもわたる怨恨と憎悪が、臨界点に達して封印を砕いたのだ。疑心暗鬼は燎原に広まる炎のような速度で、世界中を焼き尽くす!
「あ、ホテル代!」
そこまで書き終えたとき、ふとポケットを探りました。「ったく、くそっ!」とベッドを固いパイプを蹴ってしまい、声を失ってうめきました。片足でバランスを失い、尻の下に落ちていたリモコンを押してしまって、女のハダカで男と交わっているとき声がさいだいになってしまって、慌てて拾って音量を下げる。しようもない戸惑いと、断崖絶壁の不安感がようやく一つになりました。
室内は猛烈に暑く、エアコンのスイッチを入れると清涼感ある風が流れてきました。部屋にあるディスプレイのボリュームを少しずつ少しずつ上げていき、長途いい音量になったときに気づきました。
真っ暗の部屋からピエロが現れています。ピエロはその場でくるっと一回転して正面を向いたときには、手の中にはすでに赤や青そして白の玉を持っていました。突然狂ったように笑いながらジャグリングを始めました。三つの玉を軽々とぽんぽんと回しているうちに(間違えて?)壁にぶつけると、そのボールは破裂して壁がペンキで真っ赤に染まりました。動画が逆回転していきます。するともう粉々になっているはずの、ラファエロが描いた『最後の審判』の壁画が徐々に現れ、真っ赤に染まった、あの神(ヤハウェ)神(ヤハウェ)が振りかざしている腕が妙にギラギラと輝いています。その編集された動画には、
「キリシタンとムスリムのとの対話」
と称した会議が設置されましたが、あっという間に瓦解し、無期限に延長されました。建設的な議論が始まるのを期待したはずでしたが、中東対欧州は狂ったような神学論争を始めました。当たり前のように発砲音が鳴り響き「対話」すら流血の惨事です。画面が暗くなると文字が現れます。数カ国語の字幕が現れます。日本語の字幕にはこう書かれていました。
「歴史が終わる」
「あなたは決断しなければならない」
「中立はあり得ない。その時あなたは双方から攻撃を受ける」
「さあ、あなたはどちらの旗を振りますか?」
#4 サニーデイ
「……このままで事が終わるとは思えません……」
「なにかを喋らせろ」という怒鳴り声が響きました。
ディレクターか誰かが痺れを切らしたのでしょう、ことここに至っても視聴率を上げようとしている無駄な努力に逞しさを感じ、私は「偉い」と思わず発して笑い転げました。ドミノ倒しのように世界中の核が乱発される様を想像しました。生中継で苦し紛れの空疎な遣り取りは続いています。救命胴衣もなく、羅針盤もなく、海の中へ飛びこんで溺れている彼らの狼狽ぶり。興奮しました。まるで逢瀬の相手とのセックスのような。
……事実は未だ闇の中。疑心暗鬼に踊りながら、人類史は展開していました。
ローマで核兵器が炸裂した時、飽きるほど視聴した動画が止まってしまいました。
退屈な時間を埋めるかのように、いかにももうろくしていた爺さんが、
「コイツは事件さ」
ロンドン支局の記者がそのジジイにコメントを求めらた時、その爺さんはポケットから取り出した金時計のゼンマイを巻きながら
「いつもここで正午の鐘に合わせているのに、冗談じゃないよ。おかげで時間が分からないじゃないか」
イギリスの国会議事堂の時計塔「ビックベン」の鐘が故障して、正午の鐘が数時間遅れ打った、という実にローカルなニュースを伝えました。
「Time‘s up(終わったね)」
その爺さんはそうつぶやき、行ってしまいました。次の展開が開始した合図でした。
#5 禁断
アメリカのあちこちでデモや暴動が起きています。カリフォルニア州では多様性を育んできた移民にも公民権を取得できるようにするデモが巻き起こるや、お隣のネバダ州でもデモが起き、合衆国への愛国と忠誠を移民政策の主軸にせねばならない、とやり合う。激突する動画はうなぎ登りで、街という街でデモ隊の衝突が起きて、殴り合い、蹴り合いしている、動画がアップされるや、じたいう重く見た両州知事の命令で、各々の州兵の派遣し暴動を抑えようとすれば、その動画はどうしてもアメリカ市民を攻撃しているようにしか見えないため「知事は我々の敵だ」とばかりに、ますますいきりたち、見かねた歴代大統領が団結をうながせば、生ぬるいと双方から叩かれる始末でした。
現大統領は? といえば、ペルシャ湾付近に展開していた第五機動艦隊から、イラクやシリアをはじめとする中東諸国に空爆を始めていました。表面上は核兵器に対する報復ともうけとれなくもないのですが、このドサクサ紛れに始めた戦争だ、というのが大方の見方でした。この戦略目的は、表面上はイスラム過激派テロリストに対して資金を供給していた石油富豪を拘束するという理由でしたが、明白な根拠が全くありません。証拠だとして放映された動画は、そのテロリストとその石油王とが現ナマを直接手渡している様の動画でした。確かに中東のムスリムが着ているあの白く薄い生地のだぼだぼとした服で、スカーフのような布をかぶりリング状のバンドで留め、サングラスをかけていて、いかにもという気もしますが、こんなクソ芝居を根拠に攻撃を加えられてしまったならたまらないでしょう。
足元に忍びよる炎には全く無関心で、戦略シミュレーションゲームにうつつを抜かしている、という報道を流せば、ただ一言
「フェイクニュース」
の一言で一蹴しました。
根拠らしい根拠はなく、決定的な証拠もありません。疑心暗鬼は収まる気配がなく、アメリカのあちこちで移民に対して『コーラン』を靴で踏ませる、という暴挙を始めました。近世の江戸幕府がキリシタン撲滅のために始めた『踏み絵』を、現代の「自由」を高らかに謳った、あのアメリカで始めたのです。この仕打ちにイスラム社会は驚愕させました。欧米諸国のムスリムは一斉蜂起。軍が出動しましたが、兵士の中にも過激なキリシタンやムスリムがいたりして全く統制がとれません。ともかく攻撃目標は不明瞭で戦略的目標もなく、戦う相手が身内にいたりして、全く不毛な戦争でした。国連でさえ総会も安保理もまともな討議が行われず、騒然として殴り合いの喧嘩が始まれば、脱退したアメリカは「単独」で、ロシア、EU諸国をはじめとする欧州各国の右派系の政党幹部党に戦いの続行を促すよう働きかけ、空転する国連総会で非難決議を諮れば、採択さえで決め状況でした。ここですロシアは中央アジアの権益を巡って攻撃を開始し、ロシアの南下を防ぎたいイギリスからアメリカの協力を要請するも、話し合いは滞って静観しながら、イスラエルには全面的に協力し最新鋭のステルス爆撃機などで爆撃を開始しました。
続いて、アメリカはすべての難民を強制収容所に閉じ込めました。収容を拒否したらものには実弾を浴びせる、という強制措置まで承認しています。しかし命令を無視した下士官が、上級士官の口に銃口を突っ込み、そのまま発砲して「神は偉大なり」と叫んで銃口を己の喉元につけ自決したのう始めとして、無差別に発砲して、数百人を犠牲にしたり、デモ隊を組織化して、州知事宅を襲撃して占拠して大統領の辞任を要求したり、ともかく混乱に乗じて、あるいはその義憤して企てたカリスマの白人至上主義者、宗教指導者、あるいは政治家も陰に陽に立ち居振る舞っていたようです。
この下士官はムスリムだという噂が立ちます。ムスリムはその下士官を喝采しました。そして英雄にまつり上げられる訳ですが、これらも一部のユーチューバーが動画を編集した悪戯であることが判明するのですが、時すでに遅く鉄パイプで対抗する難民に対してマシンガンで固めている米兵がボウリングのピンのように倒れていき、蠅が集っている死屍累々たる光景が動画動画となって公開されます。
それをアメリカ本土にいるアメリカ市民が眺めているという状況のなか、賛成派、反対派双方が入り乱れてデモに参加するや、流血の惨事となる光景がまたアップされていきます。
一番統制が執られねばならない「軍」の一般兵の間にはいさかいが絶えません。自分は誰のために命を賭けるのか。栄光と尊厳ある軍の統制さえ、このテーゼを解く解にはたどり着けません。あるのは憎しみと暴力の連鎖でした。アメリカの分断が極まろうとするその時、そしてついに実力組織である「軍」による反乱が発生しました。秩序を守らねばならぬ実力組織が引き起こした反乱。連邦政が崩れようとしていました。「ユナイテッド・ステイツ」も分断の危機が現実の物となろうとしています。
ままならないことを露呈した軍首脳も頭をうなっているようです。
祖国の実力組織の反乱が相次ぎます。軍の反乱の応酬が一段と進んで、内戦の様相を呈してきました。世界中の地域で反乱分子が、複雑な関係の中で戦闘を仕掛け、まったく見えない「敵」との戦い。「敵」とは何か。ムスリムの怒り、キリシタンへの復讐、核兵器の恐怖、そして宗教観の諍いから何から何までゴッタ煮となった情勢は、もはや誰も止められません。逃げ回ろうにも逃げ場もなく、憎悪を伴った戦闘は収まりようがない。
――にげ回ろうにも逃げ場もなく、憎悪を伴った戦闘は収まりようがない。
世界は軋しみを上げはじめました。
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