第54話

「明穂、昨日の夜勤、大丈夫だった?」


「うん、普通だったよ」


「横山さん、結局泊まり込んだみたいですよ」


市山くんの言葉に、さくらは真剣な表情でうなずいた。


「あぁ、やっぱりそうなさったんですね」


さくらは知っていたってこと? 


聞いてみようかと思った瞬間、横田さんが私に言った。


「お前はもういい。家に帰って、ゆっくり休め」


休めって言われたって、さっきまで爆睡してたんですけど。


出局してきた芹奈さんが、パソコンを立ち上げた。


「あら、横田さんはやっぱり泊まりこんだのね」


「あぁ、それでこの後のことなんだが……」


さくらも市山くんも仕事を始めているし、芹奈さんと横田さんは、二人ともシンクロしたみたいに、同じ格好で腕組みして話し合っている。


なんだか私だけが、取り残された気分だ。


「じゃ、帰ります」


オフィスを出ようとしたら、芹奈さんだけが「お疲れさま」と言った。


妙に気分が悪い。


気分、というか、自分で自分の機嫌が悪化しているのを肌身で感じる。


どうしてこんなにも、イライラするのだろう。


局のロビーに出たら、出局してきたばかりの愛菜と、ばったり会った。


「あら、夜勤あけ?」


彼女は言った。


「そう、今から帰る」


「ふーん」


彼女の真横を通り抜けようとしたとき、その顔はにっこりと微笑んだ。


「ねぇ、私もやっぱり、帰る」


彼女は手にしていたスマホを、床の上にぽろりとこぼした。


わざと落としたそれは大きな音をたてて跳ね上がり、また落ちてはね返る。


「行こっか」


久しぶりに、彼女の腕が私に絡みつく。


だけど今は不思議と、それを不快には思わなかった。


私は彼女と一緒に、そのまま局の外へ出た。


夏の日差しが、肌を照りつける。


愛菜は一緒に遊園地に行った時のような機嫌のよさで、私と歩いていた。


私も彼女と二人だけになって、気分がぐんと上がった。


二人で仕事をサボり、入るカフェ。


冷たいフローズンのデザートアイスを分け合って、意味もなく笑い転げる。


手にしたスプーンの長さに笑って、器の形が可愛いと笑った。


私がスマホで画像を撮ろうとした時、彼女の手はそれを止めた。


そうだ。


愛菜はスマホを捨ててきたんだった。


私もそうしよう。


「ねぇ、たけるも止めて」


「たける、更新するから、機能停止」


「そうだね明穂、たけるは機能停止するよ」


たけるの目から、光りが消えた。


「見て、このストロー、なんで黒なの? おかしくない?」


愛菜の言葉に、私はおかしくもないのに笑った。


彼女も笑って、私たちはずっと笑っていた。


「海が見たい」


ふいに彼女がそう言って、私たちは店を出た。


車を止めようとしたら、久しぶりに電車に乗りたいと彼女が言ったので、ガラガラの構内に降り立つ。


私たちは、西に向かう電車に乗った。


ガタンゴトンという音に揺られて、私の体も小さく揺れる。


隣に座った愛菜が、その額を私の肩先に乗せた。


頬を寄せると、彼女の指先が私の指に絡みつく。


目を閉じて、そのまま眠った。


手を繋いだままでたどり着いた海岸は、夏だというのに人気はまばらだった。


「人、そんなにいないね」


「海水浴場に指定された海じゃないからだよ」


「ふーん、そっか」


真夏の海の、選ばれなかったその場所は、それでも同じようにキラキラと輝いていた。


「ほら、あっちを見て」


愛菜の指した方角には、たくさんの人達が水着姿で海を楽しんでいた。


「同じ海なのに、全然違うんだね」


「何が違うのかな」


「そんなことに、意味なんてないのよ、きっと」


海はずっと、どこまでも一つに繋がっているのにな。


彼女は、くるりと私を振り返った。


「ねぇ、スマホ忘れて来ちゃった」


「なに言ってんの」


その屈託のないいたずらな微笑みに、私もつられる。


「私のスマホ、鳴らしてみて」


「たける、起きて」


「そうだね明穂、僕はちゃんと起きたよ」


「愛菜のスマホに電話」


背中にいるたけるの体内で、スマホの震えるわずかな振動が体に伝わる。


それが、ふいに途切れた。


「あれ? 電話、繋がった?」


背中のたけるに問いかける。


「そうだね明穂、愛菜ちゃんの電話、繋がらなかったよ」


私は愛菜を見た。


彼女は微笑む。


「だって、私はここにいるんだもん、電話をとれなかったから、切れたんじゃない?」


愛菜の手が、私の手に繋がる。


遠くにいて繋がらないものでも、これだけ近くにいれば、その間に余計なものなんてなにもいらなかった。


手を伸ばせば、いつだって簡単に繋がれる。


夕日が沈んでゆくのを、私たちは最後まで見ていた。


「そろそろ帰ろっか」


私がそう言ったら、彼女は首を横に振った。


「先に帰ってていいよ。私はもうちょっと、ここにいるから」


愛菜は冷たくなった砂の上に、両膝を抱いてうずくまっている。


その目はじっと暗い海を見ていて、私はそっと立ち上がると、すぐそばにあった無人の車を呼び寄せ、中に乗り込んだ。


「うちまでお願い」


「かしこまりました」


自動運転ロボットのAIが答える。


滑らかに動き出したその中で、私はまたいつの間にか眠ってしまった。

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