66.優しいだけが「理想」じゃない

 先日の話にはコメントもいただけて嬉しかったです。やはり「辛いのは現実だけでたくさん。小説は楽しいものだ」というお話は刺さるものがありましたね。


 私が小説を書き始めたとき、いじめやら人間関係のもつれなどから「理想的な友情って何だろう」というテーマから書き始めていた覚えがあります。せめて理想の世界だけでは困難を自分たちの力で乗り越える姿を見たい。理想的な仲間や兄弟の関係を形にしたかったという思いが強かったです。

 ある程度書いた後はファンタジーへ舵を切りました。そこからは種族の違いや対立する思いから起こる戦闘や戦争。或いは誇りや血統などを描くこともありました。途中で書くのをやめてしまいましたが、この時の経験は「まおはな」や「封ドラ」に生かされています。


 かなり前から議論の対象になっている「テンプレ」と呼ばれる設定についても、私は否定はしませんが、自分自身が書くことはないと思います。チートやハーレム上等です。転生だって悪くありません。それに世界の常識を打ち破る展開は好きです。ですが、外部から持ち込んだ価値観を手放しで礼賛されるような展開にはしたくないという思いがあります。その世界にはその世界で積み重ねてきた社会常識や文化、倫理道徳価値観が存在します。私がハイファンタジーを好むのも、「その世界ならでは」という価値観がベースとなった物語を描きたいからというのが根幹にあると思います。

 できれば、多くの出会いと別れ、そして挫折とほんの少しの成功と絞り出した勇気からその世界での自分の役割を自ら見つけ、ヒロインのために突き進むような主人公が描きたくはあります。だからでしょうか。「ゼロの使い魔」や「灼眼のシャナ」「ハイスクールD×D」など、主人公がヒロインのために無力でもできることを見出し、信頼を勝ち取っていき、強く成長していく物語は大好きですね。

 上記の三作では、主人公が死に瀕したり、ヒロインの元から去っていく展開もあります。自分が無力だったからこそ、助けられなかった命もあります。ですが、それがあるからこそ、終盤の彼ら彼女らがいます。


 辛い世界を見たくないというのもある種理想の世界を追い求めるが故の言葉かもしれません。ですが、理想の世界って誰にでも優しい世界だけじゃありませんよね。どんな理不尽をも打破することができる主人公たちの存在というのも理想です。誰もが絶望し、泣いてしまうような悲劇も自分が作り上げた希望と理想で塗り潰してやる。作る側としてはそんな展開にカタルシスを感じています。

 まあ、これを読み手にまで強制するつもりはありませんが、自分自身はそう簡単にこのスタンスは変わらないでしょうね(笑)

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