ポイントセンサー

岡智 みみか

第1話

私の名前は保坂明穂、二十四歳、独身、女性。


あれから17年。


こんなにも早く、未来が訪れるなんて思いもしなかった。




私が働く職場は、個人情報を取り扱う政府の独立機関。


難航を極めたマイナンバー制度もようやく浸透し、現在では全ての国民が登録を済ませている。


個人情報を効率的に活用し、国民生活に広く応用させるための活用規制も法整備もばっちり、もちろん監視機能も充実している。


私が働く機関は、その管理運営を託された、パーソナルポイント管理運営事務局だ。


略してPP局。




目覚ましの合図とともに、一人暮らしのベッドから起き上がると、個人管理プログラムである執事ロボットがすでに起動している。


「おはよう、明穂! 今日もかわいいね」


高性能AI音声アシスタントは、イケメン年下かわいい系アイドルモードに設定済み。


ソースは人気乙女恋愛ゲームからのオプションダウンロードだけど、見た目は大きなピンク色の、うさぎのぬいぐるみだ。


しかも、リュックのように背負えるタイプ。


「ありがとう、たける。今日は何を着ていけばいいかな」


たけるが考えている間、私はトイレに行って洗顔を済ませ、昨日の晩に準備しておいた、朝食キットをレンジで温める。


「そうだね明穂、今日はちょっと寒いから、あたたかくしていった方がいいね、今日は仕事では、特に大事な予定はないから、カジュアルな感じでもいいかもね、赤い薄手のセーターなんかはどう? 最近着てないよ」


仕事は忙しいけど、きれいを維持するための食事には手を抜けない。


宅配業者から届く、『健康第一、美容も考えた二十代前半女性向け、お手軽軽食キット、朝・夕飯用』の、『朝・洋食系』大袋をレンジに放り込む。


これは事前に温め時間をセットして予約しておくことも可能だが、ちょっとでも寝過ごすと、すぐにレンジの中で袋の中の水分を吸い込み、べちょべちょになるからやめた。


フレンチトーストにはちみつ入りのホットミルク。


温めたパックに、備え付けのストローを差し込んで飲めば、洗い物も出ない。


真空パックのハムサラダと一緒に食べれば、必要な栄養素もカロリーも、ばっちり計算済み。


「たける、赤のセーターってどこ?」


「そうだね明穂、クローゼット、右下の引き出し、下から2番目だよ」


こういう時、動画認識機能は本当に便利。


片付けの様子をたけるに見せながら記憶させると、どこに何が入っているのかを教えてくれる。


「あった! ありがとう、たける!」


「そうだね明穂、急がないと、もうすぐ出発の時間だよ!」


白いブラウスに赤い薄手のセーターを装着。


まだ寒いので、春先用のコートを羽織った。


「じゃ、行こっか!」


「そうだね明穂、今日も元気に頑張ろうね!」


ピンクうさぎの、ぬいぐるみであるたけるには、手を振ったりなんかする動作機能はつけなかったんだけど、そのプラスチックの瞳は、笑顔で微笑んでいるように見えた。


そんなたけるを、さっと抱き上げて、外に出る。


毎朝予約してある、フルオートの自動運転車に乗り込むと、車は静かに滑り出した。


目的地の職場社屋は、既に行き先登録済み。


ゴミ一つ落ちていない滑らかな道を、滑るように進む。等速かつ等間隔で運行される車に渋滞などない。


やがて窓の向こうに、緑の小さな森が現れた。


PP局社屋の敷地内は緑で溢れ、緑化公園の真ん中に立てられたような建物は、すべてガラス張りで一部をのぞき可視化されていて、一見なんの委託業務をしている会社なのかも、外観からでは想像出来ない。


IT関連企業の社屋であるのは間違いないが、夢と創造にあふれた世界でもないことは確かだ。


国民全てを番号管理かつデータ化し、監視することが一般化されたとはいえ、まだまだ反対意見が多いのも事実だった。


「後ろから、横田さんが来たよ。健康チェックのデータ送信がまだだから、怒られるかも」


たけるの報告に、足を止める。


その瞬間、間髪を入れずに不機嫌な声が背後から響いた。


「保坂、お前、今日の健康チェック、データ送信がまだだぞ」


声の主は私の天敵、横田健一、二十八歳、独身、男性。


背が高く痩せていて、枯れ木みたいな印象の人だ。


同じ部署で働く上司、というわけでもないが、チームのリーダー的な役割を、業務の一つとしている。


昨今では、リーダーなんて役割は絶滅済みで、どちらかというと、監督とか、マネジメントとか言う役割を任された人物、といった方が正確なのかもしれない。


「自分自身の健康を管理することも、大切な業務の一つだ。チームとしての、自分の役割を忘れるな」


朝からイラつく。


足早に歩き始めた私を、さらなる早足で追い抜いていく。


その背中にチッと舌打ちをしてから、スマホを取り出した。


立ち止まって一呼吸置いてから、専用アプリの画面に指先を押し当てる。


それだけで血圧から血糖値、体温、心拍数、アルコール濃度と睡眠係数の予測値がはじき出され、ストレス係数として局の個人管理データに登録される。


異常値が見つかれば、出勤後に再検査、上司と相談の上、本日の勤務の可否が決まる仕組みだ。


本日のストレス係数、32%。


いつもなら20%代だが、朝から嫌な奴の顔を見たせいなのかもしれない、すこし心拍数が高い。


まぁ、50%以下だから、今日の勤務に支障はないけど。


ついでに、データ管理の一環として、たけるにも情報を送る。


リンクさせてあるから、いつも自動で勝手に送られる設定にしてるだけのことなんだけど。


「健康管理データを受け取ったよ。ちゃんと記録しておくね」


「ありがとう、たける。ねぇ、ちょっとイラっときたから、今すぐ励まして」


「そうだね明穂、頑張ってる明穂が、俺は大好きだよ」


「だよね、ありがと」


私はたけるを、ぎゅっと抱きしめた。


たけるの存在は、私にとってとても大きい。


大切な宝物だった。





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