第46話

「ね、実は前から気になってたお店があって、そこに行きたいんだけど、いいかな?」


「えー、どんなとこ?」


「創作和風イタリアン!」


「行く行く!」


さくらに連れられて来たお店は、豪華な和食のお総菜と、イタリアンパスタの融合メニューで知られる、超有名大人気店だった。


石造りの庭と小さな池が、涼しげな木立に囲まれてライトアップされている。


そんな純和風の庭が一番よく見える席に通された私は、ちょっとびっくりした。


「なに? さくら、予約してたの?」


「ふふ、こんな奇跡って、あるんだね」


この店は予約しても半年待ちで知られていて、こんな一番いい席なんて、どうやって取れたんだろう。


「凄い!」


「びっくりした?」


首を高速で縦に振る私に、さくらは笑う。


「しかも今日はおごりだから、気兼ねなく楽しんで」


さくらはワインまで注文している。


さくらのワイン好きは知っていたけど、なんだか今日は、ちょっぴり様子がおかしい感じ。


「なにか、いいことでもあった?」


とりあえず、そうカマをかけてみる。


もしかしたら、悪いことかもしれないし……。


そんな私に、さくらはプッと吹き出した。


「それとも、あんまり言いたくないこと?」


彼女はくすくす笑ったあとで、ゆっくりと私を見た。


「あんたって、本当にいい子だよね」


「なによそれ。関係ないし」


運ばれてきた料理は、本日のコースメニュー。


といっても、ここの店は、それしかメニューがない。


絶妙なタイミングで出される料理を楽しみつつ、私は久しぶりにたくさん笑った。


さくらもすっごく楽しそうで、たくさん飲んでたくさん食べて、店を出るころにはすっかり満腹になっていた。


「ねぇ、なんでさくらは、今日私を誘ったの?」


いい感じの酔っ払い同士、初夏の繁華街をほろ酔いで歩く私の後ろで、さくらは急に立ち止まった。


「最近、明穂の元気がなかったから」


彼女は今までに私が見たことないくらい、とても真剣な顔をしていた。


「明穂は、あんまりPPの変動を気にしないタイプだけど、PPの役割って、他人と競うことだけじゃない、自己管理の、客観的な指標でもあるのよ。だから、もう少し気をつけて、自分のことも、もっと大切にしてあげて」


結局、またその話か。


せっかくのいい気分が、そのセリフで全部台無し。


さくらは何が言いたいんだろう。


「なにそれ、本当にそんなことで、私を呼び出したの?」


「芹奈さんのアドバイス、ちゃんとやってる?」


さくらなのに、私のことを、一番理解してくれていると思っていた人なのに、彼女の口からそんな言葉が出るなんて、思いもしなかった。


「さくらも知ってるでしょ、あんなの、インチキだって」


「でもあれで、実際に七海ちゃんんは、あがったよ」


やっと元通り、普通に接することが出来るようになった職場の人間関係を、どうしてまた気まずい雰囲気に戻したがるのだろう。


「だから、やってるって!」


「本当に? ねぇ、それ、本気で言ってる?」


明らかに機嫌を悪くした私にさくらは駆け寄り、手をぎゅっと握りしめた。


「ね、お願いだから、ちゃんと守ってね、私との約束」


どうしてさくらがこんなにも真剣に話すのか、彼女の目元が、わずかに潤んでいるような気もする。


私はそっとさくらの手を振りほどいた。


きっと彼女には何かの事情があって、それはきっと、嫌なことだったにちがいない。


それで飲み過ぎたせいもあって、ちょっとおかしくなってるんだ。


彼女の事情を私に重ねられても困るけど、それでも私を心配してくれていることには、変わりない。


「うん、分かったよ。PPのアップは無理でも、1600から1700は維持するように頑張る」


「ありがとう、明穂」


さくらは私を、たけるごと抱きしめた。


「明穂はね、私にとっても、実は大切な存在なんだよ。あなたがいなかったら、私はきっと、ここには残っていない」


「なによ、それ」


さくらは目元の涙を指でぬぐった。


「本当だからね、覚えてなくてもいいけど、忘れないでね。私がそうやって、言ってたこと」


「うん」


最後に、さくらとしっかりハグをしてから、私たちは別れた。


家に戻って着替えをしながら、今日一日の出来事を口頭でたけるに伝え、非公開の日記をつける。


「そうだね明穂、今日は楽しかった?」


「そうだねたける、今日は楽しかったよ」


たけるはその日の日記の最後を、『楽しかった』で締めくくった。


私の落ち込み続けていたPPは、わずかに回復していた。

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