第22話 掃除

「掃除……ですか?」


「はい。 掃除です」



 室内に相手の申し出を訝しむアゼレアの声とその問いにに対して肯定するゾロトン議員の声が静かに響く。ここはシグマ大帝国の帝都ベルサの地下、『東区地下街特別区』こと『地下特区』の自治を司る[自治所]の応接室だ。


 地下に存在する空間としては意外に広く、本間で約10畳ほどの広さがある応接室には男女含めて7人が詰めており、内訳は俺とアゼレア、ゾロトン議員と彼の専属護衛である男性のマガフさんと侍女のアチザリットさん、この自治所の所長であるサトゥ所長と彼の秘書である女性獣人のソルタム女史の計7人だ。


 応接室に入り、室内の中央に設置されているテーブルを挟んで右側の綿の布張りのソファに俺とアゼレア、向かいの席にゾロトン議員とサトゥ所長が座っていて、彼らの背後にそれぞれの部下達が控えている構図で、話を切り出したゾロトン議員は非常に申し訳なさそうな表情を浮かべている。



「失礼ながら、議員の言わんとしている意図が明確に見えないのですが?」


「そうですね。 では……」


「申し訳ありませんが、ゾロトン議員の口から言うには内容的に少々リスクが高いので、ここから先は私がお話ししましょう」


(ん?)



 口を開きかけたゾロトン議員の言葉を遮るようにしてサトゥ所長が被っている兜によって少々籠った声を出す。一瞬、彼の言葉に違和感を覚えた俺は、しかしサトゥ所長の話に対して今は沈黙を守って耳を傾けることにする。



「少々話は長くなるかもしれませんが……この地下空間は元々はシグマ大帝国の帝都ベルサが作られるより遥か以前に存在していた『チャリオット』という都市国家で使われていた下水道が基礎になっています。 この下水道の歴史は古く、バレット大陸に存在する古い下水道の中においては比較的状態が良かったのですが、帝都ベルサが作られた際に当時は新市街地と呼ばれていた地区の新しいシグマ大帝国製の下水道とチャリオットが存在していた旧市街地のチャリオット都市国家製の下水道を接続する際に不要な地区のにおける下水道の使用継続は破棄されました」


「その破棄された旧都市国家製の下水道が地下特区になったのですね?」


「はい。 当初は使わなくなった下水道は破棄された後に埋められる運命でしたが、先人達が作り上げた下水道の技術レベルがあまりにも高かったため、『建築遺産として残すべき』という意見が当時の有識者達からいくつも出まして……結局、当局が下水道を埋めるコストを天秤にかけた際に残しても問題ないと判断されたようです。

 まあ、残されたのは良いのですが、お役所仕事の典型と言ったほうが良いのでしょう。

 碌に管理する者も居らず、逆に汚水が流れないようになって人間が入れるようになると偏屈な輩がこの下水道の存在を嗅ぎ付け、方々から手押し車を押して来てここに住み着くようになったんですよ」



 「まあ、かく言う私もその一人なんですけどね……」と笑いながら話しているサトゥ所長。

 それに対してアゼレアは彼の話を真剣に聞いていた。



「……いくつか分からない言葉がありましたが、地下特区の前身である下水道とその後の成り立ちについては理解できました。

 それでゾロトン議員が仰られていた『掃除』というのはどういう意味でしょうか?」


「……クローチェ少将はリグレシア皇国についてはご存知でしょうか?」


「ええ。 へカート大陸北部にある魔族達の国ですね。

 確か飛び地も含めてへカート大陸にいくつかの属国を持ち、最近では海峡を挟んで向かい側のバレット大陸にあるルガー王国に侵攻していましたが……あの国が何か?」


「クローチェ少将が仰る通り、リグレシア皇国は今から22年ほど前にルガー王国に侵攻して2年後にはルガー王国全土を完全に掌握しました。

 勢いに乗った彼らは、隣国のミネベア共和国とザハル諸部族同盟にも侵略の手を伸ばして2カ国ともリグレシア皇国に制圧されています」



 タブレット端末の地図アプリで見た通りのことを話すサトゥ所長であったが、彼から教えてもらったその後の説明ではいくつか興味深いことが分かった。


 リグレシア皇国は植民地化したこれらの国々に統治機構を置き、3カ国のトップの席にはリグレシア皇国本国から派遣されて来た『総督』が就いており、各国の国境にはリグレシア皇国軍地上部隊が展開して周辺国に対して睨みを利かせているらしい。


 リグレシア皇国はもともと魔族至上主義だったため、制圧された3カ国の国民はルガー王国に住む魔族以外の種族に対する民族浄化の悪夢が開始されるという懸念が高まったが、この時点でリグレシア皇国首脳陣は軍がバレット大陸に侵攻を始めた頃と連動して民族同化政策を推し進む方向に舵を切っていたため、国家による大規模な民族浄化や弾圧等は今のところ発生していない。


 だが映画『シンドラーのリスト』よろしく、進駐してきた軍や警察などの部隊に所属する将兵個人またはその集団による犯罪や虐殺は統治機構が稼働し始めるまでは暫く続いていたようで、業を煮やしたリグレシア皇国の[経済省]が所管する『植民地産業経済管理局』が許可のない殺害行為や拷問を禁止するまでに至っている。



「上級魔族であるクローチェ少将には申し上げにくいことなんですが、リグレシア皇国の魔の手から逃れてきたルガー王国、ミネベア共和国、ザハル諸部族同盟の元国民だった戦争難民達の中には魔族に対して言いようのない憎しみを抱えている者も多数います……」



 人間種国家の『ミネベア共和国』と獣人国家の『ザハル諸部族同盟』は兎も角、魔族国家である『ルガー王国』の国民が同じ魔族に憎しみを抱くのを不思議に思う者もいるだろうが、王族を除けば国民の大半が多種族との混血であり、ほぼ人間種と変わりのない外見と能力を持つ下級魔族で占められている同国において兵員の多くが純粋な中級魔族達だけで構成されているリグレシア皇国軍の蛮行はまさに悪夢そのものだったという。


 男性魔族兵士による婦女子への集団強姦や誘拐、強盗、略奪行為は日常茶飯事。ときには小学生ほどの年齢の男子が女性魔族兵の集団に寝る間も無く来る日も来る日も犯され続け、衰弱して命を落とした例もあった。



「リグレシア皇国軍に制圧された3カ国の国民達はそれぞれ着の身着のまま国境を越えて戦争難民化しました。

 中にはその日の食べ物にも困る者も多く、そういった者達は……」


「今度は自分たちが奪われる側から奪う側になったのですね?」


「……はい」



 アゼレアの問い掛けに対してサトゥ所長は肩を落として答える。リグレシア皇国の侵略から逃れた国民達の全てが財産を持って逃げられたわけではない。リグレシア皇国軍や中には自国軍の敗残兵に財産や家財を奪われた者も多数おり、彼らは生きるために犯罪に手を染めたのだった。


 強盗、強姦、殺人とまるで自分たちがリグレシア皇国軍や自国軍の敗残兵にやられたことをやり返すかのように彼らは行く先々の街や村で犯罪行為を働き、現地住民達と対立を深めていく。泥沼的に続く憎しみの連鎖は途切れることなく、しかし着実にバレット大陸の全土へと混乱の波は広がっていった。



「もちろん難民達の全員が犯罪を行ったわけではありません。

 犯罪に走った者はごく一部です。

 しかし、悪い噂というのは瞬く間に広がるのが世の常とでも言いましょうか?

 国際通信社や新聞などの媒体やギルド経由での話などで難民達の悪い噂を聞いた街や村は自警団を作って難民の進入を阻止し始めました。

 そしてシグマ大帝国に流れ着いた難民の一部が帝都ベルサの地下特区の存在を聞きつけてここに住み着く者が増え始めたんですよ」



 サトゥ所長は文字通り頭を抱えていた。

 もともとこの地下特区は何らかの理由で地下での生活を選択した者が多く、その中には紛争や戦争によって自国での生活がままならなくなって移住した者も多いので、リグレシア皇国の侵略から逃れてきた難民がいずれこの地下特区の噂を聞き付けて移り住んで来ることはサトゥ所長も国際通信社が発行する新聞の国際欄を読んでそれなりに予想はしていた。

 だが…………



「獣人で構成された賊徒達が大集団で来ることは想定外でした……」



 ザハル諸部族同盟国内で活動していた賊徒――――要するに犯罪組織が難民を装って地下特区にやって来たのだという。



「彼らは難民を装って帝都にやって来ました。

 普通であればシグマ側の当局が彼らの出身国であるザハルに身元の照会を行うのですが……」


「既にザハルがリグレシア皇国に占領されている以上、身元の照会ができなかったということですね?」


「はい。 犯罪組織ゆえに彼らは偽造された身分証と旅券証を所持していました。

 当時は彼ら以外にも本物の戦争難民がシグマ大帝国やウィルティア公国に大挙して押し寄せていましたから、チェックも甘かったという側面もあり、彼らは堂々とこの街にやって来ました……」



 ザハル諸部族同盟を半分追われるような形で出てきた彼らはシグマ大帝国を目指してバレット大陸を北上して行った。途中立ち寄った村落を襲い、金品を略奪をしつつ……



「我々は最初彼らが本物の戦争難民と思い、彼らを歓迎しました。

 この地下特区は想像以上に広く、迷惑を掛けなければ誰も干渉はしませんから我々も彼らに対して詮索するようなことはしませんでしたが……」



 異変が生じたのは彼らが地下特区に来てから1週間が経ったくらいだった。地下住民だった妙齢の女性娼婦数名が突如消息を絶ったのだ。



「この地下特区はゾロトン議員のような政治家や資産家、著名人の方々からの寄付の他、修繕費や運営費を地下特区の住民達から少しずつ徴収させていただいて成り立っています。

 もちろん娼婦などの風俗業に就く方々からも僅かですが運営費をいただいており、我々は彼女らに住居やその他のサービスを提供しているのですが、月に一度の健康診断の日に彼女らが来なかったのです」



 自治所は地上のシグマ大帝国の行政による介入を受けないという体裁を保つためにも、さまざまなサービスを住民に提供する代わりに修繕費や運営費を住民達から少額ではあるが徴収している。そして自治所の職員が月に一度の徴収日に居住区を訪れたところ、彼女らが行方不明になっていることが発覚した。



「最初は彼女達が地上に出て行ったものと思っていました。

 地下住民の中には地上の生活に戻りたいと願う者もいます。

 なので地上での働き口なり、地上に住む男性との婚姻が決まって出て行ったものと考えていましたが……」


「違ったのですね?」


「ええ。 それから数日後、彼女達は遺体で発見されました」



 いなくなった娼婦は全部で5人。

 そして見つかった遺体は全部で発見されたという。



「彼女達は全員喰われていました……」



 見つかった3人分の遺体は全てバラバラの遺体として見つかったが、それら全てに鋭い牙で噛み付かれた跡や肉や内臓を刃物で刮ぎ取ったり抜き取った傷跡が残っていた。そして喰い散らかされていた遺体は本来であれば5人分必要な人体のパーツが合わせて3人分しかないという異様な状況に関係者は言いようのない恐怖に襲われたということだ。



「今までも殺人や強盗などの類は何回かありましたが、人間が喰われて捨てられるということは初めての事件です。

 この地下特区には元傭兵や冒険者、軍人出身だった住民や魔導師なども住んでいますが、噂を聞いて我々に協力してくれる者はいなくなりました……」



 地下特区内で事件が起きた場合や地上で罪を犯した者が逃げ込んだ場合、軍や警察の介入を防ぐためにも自治所が中心となって独自に犯罪者の捕縛に向けて動くのだという。その場合、自治所との取り決めによって住民の中でも元傭兵や冒険者、元軍人などの経歴を持つ者が集められて対象者の捕縛を行うのだが、人喰い獣人の集団が相手と知るや否や、彼らは挙って自治所の要請を固辞した。



「ま、今までゴロツキや普通の犯罪者を相手にしていた彼らから見ても人間を食べる獣人というのは気味が悪かったそうで、『魔物や魔獣なら未だしも、人を喰らう獣人の集団なんて洒落にならねえ!』らしく、中には『ここを出て行くことになってでも、そんな狂った奴らなんて相手にしたくない!』と強く言われてしまい、我々としても途方に暮れていたところでして……」



 お手上げと言うように呆れた様子で話すサトゥ所長の態度をアゼレアは冷静に見つめていた。

 後から知ったことだが、この世界には地球に存在する人間を襲うこともある虎や熊、鰐や蛇のような猛獣などの獰猛な動物以外にも『魔物』や『魔獣』などと言われる動物が存在しており、人を好んで自ら進んで襲って喰らう存在は殆んどの場合、これら魔物と魔獣を指すことが多い。


 それに対して魔族や獣人は一部の種族が動物に近い姿をしていたとしても、人間を捕食するということはない。もちろん襲うことはあるかもしれないが、その場合は金銭を狙った強盗や婦女子を標的にした性犯罪など何かしらの犯罪目的であって食料にするためではない。


 そのため魔物や魔獣と同じように人を襲って喰らう……しかも“調理”という過程を経て食べるという外道な所業を行った獣人達はまともな者達から見れば『異常』の一言に尽きるため、近付くどころか視界にも入れたくない存在らしく、地下特区にそういう狂った集団が存在しているという噂を聞いて地下から出て行った住民もいるのだと言う。



「まあ、そういう訳でして。

 その狂った行いをする獣人達をどうにかしようと思い、所長と今後の対策を話し合う為にここに来たのですが、そんな時にちょうど貴方がたを見掛けましてね?

 あの大柄な獣人に対して一歩も引かぬ態度と彼らを亡き者にしたその強さは正直言って感服しました。

 是非、クローチェ少将の持つその力を我々にお貸しいただければと思い、声を掛けさせてもいただいた次第なのですよ」


「そうですか。 

 ゾロトン議員より過分な評価をいただいて有り難く思いますが、私は貴方がたのお願いに応える気は毛頭ありません」



 アゼレアの毅然とした拒否の回答に対して彼らは眉ひとつ動かすことはなかったが、若干焦ったような雰囲気とでも言うのだろうか?少しだけ、彼らの雰囲気に変化があった。



「何故?と聞かせていただいてもよろしいですかな?」


「それでは逆に聞かせていただきたいのですが、貴方がたは今日会った初対面の者から『賊の集団を叩くので協力して欲しい』と言われて『はい。 分かりました』と二つ返事で了承するのですか?」


「…………できませんな」



 ゾロトン議員はアゼレアの質問に対して余裕のある表情を崩さずに淀みなく即答する。

 それを見た彼女はニコっとした顔で正論を放つのだった。



「そういうことです。 ここが魔王領の領土であるのならば国防軍の一員として快く協力しますが、ここはシグマ大帝国の帝都であり、相手は魔王領とは全くの無関係である賊の集団です。

 もちろん私と隣にいる彼が襲われることになれば正当防衛として応戦しますが、かと言って態々彼らの本拠地を積極的に叩くようなことはしません。

 それは貴方がたが責任を持って行うことであって、私達には無関係ですので」


「確かに仰る通りですな。 ふーむ……こういうやり方は一般的に卑怯の誹りを免れないものではありますが……もし我々に協力していただければ、私と所長には貴方達お二人に対して便宜を図る用意があると言えば如何ですかな?」



 アゼレアが口にした正論に対してゾロトン議員は落ち着き払った態度で、ともすれば余裕を持って俺と彼女に対して交換条件を提示してきた。その内容とは?






 ◇






「あの扉の向こうが賊達の本拠地です」



 そう言われて鏡越しに見えるのは地下通路の奥に存在する大きな両開きの扉とその前に立つ獣人が2人。木製の扉は使い込まれ表面がツルツルになって良い感じの雰囲気を醸し出しており、扉だけ見れば何処ぞの教会で使われていてもおかしくない立派な作りだった。


 しかし、その扉の前に立つ獣人達はお世辞にも教会に通っている信心深さは見られない。逆に神罰が下されても不思議ではないくらいに凶悪な雰囲気と威圧感を周囲に振り撒いている。



「あの2人は賊の組織の中でも下級の者らしく、ああやって常に扉の前で立番を行なっています。

 一応、交代で立番を行なっているそうですが、この時間帯は主にあの2人がいつも扉の前に立っていますね。

 ただ、最下級と言っても扉を守る役目を与えられていることからかなりの手練れらしく、以前トラブルを起こした元傭兵の男を返り討ちにしています」



 通常、この手の悪の組織において本拠地の門番や外周警備を行う構成員というのはヤラレ役に徹した雑魚が多いのだが、やはり現実の場合だとそう上手い話というのは無く、彼らは下級構成員でありながらかなり強いらしい。



「向かって左の熊の獣人は人間とは桁違いの腕力で振り回す戦斧が脅威ですし、右の猿の獣人は小柄ですが、身体能力が高くて動きが素早いので接近戦に持ち込まれると、背中に隠し持っている短剣で首を掻っ切られるか心臓をひと突きされてしまうので要注意です」



 サトゥ所長なりの俺とアゼレアに対するアドバイスなのだろう。しかし悪いが、今から始める行為には彼のアドバイスは何の役にも立たない……いや、彼のアドバイスというよりはその話の中に出てきたあの2人が現在進行形で行なっている立番が役に立たないと言ったほうが分かりやすいだろう。



「大丈夫ですよ。 サトゥ所長」


「は? 大丈夫とはどういうことなのでしょうか?」


「それよりももう一度確認しておきますが、この地下特区はあの獣人達が占拠している場所も含めて頑丈に作られているんですよね?」


「え? ええ、そうですよ。

 この地下特区の前身である下水道は先人の職人達が地震災害にも耐えられるようにと、石とレンガとコンクリートをふんだんに使用して作った代物なのである程度の魔力爆発にも耐えられるような構造になっています」



 サトゥ所長から予め聞いていたことだが、この元下水道こと地下特区は存外頑丈に作られているらしく、彼が言うには魔法による爆発にも耐えられるとのことで、最初に自分が危惧していた爆発物による衝撃で地下特区の構造体が崩落する可能性は低いらしい。



「それを聞けて安心しました。 お陰で心置きなくを使えそうです」



 念のためもう一度この地下特区がある頑丈であるという言質を取った俺はストレージからを取り出す。出てきた物体は黄土色に塗装されている2つに分割された金属製の太い筒であった。



「そ、それは……」



 出てきたモノを見てサトゥ所長は瞬時にその正体を悟ったのだろう。頭が兜で覆われているにもかかわらず、彼からは絶句して息を呑む気配を感じ取ることができた。



「コレは使用する際に砲身の後部からバックドラフト……高温のガスが逆噴射してきて砲身の背後に控えていると非常に危険なので、皆さんは一度通路の奥まで退避して下さい」



 そう言いつつ分割されていた2つの筒を接続して固定し、こちらに対して興味深い視線を注いでいる全員に見えるように砲身の後部を指し示して発射時の危険性を伝えてから逆噴射してくるガスが届かない位置にある通路の奥へと退避してもらう。



(着弾したときの爆発でこちらに向かって来る爆風と破片を浴びないよう、発射と同時に俺自身も通路の奥に退避しないとマズイな……)



 砲身の後部から砲弾をゆっくりと慎重に装填し、砲弾の外周に施された溝と固定装置の爪が噛み合って“カチッ!”っという小さい音が耳に届く。長く太い砲身を肩に担ぎ上げ、右手でピストルグリップをしっかりと握り、トリガー前方のハンドガードの内側に格納されてる電気発火レバーを一度引き起こしてから戻して安全装置を解除する。



(本当ならば、コイツを三脚に載せてからトリガーを紐で操る遠隔式で撃ちたいところだが、そんなことをしてると奴らの目の前でしてると怪しまれるから奇襲の効果が薄れるんだもんなぁ……)



 手鏡を通路の角からそっと突き出してタイミングを見計らう。

 こちらから鏡越しに見える向こうの扉まで距離にして約20メートルほどで、途中には何も無い一本道の通路があるだけだ。



(誰もいないな? ……よし!)



 扉の近くに賊の見張り以外の無関係の人間がいないことを確認した俺は、アゼレア達が退避している通路を見て左手で合図を送ってから通路の角から自分の姿を露わにする。



「ん? なんだぁ?」



 太い筒状のモノを担いで通路から出てきた俺を視認した獣人の見張りがこちらに対して訝しむような視線を投げかけてくる。この世界には大砲はあっても肩撃ち式の無反動砲やロケット砲という兵器が存在していない為か俺が肩に担いでいるモノを見ても慌てる様子は見受けられない。


 そしておれは彼らの訝しむ態度に構いことなく両手でしっかりと方針を構え、砲身の左側面に装着されているスコープを覗き込んでレティクルの照準を扉に合わせて発射トリガーを引いた。



(今だっ!!)



 トリガーを引くと同時に電流が配線を伝って砲身後部にある2つの小さな電極へと流れ込み、電気発火によって装薬が撃発して砲弾が発射される。砲身の後部から燃焼した発射ガスが勢い良く噴き出して砲口から砲弾が射出されると地面に反射した生温かい空気がズボンの裾に入ってくる。その直後に砲身が軽くなる感触が右肩に伝わったのを感じ取った俺は即座にソレを地面へと捨てて通路へと逃げるように走って行く。



「うおっ!?」



 通路に入った直後、背後で物凄い爆発音と衝撃を感じとって反射的に目と耳を塞いぎ、しゃがみ込んで背中を丸める。時間にして約2〜3秒ほどだったが、直ぐに立ち上がって再び通路の角から手鏡を突き出して扉を確認する。



「良し! 上手くいった!」



 鏡越しに見える光景に思わずガッツポーズをとり、直後に通路の奥に上手くいったことの合図を出す。それを見たアゼレア達は手に手に己の武器を持ってこちらに向かって来る。



「上手くいったようね? 孝司」


「ああ。 バッチリ!」


「直ぐに連中が出入り口に殺到して来るわよ!

 援護、お願いね?」


「了解!」



 アゼレアの支持に了解の返事をしつつ、通路に投げ捨てていた砲身を回収してストレージに仕舞って肩からに提げていた銃を手に取ってコッキングレバーを引いて離す。AK独特の装填音が響き、腰から銃剣を抜いて着剣して銃を構え、通路から出て行くアゼレア達を援護する態勢を整える。



「おい! 何だ今の音は!?」


「扉が吹き飛んでるぞ!!」


「魔導師の襲撃か!?」



 銃に装着しているホロサイト越しに煙が燻る方向を見据えていると、奥の方から男達の怒号が聞こえ始めた。今回俺が使った武器――――ロシア製の歩兵携帯式の対戦車兵器RPG-29から撃ち出されたサーモバリック弾頭を搭載した砲弾は寸分違わず両開きの扉の中央部に命中して、扉とその左右に立っていた賊の見張りを木っ端微塵に吹っ飛ばした。


 対戦車用のタンデム弾頭搭載の砲弾と違い、一点集中ではなく面で広がる爆風で扉をバラバラに吹き飛ばし、見張りの2人も高速で襲い掛かって来た高温のガスと爆風によって為すすべもなく全身に重度の火傷を負って即死しており、文字通り黒焦げになって通路の地面の上に転がっている。



「おい! 大丈夫……」



 通路に銃声が連続して木霊する。未だに煙が蔓延している出入り口に姿を現した厳つい顔の獣人を視認した直後に銃の引き金を引いてフルオートで射撃を開始。黒焦げで横たわっている仲間の死体に駆け寄ろうとした獣人にロシア製の5.45mm×39ワルシャワパクト弾が襲いかかった。



「ぎゃ……!」



 短い悲鳴をあげて獣人が血塗れになって地面に倒れる。命中した5.45mm弾は獣人の頑丈な頭蓋を撃ち抜き、射出口からグチャグチャに破壊された脳が飛び出した。腹部に命中して肋骨を撃ち砕いた拍子に弾頭部の空洞部分が潰れた状態の銃弾は急速なブレーキが掛かり、弾丸は錐揉み状態で体の中を突き進みつつ内臓や筋肉、神経組織、血管などを引き裂いて破壊し、獣人の体の中で貫通せずに体内で留まる。



「オラァッ! ……ガッ!?」



 通路内にまるで削岩機が岩を砕くような轟音が響く。ブルパップの形状に改造されたロシア製のAK-74M自動小銃からフルオートで撃ち出される軍用ライフル弾は容赦なく獣人達に襲い掛かった。


 剣を抜いてこちらに向かって来ようとした者、物陰に隠れて矢を射ろうとした者、拳銃で撃ち返そうと考えた者などに対して等しく襲い掛かった銃弾は彼らの体の中で癇癪を起こした子供のように暴れ回り、臓器や脳を著しく傷つけて死に至らしめる。


 AK-74Mのボルトキャリアーがフルオートで激しく前後するたびに錆止めのためにラッカー塗装が施された5.45mm弾の空薬莢が発射ガスの燃焼によって発生した煤によって汚れた状態で排莢される。排莢された空薬莢は宙に舞い散ることなく反射板リフレクターに当たって銃の斜め下へと叩きつけるようにして地下通路の地面へと落ちていく。


 合計3本にも及ぶプラム色のベークライト製30連発バナナ型弾倉が空になったときには最早立っている者は存在しておらず、辺りに漂うのは青白い硝煙と異様なまでの静寂だけだった。



「……ふう。 排除完了」


「ご苦労様、孝司」



 銃撃が終わって数十秒、動く者がいないことを確認した俺は排除完了の合図を送る。すると後ろに控えていたアゼレアが俺の左肩をポンポンと優しく叩きながらこちらを労う。



「さてと……ここからは私の出番ね」



 そして彼女は己の腰に吊っている軍刀を抜刀する。魔法と光明苔によって生み出される光によって大日本帝国陸軍九五式軍刀の刀身が輝き、周囲に妖しい殺気を振り撒く。



「フフフッ! 魔導少将に昇進して数十年……本格的な格闘戦は殆ど殺っていなかったけれど、久しぶりに腕がなるわね……!!」



 軍刀を片手に赤金色の瞳を妖しく輝かせるアゼレアの姿は古典的な異世界ファンタジーに出てくる悪役の魔族そのものの雰囲気を醸し出していた。これで頭に角が生えていようものなら、まさにラスボスの魔王といったところだろうか?



「アゼレア、くれぐれも無茶しないようにね?

 ここは地上ではなく、地下なんだから……」


「大丈夫よ、孝司。

 獣人だけで構成された賊の集団など、魔法を使うまでもないわ」



 こちらの心配など気にした風もなくアゼレアは悠然とした足取りで吹き飛ばされた扉の向こうへと入って行く。そして賊のアジトに入る瞬間、彼女は未だチロチロと燃えている出入り口を一瞥するとフウッと吐息を吹きかけた。



「え? 火が消え……る?」



 まるで二酸化炭素を主成分とした消化剤を吹きかけられたかのように燃え残っていた火が突然消える。不思議に思って火が消えたところを観察してみると、火が消えた箇所は冷んやりとした霜が付着していた。



「吸血族の持つ『氷の吐息』ですな」



 ふと横から声が聞こえたのでそちらの方向を見るとゾロトン議員が感心した表情でアゼレアの背中を見送っていた。



「え? あの……ゾロトン議員、今何と仰いましたか?」


「おや、榎本君はご存知ではなかったですか?

 クローチェ少将が先程火を消したのは吸血族が持つ種族特性のひとつである『氷の吐息』という技でしてね。

 文字通り氷のような冷気を伴った吐息で、場合によっては人間くらいであれば一瞬で氷漬けと同じように凍死させることもできる技ですよ」



 『氷の吐息』という初めて聞く言葉を口にしたゾロトン議員に質問をすると彼はこちらの問いに対して丁寧に解説をしてくれた。



「凍死……」


「まあ、『氷の吐息』は本人の意思で自由に使うことができるらしく、普段は普通の人間と同じ温度の息を吐くようなのですが……ご覧の通り、一瞬で火を消せるくらいに強力な冷気を伴った吐息を出せるのは上級魔族であるクローチェ少将の力故でしょうなあ」



 ゾロトン議員の話を聞いていた俺はこれまでアゼレア本人に聞いても笑って流されてい答えてくれなかったことを彼から聞けるかもしれないと思ってひとつの疑問をぶつけてみた。



「その……彼女はそんなに強いんですか?」


「『殲滅魔将』、『鏖殺姫』、『赤目の煉獄』、『災厄の魔族』、『破壊の使者』、『冥界の魔王』他にもいくつかの二つ名があったと思うのですが……私が知っているのはこれだけですね」


「はあ……?」


「もしかして榎本君は何も知らないのですか?」


「いえ、ここに来るまでの途中において彼女の強さは見ました。

 ですが、彼女自身は自分の強さや戦場での活躍は軍機を理由にあまり話さなかったので……」



 確かにアゼレアからは彼女に授けられた二つ名は幾つか聞いたことはある。だが、彼女はときおり自虐的にポツポツと話すだけだったのでゾロトン議員から聞くアゼレアの戦場での話は新鮮だった。



「なるほど。 そういえば榎本君は別の世か……いや、別の大陸から来たからクローチェ少将の噂は知らなくて当然ですね」


「え? ええ、そうですね」


「魔王領国防軍は兵員の数こそ我が国のシグマ大帝国軍には及びませんが、上級魔族を筆頭とした強大な戦力は長耳族が率いるリーフ大森林連合王国軍や魔法戦力が充実しているダルクフール法国軍をも上回っています。

 その魔王領国防軍の中において、クローチェ少将の力は群を抜いていたんですよ」


「お詳しいですね」


「実を言うと私は勅選議員の席に就くより以前、帝国軍近衛師団で魔導連隊を率いていた経験がありましてな。

 軍組織において同じ魔導の道を歩む者にとってクローチェ少将はかなり有名な存在だったのですよ」



 やはりゾロトン議員は元軍人、それも帝国軍のエリート魔導将校だった。大日本帝国の場合、勅選議員の席に着くには国家に対して何かしらの勲功がないと選出されない仕組みであったが、どうやらこの国においても勅選議員という存在は同じらしい。

 だが問題はそこではない。



「その……『だった』というのはどういう意味なのでしょうか?」


「私が軍を退き、勅選議員に選出されてちょうど一年後くらいだったでしょうか?

 ある日突然、国際通信社の号外が配られましてね。

 そこには魔王軍の研究所において爆発事故が発生したことと、その事故によってクローチェ少将が行方不明になったという記事が大々的に掲載されていました」


「…………………………」


「それ以降、魔王領はおろかどの国においてもクローチェ少将を目撃した者は1人もおらず、遂には死亡説が取り沙汰されるようになりました」


「だから『だった』という過去形だったのですね?」


「そうです。 当時はまだ念写や写真技術は発展途上の段階で、クローチェ少将の顔は魔王領以外ではあまり知られていませんでしたし、各国の在魔王領大使館に赴任している大使や駐在武官の中でも素顔を知っている者はほんの一握りでしたからね。

 そしてクローチェ少将ご本人の名前以上に各国に広く知られていたいくつもの恐ろしい二つ名を戴く最強の高位上級魔族が姿を消したという事実は国際通信社やギルドを経て瞬く間にバレット大陸を駆け巡り、各国の軍事的魔法戦力の均衡を揺るがすくらいの衝撃でした……」



 アゼレアが行方不明になって俺と出会うまでに起きていた魔王領の国内外で起きていた影響は彼女と普通に接していた俺にとっては予想以上に深刻な出来事だった。しかし、彼女と寝食を共にしていた俺にとって絶世の美女であることには間違いないが、一介の魔族であるアゼレアが行方不明になるだけで国家間の魔法戦力に均衡を揺るがす存在とは思えなかった。



「それほどのものなのですか? 彼女の強さは?」


「それほどのものなのですよ。

 クローチェ少将の力は魔王を含めた全魔族の頂点に位置し、少将の戦術魔法攻撃によって3つの小国が制圧されて無条件降伏と軍の武装解除に追い込まれています。

 それ以外にも魔王軍の軍事行動……特に少将が指揮を執った作戦行動の過程で滅亡した街や全滅した国軍は1つや2つではありません」


「…………え?」



 ゾロトン議員の口から発せられた内容に思わず俺は間抜けな声を出す。が、彼はそんなことを気にせずに話を進めて行く。



「クローチェ少将が行った魔法攻撃や軍事行動は敵国民や敵軍にとって全く容赦のないものでした。

 私も近衛師団時代に一度だけ後学の為にと、観戦武官としてクローチェ少将が指揮を執っていた戦場に偶然居合わせたことがあるのですが、あまりにも苛烈な攻撃を目にした私を含む各国から派遣されて来ていた観戦武官達は言葉を失っていました……」



 友軍を含め事前警告無しの戦術級攻撃魔法の発動によって敵軍が前線付近に築いていた軍事要塞が地下司令部や後方の補給拠点を含めて文字通り一瞬にして叩き潰されたのを目撃し、ステンは自分の見たものが実は強力な幻覚魔法に冒されたものではないかと何度も疑ったほどだった。


 大気圏外から突如出現した直径約50メートルほどの岩石は惑星『ウル』の引力によって遊星爆弾となって魔王領国防軍及び同盟国軍と対峙していた敵軍の前線要塞の真上に落ちて来た。大気圏内に突入した岩石は途中で分離し、多弾頭の核弾頭のようにいくつかの物体に分かれて要塞、補給拠点、地下司令部へと突入して大爆発を起こして地殻に影響を与え、大きな地震を発生させた。


 哨戒任務に出ていた部隊を残して敵軍はほぼ全滅。そして投降して来た敵軍の残存部隊も徹底的に叩かれて壊滅の憂き目を見ることとなった。



「クローチェ少将がどのような手段でこの街にやって来たのかは知りませんが、生きていることが判れば各国の軍事的魔法戦力の均衡がまた崩れることになるでしょうな。

 そしてそのような力を持つ上級魔族がこの街にいると知れ渡ればこの国は大混乱に陥ることでしょう」



 キロトンではなくメガトン単位での破壊力を持つ戦略級軍用攻撃魔法を行使できる高位上級魔族は重量級のSL潜水艦発射BM弾道ミサイルをフル装備した大型の戦略型原子力潜水艦が人間の姿に化けて街中を歩き回るようなものだ。パニックにならないほうがおかしい。


 

「ステン様」



 とその時、ゾロトン議員の後ろに控えていたマガフさんが彼に声を掛ける。



「どうしたかな? マガフ君」


「はっ! 魔力探知で賊共の本拠地出入口周辺を走査しましたが、生きている者の魔力反応は検知されませんでした」


「目視でも出入口周辺は安全を確認できています」



 己の主人に対して魔法を用いた安全確認を報告するマガフさん。そしてその報告を裏付けるようにメイド姿のアチザリットさんが目視による安全宣言を行う。



「どれどれ、では参りましょうか。 榎本君」


「は、はい」



 マガフさんを先頭にアチザリットさん、ゾロトン議員、俺、サトゥ所長、ソルタム女史の順番で賊の本拠地へと進入する。



「うっ……!?」



 サーモバリック弾頭で粉々に破壊されて破片だけになった扉と射殺された獣人たちの死体を乗り越えて中に入る。自分が作り上げた射殺死体を極力見ないようにしつつ中に入った俺は思わず吐きそうになるのを懸命に堪えることになった。



「……いずれも即死ですね」


「まあ、見れば分かるがね」



 賊の本拠地である室内は凄惨な状況を呈していた。幅約3メートル、高さ約4メートルほどもある通路は思いのほか立派な作りで床には厚い板が敷かれており、壁はモルタルと太い柱で補強されていてここが賊のアジトとは思えないほどだ。


 ゴミひとつ落ちていない通路は床に赤いカーペットでも敷かれていれば何処かの大きな古い屋敷と言われても違和感がない。が、そんな通路の床には悍ましい物体が幾つも横たわっていた。


 首が切断された死体に胸に大きな穴が空いた死体、よく見ると首を失った状態の死体は鋭利な刃物で切断されたものと引き千切られて首がもげているもの、頭部が破裂したり潰されているものなど幾つかの殺害方法に分かれている。



「これは……全部クローチェ少将が殺ったものでしょうか?」


「それ以外に誰が殺るというのかね?

 魔法で透明化した者がいない限り、ここに足を踏み入れたのはクローチェ少将を除けば我々だけだよ」



 アチザリットさんが死体の状態を検めながらゾロトン議員に話しかけると、彼は死体を一瞥して当然といった態度で応える。



「それにしても凄まじいですね……」


「うむ。 上級魔族は魔法だけではなく身体能力も並みの中級魔族を遥かに凌駕し、人間種であれば軽くひねり殺すことが可能だと聞いたことがあるすが、人間種より頑丈な体を持つ大柄な獣人達をここまでの状態にするとは……さすがに凄まじい力だね」


「全ての獣人が一撃で屠られているようですが?」


「私も上級魔族の肉弾戦の痕跡を見るのは初めてだが、これは確かに魔族が危険視されるのも無理はないな」


「よく警保軍や憲兵隊は怪我人だけで済みましたね?」


「アチザリットの言う通りだ。 彼らは運が良かったのだろうな」


「実はアゼレアとは逃げる前に予め話し合っていたんですよ。

 お互いのためにも極力殺しはしないようにしようって……」



 ゾロトン議員とアチザリットさんの会話に割って入るように話すと2人は納得した様子でこちらを見て首肯する。



「なるほど。 そういうことなのですね」


「ええ。

 アゼレアがここまで強いというのは知りませんでしたが、予め話し合っていて良かったと思っています」


「もしかしたら、我々は貴方に救われたのかもしれませんなあ……」


「え? それはどういう……」


「さて、奥ではまだ戦闘が続いているようですよ?

 我々も加勢するとしましょう」



 「どういうことですか?」と尋ねようとしたところ、ゾロトン議員は遮るようにして右手に握っていた魔法杖を構え直してから俺の肩をポンポンと軽く叩いて前へ歩き始める。そしてすぐさま彼前を守るようにマガフさんが徒手格闘の構えで我々の殿を務めて進んで行く。



「あれ? マガフさんは魔法を使うのではないのですか?」


「オレは攻撃魔法は使えんのだ」



 俺が放った疑問に対してマガフさんは意外な答えを口にする。



「え? そうなんですか?

 でもさっき魔力探知とか言ってませんでしたっけ?」


「あー、マガフは魔力探知専門の魔導士なのです。

 ですから彼は普段格闘で相手を倒すのですよ」


「格闘……?」


「魔法使いはそれぞれ得手不得手の魔法術式がありましてな。

 彼が使えるのが偶々魔力探知だったという訳です」



 俺の疑問に対してマガフさんの代わりに答えてくれるゾロトン議員曰く、種族や性別、年齢など問わず魔法使いには得意な魔法と不得意な魔法が存在し、使用できる術式の種類の幅も千差万別らしい。異世界ファンタジーでのお約束で言えばエルフは精霊魔法、聖職者は神聖魔法といった具合に分類されていると思っていたが、元シグマ大帝国軍近衛師団魔導士だったゾロトン議員の話を聞くにどうやらそうではないようだ。



「ゾロトン議員、魔法の得手不得手というのは……『ぎいィィヤぁぁーーーー!!!!』っ!?」



 ゾロトン議員に魔法について聞きたいことを質問しようとした瞬間、通路の奥から金切り声が混じった絶叫が聞こえてきてその音量の大きさに思わず反射的に耳を塞ぐ。



「な、何だ? 今のは……?」


「行きましょう」


「はい!」


 聞こえて来た絶叫に訝しむ俺の背を押して前へと進むように促すゾロトン議員に頷いて俺は銃を構えて通路を進んで行く。マガフさんの魔力探知の魔法によって通路の途中に存在するいくつかの部屋の中を一々確認する必要はなかった。



(コレを全部アゼレアが殺ったというのか……?)



 破壊されている扉、その扉が付いていた部屋の中は燦燦たる有り様だった。壁や床、果ては天井にまで飛び散っている大量の血と粉々になっている家具が戦闘の激しさを物語っていた。そしてそこにあった全ての死体が何らかの方法によって頭部を失うか胸に大きな穴が開けられていた。しかも……



(女性の獣人まで……)



 別の部屋の中には、首を失った女性の死体と壁にもたれてかかって座り込むような姿勢で死んでいる兎耳を持つ女性獣人の死体が見えた。首が繋がったままになっている彼女の胸にはやはり大きな穴が空いており、大量の血が流れ出して床を汚していた。

 


「さすがクローチェ少将ですね。 

『殲滅魔将』の二つ名は伊達ではないようだ。

 賊の家族にも容赦はしないとは……」



 ゾロトン議員が女性獣人の死体を見ながら呟く。しかし彼の表情が変わることはなく、傍から見れば淡々とした表情を保ったままだった。そしてそれは俺以外の全員が彼と同じように特に表情を変化させることなく通路の床に倒れている死体を横目に前へと進んで行く。



「あれは……」



 そして通路を少し進んだところで新たな死体が床に横たわっているのを俺の目が捉える。だが俺の勘違いなのだろうか?横たわっている死体の大きさが心なしか小さい気がしたのだ。



「ステン様!」


「ううむ……」



 彼らも気づいたのだろう。

 アチザリットさんの呼び掛けに対してゾロトン議員は小さく呻いて口を閉ざす。



「あ、ああ、アアァァァ!!」



 通路にうつ伏せで倒れていたのは子供の死体だった。それも日本ならこれから小学校に入学するというくらいに幼い子供の死体だった。



「心臓を一突きですね。 間違いなく即死です」



 ウサギの耳を持つ幼稚園児くらいの女の子の獣人。

 既に彼女は息をすることなく事切れており、ゾロトン議員が遺体の傍に座り込んで状態を検めていた。



「この兎の耳はもしかすると先程倒れていた女性獣人の……」


「娘さんでしょうね。 兎耳や髪の色が一緒です」


「これもアゼレアが?」


「恐らくはそうでしょう」



 倒れていた女の子の遺体は先ほど見た兎耳を持つ女性獣人の娘だった。鋭利な刃物による背中からの刺突は見事に心臓をとらえて胸まで貫通していた。





『抵抗する意思を見せた敵は容赦なく叩き潰す』それが私が戦場で戦う上で決めた信条よ。

 今まで経験して来た戦場では、抵抗するのを止めたと思っていた敵に背を向けた戦友や部下が何人も散って行った……時には保護した筈の子供から背中を滅多刺しにされて亡くなった部下もいたかしら?

 だから抵抗や反抗ではなくても、軍務上の支障になると判断すれば老若男女問わず手に掛けたわね……』





 あの時、自分たちの前に立ちふさがったシグマ大帝国軍憲兵隊の部隊を蹴散らした直後にアゼレアが言っていた台詞セリフが俺の頭の中で再生される。アゼレアはこの本拠地に居る賊達とその関係者全員を生かしておく気は全くないのだ。



(いくらアゼレアが強いとはいえこれは……)



 ハッキリ言ってこれは殲滅ではなく、最早虐殺の様相を呈していた。中には先ほど見た女性獣人のように抵抗らしい抵抗をせずに問答無用で殺されていた死体も幾つかあった。



「榎本君」


「はい?」



 とその時、子供の死体を半ば茫然と眺めていた俺にゾロトン議員が話し掛けてくる。彼の方に向き合うとそこには険しい表情を浮かべながら真剣な眼差しをこちらに注ぐ目が俺を射抜く。



「マガフの魔力探知ではこの先に存在する通路や幾つかの部屋からは微弱な魔力反応さえも全く感知されないそうです」


「はい」


「我々が君とクローチェ少将に便宜を図る見返りに賊徒達の本拠地を潰してもらうという依頼をお願いしましたが、私達は二人にこの依頼をして公開していません。

 むしろ依頼できて良かったと思っています」


「はあ?」


「まあ、賊側に家族がいるとは思いませんでしたが、我々では彼女たちを賊の獣人達と一緒に葬ることは出来なかったでしょうし……そうなれば将来に禍根を残すことになったかもしれません」


「そうですか」


「正直言って君とクローチェ少将に汚れ役を押し付ける形になって非常に申し訳なく思っています。

 ですから我々は自分達が持てる全ての権限と伝手を使って君とクローチェ少将を全力で擁護することを誓います。

 この件が終わったら、安心してメンデルまで辿り着けることを約束しましょう」


「ありがとうございます」


「さ。 行きましょうか」


「はい」



 それは彼なりの謝罪の言葉だったのかもしれないし、ただ単に感謝の表れだったのかもしれない。だが、いずれにしてもこの国の勅撰議員が頭を下げてこちらを擁護してくれると言っているのだからそれに乗らない手はないだろう。



(そうだ。 俺はアゼレアに理解できるとハッキリ言ったんだ。

 なら俺は全力で彼女のことを受け入れて一緒に道を歩く責任がある)



 それが果たして血塗られた道なのかは分からないが、決して平坦ということはないだろう。

 もしかしたら俺自身が今の彼女のように死体の山を築く可能性だってゼロではないのだ。



(まあ、今更か……)



 この世界に武器を持ち込ませてくれとイーシアさんに直談判した時点で遅かれ早かれこうなることは判っている筈だった。



(俺も直ぐに追いつくよ。 アゼレア)



 この先で今も戦っているであろう自分の掛け替えのない存在である女性の元に追いつくべく、俺は銃を構え直して再び前へと歩き出した。

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