第34話 愛を捧ぐフール
突然、ビアンカが淡い色をしたドレスを私の軟禁されている部屋に運び込んだ。
訳の分からないまま、あれよあれよという間にビアンカと名前も知らない二人の侍女に飾り立てられていく。間違いなく、パーティー向けの装いだった。
困惑したまま、ビアンカに事の経緯を尋ねると、アウレリウス公爵主催のパーティーに出てもらうと告げられる。
確かそれは婚前に出る予定だったパーティーだ。
結婚するまでの時間は元々あまりなかった。
だが、貴族の結婚は準備にお金と時間がかかる。元々結婚予定日が決めていた。勿論その日も公表していたのである。
それを急に早めることになるのは、何かあったと言っているようなものである。
アウレリウス公爵が私を軟禁していても、結婚を早めることはなかったのは、彼が根っからの貴族で体裁というものを重んじる人だったのか。それとも流石に人の結婚予定にまで口を出す事はしなかったからか。
今となっては、どちらでもいい。
監視付だろうが、この邸から出られるのだから。
私を先導する侍女と違い、私の後ろをぴったりと音もなくビアンカは着いてくる。邸の玄関ホールらしきところを抜け、外に出ると一面森に囲まれていた。
錆び付いた鉄の門の外には、馬車と共に小太りのセウェルス伯爵が待機している。
門から延びる少し荒れた道以外、この邸がどこに建っているのかすらも全く分からない有様だった。
これでは邸から抜け出せていたとしても、森で迷って野垂れ死にしていただろう。自分の浅はかさと共に、どうしようもなく無力だと痛感した。
この手は王太子妃であった頃から荒れを知らない。
この足はあまり地面を踏んだ事がない。
この身は一人で外に出たことはない。
前世と同じだ。私は何も知らない。
セウェルス伯爵にエスコートされ、乗った馬車にはビアンカも一緒だった。まだ婚約者同士なので、侍女も乗るのはよくある話。
だけれど今回は出発した場所が場所だったのか、誰も何も口を開かなかった。
ビアンカは相変わらず無表情で空気のようだったし、セウェルス伯爵は何を考えているのか全く分からない。いつものおおらかな笑みすら浮かべなかった。
やや時間をかけてようやく停った馬車を降りると、以前来たことがあるアウレリウス公爵の王都の本邸だった。既に他に招待された者達が来ているようで、辺りには楽しげな笑い声が聞こえる。
セウェルス伯爵から差し出された手に自分の手を重ね、公爵の邸へと足を踏み入れる。やはり伯爵という地位にいるからか、かなり人脈の広いらしいセウェルス伯爵を見つけて数人近付いてきた。
「こんばんは、セウェルス伯爵。ご婚約者様は今日もお美しいですな。本当にお羨ましい」
ワイングラスを片手に持ち、定型文のような賛美を並べた人に礼を言う。言葉の割に私には興味が無いらしいその人達は、さっさとセウェルス伯爵と本題に入った。私は会ったことのない人々だったので、その様子を黙って見ている事しかすることが無い。
「それにしても、ウルヘル辺境伯領での反乱は本当に理解し難いですな。何故王国に歯向おうと思えるのか……。やはり育ちの悪い者は考える事もいけませんな」
「そうですね。ファウスト殿下とパウロ将軍が鎮圧に向かわれたので、安心ですな」
鎮圧。
そう聞いて、私は顔から血の気が引くのを感じた。
反乱が起きている事も知らなかったが、ファウスト様が出兵している事も勿論知らなかった。
前世も彼は戦争を経験していない。
何でも軽くこなすイメージのあるファウスト様だったが、戦争に関しては未知数だった。
口々に姦しく反乱の事について話す彼らだったが、そのうちの一人が声をひそめた。まるで、内緒話でもするかのように。
「私も人づてに聞いたんですけどね。
ーーファウスト殿下、お怪我をされて行方不明らしいですよ」
息が止まった。
周囲の時が止まったかのように、その声以外が聞こえなくなる。あちらこちらで聞こえているはずの楽しげな笑い声は、私の耳から完全に消え失せていた。足が震える。
ファウスト様が、お怪我。行方不明。
馬鹿の一つ覚えみたいに頭の中にその単語がずっと巡る。
私の中の大事な物が、大事に胸の中に仕舞いこんでいたものをどこかに落としてしまったような感覚に襲われた。まるで胸に大きな風穴が空いたかのように。
「クラリーチェ?大丈夫かい?」
「……エヴァンジェリスタ、さま」
「具合が悪そうだ。少し外の風に当たろう」
周りを取り囲んでいた人々に、セウェルス伯爵は一言何かを告げる。誰かが「ご令嬢には刺激の強い話でしたな。申し訳ない」と謝っていた。
それすらもうわの空で聞いていた私は、セウェルス伯爵に連れられるがまま、外の庭に出る。
それからどの位の時間が経ったのか分からない。
すぐのような気もしたし、少し掛かったようにも思う。
「……ファウスト様が反乱の鎮圧に向かわれたというのは本当ですか?」
やっと出てきた声は、セウェルス伯爵への問い掛けだった。
「そうだね。君は隔離されていたから知らなかっただろうけれど、出陣されたのは有名だよ」
「怪我されて、行方不明だと……」
「それもね、本当ではないかと言われているよ。国王陛下が正式に発表していないから、噂にとどまっているけれど」
「……それなのに、なぜ……。なぜこんなパーティーを開催しているのですか……?」
そこではじめてセウェルス伯爵を見た。
彼は私の方ではなく、ぼんやりと月の出ている空を見上げていた。時々雲が月を隠して、月明かりが弱くなる。
そこには小太りで、いつも穏やかそうな笑みを浮かべているセウェルス伯爵はどこにもいない。無表情で、冷たい印象を受ける。
「それはね。王族も貴族もみんな見栄っ張りだからだよ」
クルリと私の方を向き、セウェルス伯爵は私を憐れみを込めた瞳で見つめた。どうしようもない子供を見るかのようでいて、その子供を可哀想だと思っているかのような。
「クラリーチェ。王族と貴族は見栄っ張りであると同時に、国民を安心させなければならないんだよ。だから、情報操作だってするし、いつも通りにパーティーだって開く」
そしてね、とセウェルス伯爵は言葉を続けた。
「有りもしない既成事実だって、でっち上げる事だってするんだよ」
言い終わるか終わらないかのうちに、セウェルス伯爵は私の腕を力強く掴む。あまりの力の強さに顔を歪めた。
抵抗する間なんて、なかった。
半ば引き摺られるようにしてセウェルス伯爵は、私を近くの部屋に引きずり込む。床に打ち捨てる風に腕を離されて、私は絨毯に崩れ落ちた。
やや乱雑に私を部屋の中に入れると、閉まった扉の前に立ちはだかるようにしてその小樽のような身体で仁王立ちをする。
「アウレリウス公爵は拒否したが、我々にとっては第二王子派の醜聞が欲しいんだよ。君がちょっと
「か……、れ……?」
呆然と目を見開いた私は、からからになった喉から絞り出した。
話す口調はいつものセウェルス伯爵と変わらない。だけれど私を見下ろす表情は、温度がなかった。
「…………ぅ、ぁ」
部屋のベッドの上で小さく呻いた声がした。
他の人が居るなんて思いもしなかったから、座り込んだままベッドからジリジリと距離をとる。
「……あれ、……なんで俺はここに……?」
その人は固唾を飲んでベッドを凝視する私に気付いて、一気に眠気が飛んだのか、みるみるうちに碧眼を大きく開いた。
「……サヴェリオ、さま」
「クラリーチェ、嬢……?」
いつも項で縛っている襟足の長い髪は、今は解けている。少しだけ外に跳ねた黒髪と、お酒を飲んだのか少し夢見心地のような表情も相まって、退廃的な雰囲気を纏っていた。
「サヴェリオ・フィリウス。お目覚めかい?」
「お前……っ?!これはどういう事だ?!セウェルス伯爵!!」
だが、彼にとってもこれは危機的状況だと分かっているのか、ベッドに手を付き辛うじて踏みとどまる。
「ふむ……、どうやらちゃんと睡眠薬は効いているらしい」
フォティオスお兄様の様子を独りでに確認して、セウェルス伯爵は一つ頷いた後に私達に背を向ける。
このままフォティオスお兄様と二人になる訳にはいかなくて、部屋から出て行こうとするセウェルス伯爵に取り縋ったが、体格の違いが大きすぎて突き飛ばされた。
床に転がる私と、ベッドに手を付いたまま動けないフォティオスお兄様は、そのまま部屋の扉が施錠される音を聞くしかなかった。
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