【ストレの憂鬱―其の四】
「ストレ。ストレっ。……ストレェェェェェ!!! 聞いてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「……何で御座いましよう。姫様」
私が政務に、それも姫様が持ち込んだ案件に執り臨んでいる時に一体何なのでしょう。迷惑な。
私こと、ストレ・カレイ・ヴォルテ・ミレディスタは、近々結婚致します。
それも、この法治国家アヴァロン王国の次期女王という席に
はっきりと申し上げて、この身には畏れ多い事。
内心、またぞろ姫様の思い付きかと高を括り、はいはいと生返事で返していたのが良くありませんでした。
事が事だけに、そんな思い付きのような発言が真になると思っていなかったのですが、よくよく考えてみれば、姫様の思い付きは何時でも実行され、その望みは成就していたではないかと、今更になって気が付いた訳です。
私はあの時、姫様が執務室の扉を叩き開けて妄言を発したあの時に、ちゃんとお話をしておかねばならなかったのです。
「私に何か、御用なのですか?」
はぁ、と聞こえないくらい小さな溜め息を漏らし、私が政務に励む為に腰掛けている、一人掛けの椅子に無理矢理腰を捩じ込んで座る隣の女性に視線を移した。
勿論、姫様その人です。
「おっ、やっと話を聞く気になった? よろしい。聞かせて進ぜよう」
姫様が、机に向かう私の顔を下から覗き込みはにかむ。ブロンドの艶の有る長くボリューミーな髪が、机にバサッと乗り上げ、私が向かっていた大事な書類を覆ってしまった。
語末に何処の国の言葉かよく分からない表現が含まれていたが、博識な姫様のこと。他国の文献でも手に入れ、嵌まっていらっしゃるのだろうと推察する。私も姫様から教わり色々な新しい言葉を得た経験がある。
……それはそうと、私の顔を覗き込むのはまだしも、私の顔にフンフンと鼻息を当てるのを止めて頂きたい。正直、姫様といえどイラッとします。
「くっ……。はい、謹んで御言葉頂戴致します。ですので、どうか私の椅子から腰を上げて頂き、テーブルに添え付いておりますソファにお掛け下さいますよう、お願い申し上げます」
姫様の奔放な態度は何時もの事なので、特には触れず、ソファへの着席を促す。
「嫌です! 今日の私が腰を据える場所はここだと、決めたのです! 私が、今!」
……この方は何を仰っておいでなのでしょう。どうして、こんなに窮屈な状態が良いと仰るのか。甚だ疑問です。
「そうですか。結構です。私がソファに移動しますので、姫様はどうか椅子を存分に愛でてくださいませ」
そう言って私が椅子を離れようと力を入れると同時、がしっと腰を掴まれる。
掴まれると言うより、腕を回して捕まえられた。
「まあまあ、そう女子を邪険に扱うものではないよ? ストレ君。寧ろ私のような美女と一緒の腰掛けを共有できる慶びに感嘆し咽び泣くべきではないのかね? ん?」
イラッ。
おっと、これはいけません。姫様に対して、こんな感情は不敬にあたります。
「てい」
私は姫様の頭を
「あいたー!!? ストレに頭叩かれたー!?」
両手で頭を押さえて中腰の姿勢の私を見上げる姫様。
それほど痛くはなかった筈ですが、うっすら涙ぐんでいるご様子。
「私は何もしておりませんよ? 空から異国の文献でも降って降りたのではありませんか?」
「室内なのに!? それもストレの執務室で!?」
私の執務室には公務に関する書物しかないので、姫様の私室のように座っているだけで積み重なった嗜好品が倒れ本の奔流に押し潰されるようなことにはならない。
天から制裁の掌が降るくらいのものだろう。
「室内でも本が降るようなことは御座いましょう。魔術には時空間転移なる高位のものも御座います。この世に有り得ない、ということは言い切れないのですよ」
「むむむ。ストレが屁理屈を
あの嫌味ったらしい発言はわざとではなかったのか。
「姫様、そんなことはどうだって良いのです。私への御用をお聞きしたいのですが」
逸れに反った話を戻すべく、姫様を誘導する。誘導されてくれれば良いが。
「ストレ。もうちょっとじゃれ合いましょう。いえ、じゃれ愛し合いましょう」
駄目でした。誘導失敗です。
「人工的な真面目さを振る舞う貴方が羽目を外してくれることはとても稀なのだから、私はもう少し貴方と戯れたいわ」
人工的なって。
確かにそうですが。
そう言われてしまうと、模範となるべく努力している私の立場が有りません。
「たまには良いんじゃない? この部屋には私と二人きりなのだし、私とストレは夫婦になるのだし。誰に咎められることも、誰に遠慮することもないと思うの。ストレは真面目で勤勉で優秀で、とても素晴らしい人格者だと思うけれど、私が貴方を選んだのはそんな表面のことだけではないのよ? まあ、それくらいストレには解っているでしょうけれど、言葉にしておかないと伝えることが出来ない気持ちもあるし、伝えれない時もあるもの。……だからこの際に伝えておくけれど、私がストレを選んだ理由は、貴方が私を支えるに足る存在だからよ。感情的なもの、体裁的なもの、その他諸々の理由も勿論あるけれど、一番の理由はこの国を私がお父様から譲り受けた時に、『九賢人』、引いては全ての国民と対等な権利を有した時に、私の意志を正しく執り行うことが出来る能力を貴方が有しているからなの。こう言うと貴方は社交辞令的に謙遜するでしょうけれど、貴方は貴方の力を正しく認識して周囲に認めさせる義務が有るわ。私はそう思っている。貴方の実力は周囲の者が既に認めるところよ。でもそれは王宮内、つまり国王側の陣営でのみ通用する認知であって、かつての、そして現在も九賢人のトップにいらっしゃるマイア様のような、国民全てが認めざるを得ないお方とは程遠いの。それを貴方はこれから変えていかないといけない。女王の右腕である、ストレ・ル・フェイ・アーサー・アヴァロンは女王と変わらない知性と品位と善意を以て女王を、このアヴァロンを視ていると、国民に知らしめなければならないの。そして、それには貴方は堅すぎるわ。柔軟ではあっても、柔和ではないのよ。私と、貴方の周囲の者は貴方の柔らかな表情を知っているけれど、それは貴方の力を知る者よりもごく一部よ。真面目であることは大事。でも、それ以上に人を受け入れる柔らかな姿勢が、国には必要なの。だから貴方にはそれを理解して、取り入れてほしい。そして、ストレにはそれが出来ると私は確信してる。そう思っているの。そう思わせてくれる力が、貴方には在るから。だから、私はストレを選んだのよ」
言い終え、姫様が腰を上げた。
ずっと中腰のままだった私は、ゆっくりと腰を下ろす。
「用事は一先ず終えたから、私はそろそろ行くわね」
そう言って歩き出す姫様の右手を掴み、引っ張る。
「うっ! きゃ!?」
まるで美女らしからぬ声を上げ後ろに引っ張られた姫様が、椅子に腰掛けた私の太股の上に収まった。
「ん? お?」
キョトンとしつつ振り返り、私の顔と向かい合う姫様。
「これはどういうことかな? ストレ君。君にしては、大胆破廉恥ではないかね?」
にまにまと私を見詰めて、両腕を私の頭に回す。頭を抱き締められる形だ。
恐らく私は今、生まれてから一度も経験したことが無い程、赤面していることだろう。
自らこの状況を作っておきながら、私は姫様の顔を見ることが出来ないで居るのだから。
「んん~? ストレ君は、このアヴァロン国の次期女王を、それも婚前の美女を太股に座らせて、これから何をするつもりなのかなぁ~? 教えて欲しいなぁ~。きーにーなーるーなぁ。」
悪戯な笑みを浮かべ、姫様が耳元で囁く。
吐息が耳にくすぐったい。ぞくぞくする。
慣れないことをしたばかりか、王国の貴賓に迂闊なことをするべきではなかった。
「ストレくぅ~ん。ドウシテ黙ってるのカナ? オヒメサマに教えてくれないカナ?」
わざとらしく片言でゆっくり喋る姫様が憎らしい。
失敗した。大人しく姫様を見送って、慶びを噛み締めておけば良かった。
「ストレくーん?」
「…………」
「…………」
部屋に沈黙が訪れる。無音が耳に痛い。
あと心もチクチクする。
「……プッ。アハッ。アハハハハハハッ! アハハハハハハハハハハハハハハッ! ヒーッ!」
私の頭を抱いたまま、急に姫様が笑い出す。それもこれまでに聞いたことのない大爆笑で。引き笑いまでしだすほど。
「イヒヒッ。ヒーッハハハハハハハハハ! おっかしい! ストレをこんなに弄れる日が来るなんてね! 僥倖だわー! アッハハハハハハハ! たーのしぃー! 大赤面のストレ最っ高! かーわいー! ッハハハハハハ!」
益々笑いのボリュームが上がる姫様と、益々顔が熱くなる私。
「ひぃっ、姫様!」
声が上擦る。恥ずかしい。
「!? 『ひぃっ』だって! アハハハハハハおかしー! もう笑わすの止めてぇー!」
「…………」
「アハハハハハハ。ごめんごめん。笑い過ぎちゃった。なーに? ストレ」
漸く落ち着き、姫様が私の言葉を待っている。
声が上擦ってしまったトラウマが心に刻まれ、喋り出す勇気が湧かない。私は何をしているのだろうか。早く話さなければ。女性を、姫様を待たせるものではない。執事として。姫様の右腕として。夫になる者として。
「スートレっ。ほら、私を見てっ」
頬を掌でしっかり掴まれ、顔を無理矢理上げさせられる。
姫様との顔の距離がとても近い。僅かでも動かせば唇が触れ合うくらいの距離だ。
「んー」
「っ!?」
などと考えていたら、私の唇に姫様の唇が重なった。
「んーーーーーーー」
「~~~~!!!?」
ちょ、姫様。
「んーーーーーーーーーーーー」
「~~~~~~~~!!!!!」
長い。幾らなんでも長すぎて逆に冷静になってきた。
「っぷはーー!」
「っはぁっ、はぁっ」
何だこれは。口付けとは、こんなものじゃ無い筈だ。
経験が無いから分からないが。
「どう? 落ち着いた?」
「……はい。落ち着きました」
「ストレは仕事人間だから、キスとか、経験無いでしょう?」
「…………」
仰る通りではありますが、あまり言われて良い気持ちはしないですね……。
「私も、キスするの初めてだったわ」
「……え?」
「私も初めてだったって言ったの」
「…………」
なんという……。
「私のファーストキス。どうだった?」
「どう……と申されましても。長かったとしか……」
「何それ! 私の初めての接吻を! 大事な初めての接吻をーー!」
「あっ、それは、その、申し訳ありません……」
「なんて! 私も同意見! ちょっと長過ぎたわね! 初めてだから加減が分かんなかったわ! 本では色々読んだんだけどなー。『事実は小説よりも奇なり』というのは、こういうことかしらね?」
「はぁ……。そうかも……しれませんね」
それはそういう使い方ではないような気も、間違ってはないような気もする。
事象の大小の差はあれど、今の私達にはお似合いの言葉かもしれない。
「で、ストレは私に何を言おうとしたのかな?」
「あ、はい」
そうでした。それを、伝えなければ。
私も、言葉にして伝えなければ。
伝えれる時を失わない内に。
姫様の顔を見上げ、姫様の腰に手を回し今度は私が姫様を捕まえる。
すると姫様も私の背中に腕を回してきた。
「……姫様」
「ん、なーに?」
「私も姫様を、上司として、女王に成られる御方として、そして一人と女性として、お慕いしております。姫様の右腕として、夫として、国民から認められる存在として、今よりも成長することを誓います。貴女を支える存在として、常に貴女の側に居続ける事を、どうか御許しください」
そう言って、姫様に口付けた。
今度は、短く、特別な感情を以て。
唇を離し姫様を見詰めると、潤んだ瞳で私を見詰めておいでだった。
「許します。貴方の誓いを信じましょう。ストレ。ずーっと、私の側に居てね」
こうして私達は、夫婦の誓いを交わしたのだった。
(To be continued)
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