第14話


疲れた足が限界を迎え立ち止まる。


はあ、はあ、と荒々しく呼吸をするたび、肩が上下にせりあがり、とことんずるい自分に吐き気がした。

止めた足元には影がぴったりと付いていて、地面に足を縫い付けられたように重い。

まるで身の内からでた黒い感情が染み出したみたいだ――

自分の中にあった汚い感情に気づくと、とことん汚く思えて、嫌悪感を露わにした。


しばらくして呼吸が整ってくると、明日美は何も持っていないことに気づく。――通りで身軽に走れたわけだ。

――もうこのまま帰ってしまおう。そう思い家の方向に足を向けた明日美だったが、いつもは大雑把だが、妙な所で目敏めざとく気づく多恵子を思い出し、足を止めた。


手ぶらで帰ったら多恵子はあやしむだろう。

あの鞄の中にはお弁当も入っている。多恵子が気づかないはずがない。


明日美は考えているうちに、はっとした。

お弁当どころか、定期も財布もかばんの中だ。


明日美は唇を噛むと重い足でまた学校に向かうことにした。

もしかしてまだ彼はまだいるかもしれない。

そう思い会わないように、ゆっくりと歩きながら――。

















学校の近くまで来たところで、明日美はすぐ側にあるスーパーに入ることにした。

もしかしたら、まだ須藤が学校にいるのかもしれない。そう思い、財布も無いというのにスーパーに入る。

冷房が効いた店内をうろうろと見渡していると、声が聞こえてきた。


「だめだ、エラーだ!」


まだ声変わりのしていない声は、声質は全然似ていないというのに、一瞬要だと思い、どきりとした。


「よしっ!次は200目指そうぜぇっ!」


見ると少年二人が、椅子にピッタリとくっついている。

ゲームでもしているかと思い、特に見るものも無かった明日美は少しだけ近づく。

すると、何故かテーブルと椅子があり、その上には血圧計が置いてあった。

『ご自由に』と書かれた血圧計に、少年たちは文字通りに自由に使っていた。


お互いの細腕をひとつずつ差し出し、一緒に血圧計の中に入れて測っていた。――血圧を。


「だめだ!またエラーだよ……!?」

「弱気になんなよ!やってれば時期に200いくだろ!」

「…………てか、なんで200目指すの?100でよくない?」

「母さんが200はやばいって言ってた。たぶん200出したら――俺ら、すごい」


「じゃあ、やるしかないね!」



果敢に挑戦する少年たちをぼーっと見ていた明日美は、少年たちの行く末をまだ見ていたかったが、視線の端に入った色をみて、慌てて視界に入らない場所へ隠れる。


色合いだけだったが、確かに明日美と同じ学校の制服が見えたのだ。

ばかだ。学校の近くだから、当然学校の生徒も立ち寄っても、なんら不思議ではない。

すぐに須藤ではないか、こっそりと隠れたまま顔を確認する。

そして全く知らない顔に安堵する。


だが、一息つくとそこまで考えが至らない自分に、呆れと情けなさを感じながら、大人しく学校へと向かった。













学校に着くと部活動をしている生徒で、まだ賑わっていた。

明日美も部活には入っていたが、日常的な活動はなく実質、帰宅部だった。

そこで、ふと思った。

運動神経がいいなら、なにか運動部に所属してるのでは無いかと。

それならば、部活が終わらないうちに早く回収して帰ったほうがいいのではないかと。


慎重に歩いていた足は、警戒しながらも速くなった。精神的にもゆっくり歩くよりもそっちの方がはるかに楽だった。

犯行のプロは、犯行後もゆっくりと溶け込むように、ごく自然に歩くと聞いたことがある。だが、反対に素人は犯行後につい足早になったり、走ってしまうという。

明日美は今その気持ちがわかった。


ここから早く帰りたい。その気持ちがつい前のめりにさせる。

だが、それは今回のような場合は正しい。

須藤と会うことはなく、無事教室にたどり着くことができた。


明日美は誰もいなくなった教室に着くと、人気の無い、しんっとした空間にほっと息をついた。そして、明日美は荷物を取ると、その重みに安堵した。――これで帰れると。



「――山瀬さん!」


びくっとなったのは最初だけで、明日美は固まったように動けなくなった。

振り返らなくてもわかった。その声は紛れもなく、最も会いたくない人物――須藤のものだ。


「嫌な思いさせてごめん!……そんなつもりじゃ無かった。まさか、あんなに山瀬さんが怖がっちまうなんて…………」


須藤の声は優しく気を遣っているのがわかった。

だけど、明日美は怖かった。そんな声を出しながら、今どんな目で私をみているのだろう――と。


そして明日美は思った。

今なら間に合う、きっと間に合うと。さっきよりも上手く、自然に、溶け込むように――――そうすればきっとただの日常になる。


そうやって今までやってきた。

今日子の時だって、明日美が長くひとり過ごした学校生活の中であっても。

起きてしまったことには目を閉じ、何か起きる可能性があるものからは目を逸らす。

それがどんなに寂しくても、悲しくても、そうするしか無い。



いつかそんな明日美に見兼ねて、シロは引っ越す前にこんな事を言った。


『明日美の話ってつまんないんだよね。引っ越すなら、友達作れば?もうちょっとマシな話できるようにしてよね』


引っ越しという転機と、そうシロに言われなければ、明日美自身は友達を作りたいと思っただろうか。

それともずっとその言葉を待っていたのだろうか。



――ただわかるのは心機一転、などと意気込んではいけなかった。

だから、こんなことになるんだ。

明日美は仮面をもう一度つけようと思った。


だが、あの須藤の射るような目を思い出すと、その仮面すらつけることが出来なかった。 それどころか、さっきのように逃げ出すことすら出来ない。


明日美が出来ることといったら、せめて付けれない仮面を落とさないように、ぎゅっと持って固まることだけだった。



「……もし、勘違いだったら本当おかしい奴って思われても仕方ない。でもやっぱり山瀬さんの反応みたら――どうしても期待しちまう」



須藤は緊張しているのか、声は少しだけ震えていた。

その声がこの空間に映えて、明日美にはあまりにも息苦しかった。


ただ――期待とはなんだろう?


ぎゅっと掴んだ仮面が手のひらの汗で、ずり落ちていくような、焦りと未知の恐怖を感じた。

明日美はこれがないと顔をあげられない。

仮面がないと、どんな顔をしたらいいのか、わからないのだ。








「俺と同じなんじゃねーかって」










ドン――。

静寂せいじゃくの中、大切なものが落ちていく音を確かに聞いた。

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