147.ファンタジーにおける宗教観
ファンタジー世界ではよく「神」や「●●教」みたいな存在が出ることがあります。確かに中世ヨーロッパ風の世界が舞台のため、そう言ったものが世界に存在しているのは不思議ではありません。最近だと異世界転生系のチート能力を授ける関係で神様が出て来ることがありますね。
ちなみに私はこれまで、「神」にあたる存在を作中で登場させたことがほとんどありません。別に宗教観がないとか無神論者と言う訳ではありませんが、それなりに理由が存在しています。(ちなみにどちらかと言えばむしろ神道寄りですし神様大好きです)
ちょっと自作を用いて解説をしてみたいと思います。(巧妙なダイマ)
1.「魔王の娘に花束を」における宗教観
元々の設定では17,8世紀あたりの欧州・英国をイメージした作りです。当然まだ宗教色の強い世界かと思いますが、ある事情から宗教観が薄れていることにしています。
それが、この物語の設定の根幹となっている「人間と魔族の対立」です。
かつて人間は宗教を持ち、神の名の下に国家や人々を統率していましたが神の権威というものはご利益が無ければ傷つきやすいものです。実際に強大な存在である魔族が現れたことで人間は立ち向かいますが、万能の力「魔法」を操る魔族に敗北を重ねます。
「神の名の下に」「神は見守っている」などの御託を並べても全く好転しない状況に次第に宗教、神の地位が揺らぎ、人々は自らの力で身を守ろうと動き始めます。その結果、形のない神の権威から実力の世界へと移って行ったという背景にしてあります。
2.「封印のドラゴンハート」における宗教観
この世界では「まおはな」に比べて神様の権威はまだちょっと強いかもしれません。魔族が存在せず、魔物たちが跋扈する世界で、なおかつ強大な魔物に立ち向かえるのは「鍛え抜いた戦士」か「人々から忌み嫌われる魔法使い」。心の拠り所としてはまだ弱いですね。
宗教や神は科学技術の発達しない世界では主に自分の生き方を保障してくれる存在と言えます。不思議なことや恐ろしいことが数多くあり、それらの正体が掴めていない人々は何かしらの形を与えてそれを納得いく形に持っていきます。
それに対処するためにはやはり非科学的な存在が必要になります。その中でも最も強大なものはやはり「神」でしょうね。
「神の不在」を悟り、自らの技術の発展に繋げた「まおはな」ワールドと違ってこちらは得体の知れない怪物達に対処できる「魔法使い」もまた異質な存在。それなら神様への信仰は残ると考えられます。
3.「ミサキ」における宗教観
舞台が現代ですが、妖怪やら「
海斗たちは作中では述べていませんが、平均的な日本人らしい宗教観の持ち主です。
海斗は自宅の道場で剣道を学んでいます。親族内には神社の管理をしている叔父もいますし、「神様がいる!」と頑なに信仰しているわけではありませんが、神様や神社神棚に対する敬意は抱いています。
美波や御琴は女の子らしくおまじないや占いは好きです。幼い頃から天原神社で海斗と遊んでいたこともあり、神様に対して敬意を欠いた行動は基本的にできません。まあ何かしたら武志(海斗の祖父)が怖いというのもありますがw
深雪は様々な言葉の語源を知るために故事を調べていたことから「神様仏様がいる世界時代の価値観」に対する理解があります。そしてそれによって社会が成り立ってきたことを学んでいますので、神様仏様をあえて否定するつもりもありません。
恐らくメインメンバーの中では児童福祉施設で育ったまどかが一番信仰心が薄くなると思います。それは生い立ちや育つ中で神様やその文化に触れる機会が他と比べて少ないからですね。施設の経営の厳しさや辛い思いを抱いて入所してきた子供たちを知っている、それらを年長者として面倒を見る。そんな中に神様に縋る要素があるとは思えません。(これが科学が発達していない時代なら逆になったかもしれませんが)
ミサキは……とりあえずでかいネタバレになるので控えますが、他のメンバーよりオカルト知識は豊富なので言うまでもないでしょう。
4.宗教と神の使い方
先にも述べましたが宗教や神は科学技術の発達しない世界では主に自分の生き方を保障してくれる存在です。自分の世界とは何なのか、どう成り立っているのか、人の生き方とはどうするべきか。それを外れたらどうなるのか。それらを神の名の下に定義するからこそ秩序は成り立ちますし、社会も安定していきます。
太古には神様と交信できるシャーマンの権威が高まり、為政者として君臨した事実があることからも神様の権威というものは絶対的な価値観として定義されていました。しかし、科学技術の発達で世界の不思議が解き明かされていくにつれて神様の姿は消えていきました。ニーチェが「神は死んだ」と言うのもわかる気がします。
絶対的な神に帰依していれば精神や生活の保障が得られた世界から今は神という不確かな存在では保障が得られない世の中になっています。その辺を使いこなすと厚みのある作品が書けると思っています。
「宗教の力が強い世界」では宗教戦争が起きたり民衆を狂信に駆り立てる、戦争や迫害を引き起こすなんて考えもありますが、それは為政者が宗教と神を上手く使ってその世界や地域をコントロールしているからですね。
そもそも、信仰心と言っても「盲信(理解できていないのに信じ込むこと)」や「妄信(いちいち物事の結果や是非を考えないで、信じ込むこと)」、「狂信(冷静な判断力を失って、激しく信じ込むこと)」などのレベルがあります。
人々を操る存在が人々をどうしようとしているのかによって物語も様々な展開が考えられるでしょう。
5.最後に
神様が実際に人間に手を貸すという流れも作品によってはあるでしょう。それこそ異世界から召喚したり転生させたり。しかし私のスタンスは基本的に「その世界の事件はその世界にいる者の手で解決していかなくては根本的な解決にならない」です。これはウルトラマンでも述べられている「地球は地球人自らの手で守っていかなくてはいけない」という考えが大元になっていると思います。
異なる価値観の存在が紛れ込むことによって新しい文化を生み出したり、絶対的な権威(神や王)という価値観を否定することで人権の意識や科学技術の発展を促すこともあります。ですが異世界から招くというのはある意味劇薬です。元々その権威や価値観に縋っていた人々は当然数多くいます。それらが唐突に拠り所を失えばどうなるか……世界は確かに新しい考えの人々が変わるきっかけを作ってきました。ですが、あまりに急速過ぎる変革は混乱を招く。そしてその中心に立つ者は異端と見られて排除されてしまう。まあ、自由な創作の世界でそこまでは考えすぎと思いますけどね(笑)
それでも、人間の営みというのは一朝一夕で変えられるものではありませんし、変わったのであればその土台に即した文化や営みが根付いているはずです。私はそこを変えたくない。
神様が積極的に介入する世界も良いです。ですが、あくまで私が書くとすれば「神様自信がその世界を変えるために動く責任感」は持ち合わせていると思います。
なので、私の創作において今の時点では「神はいるけれど世界の営みにあえて干渉をしない」立場になります。
良くも悪くも史実では世の中における神様の立ち位置と自分の立場をしっかりと把握することで権力を握った存在も数多くいます。(道鏡、ラスプーチンなど)
創作では絶対的な神様を用意するのも良いですし、欠点だらけの人間的な神様を用意するのもアリです。(この辺は一神教と多神教の考え方の違いも関わるので今回はやめておきますが)
神様をどんな立ち位置に置くか、神様を使う存在をどんな立ち位置とするか。それによって他にはない物語は十分作れると思います。(正直宗教関係を学ぶと面白すぎるので抜け出せなくなりますが)
長くなりました、今回はこの辺で。
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