第29話 緊張

 ここは惑星『ウル』に存在する大陸の中でも最大の面積を誇るバレット大陸北部に位置する大国、[シグマ大帝国]の首都である『帝都ベルサ』から東に進んだところのとある地方に敷かれた線路を走る列車の車内。


 そして現在、十七両ある車両の内、裕福な乗客達が寛ぐ一等客車専用に用意された食堂車には珍しい乗客が来ていた。二等客車へと通じる扉の前に立つ彼女の身長は女性にしては長身で、百八十センチはあるだろうか?


 濃い灰色の開襟制服に身を包み、頭には制帽ケピ帽を被り、長靴を履いているその格好はとても凛々しく、腰の左右には独特な形状を持つ武骨で細身な剣と拳銃が入っている黒革製の拳銃嚢ホルスターを吊っており、さらに腰の後ろ側には不思議な形状の把っ手グリップを装備した小刀ナイフシースに入れられて帯革と平行に装着されている。


 制服の胸には様々な色に彩られた略綬と共に幾つかの徽章や勲章が佩用されている様子は、かなり階級の高い軍人であることを示し、肩に掛からないくらいの長さを持つ薄紫色の髪と赤金色の瞳は彼女が正真正銘の魔族であるという証だ。


 そして、そんな如何にも軍人然とした女性魔族の雰囲気に、食堂車内はちょっとした緊張感に包まれていた。昼の営業時間を終えた食堂車の座席でそれぞれ思い思いに寛いでいた乗客達は、隣の一等客車から移って来た女性魔族の姿を見るや否や皆一様に緊張し、目を合わせないようにしつつも彼女の一挙手一投足に注目していた。

 


「あら? 食堂車ここから先へは行けないようになっているのね」


(なるほどね。

 列車内の治安維持のために、乗客達がここから互いの車両へ往き来できないようにしているのか)



 食堂車内の最奥、二等客車へと通じる扉には注意書きを記した紙が貼られており、更に鍵がかけられて扉が開けられないようになっていることに気付いた女性魔族は顎に手を当てて暫く逡巡した後、扉の傍に設置されている座席に着席していた若い鉄道公安官に声を掛ける。



「すまない。 二等客車へ行きたいのだが……」



 先程までの柔らかな声色は何処に行ったというのだろうか?

 打って変わって硬質な、如何にもな軍人然とした口調に目を丸くして彼女を見ていた鉄道公安官は話し掛けられた瞬間に素早く立ち上がり、直立の姿勢のまま敬礼を行い、それに対して女性魔族の方も答礼で返す。



「はっ!

 魔導少将閣下に予め申し挙げておきますと、二等客車には素性がはっきりしない乗客が乗っていないとも限らないのであります。

 また、二等客車へ移られた閣下に危害を加えようとする乗客がいないとも言い切れません。

 本官の判断で扉を開けて閣下をお通しすることは可能ではありますが、如何致しましょうか?」


「要するに向こうに行くのはあくまで私の自己責任だと言いたいのであろう?

 貴官は私が向こうにいる乗客の誰かに危害を加えられると思っているのか?」


「いいえ……」


「では、扉を開けてもらおう」



 女性魔族の質問に対して若干怯んだように歯切れ悪く答える公安官であるが、実のところ彼は内心、驚愕と畏怖で激しく動揺していた。そんな彼の心情など知る由もない少将閣下と呼ばれた女性魔族は扉を開けるように促し、一連の会話を聞いていた乗客達は彼女の軍人としての階級に驚きの表情を浮かべている。



「了解しました!

 早速、扉をお開け致します。

 少将閣下、もし一等客車へと戻られる場合は向こうの扉の近くに本官と同じように着席している鉄道公安官に乗車券を提示してください。

 一応、お尋ねしますが閣下は乗客券をお持ちでしょうか?」


「これで良いのだろう?」


「そうであります」



 少将の乗車券を乗車券を確認した公安官は食堂車側の扉を開け、一度、二等客車へと移って客車側の扉を開けてから戻って来た。



「では、どうぞ」


「ありがとう。

 ところで、貴官は私の階級がよくわかったな?」



 この国では鉄道関係の治安要員である鉄道公安官は治安警察軍や警保軍ような準軍事組織の将兵と違って、純粋な警察職員である。その公安官が軍人とはいえ、他国の軍組織の階級を把握していたことにこの女性魔族は少し驚いているようだった。



「はい。 本官は以前、メンデル中央駅の鉄道公安室に勤務していました。

 そのときに職務上必要であると判断して、独学で魔王領国防軍について勉強させていただいた次第であります!」


「そうか。

 貴官のような職務熱心な公安官の存在を知り得ることができて、とても嬉しい思いだ。

 これからも真面目に任務に励んで欲しいと願っている。

 ところで、貴官の名前を尋ねても良いだろうか?」


「本官は鉄道省鉄道公安隊、第一方面隊所属のナジード公安員であります。

 閣下のような方にお褒めいただけるなど、公安官冥利に尽きる思いです」


「私の名前はクローチェだ。 魔王領国防省保安本部付魔導少将を拝命している」



 勉強熱心な公僕と話しができたことに嬉しさを感じた将官である女性魔族軍人は、目の前にいる公安官に名前を尋ね、自身も彼と同じように自身の名前と所属、そして正確な階級を口にし、それを聞いた公安官以下その場にいた乗客達全員が驚愕の表情を浮かべていた。



「それでは行ってらっしゃいませ! クローチェ魔導少将閣下!」


「うむ。 ありがとう」


(さて、行って見るとしましょうか!)



 そしてナジード公安員に見送られながら、クローチェ魔導少将は内心ワクワクとした気持ちのまま、二等客車へ通じる扉を潜って行った。






 ◆






「腹減ったなぁ……」



 酷く力が抜けたような声が列車の走行音に搔き消される。

 二等客車の座席に座っている元冒険者で賞金稼ぎのスミスは座席にだらしない姿勢で浅く腰掛けつつ、虚ろな目で車内の天井を見つめながら、己の腹を摩っていた。



「先程からそればかり言ってますが、いい加減耳障りなので喋るの止めてくれます?」


「しょうがないだろう。 昼飯食ってから口に入れてるのが水だけなんだからよ」


「もうあと二〜三時間で夕飯時でしょう?

 次の駅では明日の朝まで停車するんですから、それまで我慢して下さい」


「へいへい。 はぁー……」



 彼と同じクランメンバーである魔導師にして同じ賞金稼ぎのロレンゾはスミスの子供のような呟きに反応して彼の言動を嗜めるが、そんなことなど御構い無しにスミスは席から少し立ち上がって車内の前方、すなわちロレンゾの頭越しに彼の背後を見つめていた。



「どうしたんですか?」


「いや、向こうの車両は確か食堂車だったよな?」


「そうですが?」


「何か食べるものあるかな?」


「駄目ですよ。 私たち二等客車の乗客は一等客車へ移ることはできませんからね?」


「分かってるよ。 だから見ているだけじゃねえか」



 恨めしそうな目で隣の食堂車に繋がる扉を見ていたスミスは、放って置けばそのまま席を立って歩き出しそうな勢いを持っていた。そんな彼の考えを察知したロレンゾは本格的に立ち上がろうとするスミスの手を取って彼に非情な現実を突き付けつつ、席に座らせようとする。



「そんなにジロジロと恨めしそうな目で向こうの車両を見ないでください。

 あそこに居る公安官が怪しみますよ?」



 ロレンゾの言う通り、扉の傍に設置されている警備用の座席に座っている年嵩の鉄道公安官はスミスのおかしい行動を察知して彼のことをジーっと監視していた。



「お前は本当に口煩いな。

 もしかしてダルクフールお前の国の学校で教官せんせいをしているときもそんな感じで生徒達に接していたのか?」


「そうですけど?」


「うわっ! お前、絶っ対に生徒達から人気なかっただろう?」


「大きなお世話ですよ! これでも女子生徒には人気があったんですからね」


「お前の顔がいくら二枚目面ハンサムでも、自分で言ってれば世話ねえよ。

 なあ、ズラックもそう思うだろう?」



 ロレンゾの几帳面な性格を引き合いに出して彼を批判して軽い口喧嘩を演出していたスミスは先程から腕を組んだまま仏頂面で二人の一連のやり取りを見つめていた同じクランのズラックを巻き込む。まさか自分に話が振られるとは思っていなかったらしく、スミスから話し掛けられた彼は青天の霹靂という感じで目をパチクリさせて思わず頷いてしまった。



「うん? う、うむ……」


「ほ〜ら、ズラックも同じだってさ」


「いやいや、話を振られたズラックが微妙な顔をしているじゃないですか!」


「そうかぁ? あながち違うとは言い切れな…………」


「どうしたんですか? スミス……え?」


「何だこれは……!?」



 傍らから見れば子供の口喧嘩のようにも見える口論を繰り広げていた彼らであったが、何かの変化を感じ取ったのか三人とも会話を止めて一様に驚きの表情を浮かべる。そしてその『何か』を感じ取ったのは彼らだけではなく、同じ二等客車の座席に着席していた冒険者風の格好をした数人の男女やヨレて着古された背広を着込んだ男数人が立ち上がったり、座ったまま席から通路へと顔を出して車両内の前方を見つめていた。



「な、何でここに居るんだ? ……っていうか、死んだ筈じゃなかったのか?」



 スミス達を含めて彼ら彼女らの目に映っていたのは、女性にしては比較的背が高い女魔族の姿だった。


 それだけならば『少し珍しい存在がこの客車にやって来た』という印象だけだっただろう。シグマ大帝国の帝都ベルサには人間種以外の他種族達は少数しか暮らしておらず、しかもある限られた地区に集中して居住しており、そのような環境下の街中で魔族を見掛けることなど滅多にないからだ。


 しかし、帝都に次ぐ大都市として発展目覚ましく、最近ではベルサを凌ぐ勢いで経済都市としての成長著しい第二都市メンデルには政治的な理由や様々な者達の思惑も重なって、人間種を除く他種族の大使館が集中していたりする。そしてこの列車の終着駅はメンデル中央駅であるため、ベルサからメンデルへ向かう魔族が乗車している可能性はかなり低いとはいえ、無いとは言い切れない。


 だが、隣の車両から公安官に扉を開けてもらって入って来た女魔族は本来であれば、列車どころかこの国に存在している筈がない者であった。その理由を知っているスミスは、まるで死人が歩いているのを目撃してしまったような、何とも形容しがたい表情のまま女魔族の顔を見ている。



「スミス、あの魔族とは知り合いなのですか?」


「知り合いとかそう言うものじゃねえ。

 あれは、あのお方はクローチェ魔導少将だ」


「クローチェ魔導少将?

 私の記憶が確かならば、確か二十一年ほど前に魔王領から忽然と姿を消した上級魔族の将軍ですよね?

 確実に本人なのですか?」



 彼の口から語られる驚きの言葉にロレンゾは驚き半分、疑い半分でスミスに問う。

 その問いに対してスミスは深妙な面持ちで、自身の対面に座るロレンゾの目を見据えてこう言った。



「間違いない。

 髪の色や目の色が当時と若干変わってはいるが、あの雰囲気は間違いなくクローチェ少将本人だ。

 俺は魔王領国防軍にいたとき、騎兵隊から憲兵隊へ転属した際に直接本人に会ったことがあるから見間違える筈がない……」


「それにしても驚きですね。 クローチェ魔導将軍と言えば、かつて魔族最強の存在として各国の魔導軍人達の間では有名でしたが、まさかあの大事故を経験してなお生きていたとは……」


「いや、生きていなんだ」


「え?」


「どういうことだ? スミス」



 実は彼の言葉にロレンゾだけではなく、ズラックや彼らの座席の周りで聞き耳を立てていた乗客達も話の内容を聞いて信じられないといった表情を浮かべていたのだが、スミスとロレンゾはそんなことなど御構い無しに話を続けていく。


 だが、その会話も一時的に途切れることとなった。

 何故なら、そのクローチェ魔導少将が通路を歩いてこちらに向かって来たからだ。



「…………………………」


「…………………………くっ!」


「むう…………………………!」



 別に彼らに何かがあったわけではない。

 ただ単に件のクローチェ魔導少将がスミス達の座っている座席の横を何の気なしに通り過ぎて行っただけなのだが、今まで数々の修羅場を経験して来た彼ら三人はその例えようもない重圧感に対して息を潜めてやり過ごすしか手がなかったのである。


 そしてそれは彼らだけではなく、スミス達と同じようにクローチェ魔導少将の出現に反応した者達も同様で、彼ら彼女らは息を殺して自分達の横を通り過ぎて行く女魔族の後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 少将が纏う威圧感や雰囲気を感じ取ることなく、呑気に座席に座っていられたのは幼い子供を除けば今まで修羅場を一度も経験したことがない、幸せな人生を歩み続けている一般人の乗客達だけであった。



「ふう! ハァー……何事もなく通り過ぎて行ってくれましたか。

 スミス、さっきの話の続きですが、『クローチェ魔導少将が生きていなかった』とはどういうことなのですか?」



 クローチェ魔導少将が通路を最後まで歩き切り、隣の車両に移るべく扉を開けてその向こうに消えていくのを確認したロレンゾは盛大に溜息を吐いて深呼吸する。そして彼は改めてスミスと向き合い、先程の話の続きを再開させるが、次の瞬間、スミスの口から語られた内容にロレンゾは耳を疑う。



「俺は憲兵として当時魔研で起きた事故調査の応援要請に急遽駆り出されたんだが、転移魔法実験の被験者として実験に参加していたクローチェ少将は魔法の暴走事故後、その姿が崩壊した実験室から忽然と消えていたんだ……」


「何ですって?」


「それは本当なのか?」



 彼の口から語られる内容にロレンゾだけではなく、いつもは寡黙で通している筈のズラックも身を乗り出さんばかりの勢いでスミスに食い下がるようにして問いを発する。それに対してスミスは隠し事は一切ないと言わんばかりに当時自分が事故現場で見聞きしたことを淡々を話していく。



「ああ。

 当時、少将の護衛として一緒について来ていた憲兵中佐と事情聴取のために話をする機会があったんだが、爆発直後にその憲兵中佐はクローチェ少将を探しに魔研の所長や警備兵達と共に崩壊した研究棟へ舞い戻ったそうだ。

 だが、実験室があった場所は瓦礫だらけで、少将の姿は見当たらなかったと言っていた。

 その後の瓦礫の撤去作業においても遺体さえ見つからなかったらしい……」



「……では何故、その魔族がこうして列車に乗っているのでしょうか?」


「俺が知るかよ!

 っていうか、魔王領本国で事実上の行方不明死亡扱いになってる筈のクローチェ少将が『実は生きていた』なんていう情報はギルドや通信社経由でも聞いたことがないぞ?」


「確かにな。 我らは職を変える際に普通科から情報化へと所属が変更になって、以前よりも様々な情報に目を通せるようになってはいるが、あのような大物魔族の生存情報が入ってくれば、何かしらの形で耳にしている筈だ」



 話を聞いて納得がいかないとばかりに思案顔になるロレンゾに対して、スミスは彼の疑問など知ったことかと語気を強めてクローチェ魔導少将の生存情報の有無が取れていないことを思い出す。そしてズラックもスミスの意見に賛同するように何故あの女魔族の生存情報が今の今まで全く出回っていないのかを疑っていた。


 

「そういえば、先週帝都で騒ぎになった警保軍の捕物騒ぎと何者かが貴族霊園と共同墓地での反魂魔法が設置された騒ぎがありましたが、アレは未だ犯人が捕まってないんでしたっけ?」



 そしてロレンゾは思案顔になっているスミスとズラックを他所に何かを考えているようであったが、ふと何かを思い出して二人に話し掛ける。だが、彼らに同意を得る前に合点がいった彼は若干顔を蒼褪めさせつつ、言葉を続けた。



「まさか、あの魔導将軍が……?」


「可能性が無いとは言い切れねえな。

 俺の記憶が正しいならば、少将は吸血族と淫魔族の混血だった筈だ。

 それに魔導少将になれるくらいの魔力と魔法技術を持っているのならば、反魂魔法を扱うぐらい訳ねえ筈だろ?

 確か聞いた話じゃあ、捕物に向かった警保軍が武器庫から引っ張り出して来た魔導砲二基を木っ端微塵に破壊されたそうだが、あの魔族にとっちゃそれぐらい朝飯前だろうさ」



 敵軍の前線要塞をたった一人で壊滅させたという軍功を掲げたことがるのだ。その気になれば魔導砲どころか帝都そのものを破壊しかねない相手なのだから、今さら事実を知ったところでさして驚く程のものではない。



「それにしても……とんでもない威圧感でしたね。

 私もダルクフールで長年魔導士官をやっていましたが、上級魔族の実物なんて初めて見ましたよ。

 ですが……その割には魔力を一切感じられなかったような?」


「ああ、それは俺も当時同じことを思ってたぜ。

 『特・戦略級魔法戦技章』なんていう国防軍の中でもかなりブッ飛んだ徽章を持ってるってのに、初級魔法しか使えない俺よりも魔力が感じられなかったんだからよう」



 ロレンゾの疑問にスミスも同意とばかりに当時自分が感じたクローチェ魔導少将の魔力について語る。それに対してロレンゾは確認とばかりにスミスに質問を行う。



「あれはワザと魔力を消しているのでしょうか?」


「多分な。 上級魔族、それも貴族出身の高級将校と言やあ、参謀本部に行くか基地司令官とかの役職を拝命する奴が多い中、わざわざ前線の野戦将校――――それも現地野戦軍指揮官の役を好んでやっていたって聞いたことがあるから、恐らくそのときの癖じゃねえのか?

 戦場での非魔導戦闘なんてよくあることだしよう……」



 実際に魔王領国防軍内における上級魔族の士官達は佐官や将官階級の者達が多く、スミスの言う通り多くの者達が参謀本部入りしたり、基地司令官の席に収まる者が殆どだ。その点で言えば、クローチェ魔導少将も上級魔族軍人の例に漏れず、昇進を重ねて尉官から佐官、佐官から将官へと出世の階段を順調に上っていると言えよう。


 だが本人の希望もあって、クローチェ魔導少将は他の上級魔族軍人達と違って女性でありながら、最初から野戦将校志望で軍大学から国防軍へとやって来た変わり者だった。スミスの記憶では国防軍の誰よりも非魔導戦闘を重視して戦場で指揮を執っていた覚えがある。



「それにしても恐ろしいですね。

 戦略級軍用攻撃魔法を使える元野戦将校出身の魔導将軍など、たちが悪いどころの話ではありませんよ?」


「まあな。 その経験を買われてか、陸軍から保安本部に移って直ぐに野戦憲兵隊司令と衛兵連隊司令官の席を兼任してらしいからなぁ。

 俺が憲兵隊に転属して暫くした後に少将が指揮した作戦行動そのものが苛烈過ぎたのか、上から危険視された挙句に保安本部内でも持て余されて、どこかの保安出張所だか憲兵隊詰所の所長になったっていう噂を聞いたが……」


「…………………………」


「…………………………」



 偶に聞く『有能な職業軍人が本人なりに真面目に任務を遂行していたら軍功を重ねすぎた挙句、軍の上層部に危険視されて地方の部隊に島流し』という話を聞くことがあるが、スミスの話を聞いたロレンゾとズラックは内心「洒落にならねえ……」と呆れ返っていた。



 スミスの話が本当ならば、あの魔導少将は国防軍や国防省上層部の上級魔族達が手を焼くほどの武闘派将軍であるということだ。絶対に敵に回したくない相手である。



「まあ何にせよだ。

 普通なら、こんな列車に乗っているような存在じゃないのは確かだな」


「やはり、メンデルに向かうのでしょうか?」


「そりゃあ、そうだろう。

 メンデルには魔王領の大使館があるからな。

 そこ以外に何処に行くって言うんだよ?」


「ですよね」


「それにしても、そのような上級魔族がこの車両二等客車に何の用なのだ?

 随伴している筈の護衛や部下の姿が見当たらぬが?」


「確かにな。 あの上級魔族バケモノに護衛って言うのはおかしな話だが、流石にあれくらいの階級になると佐官級の部下なり副官が絶対に付いて来ている筈なんだがなあ……何で一人だけで歩いているんだ?」



 ズラックの指摘にスミスは席から少し立ち上がって周囲をキョロキョロと見回すが、彼の言う通りそれらしい人物は見当たらない。



「あと気付きましたか、スミスは?

 彼女の腰に拳銃が入った銃嚢ホルスターが吊られていたのを」


「ああ、見た。 魔族軍人で魔導階級……しかも、将官級ともなれば魔法の達人以上の腕を持っているってのに拳銃を装備しているとは驚きだぜ。

 いくら非魔導戦闘を重視していても、あれだけの魔法の使い手なら銃なんて要らねえだろうによ?」



 元ダルクフール法国軍で魔導士官であったロレンゾの指摘にスミスは二つ返事で頷く。スミスの言う通り、人間種でも魔族種でも魔導軍人というのは本人が所属する国家が正式に認定した魔導士であるという証に他ならなず、将官級の軍属魔法使いともなれば正に達人以上の魔力と技量を持っていると思って良いだろう。


 ギルドでも魔導師の認定制度はあるが、やはり軍属の元魔導士官――――それも腕利きの軍属魔法使いだったという経歴を持っている場合だとギルド組織内での扱いが全く違う。例えばスミスの目の前に座っているロレンゾは魔法先進国として名高い[ダルクフール法国軍]で魔導士官として長年軍に在籍し、最終軍歴は『魔導少佐』という事実上の中佐待遇で軍を退役して冒険者へと鞍替えした優秀で変わり者の魔法使いである。


 人間種であればシグマ大帝国軍近衛師団の魔導連隊長として名を馳せ、今は政治家に転向したと言われているあの『ステン・トマス・ゾロトン』に匹敵する魔力と技量の持ち主として将来を嘱望されていた元魔導士官なのだ。


 そんなロレンゾが軍を退役して冒険者になると本人が宣言したときはちょっとした騒ぎになり、小さいながらも国際通信社の記事に載ったほどで、法国軍上層部は必死になってあの手この手でロレンゾを軍に引き留めようとし、ギルドは同国担当の支部長と副支部長、魔法科科長の三人が直々に本人の所へ頭を下げて勧誘に来たほどだった。


 今までにそのような事例が少なからずあったりするため、腕に覚えのある魔法使いや未熟ながらも潜在的な才能を見出された者は先ず軍隊に入って魔導士官を目指す場合が多い。軍隊に入れば飯に食いっぱぐれることもなく、しかも給金まで貰えるとあれば多少なりとも魔法が使える素質を持つ者が軍隊に入りたがるのは自明の理である。


 中には軍隊での厳しい訓練や戦場に派兵される危険性を考慮して最初からギルド認定の魔導師を目指す者も一定数いるが、やはり軍隊に入ってから自分の価値を上げてギルドへと移ろうとする者が圧倒的に多いのでギルドでは各支部で魔法使いの勧誘合戦を軍隊の人事担当部署と繰り広げているところも多い。


 そんな背景を持つ軍属魔法使い、それも国民の殆どが何かしらの魔法を使えるという魔王領の国防軍から国防省保安本部へと移った魔導将軍が、よりにもよって『魔法の対極にある科学分野の産物の一つと言える拳銃を腰に吊っている』という事実にロレンゾとスミスは内心驚いていた。


 人間種の魔導士官でも凄いというのに魔族――――それも全魔族最強と謳われていたクローチェ魔導少将が拳銃を携帯しているという事実は同じ魔族の魔導軍人を含めて魔法使い達にとって驚愕の出来事だろう。



「少なくとも俺が憲兵時代に見かけたときは剣しか持っていなかったと思うんだが?

 どういう心境の変化だ?」



 とスミスはロレンゾの指摘に対して腕を組んで訝しむ。

 常識的に考えれば、あれほどの存在になると拳銃を銃嚢から抜くよりも早く魔法の一撃で相手を倒すなり、制圧するなど容易な筈だ。


 それがどういうわけか、あの上級魔族は魔法の対極に位置する科学分野の武器である拳銃を当然といった態度で腰に吊っているのだ。スミスもロレンゾの足元に及ばないにしても、愛用の魔剣を扱えるくらいの魔力と技量、そして知識を持っているため、クローチェ魔導少将が拳銃を携帯している理由を考えあぐねていた。



「あの〜? お話中のところすみませんが、ちょっと宜しいでしょうか?」


「うん? 誰だ、あんた?」



 思考の海に潜っていたスミスとロレンゾ、そして二人の会話を静かに聞いていたズラックの耳に自分達を呼ぶ声が届く。三人が顔を上げて声がした方向を見れば一人の若い女性が通路に立っており、両手に鉛筆と記録用の手帳を持ちつつ、興味深げな表情と共に彼らの顔を見回していた。



「私、国際通信社で記者をしている者で、 『ナノセラ』と申します。

 実は貴方がたが今お話していた内容ですが、もう少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか?」






 ◇






「ふう……」



 二等客車全てを見て回ったアゼレアは来た道を戻って、現在は一等客車専用食堂車の一角にある席に座って一息ついていた。流れていく車窓の景色を眺めながら、頬杖を突いた彼女の仕草は国防省保安本部の将官用勤務服を着ていながら非常に絵になる光景だった。


 制服を着てケピ帽を被っているお陰で本人が纏っている威圧感がそのままになっているとはいえ、憂いを帯びた表情を浮かべている顔は非常に美しく、赤金色の瞳は人間種の女性にはない妖しさと神秘性を秘めている。


 暫くの間、流れていく景色を眺めながら何かを考えていたであろう彼女は踏ん切りをつけるように席を立つ。そしてその直後にまるで「待ってました」とばかりにアゼレアへひとりの女性が声を掛けた。



「あのー? ちょっとお時間よろしいでしょうか?」


「え?」


「あ、すいません。 私、こういう者です」



 周囲の席に座っていた乗客たちはアゼレアのことをそれとなく気に掛けている雰囲気はあったものの、誰も話し掛けるような素振りを見せないのは彼らの気配で分かっていた。なので、席を立ち上がった直後に声を掛けられたことに、彼女は思わず間の抜けた声を出してしまう。


 そして、何かを言うよりも早くアゼレアの眼前に突き出された小さな厚紙を受け取った彼女は、記載されている内容をサッと確認して自分の目に前に立つ人物の顔を見やる。



「国際通信社……あなた、記者なの?」


「はい。 私、記者のナノセラと申します。

 実は仕事の都合でこの列車に乗っていたのですが、偶然にも貴方様の姿をお見かけしまして。

 魔王領の軍人の方がこの列車に乗っているとなど滅多にないことですので、よろしければ取材させていただければと思った次第です……」



 眼前に出された小さな厚紙――――受け取った名刺に記載されていたのは持ち主の所属する組織の名称と名前が記されており、『国際通信社・シグマ大帝国支社・メンデル事務所』という内容と共に、『第二記者部 主任記者 ナノセラ・ヘルメス』と書かれていた。


 そしてナノセラと名乗った国際通信社所属の女性記者は愛想笑いを浮かべた顔で偶々見かけたと言うアゼレアを取材させて欲しいと言っている。それに対してアゼレアが取った行動はひとつだった。



「申し訳ないのですが軍機につき、そちらの質問には一切お答えすることはできません」

 もちろん、写真や念写を撮ることもやめていただきたい」


「あ、そうなのですね。

 ですが、そこをなんとかお願いできませんか? クローチェ魔導少将閣下」


「……あなた私のことを知っているの?」


「それはもう! 『殲滅魔将』以外にも様々な二つ名を持つ、魔族最強の存在である将軍閣下のことを知らない筈がありません」



 どうやら相手はこちらの素性をある程度知った上で取材を申し入れているらしい。魔王領にいた頃は国際通信社所属の記者と言えど、彼女に取材を申し込んでくる者はかなりの勤務年数を持つ怖いもの知らずの食えない年嵩の記者だけで、若い記者が取材に来ることなど全くなかった。


 殆ど場合において、取材の対応は当時アゼレアの護衛兼副官を務めていた『フレア・ターナー憲兵中佐』が一手に引き受けていたので、こうして自分に直接取材の依頼が舞い込んで来ることはある意味新鮮な出来事に感じていた。



「そう。 ならば尚更、答えることはできませんね」


「え? ちょ、ちょっと、閣下!?

 待ってくださいよぉ……」



 だが新鮮な出来事であっても面倒ごとであることに間違いはなく、アゼレアは自分の周りをブンブン飛び回る虫を追い払うのと同じ気持ちで己の素性を知っているであろう国際通信社所属の記者からの取材の申し込みを無碍にもない態度で断り、食堂車から立ち去ろうとしている彼女にナノセラが食い下がる。



「あまりしつこいと怒るわよ?」


「私だって伊達や酔狂で国際通信社の記者をやっているのではありません。

 そんな顔で睨みつけても無駄ですよ?

 閣下、せめてこの列車に乗っている理由だけでも教えください!」



 必死に食い下がろうとするナノセラに対して振り向きざまに彼女の目を見据えつつ、睨みつけるアゼレアであったが、ナノセラは並みの兵士や参謀将校であれば即座に回れ右して逃げ出しかねない殺気が込められていたにも関わらず、そんな脅しなど何処吹く風とでも言いたげに更に食い下がってきたのである。



「…………あなた、私のことが怖くないの?」


「私も女伊達らに記者の職でおまんま食っているわけではないので。

 こう見えても元冒険者として、それなりの修羅場を潜り抜けて来ていますからね」


「なるほど。 じゃあ……」


「え? きゃあ……!」



 自分の問いに対して腰に両手を当てて胸を張り、誇らし気な顔で自慢するように話すナノセラだったが、彼女の言葉を聞いたアゼレアはそのまま一歩を踏み出す。そして自分よりも背が低いナノセラの目を覗き込むようにしつつ、このままだと接吻してしまうのでは?というくらいまで己の顔を近づけて獰猛な笑みでもって悲鳴を上げたナノセラに忠告する。

 


「確かに自らの職責を貫こうとするその姿勢は評価に値するわ。

 でもね? 時と場所と相手を考えてから行いなさい。

 猪みたいに何にでも体当たりでぶつかって行こうとすると……時には当たった衝撃でこの細い首がポキリと折れてしまうかもしれないわよ?」



 吸血族特有の冷たくも甘い吐息を浴びせつつ、ナノセラの細い首を撫でるようにして手を添えるアゼレアの体から発散される瘴気にも似た濃密な殺気をまともに浴びた彼女は、余りの恐怖に体が小刻みに震えていた。


 失禁されては困るので体から放散する殺気はかなり絞ってはいるものの、それでも僅かに漏れる魔力波に乗った殺気と重圧によって、偶然食堂車に居合わせた乗客達や公安官が苦しそうにしている姿が視界の端に映る。



「し、失礼致しました…………」


「分かれば良いのよ。 以後、気を付けなさい」


「は、はい……」


(ごめんなさい……)



 顔を離したことと殺気がぱったりと途切れたことで周囲の乗客達は安心し、呼吸を整えるように深く息を吸う者もいたが、当の原因を作ったナノセラは殺気が無くなっても尚、恐怖に震えていた。そんなナノセラに内心すまないと思いつつも、そのまま食堂車を後にしようと彼女に背を向けて歩き始めたアゼレアはふと何かを思い出したのか、踵を返して未だ震えている女性記者に話し掛ける。



「ところであなたは一等客車の乗客なのよね?」


「はい? そ、そうですが……?」


「そう」


(今後、食堂車には近寄らないほうが良いのかもしれないわね……)



 食堂車に堂々といるので分かりきっていたことだが、やはりナノセラは一等客車の乗客であると確認したアゼレアは他の乗客達に迷惑を掛けないためにも、食堂車に行くことは自粛したほうが良いのだろうと内心考えながら、堂々とした足取りで自分の最愛の人が待つ客車へと帰って行った。






 ◇






「ただいま」


「おや、おかえり。 早かったね? はい、お茶」



 客室の座席で列車に揺られてうとうとしていた俺は、この世界でもっとも愛する女性の声で一瞬で脳が覚醒して目が覚める。声がした方向に目を向けると、扉を閉めて室内に入って来るアゼレアに声を掛けつつ机に置いていたペットボトルの紅茶をガラスのコップに注いで席に座る彼女に差し出す。



「ありがとう。 ……美味しい。

 車内を見て回るだけだから、そこまで時間は掛からないわ」


「そう」


「二等客車のほうも覗いて見たのだけれど、一等客車と二等客車の乗客はそれぞれの車両間の往き来が制限されているみたいね」


「え? どうして?」


 紅茶を受け取って一口飲んだアゼレアは被っていたケピ帽を脱いで自分の傍に置きながら列車の各車両間を見て回った際に気付いた点を報告も兼ねて俺に話す。どうやら彼女は一等客車だけではなく、二等客車にも行って来たらしく、その際に一等客車と二等客車それぞれの乗客達は互いの車両間の往来ができないのだと話していた。


 その話を聞いた俺は素直に疑問を口にする。

 日本の鉄道では新幹線や在来線の特急列車、寝台列車であっても基本的に乗客は各車両へ移動することに対して特に制限は設けられていない。


 もちろんグリーン席や指定席の使用は予め席を予約した乗客だけに限られるものの、車両間の移動制限を受けるというのは余程の理由がある場合に限られる。例えば皇族や総理大臣が列車に乗っており、彼らが乗車している当該車両への立ち入りが禁止されている場合などだ。



「もしかしてシグマ大帝国の皇族や政治家が乗っているのかな?」


「列車内の治安維持上の都合らしいわ。

 多分、盗難やスリを警戒しているのだと思うけれど……」


「ああ、なるほどね」



 日本での事例を思い出してこの列車でも同じような状況が起きていると思ったのだが、どうやらその考えは杞憂だったらしい。よくよく考えると、この世界は日本語が標準語であるためつい日本と同じ常識が通じると思い込んでしまいがちだが、地球とは全く別の異世界であるので治安が日本より悪いのは当たり前だ。


 ファンタジー物語の代表格のひとつである冒険者は普通に街中で剣や弓、銃などの武器を携えているし、猛獣よりも獰猛な魔獣や魔物といった地球で言うところの空想上の動物などがワラワラいるかと思えば、魔族やエルフ、獣人達がなどが普通に外を歩いている世界なのである。


 しかもついつい見逃しがちになるが、他国の軍人である筈のアゼレアが当たり前という顔で腰に拳銃や軍刀をぶら提げていてもこの国の警察職員である鉄道公安や列車の車掌、乗務員達は彼女のことを咎めることは一切なかった。


 ということは他国の軍人が護身目的で銃や剣などの武器を携帯しているのは当然であるほど治安が悪いという証でもある。もちろんシグマ大帝国以外の国でこの考えが通用するとは思えないが、この大陸に存在する国々の殆どにギルドの支部が置かれて冒険者や魔導師達が国境を行き来する以上、護身目的で武器を携帯するのはある程度容認されていると見て良さそうだ。


 だとすれば一等客車と二等客車間における乗客の往来を制限しているのも合点が行く。一等客車の乗客達は裕福な者が多く、対して二等客車の乗客達は中流より下の経済力しか持たない者達が比較的多い筈なので、一等客車の乗客達を狙った盗難やスリなどの犯罪を未然に防ぐのは鉄道を運営する側として当然の対応である。



「それよりも、孝司。

 私達、食堂車でご飯を食べることができなくなってしまったかもしれないわ」


「え? どうして?」


「国際通信社の記者がいたのよ。

 彼女、一等客車の乗客らしいから、多分食事時は常に食堂に張り付いている可能性が高いと思うの。

 私と孝司が食堂車へ行ったら、取材と称してアレコレと質問攻めに遭うと思う……」





 ――――国際通信社





 バレット大陸で最大の規模を誇るマス・メディア集団であり、その情報伝達手段は新聞を主力とした媒体で構成されている。日本で言うところの所謂『マスゴミ』と言えなくもないが、インターネットが存在しないこの世界では『足を使って情報を得る』という手法が当たり前に行われているため、記者達の情報に対する収集欲は貪欲で、彼らの働きを正当に評価するためにも公正明大な記事を載せることを社是としている巨大新聞社として君臨し続けている。


 そんな新聞社の記者がどうやらこの列車に偶然乗り合わせていたようで、愚かにもアゼレアに取材を申し込んだらしい。アゼレアの口ぶりから推察するに恐らく日本のマスゴミ記者同様、取材を拒否する彼女に必死に食い下がって怒らせでもしたのだろうが、それで引き下がるような連中でないのは容易に想像できる。


 そしてそんな記者が次に使う手はアゼレアの言う通りの食堂車での張り込みだろう。

 具体的には食事をするために食堂車を訪れたアゼレアに対し、彼女が食事を始めて暫く経った後でタイミングを見計らっての突撃取材だ。



「そうかぁ。 でも、大丈夫だよ。

 斎藤さん……ゾロトン議員が何かあった場合、乗務員達には自分の名前を出してくれって言ってたから、ここは素直に甘えて食事はここに持って来てもらうように手配してもらおうよ」


「貴方がそれで良ければ、私は構わないけれど……」


「そう不逞腐らないで。 実はさっき『公安官が失礼なことをして申し訳ない』ってことでお詫びに来た車掌さんに聞いたんだけれど、今日は19時過ぎくらいに途中駅で停車したら、その日はもう列車は走らせずに次の日の朝8時から運行を再開するんだって」



 俺の提案に対し、しかめっ面で渋々了承するアゼレアに先程謝罪に来た車掌さんから聞いた内容を彼女に話す。それを聞いた彼女は顎に手を置いて今聞いた会話の内容を自分なりに分析しているようだった。



「列車のすれ違いや点検か何かかしら?」


「多分、食事や就寝のためじゃないかな?」


「食事と就寝のため?」



 俺の言った言葉に一瞬訳がわからないとでも言いたげに首を傾げるアゼレアだったが、次に俺が話す内容を聞いて彼女は納得する。



「そう。

 ほら、二等客車には専用の食堂車が連結されてないでしょ?

 最初はあの食堂車が一等客車と二等客車双方の食事の手配を一手に引き受けていると思っていたんだけれど、さっきアゼレアが『互いの車両を往き来出来ない』って言っていたことで合点がいったよ。

 多分、12時間以上も駅に停車するのは食堂車を利用できない乗客達が食事をするためだと思う。

 あとこれも車掌さんが言っていたことなんだけれど、この一等客車と違って二等客車には寝台が無いみたいなんだよね」


「なるほど。 そういうことね」


「だからさ、アゼレア。

 僕達もちょっと列車を降りてご飯を食べに行こうよ?

 一応、食堂車も夕飯時には営業を開始するらしいけど、仮に記者が食堂車に張り付いていたとしても駅の外に夕食を食べに行けば会わなくて済むし。

 仮に街に繰り出した俺達を記者が尾行していたら、適当に撒けば済むことでしょ?」


「ええ、そうね。 孝司の言う通りだわ。

 喜んで貴方と一緒に街へ行くことにするわ」


「じゃあ、決まりだね!」



 俺の提案に対して先程までしかめっ面だった表情は途端に明るくなり、急に生き生きとしだすアゼレア。そして俺の提案を受け入れてくれたアゼレアに対して俺は満面の笑みを浮かべ、それに釣られるように彼女もまた満面の笑みで返してくれたのだった。






 ◆






 一方こちらは孝司とアゼレアが乗車する一等客車とは別の車両の一等客車内の客室。

 ひとりでは少々広すぎる客室内では、二十代前半と思われる女性が自分の体を抱き竦めるようにして震えながら席に座っている。



「こ、怖かった……」



 普段であれば健康的で血色の良い顔は完全に蒼褪め、自分が先程体験した恐怖を代弁するために囀った唇は震える体に連動するかの如く小刻みに振動し、目に溜まった涙は今にも溢れ落ちそうになっていた。



(まさかあれほど恐ろしい女性魔族だったなんて……)



 ナノセラ・ヘルメスは今年で若干二十五歳という年齢でありながら、『国際通信社・シグマ大帝国支社』のメンデル事務所で主任記者を任されるほどの腕利きであり、支社内では『虎鋏のナノセラ』という二つ名で知られた生え抜きの若手記者のホープである。


 特ダネを掴むまでは地道に取材活動を続け、いざという時は虎鋏のようにを食い込ませて取材対象に食らいつく姿勢から付いた彼女の呼び名だったが、今回はあっさりとその閉じた虎鋏をこじ開けて獲物は去って行ってしまった。


 だが今回ばかりは仕方がないことなのかもしれない。

 何せ相手は全魔族最強の存在である魔王領の魔導将軍なのだ。


 二十一年前に起きた魔王領国防軍の研究施設で密かに行われていた転移魔法実験の暴走事故により死亡または行方不明になっていた筈の魔導将軍。


 その魔導将軍が実は生きていたというだけでも驚きだが、よりにもよってナノセラの目の前に出現してくれたのである。しかも、他の競合相手が全くいない移動中の列車の中でだ。


 特ダネと言うには大き過ぎるネタにナノセラは興奮もかくやに魔導将軍のことを知っているという元魔王領の憲兵出身の冒険者に取材を申し込み、件の魔導将軍がクローチェ魔導少将本人であるという確認を取った彼女は喜び勇んで食堂車へと先回りして張り込むことを決める。


 そしてクローチェ魔導少将が食堂車の席に御付きの部下を伴わずに、一人で座って落ち着いたその瞬間を狙って突撃取材を敢行したのだが、少将は直ぐに取材拒否して立ち去ろうとしたのである。そこですかさず『虎鋏のナノセラ』の二つ名通りに対象にしつこく食らいついて取材を敢行しようとしたが、見返りは魔族軍人でも逃げ出しかねないほどの殺気と恐怖だった。



(元冒険者として盗賊の大親分や盗掘団とも渡り合った私がこんなにも震えているだなんて……)



 冒険者時代、仲間たちと共に数々の修羅場を潜り抜けて来たナノセラの胆力は並ではない。死にそうになった場面など両の手で数え切れないほどあるし、完全武装の軍人や傭兵の集団相手に立ち回ったことなどそれこそ掃いて捨てるほどある。


 なのであの魔導将軍が取材を拒否してこちらを脅してくることなど容易に想像できた。その為、最初に睨み付けられたときは確かに怖いと思ったが、それは想定内だったのでつい何時もの癖で相手に食らいついてしまった。


 相手がとんでもないバケモノであるということに気付かずに……



(でも、この特ダネを逃すつもりは毛頭無いわ!

 クローチェ少将ッ!!

 どんなことがあっても食らい付いて行くから、覚悟しなさい!)



 だが、これで怖気付いていたら主任記者の面目は丸潰れである。

 ナノセラは冒険者時代に築いた持ち前の精神力でもってクローチェ魔導少将から受けた殺気と恐怖をかなぐり捨て、再びあのバケモノと相対することを決めて拳を大きく掲げるのだった。

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