第56話

幸い、頭はしっかりと働いていた。


布をかけられて連れ出されたのは、各所に設置された防犯カメラから私を隠すため。


足元の廊下の様子は、大体記憶している。


長島少年が所属しているのは、あくまで保健衛生監視局であって、公安でも警察でもない。


街中に設置されている屋外の監視カメラは、そのほぼ全てが警察の管轄下にある。


外に出れば、すぐに見つかる。


通ってきた長い廊下を遡ってたどり着いたのは、全く見覚えのない、古びたバーカウンターの入り口だった。


もう何年も前に廃業したのだろう、並んだビリヤード台や、スロットマシーン、カジノルーレットが、分厚い埃をかぶっている。


店の入り口の扉だけが、綺麗に埃が取り除かれていた。


内側からかけられた鍵を外して、外に出る。


廃墟と化した場末のビルからは、すえたアンモニアの臭いがした。


ギラギラした欲望そのままの看板が立ち並ぶ通りを抜け、道路標識を見上げる。


どこかへ移動しようと思っても、スマホも個人認証カードも持ち歩いていない今の私に、出来ることは歩くことしかない。


愛菜、愛菜は? 


きっと、彼女だって同じだ。


逃げるにしても、逃げていく場所が彼女にはない。


私だったら、どこに逃げる?


振り返った視線の先に、大きな観覧車が見えた。


そうだ、ここは愛菜と二人で来た、あの遊園地から近い。


あの海岸からでも、この観覧車は見えていたはずだ。


その場所へ向かって、私は歩き出した。


夜がきらめく街並みの奥へ、長い時間をかけようやくたどり着いた遊園地は、夏の間だけ開園時間を延長して営業を続けていた。


と言っても、もう時間が遅すぎる。


ナイト営業の最後の一時間、無料開放されていたゲートを私はくぐった。


彼女はここにいる。


遊園地の内部ならば、警察の監視カメラの目も届かない。


広い園内、身を隠す場所は、どこにでもある。


彼女は絶対にここに来ている。


私は最後の力を振り絞った。


「愛菜―!」


大声で叫ぶ。


どこかに潜んでいる彼女の耳に、この声が届きますように!


「愛菜! どこ? どこにいるの、出てきて!」


彼女と通った大通り、一緒に乗った乗り物、入ったレストランでは、彼女はちゃんと食事をしていたっけ。


楽しかった。


だけど、彼女と接することが少し怖くて後ろめたかった。


それでも友達だって言ってくれた彼女の言葉は、友達になろうって本気で思った私の気持ちは、それだけは嘘じゃない。


「愛菜!」


閉園のアナウンスと終了の音楽が、終わりの時間を告げていた。


「愛菜―!」


「うるさいわね、さっきから。人の名前を、勝手に連呼しないでくれる?」


照明の落ちた園内の暗がりから、ふらりと愛菜のシルエットが浮かび上がった。


「なんで追いかけてきたのよ、うっとうしいわね」


「愛菜!」


彼女に駆け寄ろうとしたら、バチンと電流に弾かれた。


放電タイプの違法改造されたスタンガンだ。


「これ以上近寄ったら、危ないわよ」


「どうしてPP局を爆破なんかしたの? あんなに憧れて、やりたかった仕事じゃなかったの?」


「えぇ、そうよ、入りたかったわよ。だけど、私がやりたかったのは、PPの値を自由に操作することで、数値の運営を固守することじゃない」


彼女は放電スタンガンの目盛りを調整しながら、ゆっくりと近づいてくる。


「PPは、個人の能力を学歴や収入に関係なく評価できる、新たな指標で……」


瞬間的に、全身に激痛が走る。


思わず叫び声を上げた私に、愛菜はスタンガンの先を向けた。


「また新しい、差別と階級をこの世に生み出した」


「嘘、偽りなく、自分が自分でいられるための、仕組みなのよ」


「私が他人を憎いと正直に思ったり、楽して勝ちたいと思う気持ちを、否定されたわ」


「そんなことして、楽しいの? ズルして勝つことが?」


彼女は大声で笑った。


「だから楽しいんじゃない。筋トレ? 勉強? そんな面倒で時間のかかることなんか、やったって成果が出るとも限らない。パパッとPPの数値だけを書き換えれば、それだけで全てが肯定されるのよ、ある意味いい時代になったわよね、苦労しなくて、いいんですもの」


「数値を書き換えたところで、その人本人が……、痛っ!」


スタンガンから流れる電流が、雷のように体を打つ。


瞬間的に放たれる強力な痛みで、私は立っていることが出来ずに、地面にしゃがみこんだ。


皮膚の一部が、腫れたように痛みだす。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る