第36話 奇襲

 『人生一寸先は闇』とは誰が言ったかは知らないが、確かに人生どうなるかは誰にもわからない。


 進学や就職、転職、昇進、妻の懐妊、定年退職など「さあ! 人生これから!」というときに限って家族が怪我をしたり、自身の体に隠れていた疾患が発病するなどで不幸を味わう人もいるだろうが、これらはまだな部類に入るだろう。


 一番不幸なのは「人生これから!」というときに全くの赤の他人から危害を加えられることだと俺は思う。


 特に「誰でもよかった」などとのたまう自暴自棄というか世間に対する勝手な逆恨みで通り魔的犯行に及ぶ阿呆に殺されることほど不幸なものはない。


 まあそれほどでないにしても、強盗だの飲酒運転だので自身やその家族の命を奪われたり、取り返しのつかない障害を負わせられたりすればいきなり地獄へ叩き込まれたかのような状況へ陥ることは確実だ。


 まあ自分自身が死んでしまえば地獄もクソもないが……


 何が言いたいのかというと何者かに襲われることほど不幸で恐ろしいものはないということである。


 そして今まさに俺がその不幸で恐ろしい状況へと問答無用で叩き込まれていた。



「どわぁーー!?」



 突然響いた銃声とガラスが砕け散る音に対して咄嗟に床へ伏せることができたのは自分にとって奇跡としか言えないほどの出来事だった。


 あのエロ神に身体を弄られたことにより、常人よりも遥かに向上した動体視力のお陰で辛うじて見えるようになった銃弾が床へと這いつくばった体の僅か10数センチ頭上を通過して行く光景は背筋に大量の脂汗を噴き出させるのに充分な恐ろしさを持っていた。



(何じゃこれはーっ!?)



 床にピッタリと吸い付くようにして伏せた状態で自分の脳裏に浮かんできたのは突然の銃撃に対する疑問だけであった。



(強盗?

 それとも……まさか、あの保安官がまた仕掛けて来たというのか!?)



 脳裏に浮かぶのは粗暴な雰囲気を持つ如何にも強盗でございますとい凶悪な人相を持つ如何にもな犯罪者然とした姿と、以前アゼレアと共に逃げる俺に向けて拳銃を発砲してきたきた鬼気迫る形相の保安官の顔である。


 そのどちらもの姿を思い浮かべた俺は次の瞬間、列車のコンパートメント内へと入って来た人物を見て愕然とした。


 物音ひとつ立てずに素早く室内へと侵入して来た者達の人相には全く記憶になかったが、彼らの動きはよく訓練された軍人や警官のそれだったのである。



制圧完了クリア


「制圧完了。 異常無し!」


「窓の外も異常ありません!」



 突入路を確保しつつ室内へと雪崩れ込んで来た3人の男達は、それぞれの手に拳銃や銃身の短い散弾銃を携えて方々に銃口を向けつつ素早く室内の安全確認を行なっていく。



(こいつら強盗団でも、あの保安官の部下でもない……?)



 こちらの姿を認めるや否や、躊躇いもなく銃口を向けつつ2人がかりで床から引き剥がすかの如く俺の腕や肩を掴んで乱暴に立たせる男達。



「立て!」


「大人しくしろっ!」


「痛つ!」



 頭へ突き付けられた拳銃の銃口が勢い余って後頭部を小突いてきたお陰で危うくバランスを崩して前のめりに倒れそうになる中、恐怖で震える足に力を入れて必死の思いで踏ん張った自分の目に写り込んできたのは銃を片手に室内のあらゆる箇所を捜索する物騒極まる男達ではなく、ひとりの美しい少女だった。



「報告します。

 室内にはこの男以外に誰もいません!」


「何? どういうことだそれは?」


「はっ!

 車両の窓の外及び天井や荷物入れの中などくまなく捜索しましたが、例の上級魔族の女は今のところ発見に至っていません。

 魔力反応に関しても残滓すら探知できません」


「ふむぅ? では、この男に聞いてみるとしようか」



 敬礼をしつつ答える男に対して何やら思案顔になる少女。俺は彼らのこの一連のやり取りを見ただけで目の前にいる少女が3人の男達のリーダーであることを瞬時に悟るが、少女はこちらのことなどお構いなしに相対すると無言で俺の顔を殴りつけてきた。



「え? うがっ!?」


「この部屋にいた女魔族は何処に行った?

 隠すとためにならんぞ」


「お、女魔族って、うごぉぉ……!」


「知らんとは言わせんぞ。

 貴様があの女魔族とこの部屋で一緒に過ごし、共に行動していることは既に把握しているのだ。

 知らないふりをしたところで我々には通用せん」



 まるで幼い子供がお気に入りの人形を振り回しながら遊ぶように、少女の細い腕が唸りを上げる度に俺の体はコンパートメント内のあちこちに打ち付けられる。


 恐らく目の前に立つ少女は人間ではないのだろう。

 そうでなければ元日本人とはいえ、成人男性である俺の体を澄ました表情のまま汗の一滴もかかず好き勝手に投げ飛ばしたり出来る筈がない。



「お前達は一体……があぁぁ!!」



 必死の思いで言葉を紡ごうとした直後、床に這い蹲せられるような姿勢にされた俺の左手へ鋭い痛みが走ると同時、左手の甲に短剣ダガーナイフが生えていた。


「我々の質問に答えろ。

 ここでのんびりと貴様と問答を続けるほど我々は暇ではない」



 一切の感情を含んでいない少女の平坦な声が聞こえるが、今の俺はそれどころではなかった。短剣を突き立てられた手は火で焼かれているかと錯覚してしまうほどの熱を持ち、少しでも動かそうものならば耐えられない激痛が走って声にならない悲鳴を発してしまう。



「報告っ!!

 襲撃です!

 例の教会特高官が突如銃撃してきました!!」


「はあ?

 どういうことだそれは?

 状況を詳しく報告せよ」


「はっ!

 二号車の制圧後に通路を封鎖中だった第二小隊ニ小に対して教会特高官と衛士が突如無警告で発砲。

 ヴァンキッシュ中尉が死亡しましたが、指揮権を引き継いだステア少尉指揮の元、ニ小の各員はそのまま通路を固守しつつ戦闘を継続中であります!」


「くそっ!

 特高官らが自衛目的以外で攻撃してくることはないと思っていたが、まさか向こうから介入してくるとは……」


「如何致しますか?」


「ステア少尉に伝えろ。

『何があっても特高官らを通すな』とな。

 場合よっては撃ち殺してもかまわん。

 それと伝令ついでに衛生官を一緒に連れて行って負傷者がいる場合は手当てを行い、重症者は後送するのだ」


「はっ!」



 ブーツを履いた少女の足が短剣の柄に掛かり今まさに尋問の為の拷問が幕を開けようとしていたところに彼女よりも年嵩だと思われる外見の男達数人が慌てた様子で室内へ入って来て報告を始めた。


 どうやら彼女らにとって不測の事態が発生しているようだが、そんなことへ気を配る余裕の無い俺はこのとき彼女と彼らの会話の中に聞き捨てならない内容があることに一切気付けずにいたのである。



「さてと……

 ちょっと邪魔が入ったが、質問続きをしようか?

 エノモトとやら」



 少女へ報告に来た男達が部屋から去った後、こちらへゆっくりと振り返った少女は害虫でも見るような侮蔑の表情を向けつつ、嗜虐心を含んだ視線で俺を見下しながら中断された尋問の再会を告げたのだった。






 ◆






 よく銃弾のことを『鉛弾』と例えることがあるが、現代の銃弾は拳銃弾から重機関銃弾まで銃弾の素材を鉛だけで構成されたものはあまり多くない。


 散弾銃において使用される大小様々なサイズの散弾の粒には未だに鉛が使用されてはいるものの、自然環境への負荷を減らすために鉛を使用した散弾の生産数は年々減少傾向にある。


 現在生産されている拳銃弾やライフル弾に用いられている銃弾の場合、銅や鉄、アルミ、真鍮など異なる素材の金属がジャケットを含めて複数組み合わされて使用されているし、もちろん鉛も使われているのだがやはり自然環境への配慮から鉛の使用量は減少していると言っていいだろう。


 だがこれはあくまで現代の地球においてであって、ここ異世界の惑星『ウル』では砲を除く各種銃器に使用されている銃弾用の金属素材の大半には鉛が用いられている。


 一部徹甲弾などの特殊用途の銃弾には鉄などが用いられてはいるが、あくまで銃弾用金属素材の主役は加工し易い鉛なのだ。


 そのため銃撃戦ともなれば文字通り混じりっけ無しの本物の『鉛弾』が敵味方目掛けて双方の銃から発射されることとなる。


 そしてここシグマ大帝国帝都ベルサ発、第二都市メンデル着の高速旅客鉄道【リンドブルム4号】の一等客車である二号車の通路では今まさに鉛弾による銃撃の応酬が繰り広げられていた。

 


「糞っ!

 あの女共、相当場慣れしてやがる!!」


「一体どれだけの弾を持っているって言うんだ!?

 普通なら女二人が持てる弾薬の量なんざ、とうの昔に尽きてる筈だろうが!」



 客車の通路に響き渡る銃声と男達の怒号。

 通路の装飾は手摺りも含め銃弾によって見るも無残な状態になっており、当然だが車窓の硝子も粉々に砕け散っていた。


 本来ならば銃撃戦の最中、黒色火薬の燃焼によって発生した大量の硝煙が通路内に立ち込めて射手の視界を著しく阻害する筈なのだが、それらは全ての硝子が割れて無くなってしまった車窓から流れ込む気流によって車外へと押し流されて行く。


 お陰で敵が煙に紛れて突撃して来る危険性はないものの、それは通路に陣取っている男達も同じであった。


 通路に充満した硝煙に紛れつつ中級魔族の持つ魔力と力技で奇襲を行いたいところではあるが、硝子を消失した車窓から流れ込む風が一切の煙を外へと連れて行ってしまうのである。



「糞がっ!!」



 リグレシア皇国武装親衛隊中尉のヴァンキッシュは傍らに転がっているを一瞥すると吐き捨てる勢いで悪態をつく。


 たった二人――――それも人間種の女二人によって自分が受け持つ小隊の部下二名が時既に遅しと言わんばかりに客車の通路上にて物言わぬ状態となってその骸を晒しているのだから誰も彼の悪態について咎めることはしなかった。


 本来であれば通路の最奥の突き当たりを曲がった場所にに身を潜めている高々人間種の女二人組など早々に奇襲なり突撃を敢行するなりでとっくの昔に制圧を完了させているところなのだ。


 では何故、中級魔族の中尉に率いられた彼ら小隊員が延々と銃を撃ち合うという泥沼の状況へと陥っているのか?



――――それは彼らと撃ち合う相手に原因があった。



 列車内の狭い通路での激しい銃撃戦をものともせずに銃を片手にのんびりと会話に興じいるのは二人のうら若き女性である。


 ひとりは司祭服に改造された黒い修道服を着る[聖エルフィス教会本部付監察司祭]であり[エルフィス教皇領府監察局特別高等監察官]の地位を兼任する『ベアトリーチェ・ドゥ・ガルディアン』、もうひとりは緋色の詰襟軍服を着用している同じくエルフィス教皇領は[衛士庁]にて[上級衛士]を拝命している『カルロッタ』である。


 

「ベアトリーチェ様、新しい弾丸にございます」


「ありがとう。

 カルロッタ、弾はあとどれくらい残っているのかしら?」



 カルロッタは地球の標準的なブリーフケースと同等のサイズである革製の鞄から新たな散弾を取り出して直属のベアトリーチェへと手渡し、それを受け取った本人は慣れた手付きで散弾銃から撃ち終わった散弾の空薬莢の排莢と同時に新しい散弾の給填作業を慣れた手付きで素早く行いながら鞄の中に保管されている弾薬の残余を問う。



「残弾はの物も含めて約五千発程が温存されています」


「そう。 ならば充分ですわね。

 やはりこの異世界から持ち込まれた鞄は優秀ね。

 幾つかの制約があるとはいえ、殆どの物品が無限に収納出来る機能というのは貴重ですわ。

 あとは纏まった数量が確保できれば、私達特高官の任務もより捗るのだけれど……」


「それは仕方のないことかと。

 何せこの鞄は元々この世界には存在しない物ですから」


「分かってますわ」



 何発もの鉛弾が自分達の隠れている場所目掛けてピュンピュン飛んで来る状況下でありながら彼女達は手に持つ散弾銃や短小銃へ淡々と次弾を給填しつつ、この車両の掃除用具箱から拝借した箒の柄の先端部に括り付けた鏡をそっと通路へ突き出して相手の陣容を窺っている最中であった。


 鏡に反射して写っている男達の数は見えているだけで五人。最初にこちらから奇襲攻撃を仕掛けた段階で二人殺ったとはいえ、向こうは確実に十人前後の人数が詰めている筈である。


 私服姿とはいえ男達の会話から漏れ聞こえて来る内容から推察するに彼らは全員が軍人か元軍人――――それも中級魔族が指揮を務める集団だということだ。


 その証拠にベアトリーチェらが放った銃弾の殆どが展開された強力な魔法障壁によって防御されている。



「それにしても、流石は中級魔族とですね。

 魔法障壁の硬さは中々のものですよ」


「そうね。

 でも、全員が中級魔族というわけではなさそうよ?

 魔力反応から推察するに、中級魔族は指揮官と思われる者を含めて二人だけ。

 残りは下級魔族と普通の人間種みたいですわ。

 もっとも、戦ともなれば単純に魔力の強弱だけで相手の戦力を推し量ることは危険だけれど」


「はい。

 しかし、こちらが放った銃弾の大半を中級魔族の展開した魔法障壁で防がれるというのは余り良い状況とは言えません。

 どうされますか?」



 今のところ相手はこちらに対して積極的に打って出る姿勢を見せることなく一号車へと通じる通路の守備に徹しているように見受けられるが、いつまでもこのような消極的な膠着状態を保っていられるか分からない。


 自分達が元々いた三号車には彼らの仲間はいなかったものの、二等客車最後尾に連結されていた車掌車から鉄道公安官や食堂車で業務中の乗務員達がここへやって来ていないところを見るに、まず間違いなく食堂車よりも後方にある二等客車は彼らの仲間によって制圧されている筈だ。



 彼らが仲間とどのように連絡を取り合っているのかは定かでないが、遅かれ早かれこの車両に応援としてやって来るのは間違いないだろう。そうなれば逃げ場のないこの狭い通路だと、前後から挟撃されてしまいそれはそれで非常に困った楽しいことになる。



----なのでベアトリーチェは決断選択する。



「そうね。

 だったら、ちょっと手を変え品を変えてみるとしましょうか」



 カルロッタ部下からの問いに対して彼女は少し悪びれた顔を見せつつ、鞄の中から導火線と雷管が刺さっている発破火薬松ダイナマイトと黒い金属製の筒を取り出して見せた。






 ◆






 高速旅客列車『リンドブルム四号』の一等客車である二号車の通路上――――正確には一号車へと通じる前方通路を陣取る形で守備態勢を固めていた[ウルティア皇国親衛隊省武装親衛隊本部直轄第二十四襲撃撹乱大隊]に所属するバンキッシュ親衛隊中尉と麾下の第二小隊の面々は先程から続いていた戦闘がようやく途切れたことに対して緊張感を残しつつも少しばかり安堵感を得ていた。



「やはり、こちらに対して突破を試みる気配はありませんね」


「ああ。

 それにしても奴らは何故いきなり発砲してきたんだ?

 オレ達は確かに列車内を制圧こそしたが、教会特高官らに手を出したわけじゃないぞ?」


「何ででしょうね?

 野郎ばっかりであるオレ達を見て襲われると誤解したのでしょうか?

 まあ、中尉のその鬼族も真っ青な厳つい顔を見れば、襲われると思われても仕方がないこととは思いますがね」


「失礼な奴だな、お前は!

 確かに強面だがオレはれっきとした紳士だぞ!」


「自分で言いますか、それ。

 ところで銃撃が止みましたが、やっこさんの方はようやく弾切れってとこですかね?」


「どうだかな?

 もしそうならば、今の内にとっとと片付けたいところではあるが……」



 作戦立案段階から直属の上官である大尉殿副長をすっ飛ばして少佐殿大隊長直々にこの通路の守備を命じられたときには「なんて簡単な仕事だ」思っていたが、蓋を開けてみれば見当違いも甚だしい内容だった。


 二号車に乗り合わせていたに乗客乗員全員をしてあとは通路を守りだけとばかりに態勢を整えようとしていたまさにその時、三号車からやって来た聖エルフィス教会の司祭と衛士がこちらを見るなり突如銃撃してきたのだ。


 無警告、それもこちらが誰何する隙を与えることも無く彼女らは笑顔を浮かべたままで……いきなり銃を発砲してきたのである。


 お陰で貴重な部下二名を失い、ヴァンキッシュ中尉は腑が煮えくり返りそうな思いに囚われていた。


 だがそんな思いも間も無く終わることだろう。


 先程から絶え間なく続いていた銃撃もぱったりと途絶え、奴らが何もしてこないところを見るとそろそろ弾薬が底を突きかけている可能性が高い。


 最初こそ部下が言っていたように女二人が持ち運べるであろう弾薬の量を遥かに超える数の銃弾を撃ち込んできていたが、ここにきて銃撃の度合いペースが落ちてきて終いには銃撃そのものが途絶えてしまっていた。



(これはステア少尉の言う通り、最早弾薬が尽きた考えて良いのだろうか?)



――――もしそうであれば二等客車の各車両を制圧した第四小隊から応援の為の人員を回して貰い、こちらと第四小隊抽出の人員とで挟撃する事も不可能ではない。



 っと、そのように思案中だったヴァンキッシュ中尉の思考を妨げるように直属の部下であるステア少尉が警告の声を大きく張り上げた!



「ん? 何だありゃ?

 ……爆弾だ! 小隊長殿、伏せてぇ!!」


「うおっ!?」



 ステア少尉の警告と同時に体ごと頭を通路の床に押し付けられる痛みとそれに続いて何かが自分に覆い被さってきた圧迫感に驚きと戸惑いを露わにするヴァンキッシュ中尉だったが、自身の目は冷静に伏せた自分達の少し先の通路に落ちた銀色に輝く金属製の筒の存在に注目していた。


 通路に落ちたソレから発破火薬が起爆したときよりも大量の煙が噴出し続けていこと、炸裂しないことであの筒が爆発物ではないことを瞬時に理解して声を荒げる。



「糞っ! 煙幕だ!」


「仕掛けて来るぞ!! 

 総員、魔法障壁を全力展開せよ!」



 ヴァンキッシュ中尉の声を聞いたステア少尉は身を挺して守っていた中尉から素早く立ち上がり、立ち上がろうとする彼に代わって第二小隊の隊員達へ向かって防御体制を整えるように指示を下す。



――――だが、そのほんの一瞬が命取りとなった。



「無駄ですわよ」



 煙幕に紛れて比較的近距離から妙齢の女性の声が聞こえて来たと同時に銃声が辺りに木霊する。と、同時に硝子が砕け散る音とよく似た破壊音が響き渡った。



「何っ!?」


「これは……障壁破砕弾!?」


(障壁破砕弾だと!?)



 煙幕によって一時的とはいえ視界が遮られる中、小隊員の誰かが放った声にヴァンキッシュ中尉は驚きの色を隠せなかった。



――――『障壁破砕弾』



 正確には『対魔法障壁破壊弾』と呼ばれるこの特殊な銃弾は使用される銃器によって弾丸の大きさや形状、名称などに差異があるものの、その目的は魔族や長耳族が展開する防御用魔力障壁を破壊・無力化する目的で人間種国家で開発された弾丸である。


 殺傷能力や撃発手順は通常の銃弾と同じではあるものの、鉛で作られた弾頭を銀の被覆ジャケットで覆っているのが最大の特徴で、弾丸には特殊な手順で魔力が込められており、その魔力内包の方法は製造している各国共に機密とされている。


 強大な魔力を内包した上級魔族や王族級長耳族が展開する魔力障壁を破壊することは敵わないものの、変異種を除いた中級魔族程度であれば充分対抗可能な性能を誇っていた。


 弾頭の表面を化学反応による銀鍍金メッキではなく本物の銀で被覆したり、魔力を込める製造手順を踏んでいる関係上一発当たりの製造単価コストが通常弾の五倍以上という高単価であることと、製造方法が機密扱いされているので一般にはまず出回ることのない貴重な銃弾である。


 その為、この特殊な銃弾を支給・装備されるのは軍の特殊部隊や警察の魔法犯罪捜査・取締部門のみに限られている。


 一般に出回れば、たった一発だけでも銃に使用できる数少ない魔導具ひとつとして高値で取引される『対魔法障壁破壊弾』をいきなり使用されるとは思っていなかったバンキッシュ達の展開した魔力障壁は弾丸が障壁と接触した瞬間、粉々になるかのように霧散して無力化されてしまう。



 そしてその一瞬の隙をベアトリーチェは見逃さず、瞬く間に距離を詰めて来たのだ。



「正解ですわ。

 でも、それだけではありませんわよ」



 先程まで通路の端にいた筈のベアトリーチェの姿が目の前にあることにヴァンキッシュ達は我が目を疑った。



「は、速い……!」


「ガっ!?」



 驚いたのも束の間、ベアトリーチェが手近にいた小隊員の胸に向けて銃身を短くした散弾銃を射撃し、至近距離で命中した散弾は彼の胸を抉るようにして絶命させる。



「曹長っー!!」


「狼狽えるな!

 所詮は人間種、それも女だ。

 次車両へ後退しつつ切れ目なく撃ち続けろ!!」


「そうはさせませんわよ」



 ヴァンキッシュ中尉は至極当然な対応として狭い通路ながら少しでも敵から距離をとる為に一号車へ向けての後退命令を出すが、ベアトリーチェはそんなことお見通しと言わんばかりにあるものを投擲した。



「ぎゃあーーっ!?」


「短剣? いや、これは……杭!?」



 部下の悲鳴が聞こえて来た方向へと視線を走らせたヴァンキッシュは自分の目を疑った。拳銃を構えていた伍長の左肩に深々と突き刺さっていたのは投擲用の短剣ナイフなどではなく、杭だったのである。


 それもただの杭ではない。

 肩に刺さっている先端部を除いても目測で約三〇センチメートル、直径は約2センチメートルはあるだろう。


 しかも……



「爆ぜよ」


「げっ……!?」


「うおっ!?」


「何だとぉー!?」



 ベアトリーチェが合図した直後、杭が破裂したのである。

 小隊員全員が驚愕の表情を浮かべる中、件の杭が刺さって激痛で苦悶の表情のまま肩を抑えていた下級魔族の伍長は左腕の付け根から腕が吹き飛び、肩口から大量の出血を起こしながら倒れ込む。



「しっかりしろ!

 意識を保つんだ!!」



 咄嗟に傍にいたステア少尉が倒れた伍長へ初歩的な治癒魔法を発動させて応急処置を施そうとする。

 だが……



「ん? 何だ?」


「貴方達魔族は確かに私達人間種よりも魔力が高く、魔法の扱いに長けています。

 が、そのような状況を人間種である私達がただ黙って指を咥えて対策を拱いていると思いますか?」



 肝心の魔法自体が発動しないことを直感的に気付いた。



「魔法障壁が現出しない!?」


「中尉殿、治癒魔法が発動しません!」


「貴様っ! 一体何をしたぁ!!」


「簡単なことですわ。

 この空間に魔法発動を阻害する因子をばら撒かせていただきました」



 正確に言えば魔法の発動に関して重要な魔力波を遮断して魔法の発動自体を阻害させているので、魔力波制御を行なって魔法の発動を強制させなければいけないのだが、敢えて殺し合いをしている相手に言う必要はないのでベアトリーチェは魔力波への言及はしないでいた。



「何?」


「まさか……さっきの!」



 薄々、おかしいとは思っていたのだ。

 銃の撃発により生じた硝煙は割れた車窓から流入する風のに乗って車外へと逃げて行くのに、この女が放った煙幕は車内に留まったままだったのである。



(最初に気付くべきだったか!)



――――煙幕に紛れ込んでいた魔法発動阻害する謎の因子

 


 どんな方法を使ったのかは不明なままであるものの、煙幕が車外へと漏れ出ずに通路内に充満していたということは風か空気を制御する魔法を予め発動させていたのだろう。


 そして、魔法発動を阻害する因子が紛れている煙が晴れた今なおその効果は持続していることと、この女だけが魔法を制御出来ているところを見るに何らかの仕掛けがあるに違いない。


 しかし、魔法だけが魔族の取り柄ではないことはヴァンキッシュ自身がよく知っていた。



「確かに魔法は使えない。

 だがな……魔法だけが我々魔族の取り柄だと思うなよ?」


「それはどういう意味でしょうか?」


「こういうことだ!!」



 一号車へと通じる通路の出入り口ギリギリまで後退していたヴァンキッシュ率いる小隊は女からほんの数メートル距離をとっていた。


 だが彼は中級魔族の持つ身体能力を活かして出入り口を死守する部下達をそのままにあっという間に女との距離を詰めてしまう。



(これだけの至近距離ならば銃は使えまいっ!)



 左腰に佩いた短剣を鞘から抜きつつ人間種には不可能な俊敏さで女へと肉薄し切り掛かる。

 これに対してベアトリーチェは少し関心した表情で声を上げる。



「まあ! 結構速いですわね」


(死ね!)



 狙うは女の左脇腹。

 中級魔族の膂力を持ってすれば胸骨ごと心臓を貫くことなど朝飯前ことだったが、確実に仕留める必要があることと、通路の向こうからずっとこちらへ向けて小銃の狙いを定めているこの女の仲間から身を守るためにも肝臓を刺突することを選んだヴァンキッシュ。


 だが、そんな彼の考えなど見透かしたように女の声が静かに彼の耳へと響く。



「でも予想の範囲内に収まる速さですわ」


「あ?」


(短剣が!?)



 一瞬、ほんの一瞬だった。

 短剣の切先がもう少しで女の体に突き刺さる思った次の瞬間、切先と女の体の間に弾力のある何か見えない物によって短剣の刀身が弾き返されてしまったのである。


 そして弾き返された短剣を持つ腕を取られてしまい、刺す勢いそのままに短剣の刀身はヴァンキッシュの下顎へと突き刺さり、そのまま一気に脳天まで貫いてしまったのだ。



「ふぎっ!?」


「中尉殿ぉ!!」



 ステア少尉は悪夢でも見ているかのようだった。

 ここからではヴァンキッシュ中尉の背中しか写っておらず、中尉が中級魔族の身体能力を活かして教会の修道女へと肉薄して行ったのが見えている。


 中尉の影に女の姿が隠れた直後、小さな悲鳴と共に彼の頭頂部に短剣の切先が生えてきたことと、血飛沫が派手に舞ったことでステア少尉は事の次第を瞬時に悟ったのである。



「ヴァンキッシュ中尉殿が死亡!!

 以降は小官が指揮権を引き継ぐ!

 お前は一刻も早く少佐殿へこの状況を報告するんだ!

 早く行け!」


「は? はっ!」



 突然下命された命令に対してほんの一瞬だけ理解の追いつかなかった軍曹だったが、直ぐに内容を理解してステア少尉へ敬礼をする。


 ヴァンキッシュ中尉の指揮権を引き継いだステア親衛隊少尉はこの事態を大隊長である少佐へ知らせるためにこの小隊の中で一番の若手である軍曹を伝令役に選んで命令を下した。


 最早、この想定外の事態は自分達の手に余る。

 ここで全滅するに至ったとしても、上官へ報告するという最低限の義務は果たさないといけない。


 その為にも貴重な戦力が一人減ることを承知の上で少佐の元へ伝令を向かわせる必要がある。何しろこちら側の魔法自体が発動前の段階で封じられてしまっているのだ。


 ということは微量ながらも作動に魔力を用いる軍用伝送器による連絡は一切使用出来ないと考えるべきだろう。ということは最後に頼るのは人の足以外に無い。



「小隊、態勢を立て直せ!

 各員射撃を再開!」



 ヴァンキッシュ中尉死亡により指揮権を引き継いだステア少尉から小隊員への命令一下の元、素早く態勢を整えて通路を死守する構えを見せる第二小隊の生き残り達。


 そんな健気と言っても良い彼らに悪魔が更なる次の手を打つ。



「私達から愛の贈り物ですわ」


「また煙幕の類いか?」


「……いや、あれは違う! 伏せ……!」



 列車を揺らすほどの大きな爆発とそれに伴う爆風。

 幸い車両が脱線することはなかったが、通路に面した客室の扉と壁が吹き飛び室内が完全に見えてしまっているところを見ても、先程の爆発の威力が分かるだろう。

  

 しかも、よく見ると爆心地を中心にして周囲の壁や天井、扉などに無数の小さな鉄球がめり込んでいる。

 

 

「ふふっ。 見事に引っ掛かってくれましたわね」



 発破火薬松ダイナマイトとそれを挿入した金属製の筒の威力は絶大だった。


 発破火薬が炸裂することで内側から破裂した金属の筒には小さな鉄球が埋め込まれており、これが爆心地を中心に四方八方へと飛び散って付近の人間や動物を加害する仕組みになっている。


 そしてそんな凶悪な仕様の爆弾を投げ込まれたステア少尉達の様子は燦々たる状況だった。


 先ず人間種や下級魔族の部隊員は突然投げ込まれた爆発物に対して碌に身を守ることも出来ずに即死。


 唯一、中級魔族のステア少尉だけが生き残っていたが、彼も相当な深傷を負っており、体のあちこちから血を流しながら通路に横たえている。


 対してベアトリーチェの体はおろか司祭服に改造された修道服にさえ傷ひとつ付いていないが、何のことはない。


 彼女は爆弾が炸裂する直前、死体となって通路に横たわっていたヴァンキッシュ中尉の体を持ち上げて盾としていたからこそ爆風や衝撃波、破片などから安全に身を守れたのだ。



「ぐ……貴様ら……!」


「あら?

 まだ生きてましたか。

 流石は中級魔族、しぶといですわね」



 ステア少尉の苦悶に満ちた声を聞き取ったベアトリーチェはその和かな笑顔のまま静かに散弾銃の銃身を彼の顔に向けたかと思った次の瞬間には引き金を引き絞っていた。



「がっ……」



 至近距離から発射された散弾銃の銃弾を受けたステア少尉の頭は首から上が熟れた果樹のようにバラバラに飛び散る。


 ベアトリーチェは物言わぬ存在となった彼から視線を外して周囲へを目を向けていたが、通路の向こうから銃身を短く改造した短小銃を構えたままでこちらへとやって来るカルロッタへ笑顔で話し掛ける。



「他に生存者は……いないようですわね」


「はい」


「ところで三号車から敵はやって来ましたか?」


「いいえ。

 ずっと見張っていましたが、この車両へ向かって来る不審な輩は確認出来ませんでした」



 カルロッタはベアトリーチェがヴァンキッシュやステア達と交戦中の間もずっと三号車から二号車へとやって来るであろう敵の警戒を行いつつ、上司の援護をする為ずっと狙撃の機会を窺っていたである。


 だが、ベアトリーチェの踊りような動きに援護射撃は却って同士撃ちの危険があることを悟って銃の狙いを定めるだけに留めて通路の警戒態勢を維持することに決めていた。

  

 しかし、それももう終わった。



「結構なことですわ。

 それでは行きましょうか?

 カルロッタ」


「はっ! ベアトリーチェ様」


「聖エルフィス教会が監察司祭ベアトリーチェ、推して参りますわ」



 カルロッタから新たな散弾が装備されている革ベルトを受け取って修道服の上から襷掛けしたベアトリーチェは右手に銃身の短い二連銃身型の散弾銃を持ち、左手には先程使用したものと同じ発破火薬を持ったまま優しい笑顔を浮かべて孝司達のいる一号車へと向かって行った。

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