第18話 誤差

――――明暦1968年3月19日





 午前中に知り合いへの別れの挨拶とギルドでの支部間移動届を申請して無事に受理された俺は、足取りも軽く宿泊している宿に戻ったときの時間は既に昼近くになってはいたが、ちょうど女将さんから昼食ができたということでアゼレアと俺は部屋へ持って来て貰った食事をいただき、そのあとはマッタリとコーヒーを飲んで食後の余韻を楽しんでいた。



「……ごめん、アゼレア。 ちょっと失礼」


「ええ」



 そう言って催した俺はトイレに行くべく部屋を出る。通常は俺とアゼレアの借りている部屋は別々で互いに隣り合っているのだが、極力食事を摂るとき以外も特に用が無い限りは一緒に過ごすようにしている。最初の頃はトイレに行く際は黙って部屋を出て行っていたのだが、最近では互いに短い言葉を交わすだけでどんな用事で部屋を出て行くのか理解出来るまでになっていた。



(ふう。

 今日も含めてあと4日か……ここまで来たんだから、何も起こらなければ良いけれど?)



 トイレから部屋に戻る際、階段を昇りながらふとそんな考えが頭をよぎる。異世界に来てそろそろ二ヶ月超の時間が過ぎたが、今のところ問題は発生していない。


 行き倒れかけていたアゼレアと知り合うというイレギュラーなことはあったが、お陰で大切な人と出会うことができた。冒険者の資格も無事取得できたし、このまま順調にことが進めばアゼレアをメンデルへと送り届けられるだろう。



(アゼレアとはメンデルでお別れかなぁ……)



 彼女は魔王領国防軍の現役魔導少将だ。

 事故とはいえ21年もの間、軍を離れていたので今も軍籍があるのかは判らないが、祖国に戻れば余程の事がない限り彼女は軍人としての道を再スタートできるだろう。


 何せ魔王を含めた全魔族の頂点であり、最強の魔族で戦略級・戦術級攻撃魔法の使い手なのだ。彼女のような有能な軍人であり、強力な戦力でもある存在を魔王軍が放っておく筈がない。



(まあ、イーシアさんと御神さんから異世界の調査を依頼された当初は一人での行動を前提としてココに来たんだから問題はない……のかな?)



 とは言え、あれだけのスペックを持つ女性とは今後二度と出逢えないだろう。

 それを思うと少し寂しい想いが心に残る。



(でもまあ、彼女の人生は彼女が決めるんだから、俺が何か言える立場じゃないからなぁ……)



 この前話した際にお互いに惹かれ合っているのは分かった。

 しかしながら、俺もアゼレアも背負っているものが大きすぎる。俺は異世界の不安定要素を探し出して元に戻す依頼を神様から受け、アゼレアは祖国や軍を背負って行く立場なのだ。



(『俺がお前を守る』だっけ?

 何て薄っぺらくて安っぽいセリフなんだろうねぇ……)



 下半身が奔放で頭の中身が空っぽの子供のような男が格好付けたり、未成年の男の子が勢いで同年代の女の子に言うような言葉だが、これほど嘘っぱちに聞こえるセリフもないだろう。『守る』とは一体何から守るというのだろうか?


 まだ社会にも碌に出ていない子供が好きな女性に対して「お前を守る」など片腹痛い。ただ素直に正直に「好きだ!」と言うだけで良いのに、言うに事欠いて「守る」など……薄っぺらいにもほどがある。



(彼女が冒険者とかなら、これから先も一緒に居れる可能性はあるけれど、高級軍人なら俺の方が彼女について行ったほうが現実的なんだろうが……無理だよなあ)



 正直言ってこのとき初めて異世界に来たことを後悔していた。もし、異世界に転移せずに日本にいたなら、恐らく俺はそのままホームセンターの社員として平凡な人生を送りっていたことだろう。そしてもしかしたら、同じ日本人の女性と結婚して子供を設けていたかもしれない。


 が、仮に今から日本に戻っても転移前の人生は絶対に戻って来ない。俺に関する記録や記憶は全て神様の手によって消去されているので、家族の元に戻っても向こうは俺のことを知らないのだ。



(まあ、地球で新たな人生を始めたとしてもアゼレアのことは忘れられないだろうしなぁ……)



 アゼレア・フォン・クローチェという女性は俺にとって魅力的過ぎた。ただ単に一緒に居ただけなのに、心地良い時間を共有できたのだ。異性と一緒に居てこれほどの安心感と和やかな気持ちになったのは初めてだった。



(まあ、叶わぬ夢……だよなあ)



 魔王領に戻ったアゼレアは直ぐに21年というブランクを取り戻して国防省や軍で辣腕を振るうことだろう。そして数十年後か数百年後には彼女の隣には何処かの良き人が居て、子宝に恵まれて最良の人生を歩んで行く筈だ。



(俺は……ダメだ。

 何だか、ずうっと冒険者として何処かをほっつき歩いてるところしか想像できない……)



 まあ、地球でもボッチではなかったが、出かけるときは一人でいる方が何かと気楽ではあった。



(今ここでくよくよと悩んでいてもしょうがないか……まだ俺の人生はこの先もずっと続くんだし)



 神の末席に位置したということは俺の寿命は有って無いが如しの状態になっている。これから先もずっとこの調子ということはないだろうと気を取り直して階段を昇って行った。






 ◇






 部屋を出て行く孝司を見送った私は扉が閉まると同時に意識を窓の外に向けた。



「どうも朝から変な視線があるとは思っていたけれど、まさか“覗き魔”がいるとはね……」



 朝の段階からこちらに対して照射されていた透視魔法の術式魔力。途中からこちらに気付かれまいと魔力を低出力に絞って透視を行なっているが、魔力波操作魔法を操ることができる私にとってそんなものは気付かれない内に入らない。



「この軍用魔法独特の魔力波形……どうやら民間の魔導師によるものではなさそうねぇ」



 世の魔法を用いる者達は全て『魔法使い』と呼称されている。これは魔法を覚えたての子供から何千年の時を生きた老齢の長耳族でも等しく魔法使いと呼ばれているのだが、その中でも魔法使いとして正式に国やギルドに登録されている者達は『魔導』と『魔導』の二種類に別けられている。


 前者は民間、後者は軍隊や国家機関に属する者達で、ギルド魔法科所属の魔法使いも魔導師の分類に入る。


 そのため魔導を探究する者達が使う術式には私自身も含めて少なからず独特のというものがあり、その中でも軍用魔法はその術式構成の内容から民生魔法と比べても魔力波形に明確な違いがあるのだ。



(恐らく、今こちらを透視している魔導士は私が魔力波操作魔法を使えることを知らないのでしょうね)



 もしくは知らされていないかのどちらかだろうが、魔力波操作魔法を使える者であれば最初から透視魔法は使わない……いや、使えないのだ。何故なら、魔力波操作魔法を学ぶ過程において照射魔力とその波形を探知し、読み取る術は初歩中の初歩。



「とはいえ、魔力波操作魔法を好き好んで学ぶ暇があれば、回復魔法や攻撃魔法の一つでも学ぶのがやっぱり普通なのかしら?」



 特殊な任務を遂行する軍の特殊部隊や諜報員でもない限り、魔力波操作魔法を会得しようと思う者は少ない。何故なら、魔力波操作魔法を知らなくても魔法の発動には困らないからだ。



「でも、覗きを行う対象が魔力波操作魔法を使えるかもしれないという想定をしていないのはダメね。

 取り敢えずその視線が凄く不快だから、引き下がって貰うわよ?」



 そう言いながらアゼレアは席を立って窓の前にまで歩いて行き、透視魔法の術式を使っている者が控えている方角を見た。するとその瞬間、彼女の持つ赤金色の目が一瞬光ったが、アゼレアはもう終わったとばかりに先程まで座っていた椅子に座り直して珈琲を飲む。


 しかし、珈琲を一口飲んだところで彼女は何かに気付いたかのように動きを止めて目を閉じ、耳を澄ました。



「ふむ、朝から変な奴がここを覗いている訳ね」



 人間とは比べ物にならない吸血族が持つ優れた聴力によって聞こえる様々な音。普段は日常生活を阻害するために聞こえてくる雑音を意図的に遮断しているのだが、先程の覗き魔の件もあり、ついいつもの癖で周囲の音を軽く攫っていたのだが、面白い音が耳に飛び込んで来た。



「これは…………成る程、成る程。

 最近身体が鈍っていたから、食後の運動に丁度良いかもしれないわ」



 石畳を叩く長靴を履いた足音とそれに付随して聞こえてくる男達の怒号とガラガラと路上に響く複数の馬車の車輪が奏でる重たげな音に鉄同士がぶつかって擦れる独特の金属音。これらの音を聞いたアゼレアは笑みをこぼしつつ立ち上がり自分の背後を見る。


 彼女の見る視線の先にはこの国での唯一の持ち物である魔王領国防省保安本部の将官用勤務服が皺一つ無い状態で壁に掛けられており、すぐ傍には長靴と孝司から貰った軍刀が置かれていた。






 ◆






「対象、依然として動き無し」



 静寂が支配する室内にポツリとそんな言葉が響く。

 ここはシグマ大帝国、帝都ベルサの東区のとある宿の一室で、彼らはある人物を監視するように命令を受けた情報省の者達であった。



「了解。

 先程、局からの連絡でこちらに警保軍の部隊が向かっているらしい。

 戦闘になった場合は、警保軍に察知されないように速やかに撤収せよとのことだ」


「了解。 オレとしても助かるよ。

 交代要員がいない中、早朝からずうっと透視で見張れと言われたときには正直どうなることかと思ってた所だ」



 相方である情報官の言葉を聞いてわざと疲れたという意思表示をしつつ愚痴を漏らすのは情報省軍所属の魔導士。彼はその類稀なる透視魔法の才能を買われて、国境警備軍から情報省軍へと引き抜かれた経歴を持つ手練れの透視使いだった。



「確か透視の魔法って結構魔力を食うんだっけ?」


「ああ。 白黒で見るか色を付けた状態で見るかで違ってくるが……距離があればあるほど、邪魔な障害物があればあるほど照射する魔力の出力を強くして透視能力を上げないといけないからな。

 だがそうなると相手が魔力探知の魔導具を所持していた場合、透視してるのが露呈する場合があるんだよ。

 しかも相手は魔族の高級軍人が一緒だから、念のため気付かれないようにギリギリまで照射する魔力を低出力に調整しないといけないんだが、これがまた難しいんだよ。

 最初透視を使って室内を見たときに魔族が居たから焦ったよ……まあ、気付かれてはいないだろうがな?」


「そういうもんなんだなぁ……」



 今回の監視任務で班を組むことになった魔導士の言葉に半分感心したように頷く情報官ではあるが、魔力が全く無い上に魔法という畑違いのことを言われても彼にはいまいちピンとこなかった。



「まあ、低出力に絞ったお陰で気付かれていないようだから良いけどな。

 オレも魔力の消費が抑えられるし……」



 「その分、室内が見えにくくなるけど」という彼の言葉は続かなかった。同僚とのお喋りの間でも目を離さずに監視していた彼の目に対象と一緒に居るという女魔族が真っ直ぐにこちらを見ていることに驚き冷や汗が出る。



(ん? 何だ? まさか気付かれたのか?

 念のためとはいえ、探知具を警戒してあれだけ魔力を低く絞っていたのにににににニニニニ…………ッ!!!!????)



 突如として“ズドン!”という雷が身体の中を突き抜けていくような強烈な快楽が脳と全身を刺激されて監視役の魔導士は一瞬の内に絶頂へと導かれる。強制的に引き起こされた強烈な絶頂感に脳は瞬時に防衛反応を示し、脳と体の最低限の生命維持活動以外の動きを強制的に遮断してしまう。



「おい! おい、どうしたぁ!?」



 突如として防御姿勢も取らずに前のめりに倒れこんだ同僚魔導師を見た情報官は慌てて彼を抱きおこす。が、彼の様子を見て情報官は絶句する。魔導士は歯を食いしばりながら口からブクブクと泡を吹き、体が石のように硬直して小刻みに痙攣している状態であった。

 しかも……



「うっ……!?」



 室内に酸っぱいような青臭いような不快な臭いが充満する。何事かと見ると相方である魔導士のズボンが股間のところでこんもりと盛り上がって山を作り、下半身が大量の尿と精液でビショビショに濡れていたのだ。



「い、一体何が?」



 コレは明らかに異常事態だ。

 倒れた魔導士は泡を吹きながら充血した目をカッと見開いて「グ……んギぎ! ぐギぎ……ッ!」と泡を吹く口を思いっ切り食いしばって何かに耐えるように全身に力を入れつつ時折苦しそうに呻き声を漏らしていた。



「おい!? おい!! だ、誰か、誰か来てくれぇーー!!」



 室内に男の悲痛な叫び声が響き、何事かと驚いた宿の従業員や宿泊客が部屋に駆け付ける。彼らが見たのは見るに耐えない惨状となった魔導士を泣きそうな顔で抱き上げる男性の姿であった。







 ◆






――――シグマ大帝国 帝都ベルサ 東区 賢人大通り 交差点付近





 この日、シグマ大帝国の帝都ベルサを訪れる多くの外国人や旅行客が宿泊するための施設が数多く建ち並ぶ帝都東区は物々しい雰囲気に満ちていた。


 二頭の曳馬が引く馬車が七輌、通行人や他の馬車達を蹴散らすかのようにかなりの速度を上げて大通りの道を疾走する。先頭を行くのは専用の金属鎧を纏った通常の馬よりも大きい軍馬二頭とそれに牽引される車体全面が鉄板で装甲化されて複数の銃眼を装備した装甲警備馬車で、それに続くように車体が一部装甲化された人員輸送馬車が三輌、移動式馬防柵を積載した荷馬車が二輌に三門の魔導砲を搭載した特大型輸送馬車一輌、全ての馬車に警保軍の旗が風に靡いていた。



「降車ぁーーッ!!」



 交差点で馬車の一団が停車すると同時に号令が下されて人員輸送馬車三輌から次々に鉄帽を被り、制服を着用した男達が降りてくる。全員手に手に小銃や槍を持ち、中には腰に拳銃が入ったホルスターを吊り、剣を佩でいる者もいた。



「魔導砲降ろせぇー!!」


「魔導砲降ろします!」


「馬防柵を馬車から降ろして交差点に設置しろ!!

 街路は全面封鎖だ!


「一台目の魔導砲はそっちの通りに配置するんだ!」


「宿の包囲を急げ!!」



 宿街に面した大通りは内務省警保軍の部隊によって瞬く間に封鎖されていく。通りを歩いていた者はこの騒ぎに足を止め、周囲の宿に泊まっている旅行客や冒険者達は何が起こったのかと驚いて窓から身を乗り出すかのように警保軍の部隊を見つめていた。


 彼ら警保軍の部隊を構成している保安官と保安官補達は、交差点に車輪付きの移動式馬防柵を設置してあらゆる人の流れを遮断し、さらに街路の中央にまるで周囲を睥睨するかのように魔導砲をニ門配置していく。



「宿の周囲を包囲しろ!

 宿泊客の避難を最優先にするのを忘れるな!」


「五人を裏手に回せ! 鼠一匹見逃すなよ!!」



 街路の封鎖が進んでいく一方で残りの保安官がとある宿を目指して走って行く。彼らは何組かの班に分かれると、手際良く宿の包囲網を形成し配置に就いた。



「執行実包装填ッ!!」



 先任指揮官号令の下、銃器を携銃していた保安官達が小銃や散弾銃の薬室に腰のポーチから取り出した銃弾を装填し、拳銃を持っていた者はホルスターから銃を抜いて回転式弾倉内の状態を検める。


 それらの準備が終わるのを見守ってた指揮官である内務省警保局の独立上級正保安官、ルーク・ガーランドの元にガーランドより少し年下である正保安官が部隊配置完了の旨を報告しに来た。



「ガーランド上級正保安官、部隊の初期配置完了しました!」


「良し。 俺とお前、あと七人で宿に入る。

 アレを一緒に持って来るように言っとけ」


「はっ!! 了解しました!」



 ルークの指示を受けた正保安官が部下達の所へ走って次々に指示を出すのを見た彼は、そこから視線を外して一つの宿を見据えて誰にも聞こえない小さい声でこう独言た。



「野郎、覚悟しろよ?

 今からお前を逮捕ブッ殺してやるからなぁ!」






 ◇






 トイレから戻ってきた俺は部屋に入った途端に室内の様子が先ほどまでのマッタリとした雰囲気からガラリと変わっていることに気づいた。昼下がりの気怠い雰囲気が突如としてピリピリとした戦場のような緊張感へと変わり、室内に入った直後から得体の知れない雰囲気に気圧され、脇や背中にジンワリと脂汗が滲み出てきて呼吸が僅かに乱れて息苦しさを感じてしまう。



「…………何かあったの? アゼレア」


「ええ。 どうにも嫌な雰囲気が外に満ちているわ……」



 この部屋を満たす緊張感の発生源はアゼレアであった。

 彼女は部屋の窓際に立ち、自分の姿を極力晒さないように配慮しつつ外の様子を伺っていた。

 しかも……



「何で制服に着替えているの?」



 そう。

 今のアゼレアは俺と初めて出会った時と同じように制服を着用していたのだ。しかも、ご丁寧に俺が護身用にとイーシアさんから許可を得て彼女に渡した軍刀を身に着けて……



「万が一に備えてよ。

 私が一般人ではなく、他国の軍人であると知れば彼らは安易に攻撃をしてこないでしょう?」


「…………どういうこと?」



 訳が分からないので彼女に聞いてみると、アゼレア曰く何やら外が騒がしいので窓から外の様子を伺ってたら、保安官達がこの宿の周辺を包囲しつつあるらしい……とのことだ。



「保安官? 警察官や兵士じゃなくて?」


「ええ、そうよ。

 以前と比べて装備に少し違いがあるみたいだけれど、軍装や徽章から判断するに警保軍の保安官達のようね」


「警保軍……?」



 「見てみなさいな」とアゼレアに促されて窓からそっと見ると、目に映ったのは第一次世界大戦時のフランス軍を彷彿とさせる軍装を身に纏った屈強な男達の姿だった。ヘルメット鉄帽コート外套に軍服、革製のベルト帯革にサスペンダーとブーツ長靴という格好で第一次世界大戦時のフランス兵軍歩兵の軍装そっくりだが、コートや軍服の色は濃い紺色で統一されている。


 よく見ると数人の男達がヘルメットではなく制帽を被り、軍服の肩に銀糸で織られた飾緒モールが佩用されているところを見るとあの男達は兵士ではなく士官なのだろう。事実彼らは、ヘルメットを被っている歩兵然とした男達に指示を下しているようだった。


 因みに『警保軍』とは正式名称を内務省警保軍と言い、シグマ大帝国の治安機関の一つで治安警察軍と並び都市部の治安を守る準軍事組織らしい。


 軍という名称が付くので軍隊かと思われがちだが、装備の性質上、軍隊というよりは武装警察としての色合いが濃く、帝国臣民からは治安警察軍や帝国軍憲兵隊と並んで『治安組織御三家』の一角と考えられており、人員の規模は治安警察軍より若干多く、[治安警察軍]の兵士や職員達が『警察官』と呼ばれるのに対して、[警保軍]の職員達は『保安官』と呼ばれている。


 これはただ単に呼び名が違うだけではなく、彼らが担う任務の違いから名付けられているのだという。治安警察軍にはシグマ大帝国内に存在する各都市に『市街管区』という管轄区域が割り振られており、治安警察軍の警察官達はその管轄区の中でそれぞれの任務を遂行している。


 対して警保軍は内務省が管轄する大帝国の国土と領土の全てが管轄区域であり、警保軍の保安官達は広大な大帝国内の全ての犯罪に目を光らせているため、捜査や犯罪者追跡のために大帝国内を縦横無尽に移動する『独立保安官』とそれぞれの都市部のみで活動する『正保安官』と『保安官補』という役職で大きく区分されているのが最大の特徴だ。


 そのため犯罪者が都市を跨いで逃亡している場合、治安警察軍だと管轄を超えられてしまうと追跡がそこで打ち切りになってしまうのに対して警保軍の場合は独立保安官がそのまま組織の管轄を気にすることなく大帝国内であれば何処までも追跡できるため、犯罪者達はなるべく警保軍に目を付けられないように気をつける傾向にあるのだとか。


 地球で言えばアメリカだと治安警察軍は市警察や州警察、郡警察などの法執行機関に相当するのに対して内務省警保軍はFBI連邦捜査局USマーシャル連邦保安局に相当する組織だ。


 余談ではあるが、警保軍の軍服が紺色に対して治安警察軍の軍服は緑色で憲法隊は濃緑色、情報省軍は灰色、国境警備軍は水色の軍服らしく、制服や軍服、ブーツやベルトと言った被服類や装備品、武器類の規格はコストを抑えるために大帝国軍をベースにし、制服の生地や色彩で差別化を図っているらしい。


 まあそれは置いといて――――現在、警保軍の保安官達が数十人で周囲の道を封鎖し、この宿を包囲している。一体誰を捜しているのかは分からないが、アゼレアが殺気立っていることから見ても、保安官達は血眼になって誰かを捜しているようだ。しかも……



「ん? 拳銃……だって?」



 窓から外を注意深く見ていると保安官達の内数人は槍やサーベルなどで武装しているが、残りは全員銃器……何時ぞや見た冒険者の一人が携帯していたボルトアクション式のライフルを更に洗練させた造りのライフルを所持していたが、その中でも金糸が用いられた飾緒を佩用し、黒いキャンペーン・ハットと呼ばれる帽子を被った指揮官と思しき保安官とその周囲にいる制帽を被っている者達は腰の左側にサーベルを佩し、右側にはホルスターに入れられた拳銃を身につけていた。


 その中でも、一人だけキャンペーン・ハットを被っている保安官の男はサーベルではなく、それよりも太くがっしりとした作りの剣を腰に佩している。剣の鞘は青く、他の保安官達が腰に佩しているサーベルが護拳を装備した柄なのに対して、青く光る石が嵌め込まれた幅広の鍔と滑止めのチェッカリングが施された柄が印象的だった。

 そして…………



(あれは……リボルバーか!!)



 衝撃だった。

 つい先日見たライフルでも驚きだったのに、まさか自分以外の人間が拳銃を、よりにもよってフリントロック式などの撃発機構を備えた短筒とかではなく、正真正銘の回転式弾倉拳銃が既に配備・実用化されているとは夢にも思わなかった。



(どう見ても自作の銃じゃないよなぁ……)



 ここからこっそりと見ている状態ではあるが、ホルスターの質感やグリップの形状を見るに明らかに銃器製品として量産されている拳銃だ。



(やっぱり、最初の段階でイーシアさん達から説明を受けた内容とかなりの齟齬が生じてるっぽいな。

 やはりこれも無名の神々が起こしている諸処の問題と関係しているのか?)


「うーむ……」


「どうしたの? 孝司」


「ねえ、アゼレア?

 アゼレアがこの時代に事故で転移してくる前は銃器ってどれくらい進歩していたの?」


「そうねえ……少なくとも私が知っている範囲では各国の軍は専門の銃器取り扱い訓練を受けた将兵を銃士隊として編成して運用していたけれど、当時はまだ銃は希少な存在で普及数もそこまで進んでいなかったと記憶しているわ。

 あと、当時は弾丸と装薬を別々に装填する後装式が一般的だったわね……」


「じゃあ俺が使っている金属薬莢を用いた銃は既に存在していた?」


「いいえ。

 当時そういった画期的な技術を用いた銃が開発されていたら、まず間違いなく軍機に目を通すことが出来る魔導少将である私の耳にも入っている筈よ。

 でも、少なくとも当時魔法や科学の情報交換を行っていた教導隊出身の技術大佐からは私達国防軍や他国の軍で金属薬莢を使った銃が使われていたとは聞いていないわね……」


「拳銃も?」


「ええ、同じよ。

 というか、存在さえもしていなかったんじゃないかしら?」


「そうか……」



 ということはここ20年程の間に銃器が発展していることになる。

 ハンマーやグリップパネルの形状からして恐らくパーカッション式リボルバーだとは思うが、室内では取り回しが難しい長銃身のライフルと違って狭い空間でも射撃が容易な拳銃は要注意だろう。


 いくら地球の銃器達と比べて技術が古くとも、飛んでくるのは火薬の燃焼によって高速で撃ち出される金属製の弾丸だ。仮に銃撃戦ともなれば、フルオートで射撃できる銃器を保有しているこちらが撃ち負けることはあり得ないが、相手が撃つ銃とて弾丸が頭や心臓に命中すれば、まず間違いなく死ぬだろうから油断は禁物である。


 

「お?」


「……この宿に入って来たわね」



 アゼレアの言う通り、保安官達がこの宿に入って来た。



(お願いだから俺達を捜していませんように……!)



 心の中で藁にもすがる思いで祈っている俺を他所にアゼレアは依然として外を警戒していたが、ふと彼女は視線を室内へと戻す。



「孝司。 念の為、荷物を纏めて逃げる準備をしておきましょう。

 特に身分証や旅券、財布や武器は絶対に肌身離さず身に付けておくのよ」


「わ、わかった……」



 アゼレアの提案を受け入れて、室内で大きな物音を立てないように注意しながら手際良く荷物を纏める俺は知らなかった。彼女が窓から目を離した直後、まるで図ったかのようなタイミングで保安官達が“ある物”をこの宿の中に運び込んでいたことを……






 ◆






「おい、オヤジ。 こいつの顔を見たことあるだろう?

 ここに泊まっていることは既に調べがついてる。

 どの部屋に泊まっているのか言え」



 突然数人の保安達と共にドカドカと長靴を踏み締める音を立てながら入って来たのは、見たこともない魔剣を腰に佩いだ筋肉の塊のような大柄な保安官だった。彼は懐から一枚の紙を取り出すと受付にいた宿の主人である男性にそれがよく見えるように眼前に突き出し、他の保安官達は宿の主人を受付ごと取り囲む。



「ん〜? さあ、ここに泊まっているだって?

 毎日ここに座っているが、そんな顔見た覚えが無いよ」



 彼の目の前に突き出されたのは誰かの似顔絵と思しき絵だった。黒目黒髪、年齢は二十台前と思われる若い男の絵だったが、宿の主人はあくまで知らないフリをしていたが、本当のことを言えばこの似顔絵となった本人のことを知っている。


 うちの宿に一ヶ月以上も滞在し、宿泊費や食費代といった費用以外に“ある出来事”に対して『迷惑料』と称して多額の金貨を支払った人物を知らない筈がない。最初、妻から見せられた宿を建てたとき以来、見たことがない数の金貨に面食らったが、彼のお陰で古くなった部屋や備え付けの家具の修繕や厨房の一新、鮮度の良い食材の仕入れなどなど……今まで金銭の不足で先送りしていた問題の数々を解消出来た。


 お陰で部屋が綺麗になったとか、飯が美味くなったなど客からの評価が上がり次第に利用客が昔以上に増えて宿はかつてないほどの賑わいを見せていた。そんな幸福をもたらしてくれた恩人を警保軍の保安官が似顔絵まで作って探しているのだという。


 本当ならば保安官の質問に答えて泊まっている部屋を教えるべきなのだろうが、彼からもたらされた幸せという名の見返りは旨味が多過ぎた。残念なことに数日後には彼は出て行くという話であったが、また帝都に来たときは是非この宿に泊まって貰いたいので主人はあくまでシラを切り通した。



「そうか。 聞こえないか?

 じゃあ、もう一度聞くが……コイツの居る部屋を教えろ」


「は? 聞こえないって、何を言って……さっきも言ったがこの似顔絵の男は知らな……ヒッ!?」



 しかし目の前の保安官はこちらの言っていることが通じていないのかもう一度同じことを質問してくると同時にまるでこっちが保安官の質問に答えないのではなく、質問が聞こえていないのだろうと言うのだ。宿に主人は保安官の意図が読めなかったが、次の瞬間には何故保安官が聞こえないと決め付けたのかという意味を嫌でも知ることになったのである。



「聞こえないなら仕方がねえ。

 もっと耳の穴の数を増やしてやろうか?

 それとも、似顔絵がよく見えなかったのか?

 よしよし、それなら新しい目ん玉が入る穴を頭にこさえてやるぜ?」



 正面に立つ保安官がそう言った瞬間、左右両隣にいた保安官が小銃を構えて宿の主人のちょうどこめかみ付近に向けて銃口の照準を合わせる。主人が驚いて左右を見ると直後に“ガチンッ”という金属音が響いて前を見ると、彼の眼前、数センチまで拳銃の銃口が迫っており、残りの保安官達も全員が先の三人に倣うようにそれぞれが持っている銃の銃口を主人の顔面に向けた。



「ヒッ!?」



 唐突の事態に思わず裏声で恐怖に慄く声が出てしまったがそれも仕方ないことだろう。これまで冒険者や傭兵御用達の宿として営み、幾人もの荒くれ冒険者や傭兵を相手にしてきた経験豊富な宿の主人も拳銃に小銃、散弾銃と合計九丁分の銃口を眼前に突き付けられてしまっては降参するしかない。


 しかも、目の前で銃口を突き付けている銃の撃鉄を起こしている上に当の保安官の目は本気で撃つと言外に主張している。目だけを動かして視線でそれぞれの保安官達を見ても、正面の指揮官である保安官が号令を下せば躊躇なく撃つ構えだ。



「俺は元冒険者でな。

 あんたが宿の経営者として数々の冒険者や傭兵達を相手に商売してきて、其れ相応に肝が据わっているのは知っている。

 だからあんたも分かるんじゃねえか?

 俺が本気で撃つことも、周りのこいつらが俺の命令に従うってこともよぉ?」


「うぅ…………」


「この宿の一階にいるのは俺たちだけだ。

 他の宿泊客や従業員は既に退避済みだし、もちろんあんたの家族もここから離れた場所にいる。

 どうする?

 仮にここであんたの頭が卵のようにぐしゃぐしゃに砕け散ったとしても、目撃者は誰もいないんだぜ?」


「…………その客は三階に上がって直ぐに突き当たった部屋の隣に泊まっている」



 宿の主人は観念したかのように項垂れて保安官達が捜している人物が泊まる部屋の位置を告げた。それを聞いた保安官達は宿の主人の顔に向けていた銃口を外し、正面に立っていた指揮官も拳銃の撃鉄を降ろしてそのままホルスターに戻す。



「よし、行くぞ。 この男は外に退避させろ。

 あともう二人をこっちに回して同伴者がいないか宿帳を調べさせるんだ!

 それとを持って来るように伝えろ」


「はっ!」



 ルークの指示によって強制的に宿の外へと退避させられる主人は入れ替わるようにして宿の中へ入って来る二名の保安官とそれに続いて搬入されようとするモノを見て驚愕し、思わず声を荒げる。



「ちょっと冗談だろう!? 保安官!!

 止してくれ! こんなところでを使おうとするなんて!」



 気が動転しているのか、退避させようとする保安官の制止を振り切ってルークに食って掛かる宿の主人であったが、彼の抵抗は『暴風』の前では意味を成していなかった。



「うるせえ!


 ごちゃごちゃ言ってるとその無駄にデカい腹を弾除け替わりの盾に使うぞ?

 あんたが建てた宿で家族に自分の死体の掃除をさせたくなかったら、大人しく外に出てろ」



 そのまま屈強な保安官達に羽交い締めにされた主人は懸命の抗議も叫びも虚しく外に摘み出されてしまい、それを見たルークは満足気な表情で次の指示を下す。



「いいな? 奴の部屋は三階だ。

 こんだけ騒いでれば流石に死人でも気付く。

 相手は捕まって裁判になれば死刑が確定しているような凶悪犯だ。

 何をしてくるか分からんから、絶対に油断するなよ?」


『はっ! 了解しました!!』

 


 鋼鉄よりも硬くて軽い竜の鱗を用いた特別製の盾を構えた保安官を先頭にして、直ぐ後ろに拳銃を構えたルークが立ち、その後ろを七人の保安官と保安官補から構成された男達が階段を昇って行き、そしてその後ろからさらに彼らを追いかけるようにして四人の保安官達によって抱え上げられたが続いていた。


 




 ◇






「階段を昇って来ているわ」


「う、うん……」



 アゼレアの言葉に孝司は緊張の面持ちで扉を見据える。彼の手には異世界に来てからずうっと就寝時の御守り代わりとして枕元に置いているポーランド製の短機関銃『Wz.63』が握られていた。



「やっぱり保安官達の狙いは俺達なのかな?」


「分からないわ。 一瞬、以前孝司が言っていた通り魔だったっていう憲兵を殺した件かとも思ったけれど、それならこんな大掛かりなことをしなくても事情聴取で済むでしょうし……それに彼らは孝司の名前は出していなかったわ」



 彼女は宿が保安官達によって包囲されてからというもの、ずうっと耳を澄ませて外の音を聞いていた。吸血族が持つ優れた聴力は淫魔族との混血であるアゼレアにもしっかりと受け継がれており、階下の受付でのルーク・ガーランドと宿の主人とにやり取りもしっかりと彼女の耳に聴こえている。



「アゼレア、コレを被っていて」


「……これは? 鉄帽……なのかしら?」



 孝司から渡されたのは東欧やヨーロッパの軍や警察で採用されているクロアチア製の防弾ヘルメットであった。内張には対ショック用のライナーが張り巡らせてあり、砲弾が炸裂したときや装甲車両の中で頭部をぶつけても衝撃を最小限に抑えるように作られている。ご丁寧にアゼレアが着用している灰色の制服の色に合わせたかのようにヘルメットの色も濃いグレーで塗装されていた。



「防弾ヘルメット。

 素材は鉄ではないんだけれど、拳銃の弾や砲弾の破片程度であれば充分防げる能力があるよ。

 アゼレアって制服着ているときってそのケピ帽を被ってるんでしょ?

 でも、もし外の保安官達の狙いが俺なら、一悶着あったときに帽子が脱げないかと思ってさ。

 そのときに頭を打たないようにね?」


「ありがとう。 孝司。

 でも心配は無用よ。 私にはほら……コレがあるから」



 好きな男性の気遣いに思わず笑みがこぼれ、そのまま抱きしめたくなる衝動に駆られるアゼレアは孝司から一歩離れて目の前の何もない空間に手をかざす。すると彼女の前に薄っすらと赤く光る壁のようなモノが出現した。



「コレは?」


「そういえばまだ孝司には見せていなかったわね。

 『魔法障壁』とか『防護障壁』と呼ばれている魔法で作られた壁よ。

 術者によって強度や色はまちまちだけれど、少なくとも私が作ったこの障壁は龍族や堕天使族の魔法攻撃や銃砲弾による攻撃を完全に防ぎきれる強度を有しているわ。

 恐らくこの障壁を破壊できるのは私以上の力を持つ存在かイーシア様達のような神様だけだと思うわ」


「そうなんだ。

 イーシアさん達は分かるけど……アゼレアを超える存在っているの?」


「孝司、世界は広いのよ?

 この世界のどこかに私以上に強くて魔力の高い存在が居ないとは言い切れないでしょう?

 それに今は存在していなくても、これから生まれてくるかもしれないじゃない。

 驕りや油断は禁物よ」


 

 「流石は魔族の将軍の一人だ」と言いそうになった孝司はその言葉を口には出さずにそのまま飲み込む。アゼレアの性格からしてそういう風に自分が讃えられるのを嫌っているからだ。孝司が黙っているのを他所にアゼレアそのまま話を続ける。



「まあ、この障壁を破壊できるのはそれらを除けばイーシア様達の力が込められている孝司の持つ武器や銃弾だけかもしれないわね?」


「え? 本当に?」



 突然こちらに水を向けられて孝司は思わず右手に握るポーランド製の短機関銃を見やる。が、今まで魔法を使った相手に銃を撃ったことがないので、アゼレアにそう言われても孝司的にはイマイチ実感が湧かないでいた。何せこの世界で銃を撃ったのは一度だけであり、それも剣を持った通り魔という魔法なんて全く関係がない者が相手なのだから、当然と言えば当然である。



「ああ、あのさ……アゼレア?」


「しっ。 奴らが部屋の前まで来たわ」



 何かを言おうとしていた孝司の言葉を遮るように人差し指を自分の口の前にかざして静かにするように合図を送るアゼレアを見て彼は慌てて口を閉じて外に様子を知ろうと、ソロリソロリと音を立てないように抜き足差し足で扉に近づいて行った。

 そして……






 ◇






ぇーっ!!」



 砲撃開始の合図と共に建物そのものを揺るがす衝撃と轟音が廊下に響き渡り、直後に砲身から白い煙が僅かに立ち昇り、埃が混じった風が吹き付けて鼻腔を刺激する。



「室内を確認しろ! 装填手、次弾装填開始!」



 飛んで来る破片を顔に受けないように背中を背けて耳を塞ぎ、口を開いて衝撃に備えていた保安官達が指揮官であるルーク・ガーランド独立上級正保安官の指示で行動を開始する。一人の保安官が大穴の空いた扉を蹴り開けて室内に入り誰か居ないか確認し、装填役の保安官補が魔導砲に次弾を装填する。



「次弾装填完了! いつでも撃てます!」


「よし! 魔導砲はそのまま待機!」


「室内は空です!!

 ガーランド保安官、部屋の中には誰もいません!!」


「何だとぉ!?

 おい、ちゃんと部屋の中を隈なく探したんだろうな!?」



 目的の部屋が誰も居らず空っぽだったという部下からの予想外の報告に対してキレ気味に怒鳴り声で返すルークであったが、内心焦っていた。もし部屋の中に誰も居ないどころか、宿の中に被疑者が不在だった場合、謝罪どころでは済まない。こうなれば宿中の部屋を虱潰しに探すかと考えていたルークの元に若い保安官補が一人、階段を駆け上がって来た。



「ガーランド保安官!! もう一つありました!

  部屋がもう一つあります!!」


「ああん? 何だって!?」


「部屋をもう一つ借りていたんです! ここ最近の宿帳を確認したところ、別の人間の名義で借りている部屋があったんですが、タカシエノモト名義で支払いが行われている部屋があったんです!!」



 「やったぜ!」思わずそう言いかけたルークは笑いそうになる気持ちを抑えて先程と同じ態度で若い保安官補に応じる。一体、この宿の何処の部屋を借りているというのか?



「その部屋は何処だ!? 一階か!? それとも二階か!?」


「右です! ガーランド保安官から見て直ぐに右の部屋です!!」



 言われた瞬間、それを聞いた誰よりも早く右隣の部屋の扉と向き合ったルークは素早く指示を下す。



「隣だ! こっちの部屋だ! 魔導砲、砲身旋回!!」



 狭い場所で使用するために架台に装着されていた大きな車輪を取り外して、より小さな車輪を装着するために装備課の腕の良い整備員によって改造された内務省警保軍保有の『六〇式可搬百五十ミリ魔導砲』の砲身が架台の上で旋回し、照準が先程とは別の扉に固定される。


 その様子を室内から聞いていたアゼレアは戦慄する。指揮官と思しき保安官に報告を行っていた若い声の保安官は間違いなく孝司の名前を出していた。しかも、この部屋を借りている部屋の代金は孝司名義で支払われているということも……



「孝司、扉から離れて! 伏せてぇー!!」



 扉の近くに立って外の廊下の様子を伺っている孝司に扉から離れて伏せるように指示を出すアゼレアであるが、彼女は焦っていた。最初、保安官達は誰か別の手配犯を探しているものと思っていたのだが、完全に事態を読み違えていた。


 保安官の誰もが捜している対象者の名前を口に出さなかったので、多分違うのだろう考えていたのだが、保安官達の狙いは……最初から孝司本人だったのだ!



「え!?」



 保安官達の会話に自分の名前が出たことに驚いて固まっていた孝司であったが、アゼレアの指示に従って咄嗟に扉から離れて床に伏せようとした瞬間……



ぇーっ!!」



 廊下から聞こえた砲撃を命じる男の大きな声と共に耳の鼓膜が壊れるのではないかというほどの轟音が響き、直後に部屋の扉が破壊され破片を飛び散らせながら大穴が開く瞬間を映画のスローモーションのように眺める中――――着弾時の爆風と砲弾が通過していく衝撃波によって孝司は床に叩きつけられた。

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