友情、愛情、核戦争!

伽野友則

エピソード1 めんどくせー日常からの脱出。(#1~#6)

#1 つまんねー深夜番組が化けた。




「中東で原爆と思われる地震波動を確認。テロか」


 そんなテロップが入ったとたん、突然特別番組が始まると、飛んでいるゴキブリが私の視界に入り声をあげる。


 それは日付が変わったくらいの時分で、私は深夜のバラエティ番組を観ていました。お笑い芸人が裸で手を突上げて踊っていたような下らない内容の番組を、さも楽しそうに観ていた私は「え?」と面食らった時にはすでに報道特番に変更されてしまったのです。たいして楽しんでいたわけでもないのに、少々立腹しました。そんなのは「えぬ、えっち,けー」でやれば十分だろう、と思ったのです。そんな私を無視して放送は続いています。男性と女性のアナウンサーが緊張した面持ちで――いやむしろ緊張ではなくて踊らされているようにも見えましたが――ともかく特番が始まってしまいました。粗末なセットでした。報道フロアに作った急ごしらえのセットなのでしょう。バックでは半透明の小窓になっており、スタッフが慌ただしく動いているのが見えます。


 面倒くさい雰囲気に、私はあくびをつき、せっかく明日(正確に言えば日付が変わっていましたが)は休みなのに、とこういう時に限ってつまらんことに巻込まれるののに悪態をつくのだった。いつものことです。いつものことだと頭では分かっているくせに、またいつもの鬱陶しさで脳が混濁していく。


 自分の時間を奪われた嫌気が「あー、もう寝るしかねぇかぁ」とばかりに自分の人生を犠牲にされたような気持ちになりましたが、さっさと部屋の照明を落としました。辺りは暗くなりテレビの青白い光線に目をしかめながら、リモコンを探していた時ふと考えました。「原爆」と言えば、あれでしかありません。歴史の教科書に必ず掲載されているあの白黒写真、あのキノコ雲のそれ以上でもそれ以下でもありません。私の中にある原爆とはそのピンぼけしたあの白黒写真。私にとって戦争とはそれだけでしかありません。そしてただならぬ予感にココロは踊り始めるのです。


 再びの大声。声にならぬ声と言うべきか。


 荒涼とした砂漠の遙か向こうで、黒煙と真っ赤な炎。そして乾燥帯に特徴の砂漠であろう赤茶けた砂の色。あのキノコ雲が真っ青な空に舞い上がっています。クローズアップされると鮮やかな総天然色の映像に言葉を失いました。これは事実なのかどうかよくわかりませんでした。なんだがハリウッドの映像技術を使った造作ない映像にも思えたのです。チャンネルを変えるとやはり同じ映像が映っていました。とうやら本物のようでした。原爆が炸裂するとこういう風になるのか,という好奇心ばかりが先立って、動画のデータとしてダウンロードしておきました。私はその重大さに気づきませんでした。


「忘れてはならない戦争の記憶」


といういかにもこういう悲劇を繰り返さしてはならない、そして平和を追求していくのが「この国」の役目なのだ、と。そんな道徳的な文言の下にその写真はあったはずですが、なぜかそういう強制されてきたという被害者意識のほうが強いのです。


投稿動画サイトにすぐアップロードしましたが、すでに数万ぐらいのオーダーでアップされていて、舌打ちしました。


「平和主義」という文言のもと、色あせたこの国の国民として育まれてきた私は、このキノコ雲に酷く困惑しました。貞子の生涯や『アンネの日記』を散々読まされてきた私です。可憐な少女、佐々木貞子やアンネ・フランクの生涯に感想文を書かされ涙を流さない人はいないだろう、などと言い訳めいた感想文を書かされていたわけで、この状況や心情をどう表現すべきか、この足りない頭で考え込むしかないのです。スーパーハイビジョンという総天然色の映像が、もうすでに世界中に配信されている。むしろ興奮さえ覚えました。ただ、どうしてもぬぐいきれない何かがありました。


この現実をどう扱えばいいんだ? 




#2 満面の笑顔。




 どう反応すべきなのだ? オーマイガッ、といったような反応が猛スピードでスクロールしています。この違和感はなんでしょう? 


私のような世代の日本教育はとにもかくにも「戦争とは悪いことだ」と「洗脳」された教育を受けている、いう疑問を持ちつつ育ちました。世間では「洗脳世代」というレッテルを貼られています。私はそういう義務教育の下で育っていたわけですが、同時にまた正しい教育、とかいう大人の不毛な論争の被害者でもありました。――あえていうなら、少なくともこの炎の中には、同じ質量と価値を持つ、貞子やアンネがいるはずだ、と想定してはいます。ですがアメリカの教科書には「原爆を投下したおかげで多くの多くの米兵が助かった」という論調を教化しているという主張もあり、原爆投下を正当化しているという事実もあるそうで、そういった視線で見るとヒロシマは観光地になっていて、そこで撮る写真は「満面の笑顔にヴイサイン、ウィズ原爆ドーム」だったりするわけですよ――そういった情報をいちいち視聴しているわけで、困惑はいっそう増幅させて育たざるをえないのです。大人たちはいったいどう育って欲しいのですかね? とにかく教えていただきたい。


 こういうとまた左右から余計な知恵を植え付けられるに決まっていますので、もうおなかいっぱいです、とオーダーストップと言いたいのです。そうもいかないわけらしい……


 友人は戦争の放棄は守るべきだという認識に立ってはいましたが、果たしてそれは本音ではないのです。つまり表と裏の顔をうまい具合に使い分けてきたわけですが、私はこれをどういう認識に立てばよいのか、青臭い疑問を自身に問うて成長してきました。テレビカメラの前で日本人の女性特派員が興奮気味にその様子を伝えています。髪の毛がぼさぼさになるほど乱れていました。風が強い様子が分かりました。「これって爆風かな?」とぼつりとツィートすると、スマートフォンから「送信されました」という確認ヴォイスが返っています。妙な戸惑いは隠せません。地上波のテレビからは特派員に割り込む形でカメラクルーに向かって十歳くらいの子供たちが歓声を上げていました。その子ばかりでないことが徐々に分かってきました。みな一様に諸手を挙げ飛び跳ね、さながら祭りの様相を呈しているのです。


戦争をこんなに楽しんでいいのですか? 


人はなぜ戦争をなくすことを使命とする国ではなかったか? 憎しみは憎しみを生むだけではなかっか、そんな疑問はすっ飛んでしまいました。興奮は興奮を呼び起こすのだと、高鳴る心臓を数えながら口元が緩んでいくのです。




#3 あの授業は何だったんだ? 




「戦争は悪いことである」と教育され続けてきました。それが仮面の模範解答です。さぞ哀しんでいるのかと思えば、現実にいる人々は笑顔を見せています。それはその子の保護者であろう大人たちも同じでした。怒っているものや人類の悲劇とばかりに涙しているわけではありませんでした。


「本来、人は戦争など望まぬものだ」「軍国主義が滅び、民主主義が広まれば自然と健やかで平和な世界になるのだ」とも習いました。


この違和感は何でしょう? 


 頭を抱えてくれるはずのヒューマニストはどこへいったのでしょう。人間は人殺しを望まぬものだという常識は何のためにあるのでしょう? 核戦争は絶対起こしてはならぬはずではなかったか? 私の想像をことごとく裏切り、その映像は絶え間なく放送され、私はさらに興奮しています。液晶パネルの向こう側でも涙を流している者などいないという事実。ある肌が浅黒い少年は口を開いて真っ白い歯を輝かせ、大空に何かを叫んでいました。諸手をかざし、目玉が飛びずるほど大きく目を見開き興奮しているものもいました。口髭の濃い男も、黒いショールを巻いている女性たちも悦びを表現していました。ある男が――おそらくアラビア語でしょう――ギターのような弦楽器を奏でながら歌っていました。何かを称えるのでしょうか、その軽妙で陽気なリズムを、周りの者は輪になって踊っていました。ついさっきまで見ていた番組の残像を見る思いでした。


 こういう時、どうコメントすれば? 




#4 「かくせんそうってなに?」




 人類が必死で保ってきた「核戦争」というタブーを犯したことに、罪の意識がないようなのです。日本本土から数千キロ彼方にある異国の地に、日本の特派員はなれないアラビア語で声をかけて質問をぶつけています。通じているのかいないのか、その男は喋り続けるばかりで通訳がついていけません、アッラーと発して何かを訴えているのは何となく分かります。アッラーは偉大なのだ、とかいうこぼれ落ちる同時通訳の言葉を拾って私は何とか分かったつもりにしました。


「日本人が巻込まれているかどうかは不明だ」


と現地大使館のメッセージをやたら報道していましたが、とても誰か生存者がいるとは考えられるはずもなく「絶望的なのは当たり前だ」とツィートすると、反論めいたレスポンスが返ってきました。しかしその何十倍もの反論ツィートが入って藻屑となって消えました。私の疑問を共有している者が多いという証拠ですが、なおもこの居心地の悪さを静められません。


「日本大使館は、確認を急いでいます」


 それが仕事なのだから仕方ないかも知れませんが、日本人の安否確認などとは比べられない重大で重要ななにかを忘れていないか? 人類史に決定的な意味をもたらすからタブーとしてきた事態が「現実に」起きてしまったのだ、もっと伝えるべきメッセージはないのか? 




#5 正しい歴史って言われても。




〉あ~、ついに起きちゃったね、南無


〉日本も目を覚ますべきじゃね? 


〉―――――――――――核テロ! ―――――――――キタ―――――――――――


こういったツイートしているものも相当数いました。私は困惑を覚えました。地政学的にどうとか、国連なんかあてにならない、という具体的な軍略を展開するもがいるかと思えば、


〉自然を愛し、畜生にさえ心を砕く気高い『和魂』を今こそ打ち付けて、あのエンパイア風情の微笑国家に一方的にやられるばかりだ。世界に互していかねば、この国の明日はない!」「愛国心が足りない。このまま座して死を待つ気か」「またしてやられた! 日本はいつからこんな体たらくに怒りを感じないのか? このままじゃ、この国が地図から消えてしまう! 俺は座して死を待つ男じゃないぞ! 


〉特にアジアの軍港に展開されている艦艇の画像を動画サイトにアップして、この間隙を縫って、奴らはくるぞ!


 とか煽ったりしたツィートが、もの凄い勢いで下から上へとがんがんスクロールしています。


〉せっかくいいところだったのに


 という特別番組に抗議するようなツィートもありましたが、しかし戦争の放棄どころか悲劇というというつぶやきをしている者は少数派だった、ということは告知しておく必要があるでしょう。


 私は「厨房」の頃からからすでにアクティブラーニングという授業形式で「太平洋戦争について」という題材についてディスカッションを受けていました。その時クラスの優等生は、太平洋戦争は日本の軍部が国政を壟断して無謀な戦争に突入してしまったのだ、と朗々と述べていました。


するとクラスのできの悪い私の友人が、日本はやむを得ず戦争に踏み切ったのだ、とこちらも朗々と述べ立てました。


「軍人は昇進するために無謀な戦略や作戦を立てるしか能がなかったんだ」


「日本は中国や東南アジアの権益を得ねば、生き残れなかったんだ。それをアメリカは苦々しく眺めていたんだ。中国の市場や資源を日本に与えてしまうといずれその牙をこちらに向けてくるに違いない、だから今のうちに叩く必要かあったんだ。挑発してきたのはアメリカさ」


「日本の政治体制は軍人主導だった。現役の軍人が政治を壟断したんだ、日本はアジアの盟主とかいって国際的に孤立したじゃないか。世界の支持が得られなかった時点で、もう日本の政治は死んでいた。無責任の極みじゃないか」


「国家が死んだと言わせているのは、まるでGHQの宣伝の受け売りだね。座して死を待つなんて出来るの? お前は国のためなら死んでもいいっていうわけかい?」


「国の為に死ねっていうのは軍部のそのものの価値観じゃんか」


「国がなくても生きていけるのかい? お前は優等生だから、それこそお国のために働く気だろ。国家の為だったらいい頭を絞りきって懸命に働くだろ。なんで昔の政府だけ悪の権化のようにいうのさ」


「俺だったらこんな間違いはしない。国際協調に則らなければ国は滅びるんだ。こんな無謀な戦争で死んでいった人が哀れじゃんか」




#6 無菌教育のカタルシス




 教師はおもむろに授業を止めました。中学生の自分には昔の国家が酷かった,という論理より、あえて昔の国家を称えている意見は新鮮でした。色々考えてみてもそれなりにアイツの意見も一理あるのではないか、と考えるようになりましたが、結局紋切り方の歴史解釈を正論として終わったやに記憶しています。


私はワイドショーと化したニュースや討論番組が始まるのを、わくわくと待ちわびていたのです。いつの間にか呼ばれてきた、この時を待っていたかのように専門家が現れました。何度も何度も繰り返し流される映像を流しながら、とりあえず本当に核兵器が使われたのかどうか、グーグルアースの拡大写真を分析するなりして、なんとかとコメントしていました。原稿通りというか、紋切り型の現状の分析を伝えるばかりです。


「んなこた、どうでもいい」


と核兵器の構造をまとめたフリップを使ったよく分からない説明ばかりするのを、私は叩き出したくなりました。


「そんな講義を聞くほどヒマじゃねーんだよ」


 その御用学者の説明をそんな風に片付けていました。もし街角でテレビクルーに引っかかり、マイクを向けられたら、どんな言葉を発し、またどうした感情をぶつけるべきか。どういう言葉を吐けばいいだろうかと迷い始めましたが、ほとんど気にしません。それは鬱屈した日常の精神浄化作用でさえあったのです。


「この事態に時日本は如何にすべきか」


私はいつの間にかこのニュースを親しんでいました。私の好奇心に答えてくれるほどのツイートを期待していましたが、苦笑しながら検索サイトを閉じ、出かけました。人類が破滅するかもしれないという事態に遭っているのに、私はなぜか頓着しません。


 カーテンを開けるとギラギラと光る陽を浴びて眼をしかめました。すでに蝉も鳴いています。暑苦しい青空でした。しかし今日の天気は冷たい小雨交じりの肌寒い天気になるのだそうです。傘を持っていくか悩みましたが、だんだん苛々としてきて、コンビニ買えばいい、と急いで部屋を出ました。


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