第20話 警告

「退くなぁ! ここで退いたら住民が皆殺しになるぞ!?」



 街路に響く怒号。

 それに反応して逃げ腰だった部下達が態勢を整えて盾を構え、その間から銃士隊が小銃を構える。自分も騎乗する軍馬の馬上から拳銃を構えて前方から迫るに照準を合わせる。



「うぅ……!」



 乳製品と卵と魚が腐ったような言い様のない独特の腐臭が鼻腔を刺激し、思わず酸っぱいものが胃から逆流して口と鼻から外へ出て行きそうになるのを必死に我慢する。それは部下達も同じだったらしく、我慢できなくなったのか小銃や盾を構えたまま地面に吐瀉物を吐き出している者もいたが、誰一人としてその行為を咎める者はいない。



てぇー!!」

 


 射撃開始の号令と共に自分の持つ拳銃を含めた複数丁の銃から弾丸が発射される。撃ち出された銃弾は狙いを違わず飛翔し、目標に命中して身体の奥深くに突き刺さるが、は何も無かったかのように平然とこちらに向かって近付いて来る。



「報告! 各員、小銃の弾薬が底を尽きかけています!

 部隊の兵員半数以上の残弾は残り僅かです!」


「くっ……まだ弾が残っている者は装填して各個に射撃を続行!!

 それ以外の者は着剣せよ! 各員、突撃用ぉー意っ!!」



 部下から小銃の弾丸が尽きかけているという悲痛な報告が入り、ミゲルは悔しそうに前方を睨み付けるがソレは彼の気持ちなど知ったことかとばかりに近付いて来る。射撃音に混じって小銃に銃剣を着剣する金属音が響き、部下達は上官からの指示に対して緊張の余り体が僅かに震えていた。


 その様子を見ていたミゲルは視線を空へと向ける。上空に展開していた空中騎兵達は地上から空へと撃ち上げられているよって次々と撃墜されて地上へと叩き落とされていく。白い一筋の煙の尾を引きながら、もの凄い速度で飛翔する正体不明の何かは回避運動を行う天馬ペガサス達を嘲笑うかのように飛行し、まるで意思を持つかの如く彼らに追い縋ろうとする。


 そして遂に空飛ぶ何かは天馬に追いつくと騎乗している空中騎兵ごと巻添えにして自爆した。空に一瞬だけ赤い炎が見えたかと思うと黒い煙が発生し、次いで爆発音が遅れて聞こえてきたことにミゲルは航空支援が絶望的であるという非情な現実を嫌でも思い知らされ、思わずここから逃げ出したい衝動に襲われる。



「中佐殿!!

 第二大隊は南に移動している敵に対応するため、こちらに増援を送ることは不可能とのことです!」


「くそ! 付近に警保軍か憲兵隊の部隊は居るか!?」


「警保軍も憲兵隊も増加し続ける敵の対応で手一杯です!

 帝都内に展開している各軍の部隊は防衛のため、こちらに応援を回す余裕は全くないとのこと!」



 次々に入る絶望的な報告にミゲルは耳を塞いでこのまま聞かなかったことにしておきたかったが、それは向こうの者達も同じだと思い、彼はこの場を独力で死守する覚悟を決めた。


 

「…………銃士隊以外の者は抜剣!」


「中佐殿、相手は動く死体ですよ!?

 突撃は玉砕以外の何物でもありません!」


「そうであったとしてもだ!

 我々がここを退けば、後ろにいる住民達を誰が守るというのだ!?」



 自分たちの背後には未だ避難を続ける住民達の姿があった。偶々居合わせた魔導師や冒険者達が独自に自衛戦闘を行いながら、我々に代わって非戦闘員の避難誘導を買って出てくれたのはこの地獄のような状況下で唯一の救いであった。お陰で自分達は心置き無く目の前に迫り来る動く死体の群れに対応出来ていたが、いかんせん数が多過ぎる。


 目前に迫る動く死体――――霊園の土の中にて穏やかに眠っていた者達は突然強制的に叩き起こされたことに対して、まるで怒り狂ったかの如く生きる者達へ牙を剥いていた。





――――動く死体リビングデッド





 それは魔法によって死者の国から適当な壊れた魂を死体に移すことで活動を開始する絶対に救われることのない呪われた死者の軍団である。魔族――――特に吸血族が得意とする反転魂魄魔法、いわゆる反魂魔法を用いて完成されるこの術式はかつて魔族とそれ以外の種族達とが争っていた大昔の時代に使用されていたという古い魔法であり、現在は医療魔法に応用されて人体の欠損部位を補い治療する目的で細々と研究が続けられている。

 

 が、大昔は魔族側が不足する兵員の数を補うために敵軍、ときには自軍から出た戦死者達の遺体を活用して即席の兵士にするためのある種の生物兵器として用いられていた外道の魔法術式である。自軍の将兵や民の死体さえも利用するというその余りの外道な手法故に現在は医療魔法以外で使用することを魔族側の規制によって禁止されている呪われた魔法でもあった。


 だが、その憎むべき魔法がここシグマ大帝国の帝都ベルサで現在進行形で大々的に使用されていた。帝都東区の城門から少し離れた場所にある共同墓地や貴族霊園にて大規模な術式魔力反応を国土省の魔力計が感知し、国土省からの通報により付近を巡回中だった治安警察軍の兵士らが現場に急行して目撃した光景は霊園の土の中から次々と湧き出てくる動く死体の群れであった。


 事態を本部に報告した兵士達は瞬く間に向かって来た動く死体の群れに飲み込まれてしまい、成す術もなく殉職した彼らの遺体に対して自動的に発動した術式によって死体が動き始め、新たな動く死体へと仲間入りした。動く死体の軍団は封鎖が遅れた城門を突破して帝都内に侵入、帝都の各所で住民達を襲いつつ治安部隊や魔導師、冒険者らと衝突する。


 しかし、数で勝る動く死体の群れは市街地を蹂躙して倒れた者達が死者達の参列へ新たに加わっていくため、時間を追う毎に生きている側は次第に劣勢になっていった。そしてそれは未だ抵抗を続ける者に非情な現実を知らしめる結果になる。



「ま、まさか……そ、そんな!?」


「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁーーーっ!!」


「嫌ぁーー!? あなたぁーーーーっ!!」



 街路に悲痛な叫びが木霊した。

 避難民や将兵の間に動揺が走り、彼らは自分たちに降りかかる不幸に慟哭する。彼らが見たのは、動く死体となって自分達に向かって来る大事な人々の姿だった。


 職場の仲の良い同僚や家族、恋人、恩師……彼らにとって掛け替えのない人々が醜い呪われた姿となって生者の前に現れる。既に故人となって墓の下に眠っていた姿を見た者はまだマシだったろう。しかし、明らかについ数刻前まで確かに生きていた大切な人が呪われた動く死体の軍団の一員となって自分に迫って来る光景を見た者達の動揺は如何程のものか想像を絶する。



「あああーーー!! 嘘だあー! そんなの嘘だぁーー!!」


「あなた私よ? お願いだから、正気に戻ってぇーー!!」


「私の娘が! 何で私の娘がぁぁーー!?」



 完全に白骨化した死体、本来ならば人目に付かずひっそりと墓の下で腐敗して土に還っていく筈の死体、つい先程まで生きていたであろう血を流している死体、治安部隊に攻撃されて著しく損壊してなお動き続ける死体等々その悍ましい光景は筆舌に尽くしがたい。



「ぎゃあああぁぁぁーーー!!!」



 耳をつんざくような断末魔が響き、絶叫が聞こえて来た方向を見ると避難民を誘導してくれていた妙齢の女性魔導師に動く死体が群がっており、血だらけの足が群がっている動く死体の間から見えていて“ビクンッ! ビクンッ!”と痙攣していた。


 おおよそ人間が出せるものとは思えない絶叫。そしていったい身体の何処に入っていたのかと思うほどの大量の血液が流れ出して街路の石畳を真っ赤に染める。肉を引き千切って咀嚼する音、ボリボリと骨を噛み砕く音が女性魔導師の断末魔に混じって耳に届き、ミゲルは耳を塞ぎたい衝動に駆られるが、部下の士気を保つためにも目を背け、女性魔導師の冥福を祈ることしかできなかった。



「何ということだっ!」



 しかしそれも恐怖に取って代わる。女性魔導師が亡くなって動かなくなったことで興味を失った動く死体達は次々とその場を離れて次のを探し始める。そしてそこには身体の各所を著しく損壊し、食い千切られた死体が残るが、直ぐに変化が現れた。


 女性魔導師の死体が横たわっている地面に突如、赤く光る幾何学模様の魔法陣が現れたのだ。血よりも赤く毒々しい色の魔法陣が一際強く輝くと、女性魔導師の死体が震え始めて痙攣が一層強くなるとおもむろに死体が起き上がる。


 先程まで避難民の誘導と戦闘で傷付いた将兵達を治癒魔法で手当てをしてくれていた、何処か憂いを含んだ優しい眼差しが魅力的な女性魔導師の姿はもはや何処にもなかった。そこにあるのは冥界に行くこともできず、この世を呪われた姿となって動く醜い有様となった死体であった。



「ひッ…………!?」



 その動く死体となった女性魔導師だった何かと目が合う。左目がくり抜かれているために目が合ったのは右目だけだったが、その落ち窪んで血を流し続ける暗い眼窩をまともに見てしまったミゲルは思わず悲鳴を上げそうになる。しかし、その直後に視界が暗転して今まで見ていた光景が消失し、次に目に飛び込んできたのは地獄の世界ではなく、見慣れた帝都の平和そのものと言える穏やかな街並みであった。



「え? い、いったい、何が…………」



 「あった?」と言いかけたところでぼやーっとしていた意識が次第に覚醒していき、あの地獄のような光景を見る直前にこの目で見ていたものを思い出す。そして周囲を見渡すと自分だけではなく、部下達もミゲルと同じ反応を示していた。



「中佐殿、今のは……?」


「…………判らん。 夢? 白昼夢?

 いや、それとも幻覚魔法の類い……なのか?」



 治安警察軍・中央統括長であるミゲル・エルマンは自分の瞼を起き抜けのときのように擦りつつ周囲を見渡すが、見えるのは平和な街並みと部下達と通行人だけだった。



(あの地獄の光景はいったい何だったのだ?

 夢や妄想などとは到底思えないほどに現実味があった……)



 そう思いつつ彼は自分の手を見つめ、次いで深呼吸をする。先程まで己の鼻腔を満たしていた強烈な血と肉が腐った不快極まる臭い――――死臭屍臭がまだ鼻の中に残っているような気がした。



「ところで何故私は馬を下馬してここに来ているのだ?」



 やがてミゲルは何かを思い出したように傍にいた部下に対し、自分が何故部隊の先頭まで来ていたのかということに対して質問する。自分がここへ呼ばれたのか一向に思い出せずにいたミゲルは部下から納得出来る答えが返ってくると思っていたのだが、彼から質問を受けた部下は訳がわからないっといった表情になっていた。



「は、はぁ? えっとぉ……何故でしょう? 私にも分かりません……」


「確か貴官に呼ばれて先頭まで来たと思ったのだが?」


「はい。 確かに中佐殿の仰る通りです。

 本官も中佐をこちらへお呼びしたのは覚えているのですが、その理由を思い出せないのであります」


「どういうことだ? それにあの悍ましい映像は……?

 貴官は私をここに呼んだ直後、何か見たかね?」


「はっ。 その、何と言えばよいのか、動く死体の集団にこの帝都が蹂躙される夢であります」


「やはり貴官もを見たのか?」



 同じだ。

 彼が見た地獄の光景が自分の見たものと同じものなのかは分からないが、動く死体リビングデッドの集団に帝都が襲われているというのは共通している。



「うーむ……諸君らの中で動く死体の群れに帝都が襲われている夢や幻覚を見たものはいるか!?」



 ミゲルは背後に振り向いて控えている部下や兵達へ問い質す。すると部隊の最後方へ退がらせた筈のデイビットまでもを含めた全員が自分とほぼ同じ内容の夢または幻覚を見たのだという。たった一人の例外を除いて……



「あ、あの!

 実は先程、我々大隊の進路上に立っていた人物からこのようなものを預かったのですが……」



 ミゲルの問いかけに対して名乗り出たのは若い兵士だった。見たところ未だ二十代そこそこといったところだろうか?ハキハキとした返事に綺麗に洗濯された軍服が眩しく、自分にもこういう時代があったことを思い出してミゲルは思わず笑顔になりそうになるのを必死に抑える。



「君の名は。」


「はっ! 中央第二連隊・第一大隊所属のウィーゼル伍長であります」


「ウィーゼル伍長、我々の進路上に立っていた人物とは誰なのだね?」


「はっ! 背の高い薄紫色の髪に赤金色の目を持つ灰色の軍服を着用した長身の女性であります。

 もう一人は女性より若干背が低い黒髪黒目の物腰が低い男性で、女性は自分を魔王領国防軍の所属であると話し、男性はギルド所属の冒険者だということでした。

 また、女性は剣を帯剣し、男性は銃らしき武器を携帯しているのを見ました!」

 

「…………進路上に立っていたということは、私はその二人の男女をの姿を目撃している筈なのだが、彼らを見た記憶がないのだ。

 伍長、私は彼らを見て何か言っていたかね?」



 冒険者の男の方はミゲルの記憶にもあるタカシエノモトという人物だろう。そして灰色の軍服を着た背の高い女は事前に報告があった警保軍と憲兵隊を蹴散らした魔族軍人というのも分かる。どちらも事前に情報省から来たデイビット・テイザー情報官から教えられた身体的特徴に合致している。



「はい。

 自分は部隊の先頭にいましたが、こちらに来られた中佐殿は二人を見たときに『なんと』とお声を発していました」


「そのあとは?」


「はっ。

 中佐殿は二人を見て『なんと』とお声を発して驚いた様子でありましたが、中佐殿を含む部隊員全員が直後に直立したまま動かなくなりました」


「その直立していた時間はどれくらい経過していたか判るかね?」


「時間にしておおよそですが、約十分程だったかと思われます」


「ではその間、二人に動きは?」


「二人の男女は自分のところまで歩いて来て、こちらの紙を自分に渡した後で部隊の横を通り過ぎて行きました。 その際に女性は『自分達を捕まえようとしたら、先程まで見ていた光景を現実のものとして帝都で再現する』と言っていたのですが、自分には訳が分かりませんでした……」



 そう言ってウィーゼルは訝しげな表情のままミゲルに軍服の女性から渡されたという紙を彼に手渡す。紙には二つの言葉が書かれており、それを一瞥したデイビットは何かに引っ掛かったのか、腕を組んで思案顔になっていたが直ぐに驚愕の表情に変わる。



「共同墓地に貴族霊園? ま……まさか!?

 軍曹、至急本部に連絡して国土省に共同墓地と貴族霊園の魔力反応の有無を調べさせるんだ!

 急げぇー!!」


「はっ!」


「中佐殿?」



 いきなり恐怖に慄く顔で指示を出し始めた己の直属の上官より遥かに上、ウィーゼルから見たら雲の上の存在にも等しい中佐殿が慌てているのを訳がわからないと言った感じで見ている彼に向き合ったミゲルは傍らにいた大尉に声を掛ける。



「大尉!

 貴官と数名で伍長から彼が接触したという男女のことを詳しく聞き取って私と本部に報告を!」


「はっ! 了解しました!」


「少佐、貴官は上空に上がっている空中騎兵に連絡して伍長が言っていた特徴と合致する男女を空から捜索するように指示を出せ!」


「了解しました! 中佐殿」



 ミゲルの指示を受けた大尉と少佐は己に割り振られたそれぞれの役割を果たそうと動き出す。大尉は自分の部下と共にウィーゼル伍長を伴って部隊の後方に下がり、少佐は通信兵から伝送器の受話器を受け取って上空に展開する空中騎兵と連絡を取り始める。



(もし私の勘が正しいのなら、共同墓地と貴族霊園は今頃……!)



 自分達が見たあの地獄の光景は警告だ。恐らく我々にあの幻覚を見せたのは十中八九、例の女魔族で間違いないだろう。自分達を見逃さないと帝都を文字通りの地獄に変えるという脅しなのだ。そして、その脅しは我々治安警察軍だけに向けたものではなく、この街の全ての治安組織に向けてた本気の警告に違いない……


 国土省は帝都だけではなく、国内の主要な街や政府機関などの重要防護施設の周辺に魔力計を敷設している。魔力計は掌とほぼ同じ大きさで見た目は路傍の石そっくりなため、石畳などに埋め込まれたりするなどして偽装されており、帝都ならば国土省本省、それ以外の街ならば当該地区の国土省の事務所が二四時間体態勢で魔力計から送られてくる計測数値の変化を常に監視しているのだが、 魔力計の役割は大規模魔法事故の発生を素早く感知する以外にもう一つ目的があった。


 それは大規模魔法攻撃に対する素早い対応と攻撃発動地点の検出である。特に国家にとっては後者に対する目的が大きく、大規模魔法攻撃の初期発動予兆を事前に発見することは治安機関とって急務だ。そのため、国土省は事前に実験や祭事など発動許可の申請があったもの以外で大規模魔法の反応を感知すると治安機関へ通報することがシグマ大帝国では法律で義務付けられている。


 やがて一人の兵が焦った様子でミゲルの下まで駆けて来た。彼は先程、ミゲルの指示で治安警察軍本部に共同墓地と貴族霊園の魔力反応の有無を問い合わせるように指示を受けた軍曹だった。



「報告! 本部より国土省へ問い合わせたところ、共同墓地と貴族霊園の二ヶ所で大規模魔法発動に使用するためと思われる巨大な魔法陣が発見されたとのこと! 現在、国土省の魔導士が当該区域の魔法陣の解除と解析を行うために出動し、我々治安警察軍にも現場周辺を封鎖するための出動要請が入っているとの返答がありました!」


「何ということだ……」



 ミゲルの勘は見事に的中し、この後本部から更に続報が入る。

 共同墓地と貴族霊園の二ヶ所に敷設されていた魔法陣の種類は『反魂魔法』と判明。墓地そのものを覆うほどに巨大な魔法陣はご丁寧にも魔力計に反応したり人目に付かないように低出力の不可視状態で敷設されていたということだ。


 この魔法陣を国土省の魔導士が調査したところ、魔力の強さは上級魔族の中でも更に上位の魔力を持つ高位上級魔族級であり、魔法陣は術者による遠隔操作でいつでも発動可能な状態にあり、しかも一定時間を経過すると自動的に発動する時限式であったという。


 因みに通報を受けて現場に駆け付けた国土省、情報省、治安警察軍、警保軍、帝国軍憲兵隊それぞれの組織に所属する仕掛けトラップ型魔法陣解体専門の魔導士達が魔法陣の解体に挑もうとしたが、魔導回路が複雑過ぎる上に下手に魔力を流し込むとそれだけで反魂魔法の術式が反応し、発動してしまう危険性が非常に高かったために解体を断念したという。



「至急、グスタフ本部長に繋げ! 直接だ!」



 ミゲルは伝送器を介して治安警察軍本部長であるアルフレッドと直接秘匿通話を行い、今後の方針を決める。それはタカシエノモトと今のところ正体不明である魔族軍人の地上部隊による捜索と追跡を断念することだ。


 相手は人間種の軍隊程度なら簡単に蹴散らすことができる上級魔族とあらゆる魔法防護を破壊できる連射可能な銃器だ。とてもではないが、危険過ぎる上に問題はそれだけではない。帝都に住む者達全てが人質に取られているような状況にある。


 

(反魂魔法とは考えたものだ……)



 これが破壊力だけの攻撃魔法であれば対処のしようがあっただろう。治安警察軍を始めとした各機関には優秀な魔導士や士官が揃っているし、ギルド所属の魔導師を含めればかなりの戦力になる。人海戦術で見れば相手が上級魔族であったとしても数で圧倒することは不可能ではない。


 だが、ミゲル達が見たあの幻覚に写っていた動く死体の群れは対処のしようがないのが実情だ。しかも、死亡した者が新たにあの呪われた死者の軍団に仲間入りしてしまうとあれば、被害はどこまで拡大するかは判らない上に動く死体の群れを生み出した大元の上級魔族やあらゆる魔法防護を撃ち破る銃までもが戦闘に加わってくるとなれば想像するのも恐ろしい……



(下手をすれば皇城までもが……!)



 皇帝陛下ら皇族の方々が住まう皇城が死者の軍団に囲まれて蹂躙される様を想像してミゲルは思わず身震いする。もちろん皇族の全てがあの皇城に住んでいるわけではないが、仮に皇帝陛下夫妻が崩御して動く死体の仲間入りをしたとあればシグマ大帝国は国体の維持が難しくなり、国家は崩壊するだろう。


 シグマ大帝国の国土は広大であり、中にはメンデルのようにまるで別の国のような状態になっている街も一つや二つではない。大帝国が国家崩壊の兆しを見せれば周辺国はここぞとばかりに治安維持を名目に軍を出し、なし崩し的に自国土を広げようとする可能性がある。


 まあ、シグマ大帝国の防衛態勢が周辺国から攻められるだけで揺らぐことはないが、内側……特に独立を宣言した各都市を相手にした場合はまた別だ。これに動く死体の群れが加わればシグマ大帝国は消滅し、各地方は細切れのように分裂することだろう。それだけは防がなければならない。


 

(本部長には大変申し訳ないが、ここは一肌脱いで貰わねばならないか……)



 この後、治安警察軍本部長アルフレッド・グスタフ将軍はミゲルから連絡のあった内容を急遽召集された皇城での国家安全保障会議に報告。国家安全保障会議を通じて宰相より上奏された報告内容を見た皇帝は事態を憂慮し、各機関に対して帝都内の警戒を厳にしつつ、帝都臣民の生命と財産の保全を最優先にすること。例の男女二人組の実働部隊による大々的な追跡は行わず、空と私服捜査員による秘密裏の追跡と監視に留めるようにとの通達が各機関の大臣・長官・将軍らに下された。


 そして余談ではあるが、共同墓地と貴族霊園には帝都中から魔法関係者が国籍や所属の関係なく集まることとなる。目的は敷設されている魔法陣だ。低出力で不可視の状態で敷設されていたとはいえ、高位上級魔族が設置したと言われる魔法陣に興味を抱かない魔法関係者はおらず、魔法陣を一目見ようと大勢の魔法使いやその見習い達が挙って集まり現場周辺はお祭り状態となる。


 魔法使い達は一般の役人や職人達とは違い、独自の連絡網や横の繋がりを持つ者が多く、国土省から派遣された魔導士が敷設されている魔法陣の特徴と構造を国土省本省へ伝えると本省勤務の魔導士を通じてあっという間に内容が拡散したのだ。


 しかも敷設されたのが通常の攻撃魔法ではなく、魔族によって医療行為以外での使用が禁じられている反魂魔法であり、それも本来の使用目的に沿って『動く死体の群れ』を作り出すために敷設されたものとあれば千載一遇の機会と捉える者は少なくなかった。


 そして魔法陣は遠隔敷設による時限発動式であり、その術式は芸術とも言える魔導回路が組まれている上に作成者は人間種国家ではまず見掛けることができない高位上級魔族であるという噂が広まり、一時間も経たないうちに現場周辺は黒山の人集りとなる。



「これ、術式が発動したら大惨事だろう?」



 いつ発動するかも分からない魔法陣の周囲で観測用術式やら記録用術式を展開してホクホク顔で不可視の魔法陣を独自の方法で可視化して見つめる魔法使いやその弟子達とそれらの光景を呆れた様子で見ている現場を警備する治安警察軍の将兵達。


 上官であるミゲル・エルマン中央統括長から報告のあった地獄の光景を聞いていた彼らもまた、この場で蘇った呪われた死者の軍団と集まっている魔法使い達の激突と蹂躙を想像して背中に悪寒が走り、人知れず身震いするのであった。






 ◇






「誰も追って来ないね」


「ええ。 そうね」



 俺の問い掛けに前を歩くアゼレアが頷いて後ろを見るが、誰一人としてこちらを尾行している者はいない。しかし、代わりにすれ違う人々は例外なく性別に関わらずアゼレアの容姿に驚いて二度見三度見している。まあ仕方がないのかもしれない。


 赤金色の瞳に薄紫色の髪という非常に珍しい身体的特徴に加えて180センチという長身とその美貌が目を惹く上に、ナチス政権下にあったドイツ保安警察の制服そのものと言えるフィールドグレーのカッチリとした開襟制服とケピ帽が一層の注目を集めている。しかも、彼女の持つ凜とした雰囲気が制服にマッチし過ぎて凄く格好良く、注目をするなと言うのが無理な話なのだ



(通行人が黙ってこっちを見ているのも気になるけれど、それ以上に気になるのがなんだよなあ……)



 上空には相変わらず治安警察軍の空中騎兵が飛び回っており、こちらが進む方向に沿って哨戒飛行を行っているが、アゼレアは俺が上空を心配しているのに対して「放っておきましょう」と言って気にも留めていない。



「やっぱり、アゼレアの考えが上手くいったのかな?」


「だと思うわよ。 こう言っては何だけれど、たかだか一人二人の冒険者と帝都中の人間の命が天秤にかけられたら、政府の人間は後者を取るのが普通だもの」


「まあ確かに。

 でも、ここまでで誰も追って来ないのはアゼレアが連中に見せたあのエゲツない脅しが多分に効いてる証拠だと思うけどねぇ?」



 あの地獄の映像は治安警察軍の兵士達だけではなく自分も興味本位で見ていたのだが、ゾンビ映画やハードなホラー映画を見慣れていない人であれば吐きそうになるほど生々しい光景が繰り広げられていた。しかもアゼレアの作り出した幻覚は視覚だけではなく、五感全てに影響を及ぼす代物で、匂いや音はもちろん空気の澱みも実感できるほど非常にリアリティ溢れる幻覚映像に仕上がっていた。



「エゲツないとは失礼ね。 一番効果的な方法を選択したのに」


「いやいや、別に非難している訳じゃないよ。 

 むしろそのお陰で追ってが来なくなったんんだから、とってもありがたいと思っているんだから!」



 エゲツないという表現に対して少し怒ったように抗議するアゼレアに対して俺は彼女に対して慌てて弁明するが、その様子を見ていたアゼレアはクスリと笑って礼を言う。



「ふふっ。 ありがとう」


「と、ところでどうするの?

 列車が発車する日までまだ3日もあるけど、どこか安全に潜伏できる場所を探さないと」



 一瞬だけ見せた少女のような笑みに思わずドキリとしたことを悟られないように俺は慌てて話題を変える。駅で購入した乗車券の列車の発車日時は今日から3日後の3月22日の午後13時。それまでの間、何処かに身を隠しておかなければいけない。


 はっきり言って生まれて初めての異世界の街を訪れた俺にとってこの帝都ベルサという街の土地勘は無いに等しい。この街に来て1ヶ月以上が経過しているが、宿泊していた宿とギルドの周辺以外は殆ど探索していないのだ。



「一応……と言うかちょっと思い当たる場所があるのだけれど、先ずはそこに向かいましょう。

 私の記憶違いでなければ、ここからはそう遠くはない筈よ?」


「分かった。 じゃあ、そこに行こう」



 アゼレアの返答を聞いて行く当てが無い俺は素直に彼女の提案を受け入れて了承し、スタスタと歩いて行く彼女を追って歩いて行った。






 ◇






「着いたわ。 ここよ」


「ここは?」



 帝都の瀟洒でありながらどこか落ち着いた雰囲気だった街の様相はガラリと変化し、代わりに周囲に満ちているのは少々雑多な雰囲気を思わせる建物が密集している場所に俺とアゼレアは立っていた。



「ふむ。

 昔来たときよりもごちゃごちゃした雰囲気になっているわね?」


「昔って……アゼレアは以前ここに来たことがあるの?」


「ええ。

 百六十年以上前だけれど、私がまだ魔導少佐だった頃はまだこの帝都に魔王領の大使館があったの。

 新しく着任する大使が帝都ベルサの大使館に向かうまでの道中、身辺警護の任務で一度だけ帝都を訪れたのよ。

 で、本国に帰還する前のほんの少しの時間の間、帝都の街中を散策している途中でを見つけたの」



 そう言ってアゼレアが見つめる先にあるのは路地の奥にぽっかりと空いた『穴』だった。


 いや、穴というよりはトンネルと言ったほうが適当だろう。今立っているところからちょうど下り坂になっている路地の先にあるトンネルは左右の壁と天井が石と煉瓦で補強されており、日本の古い鉄道用トンネルを彷彿とさせる作りで、高さは3メートル以上、横幅は4メートルほどあるだろうか?



「百六十年前の話になるけれど、当時はまだ冷蔵技術や冷蔵に用いる魔道具がそこまで発達していなくて人間種の国では民家や屋敷の地下に穴を掘ってそこに食糧などを保存していたらしいわ。もちろんここ帝都ベルサも例外ではなくて、古い作りの民家や屋敷だと、今も当時掘られていた地下室がそのまま残っているんじゃないかしら?」


「はあ?」


「それら地下室とは別に当時よりかなり以前……二百年以上前から各都市の川に住宅街から出る生活用水や糞尿がそのまま垂れ流されて河川や河口の汚染がどんどん進んでいたのだけれど、衛生面から見てそれは絶対に良くないわ」


「まあ確かにそうだね」


「それで下水道が急速に整備されていったのだけれど、ここがシグマ大帝国の帝都として定められて発展するより以前に作られていた古い街の下水道が新しく整備された下水道に取って代わって役目を終えて放置されていたらしいのね?」


「それで活用されなくなって長い間放置されていた下水道と使われなくなっていた住宅街の地下室に住み着く者が現れたと?」


「察しが良いわね。 まさに孝司の言う通りよ」


「そこまで言われれば大体の察しはつくよ」


「それもそうね。 でも、この話には続きがあるの。

 こういった空間を放置すれば住み着く者は必ず現れるわ。

 戦争や災害、火災などの止むに止まれぬ事情で住む家を失った者や後ろ暗いことを生業とする裏社会の者達や多重債務者に失業者、浮浪者、孤児などなど……表の世界で生きていけなくなったもしくは生きていくのが辛くなった人々がこういった地下や遺跡、砦や城塞跡に住み着くのは珍しくないと言っても過言ではないわね」


「まあね……」



 地球でもアメリカのニューヨークやラスベガスの地下鉄や地下用水路に浮浪者や失業者が住み着いているような事例が世界各国に沢山あるのだ。異世界でも同じようなことが無いと言い切れようか?



(まあ、異世界ファンタジーの物語でも迷宮やダンジョンの中に魔物とかだけではなく人間が住んでいる描写があったりするし、おかしくはないけれど……)



 ただ、これは……



「ねえ、アゼレア?

 当時も穴の出入り口周辺はこんな風に雑多で賑やかな感じだったの?」


「……実を言うと私も結構驚いているのよ。

 人間種は寿命が私達魔族や長耳族より遥かに短いのに、街や村が発展する速度は物凄く早いのよねぇ……」



 そう。

 先程雑多な雰囲気を持つ建物が密集していると述べたが、実はそれだけではなく穴の周囲は賑やかで人通りが非常に多く、通路の左右には何軒か出店が存在しており、しかも穴を出入りする者達の人数もここから見るだけでもかなり多いのだ。



「あの穴を出入りしてる人達って、やっぱりあそこの住人なのかな?」


「判らないわ。 百六十年前、ここに来たときは出入りするの人間の数は片手で数えるほどしかいなかったのに、今はみんな当たり前のように出入りしているわね……」



 そりゃあ160年も昔だったら今とは全く別の環境だっただろう。日本だって第二次世界大戦からまだ100年経っていないのだ。それよりも長い期間であれば人口密集地の中に存在するここの環境が変化していないほうが逆におかしい。



(人間とほぼ変わらない容姿をしているのに時間の捉え方はやっぱり魔族なんだなぁ……)



 角や羽、尻尾などの如何にも魔族というようなパーツを備えていないアゼレアは目と髪の色と絶世の美女という点を除けば長身の女性なためつい忘れがちになるが、彼女は250年近くもの時を生きる上級魔族なのだ。


 人間としてみ見れば彼女はピチピチの肌を保つ20代前半の女性の外見ではあるが、中身は人間以上に長命な種族であり、恐らくこの国の人間種の誰よりも長く時を生きている存在だろう。そのため人間と彼女の時間の捉え方に差異ができるのは仕方がないにしろ、160年という年月の経過は大きい。


 逆に俺はあのトンネルの存在が今尚健在であることに対して驚きを隠せないでいた。アゼレアの説明を聞くに160年前にここを彼女が訪れるより以前からあのトンネルは存在していることになるのだ。普通であればトンネルの出入り口が崩落したり、地上部分が陥没して構内の何処かが潰れたりしているものだが、これだけ多くの人々が出入りしているところを見ると問題はないのだろう。



「うーむ……あ、ちょっといいですか?」


「え? オレ? 何か用かい?」



 ちょうどトンネルから出てきて路地の坂道をこちらに向かって登って来ていた人の良さそうな男性に声を掛ける。見たところ20代後半だろうか?短く刈り上げた銀髪にそこそこ鍛え上げられた体、そして爽やかな印象を与えるイケメン顔は男女共にウケが良さそうな雰囲気を醸し出している。



「ちょっとあの穴のことで聞きたいことがあるんですが?」


「穴? ああ、『地下特区』のことかい?」


「地下特区?」


「何だ? あんた、この街の人間じゃないのか?」



 聞き慣れない言葉に首を傾げていると、男性は俺の仕草で地元の人間ではないと判断したらしく、少しだけ警戒感を露わにした。



「ええ、お恥ずかしながら……もし良ければ、その地下特区のことを教えて貰えませんか?

 もちろん、お手間は取らせませんので」



 そう言いつつ彼の手を取り、両手で包み込むようにして掌にお金を握らせる。掌に伝わって来た金の感触に気付いた彼はこちらの意図を読み取ったのか、ニコリと笑みを浮かべてこちらの願いに応える気になったようで、辺りをキョロキョロと見渡す。



「おっ? こんなにも……へへっ、ありがとうよ! 

 気前のいい兄ちゃんのために教えてやろうかね。

 まあこんな往来で立ち話もなんだから、こっちで話そうぜ?」



 確かに彼の言う通り、人々が通行するこの道で突っ立って話をしていては邪魔になる。俺は彼に促されて移動し、周囲を警戒していたアゼレアを呼び寄せた。



「あ、はい。 おーい、アゼレア。 こっちこっち!」


「あん? 連れがいるのか……って、うお!? 凄え美人だな! 

 もしかして姉ちゃん魔族か?

 つーか、何で魔族が帝都のこんな場所にいるんだ?

 しかも着てるのって制服? 軍服?」



 俺の呼び掛けに応じてやって来たアゼレアの姿を見た男性は最初彼女の美貌にかなり驚いていたが、彼女が魔族であることに気付いてからは興味深げに頭の天辺から爪先まで無遠慮にジロジロとアゼレアの姿を見まわしていた。



「まあまあ、いいじゃないですか。

 それよりも地下特区のお話を聞かせてくださいよ! ね?」



 アゼレアの国防省保安本部の制服に興味を示し始めた彼の思考を遮るために俺はわざとらしいほどに話題を変えて地下特区の話を男性から聞き出そうとする。それに対して男性は釈然としながらも地下特区について話し始めた。



「…………ま、いっか。 いいかぁ、地下特区って言うのはな…………」



 地下特区――――公的機関による正式名称は『東区地下街特別区』と呼ばれるエリアで地上から地下4階ほどの階層を持つ地下街のことを指し、元はアゼレアの言っていたシグマ大帝国帝都ベルサが作られる以前より存在していた旧都市国家の使用されなくなった下水道が基礎となり、そこから先の住人たちが住み着いて手を加えて縦に横にと範囲を少しずつ広げていったのが始まりらしい。


 この地下街は様々な理由で地上では住むことができなくなった者達が身を寄せ合って暮らしているため、日本の何処ぞの大学のように国家機関の介入を極端に嫌って全く受け付けず、独自の自治が敷かれているのだとか。



「以前は賊の集団が幾つか存在してて、各地区ごとに縄張りを持っていて物騒な状態が長いこと続いていたんだが、魔力の強い腕利きの魔導師や一部の冒険者や傭兵とかが移り住むようになって賊どもが駆逐されていって、今は比較的安全になったらしいぜ?」


「へえ、そうなんですか?」


「とは言っても、地上より物騒なのは間違いないけどな。

 出入り口はここ以外にあと四ヶ所ほどあるらしいんだが、奥に行けば行くほど危ないって話だ。

 特に地下二階より下の階は何処かの誰かが面白半分で仕掛けた罠に掛かったり、偏屈な魔導師が何人も住んでいるおかげで、下手に入ると攫われて魔法の人体実験にされちまうって専らの噂だよ」



 やはり危険なエリアは存在するらしく、地球の中南米やアフリカ、東欧に存在するスラム街のように奥に行けば行くほど危険度が跳ね上がっていくのは変わらないらしい。が、地球のスラム街は麻薬常習者やギャングの巣窟になっているのに対して、地下特区の危険度は地球のソレとは著しく異なる。間違っても地球のスラム街の住民は街中や通路に罠を仕掛けたり、人間を攫って人体実験などはしない。



「あなたはその場所に行ったことは?」


「行くわけないだろう! 俺は冒険者としてギルドに組合員登録をして顧客からの依頼で地下街の住民達へ郵便物や小包の配達をする仕事をしているが、最奥と最深部へは大金を貰ってでも行きたくはないね。

 聞いたところによると最深部には魔獣使いが住んでいて、迷い込んだ人間を捕まえて魔獣や竜の餌にしてるって話もある」


「はあ?」



 俺の質問に対して全力で否定する男性の目は本気だった。

 どうやら本当に大金を積まれても行く気がないのだろう。しかも、魔獣の餌にされるとか洒落にならない危険な話題が飛び出して来た。



「まあ地下一階と二階の中心部には住民達が独自に立ち上げた『自治所』なんて言う役所みたいな部署が置かれてるから、地下住民のまともな奴を訪ねたり仕事を頼む場合は自治所を通せばすんなり行くよ。

 あとは最深部以外の通路が載ってる地図なんかも置いてはいるが……地下特区は住民達が勝手に地面を掘り進んで大きくしていってるから、地図に載っていない場所や通路なんかも沢山ある。

 だから、地図に記載されている以外の通路や階層には立ち入らない方が賢明だな」



 やはり人間が一定数以上集まれば派閥や組織が立ち上げられるというのは世界や場所が変わっても同じなようで、地下特区独自の自治組織が存在しているらしい。それにしても地下街がどんどん大きくなっていくとか……まるでダンジョンと呼ばれることがある東京の新宿駅のようだ。



「もしかしてそういった通路の中には、古い民家や屋敷の地下室などと繋がっているところもあったりします?」


「まあ無いとは言えないな。

 土魔法を使える魔導師が何人も移り住んで来たおかげで地下特区の壁や柱、天井とかの強度が以前より補強されたって話を聞いたことがあるが、それを良いことに地下街をどんどん大きくすることに心血を注いでる変わり者の住民がいるらしくてな?

 そいつらが無計画に地下を大きくして行くもんだから、『下手したら皇城や官庁街の下まで空間が広がってるんじゃないか?』って噂が広まってよ?

 おかげで噂を聞きつけた治安警察軍と警保軍が地下特区に介入しそうになった騒ぎがあったっけなぁ……」


「へえ」



 アゼレアから先に聞いていた地下室のことを聞くと予想通り、地下街と繋がってしまった場所もあるらしい。それにしても皇城や官庁街の下にまで地下空間が広がっていると言うのは幾ら何でも眉唾だろう。


 日本で例えるならば、個人が勝手に掘り進めた穴が皇居や霞ヶ関の地下まで達しているということと同じである。流石にそれは国家安全保障上の観点から見ても許容できる範囲ではないので、それが異世界であったとしても問答無用で軍隊を差し向けられて潰されるべき案件だ。



「まあ、その時は事なきを得たんだがな。

 ただそんな騒ぎがあったもんだから、地下の住民達の警戒感が高くてな?

 中には余所者が入って来ないようにあからさまに脅す輩もいたりして困ったもんだぜ……」


「そうなんですね……」



 この手の余所者を警戒したり排除するという行動は地球のスラム街と同じなので別段驚くようなことはない。だが、無駄に警戒感が高まるのは地下特区に新たに住もうと考えている者にとっては悩みどころだろう。



「ところで、あんた達は地下特区について聞くってことはあそこに用があるのか?」


「あ、ええっとぉ……」


「ええ。 そうよ。

 ちょっと心当たりがある人物があの中にいるの」


「え? ア、アゼレア?」



 男性の質問に対して俺が言い淀んでいると突然アゼレアが答える。

 それは良いのだが、心当たりがある人物とは誰なのだろう?

 もしかして咄嗟に答えた彼女なりの嘘なのだろうか?



「そうか。 

 ならオレは止めはしないが、もし入るのなら充分注意して入れよ。

 そっちの姉ちゃんは凄え別嬪さんだから、下手すると男の住民達に取り囲まれてあっという間に攫われちまうからな」


「大丈夫よ。

 私にはがあるし、彼も一緒にいるから」



 男性の忠告に対してアゼレアは自分の左腰に吊っている軍刀をポンポンと叩き、次いで俺にしな垂れ掛かるようにしてこちらの顔を見ながら腕を絡めてくる。



「おー、おー、お暑いねえ。 まあくれぐれも注意して入れよ。

 じゃあ、オレはそろそろこの辺で」


「ああ、色々と教えていただいて、ありがとうございました」


「ありがとう」



 どこか呆れたような口調で言いながら離れて行く男性に対して俺が礼を言うと、アゼレアもそれに倣って礼を言う。



「おう。 んじゃな」


「ふう……さっきの話は聞いてたと思うけど、本当にあそこに入る気なのかい? アゼレア」



 歩いて去って行く男性を見送り、後ろに立つアゼレアへ振り向いて念を押すように俺は彼女へ問い質す。



「ええ。 空中騎兵を撃ち落とすことができない以上、空からの警戒の目をやり過ごすにはあそこに入る以外に手はないわ」


「それはそうだけれど……本当に大丈夫かな?

 あの男性は危ないって言ってたし……」



 確かに彼女の言う通り、空中騎兵を撃ち落とすことは出来ない。アゼレアの魔法にしろ、俺が持つ歩兵携帯型の地対空ミサイルなどの対空火器を使うにしろ、空中騎兵の目を振り切るには撃墜しか方法がないのだ。いや、彼女の魔法を使えば撃墜をしなくても空中騎兵を退ける手段はあるにはあるのだが、それには高出力の魔法を使用する必要があるのでそれを行うとせっかく魔力反応を消して移動している意味がなくなり、地上を捜索している治安部隊に捕捉される恐れがあるのだ。


 今のところ治安部隊側には負傷者は出ているとは思うが、死者は出ていない。だが、空中騎兵を撃ち落とした場合、パラシュートがないこの世界では天馬に騎乗している空中騎兵は確実に死亡するだろう。そうなれば治安部隊側はこちらを追跡することに対して一切の遠慮をしなくなる。


 日本の警察でも身内が殺られれば親の仇の如く死に物狂いで追跡を行い、時効が成立したとしても地の果てまで延々と追い掛けてくるのだ。この世界の治安組織がそうでないと誰が言い切れよう。日本と違ってヒトの命が遥かに軽いこの世界では、空中騎兵でなくとも治安部隊側に殉職者が出れば向こうはこちらを殺しに掛かるのは明白だ。


 そのときアゼレアと治安部隊が激突した場合、大惨事になるのは目に見えている。魔王を超える魔力と武力を持ち、『殲滅魔将』や『鏖殺姫』など聞いているだけで物騒極まりない二つ名を幾つも持ち、人間種の国家から危険視されているアゼレアが殺す気で襲い掛かってくる他国の治安部隊に対して容赦する筈がない。下手をするとまだ解除をしていない反魂魔法の術式を発動させ、この街を俺が見たあの映像通りの地獄に変貌させかねない。



(それだけは何としても阻止しないと!)



 せっかく命が助かったアゼレアをこちらのトラブルに巻き込んで犯罪者する気は毛頭無い。何としても、無事に彼女をメンデルまで送り届ける責任があの雪の中でアゼレアを助けた俺にはある。



「なあに、孝司?

 もしかして、さっきの男が言ったことを真に受けて私のこと心配してくれているのかしら?」


「うん」


「ふふっ! 心配してくれてありがとう。 

 でもね、孝司?

 自分で言うのも何だけれど、私が人間種や獣人のゴロツキや魔導師達に遅れを取ると思う?」


「ごめんなさい。 それはないと思います」



 アゼレアの問い掛けに対して俺は素直に白旗を上げる。2門の魔導砲を一瞬で破壊し、肉薄して襲い掛かって来る訓練された屈強な憲兵達を魔法を使わずに格闘のみで制圧した彼女の強さを見れば、彼女に突っ掛かるチンピラ達が逆に可哀想に思えてくる。



「でしょう? だから大丈夫よ。

 それに万が一のときは地下特区ごと潰せば良いのだもの」


「…………………………」


(そうなんだよねぇ。

 アゼレアの二つ名の内の一つは『殲滅魔将』なんだよなあ……)



 まるで近所のスーパーに買い物に行くような気安さで大量虐殺と大規模破壊の予告を笑いながら口にする最強の魔族であるアゼレアの顔を見て俺は嫌でも彼女の物騒極まりない二つ名を思い出す。



「さあ、行くわよ。 孝司」


「ああ、うん……って、ちょっと待ってよ! アゼレア!」



 まだトンネルに入ることに対して踏ん切りが付かないでいた俺を他所にアゼレアはスタスタと坂を下って歩いて行く。それを見た俺も見えない手で引っ張られるかのように慌てて坂道を下り、地下特区への入り口であるトンネルへと走って行った。

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